里谷多英さんは元フリースタイル・スキーモーグル選手で金メダルも獲得していますが、問題行動や逮捕歴があるのも事実です。
今回は里谷多英さんのプロフィールや記録、旦那との離婚原因や子供、逮捕歴や問題行動、現在をまとめました。
この記事の目次
里谷多英のプロフィール
生年月日:1976年6月12日
出身地:北海道札幌市北区
里谷多英さんは、元フリースタイル・スキーモーグルの選手で、金メダリストです。
北海道という環境が天才を育てた
里谷多英さんは、北海道札幌市の小学校・中学校を卒業したのち、東海大学附属第四高等学校(現在の東海大学付属札幌高等学校)の体育コースを卒業。
その後、北海道東海大学(現在の東海大学札幌キャンパス)を卒業しています。
雪国育ちということもあり、スキーは3歳から始めていたそう。3歳年上の兄が小学校に上がるタイミングで、家族でスキーに行くようになったのがきっかけだとされています。
幼少期から始めていたためか、物心がついた時にはすでに普通に滑ることができており、幼稚園年長頃には、急なコースすら率先して滑るようになったといいます。
小学校に上がる頃には、お年玉をはたき、毎年スキー道具を買い揃えるように。
そのことを両親に相談すると、「オリンピックに出るような選手になれば道具がもらえる」と言われ、オリンピック出場を目指すようになったそうです。
早くに父親を亡くしている
1997年7月に父親が逝去し、当時は競技を引退することも考えた里谷多英さん。
しかし、父親が語っていた「成績よりも、よいすべりを」との言葉で自身を奮い起こし、翌年の1998年の長野オリンピックに出場、金メダルを獲得します。
この金メダルは日本人女子選手として、冬季オリンピック史上初の金メダルとなりました。
尚、父親の死後は試合に挑む際、ウェアのポケットに写真と父親からもらったお守りを入れていたそうです。
里谷多英が逮捕された経緯とは?
里谷多英さんは、2005年2月、酒に酔って暴行事件を起こしてしまいます。
結果として起訴猶予処分とはなったものの、自ら全日本スキー連盟に申し出て強化選手から外れました。
また、その事件の原因とされているのが「公然わいせつ罪」にもあたりかねない里谷多英さんの行為にあったとも報道されました。
2005年2月、里谷は外国人コーチや、白人男性ら3人で東京・六本木の人気クラブを訪れ、泥酔したあげ句、ハレンチ行為に及んだことが報じられた。金メダリストの前代未聞の行為に世間は騒然。本紙も「公然SEX 里谷多英 騎乗位1時間半」などと連日1面で報じた。
里谷多英さんは無類の酒好きとして知られており、当日も泥酔。
上記のような行為をクラブの黒服にとがめられたことで、その黒服に噛みついたり、物を投げたりしたことで、暴行事件として通報されてしまったのだそうです。
同席していたコーチのスティーブン・フェアレンさんや里谷多英さん本人は、泥酔状態や連行されたのは事実と認めながらも、公然わいせつ罪に問われる行為は行っていないと否定しました。
また、先に手を出したのは黒服で、里谷多英さんも全治10日の打撲と前歯が欠けるというケガを負ったため、被害届を提出したと述べていました。
ちなみに、里谷多英選手について調べていると、「リュック」というキーワードが出てきます。
恐らくは、モーグル界のスーパースターである、ジャン・リュック・ブラッサール選手である可能性が高いと思われます。
この騒動の時に同席していた白人男性は、一部報道ではモーグルの選手ともされており、その男性がジャン・リュック・ブラッサール選手では?と考えた人が検索をしたのかもしれません。
里谷多英と旦那の離婚原因とは?
