かつてジャニーズ事務所の人気グループだった「シブがき隊」のメンバー3人のプロフィール・人気順をランキング形式でまとめました。
本人の口から語られた衝撃の解散理由や、メンバーの現在の活動も詳しくご紹介します!
シブがき隊について
出典:https://peepholee.com/
かつてジャニーズ事務所で活動していた「シブがき隊」。
布川敏和、薬丸裕英、本木雅弘の3人からなるアイドルグループとして一世を風靡しました。
シブがき隊、結成
シブがき隊は1981年4月にドラマ「2年B組仙八先生」に出演した3名で結成され、当初は悪ガキトリオなどと呼ばれるようなヤンチャなイメージのある3人組でした。
ジャニーズでは唯一の雑誌での一般公募でグループ名を募り「シブがきトリオ」に決定しましたが、ジャニーズ事務所の社長・ジャニー喜多川により「シブがき隊」に変更され、正式なグループ名となりました。
当時はアイドル最盛期で3人組のグループ名に「トリオ」がよく使われていたため、他との差別化を図る目的でトリオから隊に命名されたそうです。
グループ名の由来は「シブいガキ」ということで、2年B組仙八先生の悪ガキトリオのイメージが引き継がれたようですね。
シブがき隊、デビュー
1982年5月、シングル「NAI・NAI 16」でレコードデビューしたシブがき隊。
同期には「花の82年組」と呼ばれる昭和の国民的アイドル小泉今日子や中森明菜、松本伊代や早見優など人気アイドルが多数います。
現在も花の82年組とは交流があり、堀ちえみの舌がん公表の際はそれぞれがエールを送り励ましの言葉をかけました。
シブがき隊の曲は「スシ食いねェ!」や「100%…SOかもね!」「Zokkon命」に代表されるように、いわゆるアイドル的楽曲が特徴です。
歌や踊りが上手くなくても楽曲のキャッチーさで話題を集め、タレント本人の魅力を前面に押し出す売り方で人気を集めていました。
デビューした年には「第24回日本レコード大賞」の最優秀新人賞を受賞し、名実共にジャニーズ期待の新星として若者を中心に支持を得ました。
シブがき隊、解散
1988年8月7日に「解隊宣言」を発表し、グループの解散を宣言したシブがき隊。
1988年11月2日の代々木第一体育館のコンサートをもって、デビューから僅か6年という短い活動に終止符を打ち、解散となりました。
解散する2年前にはジャニーズ事務所から少年隊がデビューし、歌も踊りも上手でアクロバットまでこなせる後輩を見た時に「少年隊には勝てない」という気持ちを抱いたのだとか。
シブがき隊は大晦日の風物詩「NHK紅白歌合戦」にデビューから4年連続で出場していましたが、少年隊がデビューして紅白初出場を決めたことで入れ替わるように落選しています。
事務所が売り出したいグループが変化していったことも、シブがき隊が解散に至る理由だったのかもしれませんね。
最近になってシブがき隊のメンバー本人の口から解散理由が赤裸々に語られました。解散理由については後述で詳しく解説します。
シブがき隊メンバー3人の人気順ランキングとプロフィール
シブがき隊のメンバー3人の人気順をプロフィールと共にランキング形式でまとめました。
誰が一番人気があったのか、どんな魅力を持っているのか、メンバーの人気順ランキングをご覧ください!
