萩原智子さんは元競泳選手で現在はスポーツ系コメンテーターとして活躍中ですが、旦那・佐藤一馬さんの不倫疑惑が話題です。
今回は萩原智子さんの家族(父親は萩原健一と同姓同名)、若い頃の経歴、結婚や子供、現在を紹介します。
この記事の目次
- 萩原智子のプロフィール
- 萩原智子の家族:父親は萩原健一と同姓同名&義兄はアナウンサー
- 萩原智子の家族:姉の旦那(義兄)はアナウンサー
- 萩原智子の生い立ち① 海水浴で溺れたことがきっかけで水泳を始めた
- 萩原智子の生い立ち② 日本代表選手の練習を見てオリンピックに憧れる
- 萩原智子の若い頃の経歴① 中学生から競泳選手として活躍
- 萩原智子の若い頃の経歴② 一時引退するも、5年後に現役復帰
- 萩原智子の若い頃の経歴③ 再度引退を表明。スポーツコメンテーターに
- 萩原智子は2006年に旦那・佐藤一馬と結婚
- 萩原智子は不妊治療の末、2014年に子供を出産
- 萩原智子の出産後:アスリートの環境改善のために情報を発信
- 萩原智子の現在① 東京オリンピックでは聖火ランナー&解説者に
- 萩原智子の現在② スポーツ関連をはじめ、テレビ番組にも出演中
- 萩原智子の現在③ 萩原智子の旦那・佐藤一馬に2度目の不倫疑惑が
- まとめ
萩原智子のプロフィール
生年月日:1980年4月13日
出身地:山梨県
所属:スポーツバックス
萩原智子さんは元水泳選手で、現在はスポーツコメンテーター・タレントとして活躍しています。
また、「日本水泳連盟」や「日本マスターズ水泳協会」の理事や、2020年の「東京オリンピック」「東京パラリンピック」の競技大会組織委員、「日本体操協会」の理事も務めました。
現役時代には、2001年の「シドニーオリンピック」に出場。「日本選手権水泳競技大会」や「世界水泳選手権」でも素晴らしい結果を残しています。
萩原智子の家族:父親は萩原健一と同姓同名&義兄はアナウンサー
萩原智子さんの母親は、山梨県甲府市内でお菓子教室を主宰しています。
父親は「萩原健一」さんというお名前で、”ショーケン”の愛称で親しまれている役者・萩原健一さんと同姓同名なのだそうです。
山梨県でワインメーカーに勤務しており、退職するまで50年にわたってワインぶどうの栽培を手掛けてきたのだとか。また、定年退職後もワインぶどうの栽培は続けているといいます。
そんな萩原健一さんは、2021年にNHK総合で放送されたバラエティ番組「日本人のおなまえ」の「同姓同名さんいらっしゃーい!」という企画に登場。
歌が苦手なのにもかかわらず、役者の萩原健一さんがグループサウンズ「テンプターズ」で人気を博したことから、周囲の人たちからよく「歌え」と言われて困ったと明かしていました。
さらに、番組の途中で次女が萩原智子さんであると告げると、司会の古舘伊知郎さんを始め、ゲストのハライチ・澤部佑さんらは驚愕。
番組のラストでも萩原健一さん・萩原智子さん親子について振り返るほど、大きなインパクトを残していました。
また、母方の親戚には、直木賞作家である東野圭吾さんがいるのだそうです。
萩原智子の家族:姉の旦那(義兄)はアナウンサー
萩原智子さんには姉がおり、その旦那がテレビ山梨のアナウンサー・小嶋優さんです。
小嶋優のプロフィール
生年月日: 1976年1月23日
出身地:埼玉県
職業:アナウンサー
所属:テレビ山梨
小嶋優さんはテレビ山梨のアナウンサーで、萩原智子さんの姉の旦那でもあります。
法政大学を卒業した1998年に、テレビ山梨に入社。
同局の夕方の情報番組「スゴろく」や山梨県内の企業を紹介する番組「ミライ企業」などで活躍しています。
- 趣味はドライブで、娘がいるそうです。
萩原智子の生い立ち① 海水浴で溺れたことがきっかけで水泳を始めた
出典:https://pixabay.com/
