「初代ジャニーズ」の元メンバーで暴露本「ジャニーズの逆襲」の著者の中谷良さんが話題です。
この記事では中谷良さんの若い頃の画像と経歴、暴露本「ジャニーズの逆襲」で明かされたジャニー喜多川さんからの性被害の内容、その後の結婚や現在などについてまとめました。
この記事の目次
中谷良のプロフィール
中谷良のプロフィール
本名 :中谷良三(なかたに・りょうぞう)
生年月日:1947年9月18日
出身地 :東京都渋谷区初台(育ちは代々木)
身長 :170cm
中谷良(なかたに・りょう)さんは、ジャニーズ事務所設立のきっかけとなった1962年から1967年まで活動したアイドルグループ「ジャニーズ(通称・初代ジャニーズ)」のメンバーで、ジャニー喜多川氏からの性被害を告白する暴露本「ジャニーズの逆襲」の著者としても知られています。
現在、カウアン岡本さんや橋田康さんといった元ジャニーズJr.の経歴を持つ歌手やタレントが、ジャニーズJr.時代にジャニー喜多川さんから性的被害を受けた事を告発しており、改めて中谷良さんやその著作である「ジャニーズの逆襲」にも注目が集まっています。
ここでは、中谷良さんについて紹介していきます。
中谷良の若い頃① 少年野球チームの幼馴染4人で「ジャニーズ」を結成
初代ジャニーズ(右から2番目が若い頃の中谷良さん)
中谷良さんは国会の自動車運転手をしている父親の家庭に、兄2人、姉1人がいる4人きょうだいの末っ子として東京都渋谷区初台で生まれ代々木で育ちました。
少年時代は渋谷区立幡代小学校から渋谷区立代々木中学校へと進学し卒業しています。
中谷良さんを含む「初代ジャニーズ」のメンバー4人(あおい輝彦さん、飯野おさみさん、真家ひろみさん)は全員が同小・中学校を卒業している幼馴染で、ジャニー喜多川さんが監督を務めていた少年野球チーム「ジャニーズ」のチームメイトでした。
中谷良さんが中学2年生だった1962年2月、雨で野球チームの練習ができなかったため、ジャニー喜多川さんはチームの少年らを連れて当時公開されていたミュージカル映画「ウエスト・サイド物語」を鑑賞。
中谷良さんら後の初代ジャニーズメンバー4人はこの映画に強く感動し、その後も何度も映画館に通って計13回も鑑賞し、自分達も歌やダンスをやりたいとエンターテイメントを志すようになります。
そして、その年の4月、ジャニー喜多川さんは中谷良さんら4人にアイドルグループ「ジャニーズ」を結成させ、タレント養成所「新芸能学院」に通わせて歌やダンスの本格的なレッスンを受けさせています。
初代ジャニーズは当時まだ「アイドル」という言葉すらなかった時代にダンスをしながら歌う画期的なグループとして注目されて話題となり、歌謡番組への出演やレコードデビューも果たしています。
初代ジャニーズは1967年12月31日をもって解散し、同時に中谷良さんもジャニーズ事務所を退所してジャニー喜多川さんの元から離れています。
中谷良の若い頃② 芸能活動を続けるも精神的葛藤に苦しみ逮捕も
出典:https://jjpedia.web.fc2.com/
中谷良さんはジャニーズ事務所を離れた後は、当時すでに人気歌手や音楽グループを多数抱える大手芸能事務所に成長していた渡辺プロダクションへと移籍し、バンド活動を開始するも売れる事なく解散。
その後は大阪を拠点に活動していた振付師の山田卓さん(ジャニーズ、フォーリーブス、少年隊などの振り付けも担当)を頼り、2年間にわたってナイトクラブで演奏活動をしています。
しかし1969年3月、一時的に東京に戻っていた時、赤坂で自動車運転中に交通事故を起こし、睡眠薬のハイミナールを服用しての無免許運転だった事が判明。さらにその後の調べで、運転していた車が盗難車だった事も発覚して警視庁に逮捕されます。
実はこの頃、中谷良さんは少年時代にジャニー喜多川さんから受けた性的な被害のために心に葛藤を抱えており、その悩みから薬物依存状態になっていたようです。これは、著作「ジャニーズの逆襲」の中でも触れられています。
