タイガー・ジェット・シンさんは「狂える虎」の異名で活躍したレスラーで、アントニオ猪木さんを襲撃した事件やいい人説も話題です。
今回はタイガー・ジェット・シンさんの経歴や入場曲、伊勢丹事件、性格や結婚歴、現在を紹介します。
この記事の目次
- タイガー・ジェット・シンはインド出身のプロレスラー
- タイガー・ジェット・シンの経歴① 来日前
- タイガー・ジェット・シンの経歴② 日本に来た理由
- タイガー・ジェット・シンの経歴③ 契約前から有名になった理由
- タイガー・ジェット・シンの経歴④ 徹底したヒールで人気爆発
- タイガー・ジェット・シンの入場曲は「サーベルタイガー」
- タイガー・ジェット・シンとアントニオ猪木はツーカーの仲
- タイガー・ジェット・シンのアントニオ猪木襲撃(伊勢丹事件)とは
- タイガー・ジェット・シンのアントニオ猪木襲撃(伊勢丹事件)のその後
- タイガー・ジェット・シンのアントニオ猪木襲撃(伊勢丹事件)はヤラセ?
- タイガー・ジェット・シンの性格はいい人?エピソード① 山本小鉄の証言
- タイガー・ジェット・シンの性格はいい人?エピソード② 鈴木おさむの証言
- タイガー・ジェット・シンの性格はいい人?エピソード③ サバンナ高橋の証言
- タイガー・ジェット・シンの結婚や嫁と子供
- タイガー・ジェット・シンの息子もプロレスラーデビューしている
- タイガー・ジェット・シンの現在① 実業家として活動
- タイガー・ジェット・シンの現在② 慈善事業を展開
- まとめ
タイガー・ジェット・シンはインド出身のプロレスラー
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ヒールとして活躍したタイガー・ジェット・シン
タイガー・ジェット・シンさんは、1973年に無名のプロレスラーとしてインドから来日し、アントニオ猪木さんに見込まれて新日本プロレスに参戦しました。
現役時代は、アントニオ猪木さんの最大のライバルと呼ばれて、何回も死闘を繰り広げてきたことで知られ、現在も絶大な支持を集めています。
引退後の現在は、12兆円のマーケットを扱う実業家として活躍しています。
既にリングから離れて長い年月が経過していますので、ご存知ない方も多いかもしれませんね。
まずはタイガー・ジェット・シンさんがどのような人物なのか、プロフィールから紐解いていきましょう。
タイガー・ジェット・シンのプロフィール
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タイガー・ジェット・シン
本名:Jagjeet Singh Hans(ジャグジート・スィン・ハンス)
生年月日: 1944年4月3日
本名: ジャグジート・スィン・ハンス
出身地: インドパンジャーブ州
身長: 190cm
体重: 120kg
タイガー・ジェット・シンさんは、インドで生まれ育ち、成人後にカナダへ渡り修業期間を経てプロレスラーとしてデビュー。
本名は「ジャグジート・スィン・ハンス」で、タイガー・ジェット・シンはリングネームということになりますね。
1973年に来日し、「インドの猛虎」、「狂える虎」のニックネームで呼ばれていました。
また、フェンシングのサーベルを振りかざす姿は、これまでに無い斬新なスタイルだと一世を風靡しました。
メインは悪役レスラーでしたが、ここぞという場面では正統派レスリングを披露し、アントニオ猪木さんなどのトップレベルのレスラーに勝利したことも。
若い頃からファイティングマネーを貯蓄し、引退後はエビの輸入に投資して起業家として大成功。
その他にも慈善事業活動に力を入れており、海外で学校の建設をしたり、日本では震災の被災者への支援活動をしています。
タイガー・ジェット・シンの経歴① 来日前
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タイガー・ジェット・シンさんの出身地がインドであることから、出稼ぎレスラーというイメージを持つ方もいますが、実はそうではなく、来日前の経歴はかなり異色です。
日本に来る前の、タイガー・ジェット・シンさんの知られざる過去について紹介します。
インドでは裕福な生活をしていた
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タイガー・ジェット・シンさんは、インドで6人兄弟の第4子(3男)として誕生しました。
インドは貧富の格差が激しい社会であることが知られていますが、タイガー・ジェット・シンさんの父親は会社経営者で、一家は裕福な生活を送ってきたそうです。
インドでの生活についてタイガー・ジェット・シンさんは、「スポーツも勉強もできて、このままインドで生きて行けば良い暮らしもできただろう」とインタビューで語っています。
習い事も色々したそうですが、その中でもレスリングに夢中になったタイガー・ジェット・シンさんは、成人後に国外に移住することを決意。
ただ、レスリングの選手や格闘家を目指していたわけではなく、漠然と世界でチャレンジしたいという気持ちがあったのだとか。
6ドルの所持金でカナダに渡る
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当時のアジアは世界的に見るとまだまだ未熟で、アメリカでは成功者がたくさん出ていました。