里谷多英さんは、2003年11月に高校の同級生で、建設会社に勤める一般男性と結婚します。
高校時代のエピソードは特に語られていませんが、旦那さんは元々里谷多英さんのファンだったようです。
また、旦那さんは里谷多英さんの初対面の印象について、世の中にこんな美しい人がいるのかと思えるほど輝いていたと述べ、脳天割りを食らったような衝撃を受けたと表現していました。
そして、それが元々ファンであった里谷多英さんであることが分かった時に、運命だと感じ、とにかく熱烈にアプローチしたのだそうです。
そんな2人でしたが、2005年3月に離婚してしまいます。
離婚の原因は里谷多英さんのDVだと言われていますが、里谷多英さんはそれを否定しています。
しかし、過去に夫婦で受けたインタビューでは、里谷多英さんの暴力癖にも触れており、また、これまでの里谷多英さんの酒癖の悪さも相まって、DVによる離婚説は有力視されています。
夫婦喧嘩の際も、里谷多英さんが電気や玄関ドアを体当たりで壊したり、出て行こうとする里谷多英さんを止めようとして突き飛ばされたり、といったエピソードが語られていました。
2人は入籍翌年の2004年頃から別居状態にあったようで、恐らく2005年2月の暴行事件や公然わいせつ罪の疑いに関する報道が、最終的な離婚の判断材料となったのではないでしょうか。
里谷多英に子供はいる?
里谷理恵さんと元旦那さんの間には子供はいません。
しかし、里谷多英さんは子供を持つことを望んでいるようです。
2015年頃には、周囲から「合コン女王」と呼ばれており、以下のような発言をしていたという報道もされていました。
「再婚して子供が欲しい! 誰か私に救いの手を!!」が、酒席でのキマリ文句とか。
里谷理恵さんは現在40代前半ですから、次の結婚相手が見つかるタイミングによっては、お子さんを持つことも可能でしょう。
里谷多英の金メダルなど経歴まとめ
里谷理恵さんは、フリースタイル・スキーモーグルの選手として、どのような経歴を持っているのでしょうか。
里谷理恵さんの選手としての経歴について、調べてみました。
小学校5年生でモーグルを始める
里谷多英さんは、小学校5年生でモーグルを始めます。
モーグルを初めて1年ほどの小学校6年生の時、全日本選手権で優勝するなど、早々にその実力を発揮します。
よく父と、こぶがあるコースを滑っていたので、こぶがすごい好きで。こぶの競技がないかなと父と話していた時に、テレビでモーグルのワールドカップ(W杯)を見て、「これがやってみたい!」という感じで始めました。全日本選手権は棚ぼた的に優勝。ラッキーな感じでしたね。
中学校から高校時代にかけてもその成績は好調で、1991年度から同大会で6連覇を達成しています。
インタビューでモーグルのスピードが怖くないかと問われた際には、以下のように回答していました。
小さいころから、父親にターンもエアもどうでもいいから、スピードだけはだれにも負けるなと言われていました。今でも、自分がスピードで一番じゃないと気が済まない。
しかし、ジェットコースターなどは「機械を信用できない」という理由から苦手だそうです。
リレハンメルオリンピック~ソルトレイクシティオリンピック
出典:https://www.sponichi.co.jp/
1994年、17歳の頃にリレハンメルオリンピックで、オリンピック初出場。結果は11位だったものの、本人の中では1番印象に残ったオリンピックであると語っています。
多くの有名な選手にたくさん出会うことができたので、写真撮影やサインを求めたそうです。
また、リレハンメルオリンピックに対する思いについて、以下のようにも語っています。
モーグルというマイナー種目が注目されて、大観衆の中で滑れた感激は今でも忘れない。メダルが欲しいと思ったのも、あの大会から。
さらに、同年の世界ジュニア選手権では初出場で初優勝を飾ります。
これらの功績により、里谷多英さんは「日本モーグルの第1人者」であると称されました。
その華麗な滑りは、のちのモーグル選手となる上村愛子さんにも大きな影響を与えたとされ、上村愛子選手がアルペンスキーからモーグルへ転向したきっかけにもなりました。
そしてその後、1998年に出場した長野オリンピックでは見事金メダルに輝きます。
また、この金メダルは日本女子における冬季オリンピック史上初のメダル獲得となり、大きな話題となりました。
長野オリンピックでの金メダル獲得後、里谷多英さんの成績は低迷してしまい、さらには左足首を骨折してしまいます。
しかし、このケガがきっかけにより競技に対する意欲が増したと語っています。
冬季オリンピック3大会連続出場となった2002年に出場したソルトレイクシティオリンピックでは銅メダルを獲得。
冬季オリンピックにおける女子選手の2つ目のメダル獲得というのも、史上初となりました。
トリノオリンピック~バンクーバーオリンピック
2005年に起こしてしまった暴行事件後、自らの申し出により強化選手から外れた里谷多英さんは、個人として「フリースタイルスキー・ワールドカップ」などの大会に参加。
翌年の2006年にはトリノオリンピックに出場し、4大会連続となるオリンピック出場を果たすものの、結果は15位に終わっています。
トリノオリンピック後は、腰の治療のために大会へ出場しない時期はあったものの、無事に回復し、2010年のバンクーバーオリンピックに出場。
5大会連続のオリンピック出場となりますが、決勝での転倒などもあり、結果は19位に終わってしまいました。
本人は、この2008年頃から、2010年のバンクーバーオリンピックまでの2年間が1番辛かった時期だと語っています。
特に、自身はまだやれると感じていても、若い頃と比べて環境や自身を見る周囲の目が変わってきたことがプレッシャーであったようです。
里谷多英の引退のきっかけとは?