萩原智子さんは、幼い頃から書道・ピアノ・絵画・英会話・クッキング教室などたくさんの習い事を経験したといいます。しかし、どれも3ヵ月と続かなかったのだとか。
そんな萩原智子さんが水泳を習い始めたのは、小学校2年生のときに家族で出かけた海水浴で溺れてしまい、父親に言われた言葉がきっかけだといいます。
「溺れかけたとき、近くに父がいたのですがなかなか助けてくれなかったんですね。『なんで助けてくれなかったの!?』と言うと、『泳いでいると思ってうれしかった』と言われました(笑)。笑いごとではないのですが、それを言われた瞬間に怖かったというよりも悔しい思いが溢れてきたのです。
悔しいと思った萩原智子さんは、「絶対泳げるようになってやる」と自分からスイミングスクールへ通いたいと頼んだそう。
萩原智子の生い立ち② 日本代表選手の練習を見てオリンピックに憧れる
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それまで習い事が続かなかった萩原智子さんに対して母親は「どうせ続かない」と反対しますが、父親は初めて自分から習いたいと言ったことに気づき、母親を説得してくれたといいます。
そして、両親は水泳を始めてからも手厚いサポートを続けてくれたそうです。
朝と夜に2回練習がある日は、温かいお弁当を食べさせてあげたいという母親が、朝練習の終わるタイミングを見計らってお弁当をつくり、父親がスイミングスクールまで届けてくれたそう。もちろん、試合会場に応援に駆けつけたりしてくれました。練習で疲れて帰ってきたときには、お風呂上がりに父親がマッサージをしてくれたそうです。
萩原智子さんが通っていたスイミングスクールでは日本代表の選手も練習しており、その姿を見て「かっこいい」「私も日の丸の入った水着を着たい」と憧れを持つようになったといいます。
萩原智子の若い頃の経歴① 中学生から競泳選手として活躍
萩原智子さんは1995年、中学3年生の時に「全日本ジュニアチーム」のメンバーに選出されます。
翌年の1996年に山梨学院大学附属高等学校に入学すると、3年連続で「インターハイ」に出場。200m背泳ぎでは3連覇を達成しました。
1998年の「アジア大会」にも出場をしており、100m背泳ぎ・200m背泳ぎ・400mメドレーレーで3冠を達成しています。
同校を卒業後は、山梨学院大学へと進学し、進学してすぐの「パンパシフィック水泳選手権」では200m背泳ぎで金メダルを獲得しました。
翌2000年の「日本水泳選手権」でも、200m個人メドレーで優勝。同時に当時の日本記録を達成するという快挙を成し遂げて、同年開催の「シドニーオリンピック」出場を勝ち取りました。
なお、萩原智子さんは日本選手権において200m背泳ぎでも2位に入賞しており、初のオリンピックながら競泳2種での出場権を獲得しています。
シドニーオリンピックでは200m個人メドレーで8位、200m背泳ぎでは4位となり、メダル獲得とはなりませんでしたが、その後も「世界水泳選手権」「日本水泳選手権」などに出場。
2002年、4年生の時に出場した日本水泳選手権では、200m自由形・200m背泳ぎ・200m個人メドレー・100m自由形で史上初となる4冠を達成しました。
しかし、同年の「パンパシフィック水泳」で思いもしない出来事が。
萩原智子さんは同大会において200m個人メドレーで金メダルを獲得するも、同大会中に3度もの過呼吸を発症。200m背泳ぎ決勝を目前に棄権し、そのまま緊急入院となってしまいました。
医師からは重度の過換気症候群だと診断され、同年出場予定だった「釜山アジア大会」の出場も断念しています。