カナダであればまだチャンスがあると感じたタイガー・ジェット・シンさんは、1965年にカナダへと渡ります。
そんなタイガー・ジェット・シンさんがカナダに到着した時の所持金は、驚きの6ドル。
すぐにジャイアント馬場さんの師匠として知られるフレッド・アトキンスさんに師事し、レスリングを徹底的に叩きこまれました。
1965年にトロントでプロレスラーデビューを果たし、翌年にはフレッド・アトキンスさんとタッグを組み、インターナショナルタッグ王座のチャンピオンを獲得。
そして1967年には、トロント地区のUSヘビー級王座のチャンピオンに輝きました。
1971年に開催されたザ・シークさんとの一騎打ちでは、18000人を越える観衆を動員する人気者になっていたのです。
タイガー・ジェット・シンの経歴② 日本に来た理由
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カナダで大人気プロレスラーだったタイガー・ジェット・シンさんでしたが、当時の日本では無名でした。
外国人枠というと、日本でもある程度実績があったり、世界で活躍していたりする選手などが選ばれるのが一般的。
しかし、マイナーなタイガー・ジェット・シンさんが抜擢されたのは、当時の日本プロレス界、特に新日本プロレスの事情が関係しています。
1970年代前半、新日本プロレスが創設されたものの、AWAや国際プロレスとの協定のしばりや、新日本プロレスの経済力が乏しくて、人気の外国人レスラーの獲得ができませんでした。
こういった背景があり、無名のプロレスラーでも探さざるを得ないという状況で、フロントも育て上げる覚悟で選手を探していました。
そんな中、新日本プロレスの代表を務めていたアントニオ猪木さんが選手候補一覧を見ている時に、目を留めたのがタイガー・ジェット・シンさんだったのです。
タイガー・ジェット・シンの経歴③ 契約前から有名になった理由
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タイガー・ジェット・シンさんが来日後すぐに人気を博したのは、あるアクシデントとアントニオ猪木さんのふとした思いつきからでした。
ここでは、タイガー・ジェット・シンさんが人気者になった仰天エピソードについて見ていきましょう。
手違いで早めの来日をしていた
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アントニオ猪木さんが目を留めたタイガー・ジェット・シンさんの写真は、口にナイフをくわえていました。
興味を持ったアントニオ猪木さんは「どうせならナイフじゃなくてサーベルをくわえさせるのも面白いな」という鶴の一声で来日が決定。
ただし、この時はアントニオ猪木さんはそれほど期待していたわけではなく、海外から迎える選手の1人として時間をかけて育成するつもりでした。
新日本プロレスサイドとしても、1973年7月から始まるシリーズに合わせて来日してもらう予定でしたが、担当者の手違いで5月に来日してしまったタイガー・ジェット・シンさん。
労働用のビザがまだ下りておらず試合には出場できないものの、日本のプロレスに親しんでもらおうと、タイガー・ジェット・シンさんは川崎市立体育館での5月4日の試合に招かれました。
この時点では、タイガー・ジェット・シンさんは一旦帰国してもらい、ビザが下りてから再来日という手続きになる予定でした。
乱闘騒ぎがアントニオ猪木に気に入られた
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新日本プロレスの代表を務めたアントニオ猪木
しかし、5月4日の試合では思わぬハプニングが起こります。
この日は、山本小鉄さんとスティーブ・リッカードさんの試合が行われていましたが、タイガー・ジェット・シンさんは突如試合に乱入して山本小鉄さんをメッタ打ちにし始めたのです。
会場は、突然の出来事に騒然。しかし、アントニオ猪木さんは怒るどころか「これは目玉選手になるぞ」とむしろ喜んでいたといいます。
そして、交渉担当者に指示して超特急でビザを手配させ、アントニオ猪木さんもサーベルを用意してから、タイガー・ジェット・シンさんに「ヒールとして活躍してほしい」と指示しました。
実は、タイガー・ジェット・シンさん自身もヒールが希望だったそうです。
こうして、手の付けられない暴れぶりで観客を魅了する「インドの猛虎」の誕生となりました。
タイガー・ジェット・シンの経歴④ 徹底したヒールで人気爆発
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一躍有名になったタイガー・ジェット・シンさんは、その後も次々にタイトルを獲得し、その実力を見せつけます。
他のヒールとは一線を画すと言われた猛虎ぶりについて紹介します。
怖いイメージを徹底
タイガー・ジェット・シンさんは、アントニオ猪木さんに見込まれた以上にヒールに徹しました。
リングに登場する時は、頭のターバンとサーベルがトレードマーク。そして、リング狭しと悪の限りを徹底的にやり尽くしたのです。
当時、ヒール役のレスラーは他にもいて、大抵は鋭利な凶器を使って相手を流血させるスタイルが多く見られました。
一方、タイガー・ジェット・シンさんは、小型の凶器だけではなく、リングの外にある三脚カメラ、パイプ椅子、テーブルを使うのが特徴でした。
