野口みずきの現在!旦那や子供・アテネ金メダルや記録も総まとめ

野口みずきさんは元マラソン選手でアテネオリンピックの金メダリストですが、結婚した旦那や引退後の現在も話題です。

 

今回は野口みずきさんのプロフィールや記録、引退理由、結婚した旦那や子供、そして現在の活動をまとめました。

野口みずきのプロフィール

出典:https://www.asahi.com/

 

生年月日:1978年7月3日

出身地:三重県伊勢市

血液型:O型

身長:150cm

体重:40kg

趣味:音楽鑑賞

座右の銘:走った距離は裏切らない

 

 

野口みずきさんは、元マラソン選手です。金メダリストであり、女子マラソンの日本記録・アジア記録保持者でもあります。

 

1978年7月3日、神奈川県に生まれた野口みずきさんは、後に三重県伊勢市に転居しており、三重県伊勢市を出身地としています。

 

植物の「ハナミズギ」か名前の由来となっているそうです。

 

音楽が好きで、ヒップホップ、エレクトロニック・ダンス・ミュージック、パンクロック、スカなど激しい曲調の音楽が好みだそうで、レース直前もヘッドホンで音楽を聴いていたそうです。

 

また、海外合宿の際も音楽専門チャンネルの「MTV」をよく視聴しており、2004年のアテネ五輪では特に「SOULHEAD」の「LOVER、KNIGHT、MAN」が思い出深いと述べています。

 

 

野口みずきの経歴まとめ

出典:https://www.asahi.com/

 

野口みずきさんは、どのような経歴の持ち主なのでしょうか。野口みずきさんのこれまでの経歴について、調べてみました。

 

学生時代

野口みずきさんは中学1年生の時に、友人に誘われたことがきっかけで陸上部へ入部します。

 

当時は特に大きな功績などを残していませんでしたが、三重県立宇治山田商業高等学校の陸上部顧問の目に留まり、スカウトされ同校へ進学します。

 

高校進学後は3000mの種目でインターハイに出場した他、駅伝の選手としても活躍したことで、高く評価されるようになりました。

 

そんな高校時代の練習コースは現在、「みずきロード」と命名されています。

 

しかし、高校を卒業したのちに入社したワコールで出会った、広瀬永和監督は入社前の野口みずきさんの走りを見て以下の様に感じたそうです。

 

 

パッと見た目は『将来性はないな』と思いました。筋力がないから腰が引けて、どうしても足だけで前に行く走り。そういう走り方を見ていたら、『このままじゃ、あんまり活躍できないな』と、パッと見では思いました。

 

引用:https://www.sankei.com/

 

初めての走りでは大きな期待を寄せられたわけではなかったようですが、その後、野口みずきさんの才能に広瀬永和監督が気づき、以来20年近く指導する関係となります。

 

プロ時代(ワコール入社~グローバリー移籍)

出典:https://marasontanosimu.net/

 

野口みずきさんは高校卒業後、1997年にワコールに入社します。

 

高校時代の活躍から数ある企業に声をかけられた野口みずきさん。

 

ワコールを就職先に選んだのは、ワコールに所属している真木和選手が初マラソンで初優勝する様子を見たことで、一緒に走りたいと思ったからなのだそうです。

 

しかし、野口みずきさんはワコール入社からわずか1年で退社してしまいます。

 

ワコールと対立した藤田信之監督が1998年に辞任し、その際に真木和選手や野口みずきさんといった選手を伴って同社を去ったためです。

 

 

1999年に藤田信之監督らとともにグローバリーに入社する間の約4ヵ月、野口みずほさんらは無職となってしまいました。

 

しかし、雇用保険の求職者給付を利用しながら、食事メニューを自ら勉強するなど、厳しい環境におかれたことにより、プロ意識が強くなったとポジティブにとらえているようです。

 

 

その後、犬山ハーフマラソンで優勝したことをきっかけにハーフマラソンを中心に活躍します。

 

同年の世界ハーフマラソン選手権では銀メダルを獲得、2001年の全日本実業団ハーフマラソンで優勝し、「ハーフマラソンの女王」と呼ばれるようになります。

 

プロ時代(高橋尚子との出会い)

出典:https://number.bunshun.jp/

 

2000年には札幌国際ハーフマラソンに出場し、そこで高橋尚子選手と競うことになります。

 

中盤まで互角に競うものの、結果的には高橋尚子選手が優勝し、野口みずきさんは3位に甘んじました。

 

当時、高橋尚子選手は同年に開催されるシドニーオリンピック女子マラソン日本代表に選出されており、この大会後の陸上競技界における女性初の金メダリストとなります。

 

同じ大会で競った高橋尚子選手がオリンピックという大舞台で、さらには女性初の金メダリストに輝いたことから、自身もオリンピックでの女子マラソン優勝を夢見るようになりました

 

そして、見事自身も女子マラソン金メダリストとなった野口みずきさん。

 