過換気症候群とは、精神的な不安や緊張などを感じているときに、自分の意思とは無関係に呼吸回数が通常よりも多くなってしまう状態です。発症すると、手足にしびれや筋肉のけいれんをきたすようになります。男性よりも女性に多く、特に若い方にみることが多い病気です。過換気症候群を発症すると、自分自身でも混乱してしまい不安が助長されて、うまく発作を止めることができなくなることが多いです。
引用:過換気症候群
萩原智子の若い頃の経歴② 一時引退するも、5年後に現役復帰
萩原智子さんは山梨学院大学を卒業後、競技生活を続けるために山梨学院大学大学院の社会科学研究科修士課程に進学。
2003年に静岡県で開催された「NEW!!わかふじ国体」で200m個人メドレー成年女子の部で優勝し、同大会記録も更新しました。
2004年開催の「アテネオリンピック」出場を目指していたものの、同年の「日本選手権」で派遣標準記録に届かないという結果に。
萩原智子さんは同大会の結果を受け、現役引退を表明しています。
大学院を修了すると、学校法人山梨学院に職員として就職。「山梨学院大学スポーツガレッジセンター」に研究員として勤めています。
また、2005年からはメディアにも出演するようになり、山梨放送のニュース番組「山日YBSワイドニュース」や「YBSニュース深夜便」などでスポーツコメンテーターを担当。
その後の2009年には、競泳選手として現役復帰することを発表し、「日本実業団大会山梨予選」や「トキめき新潟国体」などに出場。
「日本実業団大会山梨県予選会」に出場した際の記事によると、現役復帰のきっかけは2008年開催の「北京オリンピック」だったといいます。
転機となったのは、昨年の北京五輪のことだった。選手たちの泳ぐ姿に、「また戦いたい」という思いが募ったのだ。昨年10月に練習を開始し、臨んだのがこの日だった。萩原は自由形100mと50mに出場。最初の種目100mは54秒49。自己記録に迫るタイムであり、前半は日本記録を上回るペースだった。
萩原智子さんはその後、2010年開催の「日本選手権」にも出場。
同年開催のアメリカ・カリフォルニア州で開催された「パンパシフィック選手権」では400mフリーリレーでは5位に終わるも、日本新記録を樹立しました。
また、「FINA競泳ワールドカップ2010東京」では50m自由形で日本記録を更新。100m個人メドレーでは金メダルを獲得しています。
2011年は大会出場を目前に子宮内膜症・卵巣嚢腫が発覚。手術を経て「山梨県夏季水泳競技大会」で復帰。
2012年開催の「ロンドンオリンピック」出場を見据えていたものの、同年開催の「日本選手権」で結果が振るわず、出場権を獲得できませんでした。
萩原智子の若い頃の経歴③ 再度引退を表明。スポーツコメンテーターに
萩原智子さんは、2012年開催の「ロンドンオリンピック」への出場を逃したことを機に、再度現役を引退。
同大会が開催されている期間は、日本テレビ系情報番組「ZIP!」に水泳競技のコメンテーターとして出演していました
以降、競技だけではなく夏季・冬季関わらず、オリンピック関連のスポーツコメンテーターとして数々のメディアに出演するように。
また、過去にはTBSのスポーツバラエティ特番「SASUKE」にも挑戦しています。
2012年にはスポーツカンパニーとマネジメント契約を結び、2013年に「日本水泳連盟」の理事に就任。
さらに2014年には「日本水泳連盟」の「アスリート委員会」の委員長に就任しています。
2015年には腹部の激痛から救急車で搬送され、入院。「胆石胆嚢炎」と診断されて緊急手術も経験しました。
萩原智子は2006年に旦那・佐藤一馬と結婚
萩原智子さんは、2006年にテレビ朝日のスポーツ局のディレクター・佐藤一馬さんと結婚。同年10月に結婚式を挙げたそうです。