シブがき隊メンバー人気順ランキング3位・布川敏和
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生年月日:1965年8月4日
出身地:神奈川県川崎市川崎区
血液型:B型
所属事務所:ティーバード
「ふっくん」こと布川敏和は15歳の時にジャニーズ事務所に入所し、ドラマ「2年B組仙八先生」で芸能界デビューしました。
1982年に「シブがき隊」としてデビューしますが、解散後はジャニーズ事務所を離れ、アンクルエフに移籍。その後M’sエンタープライズやエムティ企画など事務所を転々とし、2010年に自身が代表取締役を務める有限会社ティーバードに所属しました。
女優のつちやかおりと結婚し1男2女をもうけ、長男は俳優の布川隼汰、長女はモデルで女優の布川桃花として芸能活動をしています。
2014年に妻の不倫が報じられたことで別居が明るみになり、その後離婚したことを公表しました。
布川敏和は現在、俳優や歌手として現役で芸能活動をしています。45歳の誕生日である2010年8月4日には、芸能活動30周年を記念してシブがき隊のヒット曲「スシ食いねェ!」をもじった「そば食いねぇ!」をリリースし、ソロデビューを飾りました。
シブがき隊解散から約22年ぶりとなる歌手活動でしたが、この曲は日本蕎麦協会の公式ソングに選ばれ、布川自身も全国蕎麦大使に任命されるなど話題になりました。
シブがき隊メンバー人気順ランキング2位・薬丸裕英
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生年月日:1966年2月19日
出身地:東京都武蔵野市
身長:170cm
血液型:B型
所属事務所:オールラウンド
「ヤックン」こと薬丸裕英は1981年のドラマ「2年B組仙八先生」で芸能界デビューし、翌年にシブがき隊として歌手デビューを果たしました。
シブがき隊解散後はタレントとしてバラエティ番組やドラマ・映画に出演し、1996年からは17年半の間「はなまるマーケット」のMCを務め、TBSの朝の顔としても有名になりました。
安定した進行が評価を受けて「はなまるマーケット」のMCを長年務めたほか、「出没!アド街ック天国」「なないろ日和」など多くの番組に出演。現在もバラエティ番組で活躍する姿が見られます。
シブがき隊メンバー人気順ランキング1位・本木雅弘
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生年月日:1965年12月21日
出身地:埼玉県桶川市
身長:174cm
血液型:A型
所属事務所:メンズアート
「モックン」こと本木雅弘は布川・薬丸と同じく1981年に「2年B組仙八先生」で芸能界デビューし、1988年に解散するまでシブがき隊のメンバーとして多くの曲でセンターを務めていました。
シブがき隊解散後は事務所をメンズアートに移し、俳優活動をメインに芸能活動を開始します。解散の翌年には映画の役作りのために坊主頭に挑戦し、アイドルのイメージを払拭する演技を見せて話題になりました。
その後も俳優として本格的に活動し、NHK大河ドラマ「徳川慶喜」で主人公・徳川慶喜を演じたりと数々のヒット作に出演しています。
自ら企画を考案し、納棺師の仕事を描いた映画「おくりびと」で主演を務め、「アカデミー賞外国語映画賞」を受賞するなど国内外から高い評価を得ました。
東京国際映画祭や日本アカデミー賞、ブルーリボン賞などで数々の主演男優賞を受賞し、アイドルから名俳優に華麗なる転身を遂げた本木雅弘。
年齢を重ねても変わらない整った顔立ちと男らしい立ち振る舞い、高い演技力など魅力が多い本木雅弘がシブがき隊メンバー人気順ランキングの1位に輝きました。
シブがき隊が解散した理由をメンバーが激白~本当の解散理由とは
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1988年11月2日に代々木第一体育館のコンサートをもって解散したシブがき隊。現在はメンバーそれぞれが別々の道で活躍していますが、解散当時は解散理由について不仲や方向性の違いなど様々な噂が立ちました。
デビューから僅か6年での解散となったシブがき隊の本当の解散理由は何だったのか。数十年経った今、本人達が自らの口でシブがき隊の解散理由を語っています。
薬丸が語った解散理由の真相
2018年4月、薬丸裕英がフジテレビ系の「直撃!シンソウ坂上」に出演した際に、シブがき隊の不仲説の裏側や解散の真相について言及し、シブがき隊の当時の裏話を赤裸々に語りました。
