ドラマ「時間ですよ」や映画で大活躍だった女優の篠ひろ子さんですが、伊集院静さんと結婚後の現在が気になりますよね。
今回は篠ひろ子さんの若い頃、旦那の伊集院静さんとの結婚生活や子供など、現在をまとめてみました。
この記事の目次
篠ひろ子のプロフィール~若い頃から現在までの経歴
出典:https://image.entertainment-topics.jp/
生年月日:1948年3月8日
出身地:宮城県仙台市
身長:167cm
職業: 女優
血液型:O型
本名:旧姓「沼澤博子」、現在「西山博子」
旧所属事務所:芸映プロダクション
篠ひろ子さんは、三男二女の長女で、父は電機会社の専務で、幼少期にNHK仙台少年少女合唱隊に所属していたそうです。
幼少より信仰を続けるカトリック信者で、雑誌インタビューで「成人した今では洗礼名に反して長身なのでちょっと恥ずかしい」と語ったことがあります。
1968年、東北学院大学法学部2年生在学中にゴルフ練習場でスカウトされ、東北放送テレビ「ホリデイ・イン・仙台」のアシスタントとしてローカルデビューしています。
番組中に歌ったのが目にとまり、クラウンレコードに誘われ、20歳のとき上京、作曲家であるいずみたく氏の自宅の居候となります。
同年「水色の風」で歌手デビューするも鳴かず飛ばずで、翌1969年、キングレコードに移籍して「悪い遊び」をリリースするもヒットはありませんでした。
歌手から女優へ転身
その後、1973年にTBS『時間ですよ』の小料理屋の女将・お涼さん役に抜擢され、これが本格的な女優デビューとなりました。
『時間ですよ』は銭湯を舞台にしたホームドラマで、森光子さんの他、堺正章さんや後の樹木希林さんらが出演し、天地真理さんや浅田美代子さんらの出世作にもなった作品です。
元は歌手でのスカウトから、女優に抜擢されるまで空白期間がある、やや遅咲きの女優さんですね。
ドラマでは、「まとわりつく不運に愚痴ひとつこぼさず、ただ静かに耐える女」を演じ、これ以来、こういった配役が増えていきます。
歌手経験を活かして、1984年のTBSのドラマシリーズ『金曜日の妻たちへII 男たちよ、元気かい?』のドラマ内では、クラブ歌手となる主婦を演じ、美声を披露したりもしています。
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『寺内貫太郎一家』『傷だらけの天使』『俺たちの勲章』『ゆうひが丘の総理大臣』、火曜サスペンス劇場シリーズなど、サスペンス、ホームドラマ等、様々な役をこなしています。
最も活躍した1980年代あたりが全盛期で、日本がバブル景気崩壊以後の番組編成の変化と共に、姿を消した女優さんの1人になります。
1997年にドラマの主演を務めたのを最後に、女優業を休止した篠ひろ子さん。夫の伊集院静さんと郷里の仙台市に移住しています。
賀来千香子さんや板東英二さんとは親交が深く、『土曜大好き!830』の最終回にゲストとして出演しています。
篠ひろ子の若い頃~全盛期の活躍
若い頃は、後の南野陽子さんに似ている顔立ちと、細身、ロングヘア、高身長で、当時から女性にも大変人気のある女優さんで、理想の女性像の1人でした。
篠ひろ子さん全盛期は1980年代後期で、時代がちょうどバブル景気となる中、当時流行ったワンレングス、シャープでタイトなスーツスタイルが当時流行していました。
篠ひろ子さんも、そのようなスタイルでテレビによく出演していました。
また、歌手時代を覚えている人は今は少ないでしょうが、『金曜サスペンス』など、サスペンスドラマには必ずと言っていいほど登場し、”サスペンスの女王”とまで一時期言われていました。
特に、ドラマ中で衝撃的なシーンで驚く表情は有名で、当時大人気だったバラエティ番組『とんねるずのみなさんのおかげです』でも、パロディーとして取り上げられたほどです。
イメージと時代の変化
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篠ひろ子さんが活躍した当時、サスペンス・ドラマやホームドラマにしても不倫関係など、ドロドロした恋愛模様を描く作品が多い傾向がありました。
バブル景気で世の中が浮かれていく中で、ドラマではドス黒い人間関係を描くというのが良くあるパターンでした。
しかしバブル崩壊以後、多くのトレンディドラマ同様、こうしたドラマシリーズは次々に終了。
それと同時に、昼1時からのドラマや、夜のドラマ枠はゴールデンタイムをずらして放送されたことから、若い世代がこうしたドラマを観なくなっていきました。
そんな中、篠ひろ子さんのイメージがどうしてもサスペンスや昼ドラに出てくるキャラクターに偏りがちでした。
しかし、田村正和さんと共演した1993年のTBSドラマ『カミさんの悪口』、1995年の『カミさんの悪口2』では、コミカルな役に挑戦。耐える女とは真逆の女性も見事演じ切っています。