ただ、この逮捕時はすぐに釈放され、1969年12月には古巣のジャニーズ事務所から仕事をもらい、後輩グループである「フォーリーブス」のミュージカル「オオ・マイ・ママ」に出演しています。
中谷良の若い頃③ 歌手として復帰しソロでのレコードも発表
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その後、中谷良さんは再び活動拠点を東京へと移し、2年間は赤坂にあったディスコ「ミステリーゾーン あなぐら」の店長を務めながら、ジャズバー「よいどれ伯爵」の六本木店に時折歌手として出演する生活を続けています。
1974年の夏からは古巣のジャニーズ事務所に復帰し、フォーリーブスや郷ひろみさんのミュージカルに出演するなどして活動。
1976年7月19日には、初代ジャニーズで共に活動し、当時はソロ歌手として売れていたあおい輝彦さんがフジテレビの音楽番組「夜のヒットスタジオ」に出演してヒット曲「あなただけを」を歌った際に、飯野おさみさん(元初代ジャニーズ)と共に応援ゲストとして出演しています。
この出演時には元初代ジャニーズの3人で「太陽のあいつ」(初代ジャニーズ最大のヒット曲)をワンコーラスだけ披露する場面もありました。
その後、中谷良さんは再びジャニーズ事務所を離れ、千代田区麹町にあった芸能事務所「JRプロモーション」に移籍し「甦る湘南ポップス!」のキャッチフレーズでソロ歌手として再デビュー。1977年5月25日に宇崎竜童さん作詞・作曲のシングル曲「悲しきティーンエイジ・アイドル」(ダウンタウン・ブギウギ・バンドのカバー)をレコードリリースしています。
しかし、ヒット曲には恵まれず、その後程なくして芸能界から姿を消しました。
中谷良は暴露本「ジャニーズの逆襲」でジャニー喜多川からの性被害を告発
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長く芸能界から姿を消していた中谷良さんでしたが、1989年10月にジャニー喜多川さんやジャニーズ事務所に対する暴露本「ジャニーズの逆襲」を発表しました。
この暴露本の発表は、フォーリーブスの北公次さんが、ジャニー喜多川さんやジャニーズ事務所の暴露本「光GENJIへ」シリーズを次々と発表し社会に大きな衝撃が走っていた流れに乗ったもので、「光GENJIへ」と同じくデータハウスから出版されています。
「ジャニーズの逆襲」では、北公次さんが「光GENJIへ」で暴露したよりもさらに過去の、まだジャニーズ事務所が生まれる以前のジャニー喜多川さんによる少年達に対する性加害が暴露されています。
「ジャニーズの逆襲」によると、当時、少年野球チーム「ジャニーズ」にて若い頃のジャニー喜多川さんに野球の指導を受けていた中谷良さんら少年達(当時の中谷良さんは渋谷区立幡代小学校に通う11歳だった)は、学校が終わるとよくジャニー喜多川さんの自宅へ遊びに行っていたそうです。
これは、ジャニー喜多川さんの自宅には当時はまだ珍しく子供達にとって憧れの対象であったアメリカ製のおかしや玩具、オーディオ類があったためだったそうです。
ある日、ジャニー喜多川さんを信用し切っていた中谷良さんが1人で遊びに行った時、ジャニー喜多川さんは中谷良さんとじゃれ合いながら、中谷良さんの性器に触れて射精に導いたのだそうです。
ジャニー氏を信用しきった中谷少年が一人でジャニー氏の部屋に遊びに行ったある日、ついにジャニー氏は真の目的を果たすべく、あの行動に出てきたというのだ。2人でじゃれあいながら、「気持ちいいはずだよ、こうすると」と、手を上下に動かして中谷少年を射精へと導いたと、衝撃の告白をしている。
「ジャニーズの逆襲」では、後に「初代ジャニーズ」のメンバーとなる他の3人も、同様の性的な被害をジャニー喜多川さんから受けていた事も明らかにされています。
そして、当時の中谷良さんら少年らは、まだ性的な知識がなかったため、被害者意識を感じる事なく「変なおじさんだなー」と笑い合っていたのだそうです。