当時アイドルとして人気絶頂にいたシブがき隊ですが、同じ時期に人気を博していたチェッカーズや吉川晃司とはライバル関係にありました。
シブがき隊のファンがチェッカーズや吉川晃司に流れていたこともあり、薬丸裕英は彼らをライバル視していたようですが、一方で布川敏和と本木雅弘は六本木のディスコなどでチェッカーズのメンバーや吉川晃司とも仲良く遊んでおり、それが薬丸裕英の怒りに触れる原因になったのだとか。
ライバルと仲良くしているメンバーに不信感を持ち、薬丸裕英はとうとう「何でライバルと遊んでるんだ!」と憤慨したと言います。
不仲説も真実だと話し、布川敏和と本木雅弘の2人は仲が良かったものの、薬丸裕英は孤立することが多かったのだとか。人間関係が歪な状態になってしまったシブがき隊ですが、それでも薬丸裕英はグループでの活動を望んでいました。
薬丸裕英はおじいさんになっても最後まで解散せずに、個人個人がソロ仕事をしながら音楽番組や特番でシブがき隊として集結するような、ザ・ドリフターズのような長寿グループになりたいと思っていたようです。解散には否定的でしたが、本木雅弘が頑なに解散を譲らなかったのだとか。
本木が解散したかった理由
本木雅弘はシブがき隊としての活動中、デパートの屋上で行ったイベントに出演した際、多数のファンが集まった様子を見て「何で自分みたいな若造にここまで熱狂するんだろう」と引いてしまったことがあると明かしています。
それが原因か、芸能界そのものから離れて海外に行きたいという気持ちを抱いた本木雅弘。メンバーに相談した際は、人気絶頂期の辞意の申し入れに2人とも驚きを隠せなかったようですが、布川敏和は本木雅弘の意思を尊重して解散を受け入れてくれたと告白しています。
この時は事務所に引き止められたこともあり一旦は解散を思いとどまったシブがき隊ですが、後輩の光GENJIや少年隊のデビューにより、二度目の解散の話が出てくることになりました。
本当の解散理由
光GENJIは現在のKis-My-Ft2やHiHi Jetsが得意とするローラースケートでのパフォーマンスの先駆者であり、人気も社会現象になるほどの熱狂的なブームとなっていました。
少年隊もバック転やダンスの技術、歌唱力など総合的なパフォーマンス力が高く、そんな後輩達の才能を目の当たりにして脅威を感じたのだそうです。
後輩達の台頭によりシブがき隊のメンバーは自分達の時代が終わることを感じ、このままシブがき隊として未来を不安視しながらやっていくよりも、人気のあるうちに自らの手で終わらせようと、3人で話し合って解散を決めたのです。
不仲説・喧嘩説・方向性の違いなど様々な憶測が飛び交ったシブがき隊の解散理由ですが、不仲や喧嘩は実際にあったものの、本当の解散理由はこのような理由だったのですね。
シブがき隊メンバーの現在
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解散後は全員が別々の事務所に所属し、それぞれの道を歩み始めました。
フックンこと布川敏和は2008年春頃から「未来に羽ばたく子供たちと地球環境保護を応援する」というコンセプトのアパレルブランド「To.EARTH」を立ち上げ、売り上げの一部を子供や環境保護のために活動する各団体に寄付をしています。
ボランティア活動にも積極的で、自然保護団体や日本こどもNPOセンターなど数々の団体のイメージキャラクターを務めたり、トークショーに登壇しています。
やっくんこと薬丸裕英は17年間MCを務めたTBSの「はなまるマーケット」が2014年3月に終了するも、翌月にはテレビ東京の「なないろ日和!」の月〜木曜MCに起用されました。
また、フジテレビ「バイキング」の木曜レギュラーと「よじごじDays」の木曜MCに決まるなど朝・昼・夕方に渡り生放送に出演する忙しい日々を送っています。
モックンこと本木雅弘は1995年にエッセイストの内田也哉子と婿養子になる形で結婚し、ロックミュージシャンの内田裕也、女優の樹木希林の義子になったことでも知られていますね。
家族となった内田裕也(故人)主催の「ニューイヤーロックフェスティバル」の運営に毎年協力していたようです。
もちろん俳優としても活動しており、2012年にはドラマ「運命の人」で弓成亮太役を、2016年には「永い言い訳」で衣笠幸夫(津村啓)役を務めました。
まとめ
シブがき隊として人気を博し、解散してからは別々の道を選んだメンバー達。
ジャニーズ事務所を離れ全員違う事務所に所属しているため再結成する可能性は限りなく低いですが、どこかでまた3人揃った姿を見れる日が来るといいですね。