出典:https://www.shikoku-np.co.jp/
里谷多英さんは、2013年1月に現役を引退することを発表し、翌月に引退セレモニーを行いました。
引退の理由については、以下のように述べています。
2012年12月18日~21日に行われた北米のFIS大会で、ワールドカップ昇格をかけ全力で戦いましたが、昇格基準を満たすことが出来ず、その試合後引退を決意しました。
首や腰の痛みのせいで思うように滑れない時期が続いた2008年頃から、引退を考えていたとういう里谷多英さん。
実は当初、2008年のワールドカップを最後にすると心に決めていたそうです。
しかし、同大会ではまさかの予選落ち。この滑りに「こんなボロボロで辞めたくない」と悔しさを感じ、考えが変わったといいます。
また、その大会で上村愛子さんが優勝したことも、引退を踏みとどまった理由の1つとして挙げています。
上村の滑りを見て、「自分は何やってるんだろう。これで終わりにするのはいやだ」と感じたのだ。
その熱い思いが起爆剤となったのか、次の全日本選手権では見事優勝。
途中、腰の痛みに苦しみながらもワールドカップでは9位にランクイン。自身5度目のオリンピックとなる、バンクーバーオリンピック出場権を手にしました。
しかし、出だしは好調だったものの、エアの失敗が続いてしまい、結果は19位に終わってしまいます。
その後、引退を改めて発表した里谷多英さんは、以下のように述べています。
25年間、あきらめることなく最後まで挑戦し続けることができ、とても幸せな競技人生でした。
里谷多英のオリンピック出場記録まとめ 【問題行動も紹介】
里谷多英さんは、オリンピックに5度出場しています。
出場したそれぞれのオリンピックと、成績は以下のとおりです。
■1994年 リレハンメルオリンピック 11位
■1998年 長野オリンピック 金メダル
■2002年 ソルトレイクシティオリンピック 銅メダル
■2006年 トリノオリンピック 15位
■2010年 バンクーバーオリンピック 19位
長野オリンピックでの行動が問題に
日本人女子として、冬季オリンピック史上初の金メダリストに輝いた長野オリンピック。
そんな長野オリンピックでは、里谷多英さんのある行動が問題視されました。
それが、「優勝直後にシャンパンを一気飲みしたこと」「表彰式で脱帽しなかったこと」、この2点です。
これらの行動により、日本オリンピック委員会に抗議が殺到、日本選手団長の八木佑四郎さんが陳謝する事態となりました。
シャンパンを手にさせておきながら、なぜ飲んではいけないのか疑問ではありますが、どうやらその後にドーピング検査を控えており、その前に飲酒するのはタブーであったようです。
なお、翌日には祝賀会も予定されていたそうですが、この問題行動を受けて取り止めとなりました。
里谷多英の他にかわいいと話題になった女子モーグル選手3人
里谷多英さんは現役時代に「かわいい」と話題になりました。そんな里谷多英さん以外にも、女子モーグルの選手にはかわいいと話題となった選手がたくさんいます。
そんな中から今回は3人の選手を紹介します。
上村愛子(日本)
上村愛子さんは、1988年の長野オリンピックから、2014年のソチオリンピックまで5大会連続でオリンピックに出場しています。
いずれの大会もメダルには届きませんでしたが、すべて7位以内に入賞。さらには、日本人史上初めて、「ワールドカップ年間総合優勝」を成し遂げています。
また、そのかわいらしいルックスに注目が集まり、現役~引退後も含めて10社以上のCMに出演しています。
岩本憧子(日本)