しかし、大人になって性的な知識を得た後にジャニー喜多川さんから受けた性的な虐待行為の本当の意味に気がつき、強いトラウマに襲われて深く傷つく事になりました。
中谷良さんはジャニー喜多川さんから少年時代に受けた性的な被害が心の傷となり、性的な事に対して「結局は排泄行為でしかない」といった虚無的な思いに長くとらわれる事になったという事でした。
「ジャニーズの逆襲」の中で、中谷良さんは少年時代に受けたジャニー喜多川さんからの性的な被害のトラウマや葛藤から逃げるために、覚せい剤に手を出して溺れていった事も告白しています。
「ジャニーズの逆襲」出版後しばらくは北公次との活動を展開
暴露本「ジャニーズの逆襲」を出版後中谷良さんは、ジャニー喜多川さんやジャニーズ事務所に対する糾弾活動を展開する北公次さんと共に活動されています。
1989年に北公次さんが事務所設立記念チャリティアルバムとしてリリースしたCD「ウィー・アー・ザ・ジャニーズ」に楽曲を提供し、1992年には北公次さんの主演映画「怪獣の観た夢」にも出演しています。
また、1999年から始まった「週刊文春」とジャニーズとの裁判(ジャニーズ喜多川さんの少年タレントに対する性的加害を糾弾していた文春をジャニーズ側が訴えた裁判)では、中谷良さんは文春側の証人として出廷し証言しています。
中谷良の結婚
1999年の週刊文春とジャニーズの裁判に証人として出廷して以降の中谷良さんは、表舞台から姿を消し、その後については一切何の情報もありません。
中谷良さんが結婚されているのかどうかも不明で、どのような人生を過ごされているのかもわかりません。
ただ、中谷良さんはジャニー喜多川さんから受けた被害に傷つき薬物依存に陥るほどのトラウマを抱えていたとの事なので、結婚やプライベートの情報が一切出ていないというのは、もしかしたら結婚はせずに独身を貫かれていたという事なのかも知れません。
中谷良の現在
中谷良さんの現在については全く情報がなく、大手メディアも互いに矛盾する情報が報道されていたりします。
例を挙げると、日刊ゲンダイの記事では、中谷良さんは2023年4月の時点で75歳だと報じられています。
チームを作ったことに由来する。あおい輝彦(75)、飯野おさみ(76)、中谷良(75)、真家ひろみ(2000年没)の4人が「ジャニーズ」を結成。
一方、朝日新聞デジタル(GLOBE+)のジャニー喜多川さんの性的加害を取り上げた2023年3月更新の記事では「元ジャニーズ・中谷良氏(故人)」と書かれています。
1989年には(グループの)元ジャニーズ・中谷良氏(故人)が著書『ジャニーズの逆襲』で告発
こうした報道を見る限り、朝日新聞や講談社(日刊ゲンダイ)といった大手メディアすら中谷良さんの現在の消息についての正確な情報が掴めていないのかも知れません。
まとめ
今回は、ジャニーズ事務所設立のきっかけとなったアイドルグループ「ジャニーズ」のメンバーで、ジャニー喜多川さんやジャニーズ事務所に対する暴露本「ジャニーズの逆襲」の著者としても知られる中谷良さんについてまとめてみました。
中谷良さんの若い頃は、ジャニー喜多川さんが監督をしていた少年野球チームのメンバー達と、中学生時代にアイドルグループ「ジャニーズ」を結成し、テレビ出演やレコードデビューするなどの成功を収めます。
ジャニーズがおよそ5年半の活動を終えて解散した後は、ジャニーズ事務所を離れてバンド活動やナイトクラブでの演奏活動、ディスコの店長などを経て、ソロ歌手として再デビューもしていますが、大きく売れる事はなく芸能界から姿を消しています。
暴露本「ジャニーズの逆襲」を発表した後は、同じくジャニー喜多川さんやジャニーズ事務所に対する糾弾活動を展開していた北公次さんと共に活動していましたが、1999年にジャニーズと文春の間で起きた裁判に文春側の証人として出廷したのを最後に姿を消しました。
その後の中谷良さんの消息については全く情報がなく、結婚されているのかも不明で、現在どのように活動されているのかもわかっていません。