あまりの暴れっぷりに視聴者が110番通報してしまい、警察のお世話になったことも何度もあったそう。
さらに、「いつも猪木さんが血まみれにされらている。あんな危険なサーベルを使うなんて危ない。取り締まれないのか」との声が多数寄せられ、事情聴取を受けたこともありました。
実は、タイガー・ジェット・シンさんが武器としていたサーベルは、切っ先が尖っておらず、試合でも柄の部分を使って攻撃しています。
つまり、本当に切ったり刺したりして使っていたのではなく、あくまでヒールのイメージアイテムだったということですね。
視聴者からの苦情の数はパフォーマンスが上手かった証とも言えます。
また、当時苦しい台所事情だったプロレス界に多数のファンを呼び込んだ立役者は、間違いなくタイガー・ジェット・シンさんでした。
タイガー・ジェット・シンの入場曲は「サーベルタイガー」
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タイガー・ジェット・シンさんの入場曲のタイトルは「サーベルタイガー」で、この楽曲を作ったのは作曲家の小久保隆さんです。
ちなみに、小久保隆さんは緊急地震速報アラーム音の生みの親でもあります。突如スマホから流れる独特の警告音に誰もが一度はドキリとしたことがあるのではないでしょうか。
入場曲制作のオファーを受けたのは、小久保隆さんがまだ電気通信大学に通う学生の頃で、音楽制作会社でアルバイトをしていた時でした。
オファーをされた時、タイガー・ジェット・シンさんが悪役プロレスラーであることくらいは知っていたものの、あまりプロレスに詳しくなかったそう。
そこで、小久保隆さんはプロレスを研究してタイガー・ジェット・シンさんがこれまでどうやって入場しているのか、どんな技を使うのかをしっかり脳に焼き付けたといいます。
そしてサーベルを振り回す獰猛なタイガー・ジェット・シンさんをイメージして作った曲こそが、入場曲「サーベルタイガー」だったのです。
YouTubeなどの動画サイトでも視聴可能ですので、気になる方はぜひチェックしてみてください。
タイガー・ジェット・シンとアントニオ猪木はツーカーの仲
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設定上はアントニオ猪木さんとは敵同士だったタイガー・ジェット・シンさんですが、インタビューでは、アントニオ猪木さんをリスペクトしていると明かしています。
アントニオ猪木さんは、タイガー・ジェット・シンさんがやりたいことを雰囲気で察知して、リング上で合わせてくれていたのだとか。
アントニオ猪木さんとの試合について、以下のように語っています。
もちろん手加減なんてしなかった。
それがタイガー・ジェット・シンのイメージを作り上げた。
それによって日本人は私を恐れた。本気で殴りかかってくるファンもいた。
もちろん殴り返してやったけどな。
引用:タイガー・ジェット・シンが語った“狂虎の深層 – https://news.yahoo.co.jp/
アントニオ猪木さんのファンの中にはならず者もいて、拳銃を突きつけられたこともあったそうです。
タイガー・ジェット・シンさんは「拳銃など怖くない」と返したそうで、そのならず者たちは、たちまちタイガー・ジェット・シンさんのファンになってしまったそうです。
タイガー・ジェット・シンのアントニオ猪木襲撃(伊勢丹事件)とは
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新聞に報じられた襲撃事件
1973年11月、タイガー・ジェット・シンさんが仕掛けた襲撃事件が新聞の1面を飾り、蜂の巣をつついたような騒ぎになりました。
一体どのような事件なのでしょうか。
ショッピング中のアントニオ猪木を襲撃
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事件が起こったのは1973年11月5日。場所は東京都新宿区3丁目で、新宿伊勢丹の前あたりとなります。このため、「新宿伊勢丹事件」とも呼ばれます。
ショッピングに訪れていたアントニオ猪木さんと、当時の嫁・倍賞美津子さんが新宿伊勢丹デパートから出てきたところ、突如タイガー・ジェット・シンさんが襲撃。
アントニオ猪木さんは、停車していたタクシーのボンネットに頭をぶつけて流血します。もちろんアントニオ猪木さんも必死に応戦し、乱闘状態に。
周囲は多数の買い物客が行き来する中での出来事で、通行者が警察に通報したことでパトカー数台が到着しました。
この騒ぎで、アントニオ猪木さんは血だるま状態に、そしてタイガー・ジェット・シンさんはアントニオ猪木さんの反撃で頬に全治4日の裂傷傷を負っています。
前代未聞の事件に、メディアがここぞとばかりに連日騒ぎ立て、日本中の関心を集めることになりました。
タイガー・ジェット・シンのアントニオ猪木襲撃(伊勢丹事件)のその後
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警視庁も捜査に乗り出す騒動となった伊勢丹事件では、タイガー・ジェット・シンさんも所属する新日本プロレスの代表であり、被害者のアントニオ猪木さんの対応に注目が集まりました。
刑事告訴されたのか、新日本プロレスとしてタイガー・ジェット・シンさんにどんな処分を下したのか、タイガー・ジェット・シンさんのその後を紹介します。
アントニオ猪木の対応は?