岩本憧子さんは、オリンピック出場の経験はないものの、2013年・2014年・2016年とワールドカップに出場。
2018年のピョンチャンオリンピックへの出場は叶いませんでしたが、2022年の北京オリンピック出場に期待がかかっていました。
しかし、2019年にモーグル競技を引退しており、今後は、バックカントリースキーを中心に活動していくとのことです。
特にCMなどには出演していませんが、ネットを中心にかわいいと話題となりました。
ジュスティーヌ・デュフール=ラポワント(カナダ)
ジュスティーヌ・デュフール=ラポワントさんは、カナダの選手です。
2014年のソチオリンピックでは金メダル、2018年ピョンチャンオリンピックでは銀メダリストに輝いています。
姉のクロエ・デュフール=ラポワントさんも同じくメダリストで、もう1人の姉、マキシム・デュフール=ラポワントさんもオリンピックに出場しています。
美人三姉妹であると話題となりましたが、特にジュスティーヌ・デュフール=ラポワントさんがかわいいと話題となりました。
里谷多英の現在
出典:https://www.chunichi.co.jp/
里谷多英さんは、1999年に入社したフジテレビで今も社員として勤務されているようです。
現在は総合事業局イベント事業センター販売企画部に勤務しております。フジテレビが主催や共催をしているイベント事業の営業活動が仕事です。イベント事業の企画ではなく、チケットを販売したり、スポンサーをまわるセールスのほうが担当です。
(フジテレビ広報担当者)
2018年9月には、スポーツバラエティ番組「ジャンクSPORTS」が里谷多英さんに密着。
番組内では、金メダルをデスク内に常備し、営業ツールの1つとして扱っている様子。
また、部署のある17階まで階段で上っていることや、出社してすぐ鶏肉でタンパク質を摂っているなど、アスリート色が今も強く残っている生活が垣間見えました。
フジテレビ勤務、さらには5度のオリンピック出場を果たした金メダリストということで、フジテレビの製作するスポーツ番組などに解説やキャスターとしての出演も可能性でしょう。
ですが、やはり過去のスキャンダルも影響しているのでしょうか。
系列局がモーグルの中継をしたこともありましたが、里谷さんはノータッチです。里谷さんは手足が長くてスタイルがバツグンで、社内では目立つ存在ですよ。ただ他にもアスリートの社員もいますし、いまは平凡な平社員の一人。
(フジテレビ関係者)
本人は、今の仕事に就く際、不安も少なからずあったようで、2019年に受けたインタビューでは以下のように語っています。
最初はすごく緊張しました。三十六歳でちゃんと毎日、会社に通って働くってなった時に、バイトもしたことない、競技ばかりやってきたのにできるのかって…。でも、三年は頑張ってみよう。だめだったらすみませんって頭下げて、やめようと。
また、スキー業界に携わっていくという道もあったが、燃え尽きるまで競技に取り組んできたので、新しい環境で自分がやっていけるかどうかを試したくなったとも述べていました。
まとめ
モーグル選手として5度もオリンピックに出場し、日本人女子における冬季オリンピック史上初の金メダリストとなった里谷理恵さん。
長い選手生活の中で、ケガやバッシング、逮捕、さらには離婚など、様々な出来事がありましたが、現役引退後の今はフジテレビの社員として活躍しているようです。
36歳からの社会人デビューに不安もあったようですが、長い競技人生を全力でやりきったからこそ、新しいステージにも全力で臨むことができているのではないでしょうか。