篠ひろ子の旦那・伊集院静のプロフィール
生年月日:1950年2月9日
出身地:山口県防府市
身長:不明
職業:作詞家・作家
伊集院静さんは、1950年生まれ、山口県防府市出身の在日韓国人2世で元韓国籍です。
日本に帰化前の名前は、チョ・チュンネ(朝鮮語: 조 충래、漢字表記: 趙忠來)でしたが、日本に帰化した際、「西山 忠来(にしやま ただき)」に変更しています。
「伊集院静」という名前は作家としてのペンネームで、作詞家の方のペンネームは「伊達歩(だて あゆみ)」です。
ちなみに、「伊集院静」というペンネームは、小さな広告代理店に入社予定になっていた女性のコピーライターに付けられるはずの名前だったそうで、本人は「趙」を考えていました。
しかし、スポンサーへのプレゼン時に、ある程度知られていた「趙」を使うのがあまり良くないと判断され、渡された名刺に印刷してあった「伊集院静」を以後名乗ることにしています。
山口県立防府高等学校を経て、立教大学文学部日本文学科を卒業しています。
当初は美術大学志望でしたが、当時義兄の高橋明さんが読売ジャイアンツの野球選手だったためで、高校の夏休みを利用して東京に行った折、長嶋茂雄さんにあったそうです。
そして、長嶋茂雄さん本人から「野球をするのならセントポール(立教)に行きなさい」と言われ、立教大学に進学を決めたそうです。
しかし当時から文学青年で、肘を壊したため野球部は途中で退部しています。
波乱万丈の恋愛模様
広告代理店電通勤務を経てCMディレクターになり、電通マン時代に結婚、2児をもうけますが、1980年に離婚している伊集院静さん。
その後は、松任谷由実さん、松田聖子さん、薬師丸ひろ子さん、和田アキ子さんらのツアーの他、ファッションショーも手がけています。
1981年には、『小説現代』に『皐月』を発表し作家デビューしています。
1984年8月27日、かつてカネボウ化粧品の「クッキーフェイス」のCMキャンペーンガールで一緒に仕事をした、女優の夏目雅子さんと7年の不倫交際の末に再婚しています。
しかし1985年2月、夏目雅子さんは急性骨髄性白血病を発症。約7ヶ月に渡る闘病生活を支えますが、容体が急変し、同年9月11日に27歳という若さで死別しています。
近藤真彦に提供した『愚か者』の作詞を担当して、1987年に第29回日本レコード大賞を受賞、『ギンギラギンにさりげなく』などのヒット曲を作詞しています。
1992年7月15日、『受け月』で直木賞を受賞、この時、篠ひろ子さんと結婚しています。
篠ひろ子と旦那・伊集院静の結婚生活とは
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伊集院静さんは、篠ひろ子さんとの結婚後は、宮崎県仙台市に移り住みますが、仕事の都合で自宅にあまりいることは無かったと言われています。
仙台では、「犬が中心の家の片隅で仕事と競輪をやっているだけ」と、エッセイで書いたことがあるくらいでした。
3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の際には、被災地生活を経験しています。
現在の篠ひろ子さんは、10年以上芸能活動をせずに、まるでかつてのドラマの役柄のように故郷の仙台の家で、東京で仕事をこなす伊集院氏を待つ暮らしです。
伊集院さんが父親の看病で仙台に帰った時には、すでに女優業を辞めていたそうで、夫の伊集院さんもかなり驚いたそうです。
『私としては、働いてもらって楽をしようと思ってたんだけど』と言う伊集院さんに対して、彼の父親は『お前は偉い。今ね、直木賞もらってねえ、今だったら、若い女いくらでも来るのに、お前は着実な方を選んだって。あれは貯金持ってる』と言われたそう。
一方の伊集院さんは稼いだお金はほぼ使い果たし、通帳には当時27万しか無かったそうです。
妻である篠ひろ子さんは、『えっ? やっぱりそうなの。私はおかしいと思ったのよ、27万って、あなたが生きているって事自体が怪しいと思ったのよ』と語ったそうです。
故夏目雅子さんへの想い
スポーツ紙のインタビューでは、前妻の故夏目雅子さんについて、
『あんまり雅子さんの事は、しょっちゅう書けるほど…やっぱり書けば、揺さぶられるからね、こちらが。それが、たとえ30何年前の事でも。だからなるだけ、必要だった時にしか書かないんだけども、あれほど大衆から支持をされた女優さんだから、まあ、変な事は書けないしねえ』
と語り、2017年には年上の友人であったグラフィックデザイナーの長友啓典さんを亡くしたことが、前妻を失ったことと同様にショックだったことを語っています。
伊集院さんのインタビューを見た限りでは、前妻を失った事が相当に心の傷になっていたようで、この伊集院さんを影で現在も支えているのが、篠ひろ子さん、そのような印象ですよね。
篠ひろ子と旦那・伊集院静の子供はいる?