2016年に行われた対談では、高橋尚子選手に以下の様に伝えています。

 

 

高橋さんに憧れることができたから金メダルも取れたし、日本記録も出せました。ありがとうございました。

 

引用:https://number.bunshun.jp

 

ハーフマラソンの女王と言われていた野口みずきさんが、マラソンに転向し、金メダリストとなったのには、高橋尚子選手の存在が大きかったと言えます。

 

プロ時代(シスメックス移籍)

出典:https://www.sankei.com/

 

2005年、所属するグローバリーが不祥事を起こし、陸上部が廃部となってしまいます。その後シスメックスに移籍、引退までシスメックスに在籍します。

 

移籍後は、2006年「札幌国際ハーフマラソン」での優勝などをはじめ、多くのレースで活躍し、2007年には「東京国際女子マラソン」で大会新記録・大会初優勝を飾りました。

 

また、この優勝により日本人選手で初めて東京・大阪・名古屋の国内三大女子マラソンを完全制覇という偉業を成し遂げました。

 

野口みずきの現役時代の記録まとめ~アテネ五輪では金メダリストに

「ハーフマラソンの女王」であり、「金メダリスト」でもある野口みずきさん。そんな野口みずきさんの記録について、調べてみました。

 

オリンピック出場歴

出典:https://takeharu2016.com/

 

野口みずきさんは、フルマラソンで2008年にアテネオリンピックに初出場し、2時間26分20秒で優勝。日本選手2人目の五輪女子マラソン金メダリストとなりました。

 

4年後に開催された北京オリンピックは故障により欠場しており、本人は2012年開催のロンドンオリンピックに意欲をみせていましたが、ロンドンオリンピックも出場は叶いませんでした。

 

北京オリンピックに出場できなかった理由である故障については、野口みずき本人は「五輪を意識しすぎて過度な練習をしてしまい、左足に疲労が集中したため」と語っています。

 

欠場を表明した当時は酷いバッシングが起きたといい、非難のメール・手紙が殺到し、1ヵ月ほど北海道で身を潜めていたそうです。

 

さらに4年後の2016年開催のリオオリンピック出場にも意欲的でしたが、右大腿部疲労骨折の影響も大きかったのか結果は振るわず、オリンピック出場には至りませんでした。

 

大会での主な記録(フルマラソン)

出典:https://www.daily.co.jp/

 

野口みずきさんは、2002年に初マラソンに挑戦した「名古屋国際マラソン」で優勝しています。

 

その後、2003年の「大阪国際女子マラソン」優勝日本国内最高記録となりました。

 

同年の「世界陸上選手権パリ大会」で2位を獲得したことで「アテネ五輪」に内定し、前述でもあるように翌年2004年のアテネ五輪で日本人選手で2人目の女子マラソン優勝を飾ります。

 

2005年には「ベルリンマラソン」で優勝し、当時の大会記録を塗り替えた他、アジア最高記録・日本最高記録となりました。

 

2年後の2007年「東京国際女子マラソン」でも優勝し、大会記録を塗り替えますが、翌年の20008年に「北京オリンピック」をケガのため欠場します。

 

この頃から徐々に記録に陰りが見えはじめ、2012年・2013年の「名古屋ウィメンズマラソン」ではそれぞれ6位・3位の記録に終わっています。

 

さらに2013年には、「世界陸上競技選手権モスクワ大会」では熱中症によりリタイアしてしまいます。

 

そして、現役ラストランとなった2016年の「名古屋ウィメンズマラソン」では23位に終わっています。

 

大会での主な記録(フルマラソン以外)

出典:http://202.214.25.117/

 

野口みずきさんは1999年に出場したハーフマラソン「犬山ハーフマラソン」で優勝したのを皮切りに、数々のハーフマラソンの大会で優勝しています。

 

優勝したハーフマラソンの大会は以下のとおりです。

 

  • 1999年「名古屋ハーフマラソン」
  • 2000年「士別ハーフマラソン」
  • 2000年「山陽女子ロードレース」
  • 2001年「全日本実業団ハーフマラソン」
  • 2001年「東アジアハーフマラソン」
  • 2001年「名古屋ハーフマラソン」※大会記録
  • 2002年「宮崎女子ロードレース」
  • 2002年「網走ハーフマラソン」※大会記録
  • 2003年「全日本実業団ハーフマラソン」
  • 2003年「神戸全日本女子ハーフマラソン」
  • 2004年「宮崎女子ロードレース」※大会記録
  • 2006年「全日本実業団ハーフマラソン」
  • 2006年「札幌国際ハーフマラソン」※大会記録
  • 2006年「上海国際ハーフマラソン」※大会記録
  • 2007年「宮崎女子ロードレース」
  • 2007年「仙台国際ハーフマラソン」
  • 2007年「札幌国際ハーフマラソン」
  • 2008年「仙台国際ハーフマラソン」
  • 2013年「仙台国際ハーフマラソン」