萩原智子さんは山梨放送の番組に出演することが多く、「世界選手権」などテレビ朝日系列の中継などでは、スタジオ解説を担当しています。
また、テレビ朝日系列のスポーツ番組「GET SPORTS」ではスポーツ選手への取材をしたことをきっかけに、佐藤一馬さんと知り合ったそう。
萩原智子は不妊治療の末、2014年に子供を出産
萩原智子さんは2006年の結婚から8年が経過した、2014年7月にブログで妊娠中であることを発表しました。
結婚からの8年間は、現役復帰や子宮内膜症・卵巣嚢腫チョコレート嚢胞の手術と、様々な出来事があったと綴られていました。
そして、いつもどんなときも旦那である佐藤一馬さんが味方として、笑顔で隣にいてくれたそうです。
また、萩原智子さんはブログで以下のように心境を述べています。
妊娠が判明したときは、豆粒ほどの命の存在に、自然と涙が。。。今は1日1日、自分自身の体が変化していくことを楽しんでいます。大きく成長していくお腹をさすると、不思議と笑顔になれる自分も発見しました。胎動も感じるようになり、私のお腹で泳ぎ回っているようです。授かれたことに、感謝します。
引用:新しい命
また、他のインタビュー記事では不妊治療の経験についても語っています。
子宮内膜症の手術後は妊娠しやすいとされているものの、なかなか授かることができず、不妊治療専門の病院に通院。人工授精へステップアップする直前に妊娠したのだそう。
そして、妊娠発表から4ヵ月後の同年11月21日、萩原智子さんは無事に3680gの男児を出産。
ブログでは出産時には出血が多く、産後は貧血となるも無事に退院した旨を報告していました。
萩原智子の出産後:アスリートの環境改善のために情報を発信
出典:https://pixabay.com/
萩原智子さんは産後、女性アスリートを取り巻く環境や、女性特有の病気に関するインタビューなどを受ける機会が多く、後輩の女性アスリートから婦人科系の病気の相談もあるそう。
萩原智子さんはそのような相談をされた際、「痛みが少しでもあるなら婦人科へ」と勧めているのだとか。
かつて、スポーツ界では女性に対しても「体重を減らせ」「月経が止まってもそのままがんばれ」といった風潮があったそうです。
しかし萩原智子さんは「もうそんな時代ではありません」「競技を引退してからの人生の方が長い」と語っています。
また、スポーツ選手が月経の悩みなどを公表してきたことなどから、月経や婦人科系の病気について議論される場面が増えてきたとも感じているそうです。
萩原智子の現在① 東京オリンピックでは聖火ランナー&解説者に
萩原智子さんは、2019年2月から2020年3月まで、スポーツ庁に参与していました。
2019年7月からは「日本体操協会」の理事にも就任しています。
また、2021年に開催された「東京オリンピック」では聖火リレーのランナーとなり、地元・山梨県のトップバッターとして走りました。
東京五輪の聖火リレーは26日、山梨県1日目のスタートに00年シドニー五輪競泳女子200メートル背泳ぎ4位の萩原智子さん(41)が登場した。「地元山梨で聖火をつなぐことが出来てうれしい。畑の中から手を振ってくださる方もいる山梨らしい風景に胸が熱くなりました」と笑顔。現在は県内を中心に、水泳教室だけでなく「水ケーション-森と水の授業-」と題した水を通じた教育活動も実施している。
さらに、「東京オリンピック」と「東京パラリンピック」では解説者として活躍。
競泳界においてオリンピック・パラリンピック両大会の解説を担当したのは、萩原智子さんが初となります。
萩原智子の現在② スポーツ関連をはじめ、テレビ番組にも出演中
萩原智子さんはテレビなどのメディアにも出演しており、過去にはTBS系スポーツバラエティ番組「炎の体育会系TV」や、日本テレビ系紀行番組「ぶらり途中下車の旅」などにも出演。