篠ひろ子さんと伊集院静さんの間に、子供はいません。
篠ひろ子さんは伊集院さんとの結婚が初婚でしたが、結婚当時44歳でした。
高齢出産だと母体にも相当負担がかかると言われており、夏目雅子さんを亡くされている伊集院静さんは、篠ひろ子さんを危険な目に遭わせたくなかったのかもしれません。
また、再婚当時も伊集院さんの浪費癖があったので、子供を作る機会は無かったようです。
ただし、伊集院静さんは1回目の結婚で2人のお子さんをもうけています。
また、2回目の結婚である、夏目雅子さんとの間にはそもそも結婚生活があまりにも短く、お子さんは誕生していません。
しかし、結婚前の不倫中には、夏目雅子さんは何度か身ごもり、堕胎されているようです。
篠ひろ子の現在
現在、伊集院静さんと篠ひろ子さんは、篠ひろ子さんの故郷である仙台に移住しており、東日本大震災で被災した後も家族に不幸はありませんでした。
引っ越しをする際、海沿いの土地に家を持つことを伊集院さんは提案したそうですが、海辺ではなく高台に家を建てています。
これは、篠ひろ子さんの母親の『神主が来てお祓いした土地は、10年住まないと本物にならない』という話に従ったからだとインタビューに答えています。
現在、伊集院さん69歳、篠ひろ子さんは71歳ですから、穏やかで幸せな老後をお2人で過ごしているのではないでしょうか。
伊集院静を支える良妻賢母
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2017年、伊集院静さんはフジテレビ系『ノンストップ!』のインタビューに答えています。
新著『さよならの力』の中で、前妻の夏目雅子さんについて触れたことを語り、夏目雅子さんの死から立ち直るために背中を押してくれたのが、妻である篠ひろ子さんだったと明かしました。
また、篠さんと結婚する際、「夏目さんのことは話さない、書かない、書くときは相談する」という約束をしたそう。
伊集院さんは篠さんとの関係を『私がとんでもないことをしようと監視しているだけ。きちんとして下さいとよく言われる。犬と2人で正座させられてね』と話しています。
『怖くない奥様が世の中にいるならお会いしたい』と、篠ひろ子さんのなかなかの恐妻家ぶりを暴露しています。
こうしてみると篠ひろ子さんは、伊集院さんの前妻を失ったショックを案じて、更に元々ギャンブル癖のある夫を影で支える良妻賢母として、芸能活動から手を引き家庭に入ったようですね。
そのため、どんなに調べても篠ひろ子さんの情報はどのメディアも、伊集院静さんの口からでしか語られることはありません。
ただ、2010年にはNHK「スタジオパークからこんにちは」に、ご主人の伊集院静さんが生出演された際には、篠ひろ子さんは料理の勉強や趣味を楽しんでいることが語られています。
まとめ
篠ひろ子さんよりも、伊集院静さんの人生がかなり波乱万丈ですね。
夏目雅子さんは当時、本当に美女で話題の女優でしたから、夫だった伊集院静さんは相当なショックもあったのでしょう。
篠ひろ子さんと、幸せな老後を築いて頂きたいものです。