 

上記以外の大会でも10位以内、特に5位以内に多々入賞しています。

 

また、2006年の「香川丸亀ハーフマラソン」では2位入賞となりましたが、当時の自己最高記録、そして日本歴代2位を記録しています。

 

10位以下の入賞となったのは2015年の「リスボン・ハーフマラソン」のみで、この大会では15位に終わっています。

 

 

ハーフマラソン以外には、1000m、30kmに出場しています。

 

1000mの大会である、2001年「世界陸上競技選手権 エドモントン大会」では13位でしたが、2004年「兵庫リレーカーニバル大会」では4位入賞、自己最高記録と当時の日本歴代8位の記録を残しています。

 

30kmの大会には2004年に「青梅マラソン」に出場、優勝しています。また、日本最高記録も残しています。

 

野口みずきの引退理由とは

出典:https://mainichi.jp/

 

野口みずきさんは、2016年のリオオリンピック出場に意欲を見せていたものの、ケガの影響もあり、あまり良い成績を残せずにいました。

 

本人もそれを痛感していたようで、2016年「名古屋ウィメンズマラソン」にラストチャンスをかけて臨みました。

 

しかし、5kmという序盤で先頭集団から離脱、その後もペースが上がらず23位と自身の記録・順位ともにワーストに終わり、リオオリンピックへの出場も叶うことはありませんでした。

 

野口みずきさんは、インタビューでこのレースについて以下の様に語り、完全燃焼したと述べました。

 

 

「花道のように感じた。けがで苦しんだけど、ずっと私の名前を覚えていて、応援してくれる人がこんなにもいた。」

 

引用:https://www.nikkansports.com/

 

 

「今後のことは分からないが、悔いの残らないレースができた。モスクワで棄権したことが心に残っていたので、ゴールできてよかった」

 

引用:https://www.sponichi.co.jp/

 

そして同年に現役引退を表明し、記者会見を行いました。

 

引退理由について、自分が納得するまで走り切れたこと、そして2年ほど前から心と体のバランスが悪くなり、思うようにトレーニングができなくなり引退が念頭にあったためと述べました。

 

引退後については、「陸上界に恩返しがしたいため、可能な範囲で陸上に携わっていきたい」とも語っています。


野口みずきの結婚した旦那とは

出典:https://iseshima.keizai.biz/

 

野口みずきさんは引退からおよそ4ヵ月後の2016年7月4日に、地元である三重県伊勢市にある猿田彦神社で結婚式を挙げています。

 

当日の10時ごろに家族のみで執り行われ、その後に伊勢神宮内宮を参拝したとされています。

 

結婚後は、夫の転勤の都合により共に上海に渡っていましたが、現在は大阪に在住しています。

 

 

結婚相手は40代の関テレ社員で報道カメラマンをしており、2003年に野口みずきさんを取材したことがきっかけだとされています。

 

報道担当のため、スポーツ担当ではありませんでしたが、野口みずほさんを題材にしたドキュメンタリーを撮影していたのだそうです。

 

その取材から月日が経過した2014年になって2人は急接近し、交際に発展、ゴールインしました。

 

野口みずきの子供とは

出典:https://shinshiroouenn.dosugoi.net/

 

野口みずきさんには、現在子供はいないようです。

 

現在40代であり、まだまだこれから授かる可能性もありますが、本人の状況や意向については分かっていません。

 

 

野口みずきの現在

出典:https://www.nikkei.com/

 

野口みずきさんは現在、大阪に在住しています。

 

不定期ではありますが、岩谷産業のアドバイザーとして指導を行っているそうです。

 

また、2019年「マラソングランドチャンピオンシップ」出場選手記者会見などのゲストや、三重で行われているマラソン大会「野口みずき杯」などにゲストランナーとして参加しています。

 

 

プライベートでは、「食育実践プランナー」を目指し、通信講座を受けているそうです。

 

食育実践プランナーでは、栄養の知識をはじめ、食材の選び方、献立の作り方、食事作法や配膳といった食文化などを学ぶものです。

 

野口みずきさんはマラソン選手引退後、夫の海外赴任で上海に渡り料理教室に通ったそう。

 

その際に料理への関心が高まったことをきっかけに、講演会などの機会に食や栄養の知識も加えたアドバイスがしたいと考えたため、資格取得を目指しているのだそうです。

 

 

まとめ

友人に誘われたことで陸上の世界に足を踏み入れた野口みずきさん。そんな野口みずきさんは見事に才能を開花させ、「ハーフマラソンの女王」「金メダリスト」にまで上り詰めました。

 

しかし、ストイックな性格から自身の体を追い詰めてしまい、結果的に故障してしまったことでで再度のオリンピック出場は叶うことはありませんでした。

 

野口みずきさんは現在、陸上関係のゲストやアドバイザーとして活動しており、引退時に語っていた「陸上競技界への恩返し」に携わっています。

 

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