2019年からNHK総合の「首都圏ネットワーク」などに出演しているほか、2020年からはNHK甲府が放送するローカルニュース番組「Newsかいドキ」にも出演しています。
萩原智子の現在③ 萩原智子の旦那・佐藤一馬に2度目の不倫疑惑が
萩原智子さんの旦那・佐藤一馬さんは週刊誌「週刊ポスト」によって、2013年にアナウンサー・竹内由恵さんとの不倫疑惑が報じられています。
目撃されたのは、完全個室のオイルマッサージが受けられるスパ。
実際の関係はわかりませんが、同施設には着替え専用のスペースがなく、オイルマッサージも紙パンツ1枚で行われるそうで、異性の友人や同僚と利用するにはハードルが高いとのこと。
そのため、男女の仲なのではと疑われたようです。
また、2021年12月には「文春オンライン」が、“テレビ朝日のスポーツ局幹部A氏”のダブル不倫を報じています。
そして、一部ネットではこのA氏が佐藤一馬さんなのでは?と噂になっているんです。
同メディアが名前こそ出していないものの、A氏が過去にもアナウンサーとの不倫を報じられていることや、妻が元スポーツ選手で男の子がいると報じています。
いずれの記事も断定はされていないので、実際のところが気になる所ですね。
竹内由恵のプロフィール
生年月日:1986年1月20日
出身地:東京都(誕生はオランダ)
職業:アナウンサー
所属:テレビ朝日→アミューズ
竹内由恵さんはオランダ生まれ。一時東京に住むも父親の影響でアメリカ・スイス・イギリスなどに住んでいたそうです。
その後、高校入学を機に帰国し、東京学芸大附属高校卒業すると慶應義塾大学法学部政治学科に入学。「ミス慶応」のグランプリにも輝きました。
同大学を卒業後、2008年にテレビ朝日へアナウンサーとして入社。
同年10月からは同局の音楽番組「ミュージックステーション」でサブ司会者を担当したほか、サッカー情報番組「やべっちFC〜日本サッカー応援宣言〜」などに出演しています。
以降も、2013年放送の甲子園情報番組「熱闘甲子園」のキャスターや、2014年開催の「ソチオリンピック」で現地キャスターとリポーターを務めるなど活躍。
同局を代表する報道番組「スーパーJチャンネル」や「報道ステーション」でもメインキャスターを務めていました。
2019年に医師の一般男性と結婚したことを機に、テレビ朝日を退社。夫の勤務地である静岡県に移住しました。
現在は、静岡県を拠点にフリーアナウンサーとして活躍しています。
まとめ
萩原智子さんは小学校2年生の時に、海水浴で溺れたことをきっかけに水泳を始めます。
また、通い始めたスイミングスクールでは日本代表の選手も練習しており、萩原智子さんは自然とオリンピックに夢を抱くようになったそうです。
中学3年生で「全日本ジュニアチーム」のメンバーに選出されて以降、数々の大会で輝かしい成績を残し、2000年に開催された「シドニーオリンピック」にも出場しました。
その後も各大会で優秀な成績を残していましたが、2004年開催の「アテネオリンピック」出場を逃したことを機に引退。
スポーツコメンテーターとして活躍する中、2009年に現役へと復帰し、再度のオリンピック出場を目指して国内の大会で次々と良い成績を出し続けました。
しかし、2012年開催の「ロンドンオリンピック」に出場できず、再度引退を表明。以降は、スポーツ関連の番組に多数出演しています。
プライベートでは、2006年にテレビ朝日ディレクター・佐藤一馬さんと結婚し、2014年に男児を出産。
順風満帆ではありますが、旦那・佐藤一馬さんは度々不倫疑惑が報じられています。
旦那さんが実際に不倫していたかは定かではありませんが、萩原智子さんと子宮内膜症や不妊治療を乗り越えて誕生した子供との家族を、これからも大切にしていってほしいですね。