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事件を担当した四谷警察署は、新日本プロレスに対して「本当の喧嘩であればアントニオ猪木さんは告訴して被害届を出しなさい。ヤラセであれば道路交通法違反で処分する」と厳しく通告。
新日本プロレスは、「ヤラセではない。タイガー・ジェット・シンは契約選手なので、傷害罪で告発はできない。騒ぎを起こしたことはいくらでもお詫びをする」と公式に回答しました。
これは、当時の新日本プロレスの代表・アントニオ猪木さん本人の意向でもありました。
警察としては告訴や告発がないと動けないので、新日本プロレスの厳重注意だけでなんとか収まめることができました。
また、この事件がテレビやラジオで連日取り上げられたことで、これまでにないくらいプロレスへの注目が集まり、人気もぐんと高くなりました。
タイガー・ジェット・シンのアントニオ猪木襲撃(伊勢丹事件)はヤラセ?
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襲撃事件が起きた後、「タイガー・ジェット・シンは、設定上ヒールをしているのではなく、本当に狂っている」という印象を持ったプロレスファンも多かったようです。
アントニオ猪木さんは「リング上で制裁を加える」と公言し、以降のタイガー・ジェット・シンさんとの対決は「因縁の一戦」と呼ばれるようになりました。
しかし一部では、ヤラセ説も浮上していました。
つまり、タイガー・ジェット・シンさんとアントニオ猪木さんが示し合わせて、新日本プロレスが注目されるように襲撃事件を起こしたのではないか?ということですね。
このヤラセ説を唱えたのは、元プロレスラーで引退後に作家に転身したミスター高橋さんで、著書の中で陰謀説として発表しています。
タイガー・ジェット・シンはヤラセ説を否定
長年「伊勢丹事件」について口を閉ざしてきたタイガー・ジェット・シンさんですが、2021年のBBMスポーツのインタビューで事件について語りました。
まず、ヤラセ説を否定した上で「高橋がその本を書く前に、私のところに連絡があって説明してきた。そう書いてお金が入ってハッピーならそれで良い」と伝えたと回答しています。
襲撃理由は「場所がどこであろうとイノキがいれば闘うのが当然だ。尻尾巻いて逃げたなんて言われたらイメージダウンになるからな」と、リング外でもヒールに徹する姿勢を明かしました。
ヒールのプロとしては、視聴者から怖がられれば怖がられるほど本望なのかもしれませんね。
タイガー・ジェット・シンの性格はいい人?エピソード① 山本小鉄の証言
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日本中を恐怖のどん底に叩き落したタイガー・ジェット・シンさんは、取材の記者やカメラマンすら近寄れない雰囲気を持っていました。
さぞかし狂暴で残忍な性格をしているのではないか、と思う方も多いかもしれませんね。
しかし、プロレス関係者やタイガー・ジェット・シンさんに接した芸能人のエピソードを集めると、実は「性格がいい人」なんじゃないか?という説が浮上しています。
ここからは、タイガー・ジェット・シンさんの「いい人」疑惑エピソードを見ていきましょう。
まずは山本小鉄さんの証言です。
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新日本プロレスの山本小鉄
1970年代の新日本プロレスのエースだった山本小鉄さんが、巡業先でスポンサーからバーベキューパーティーのお誘いを受けた時のエピソードです。
スポンサー社長から「どうせなら外国人レスラーも連れて来て」と言われたので、タイガー・ジェット・シンさんを招待しました。
当日現地に赴くとタイガー・ジェット・シンさんは、頭にターバンを巻き、スーツ姿というインドの正装で登場。
ビジネスのパーティーだったものの、夏場で基本的に参加者はラフな涼しい恰好をしている中で、タイガー・ジェット・シンさんはかなり浮いていました。
食材を焼いているうちに汗だくになったタイガー・ジェット・シンさんは、「社長、上着を脱いでもよろしいでしょうか」と、脱ぐ前に一言脱いでもいいかどうかをきちんと尋ねたそうです。
日頃「狂える虎」と怯えられる存在なのに、その紳士ぶりに周囲は驚いたといいます。
タイガー・ジェット・シンの性格はいい人?エピソード② 鈴木おさむの証言
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脚本家の鈴木おさむ
鈴木おさむさんが証言したいい人エピソードは、今から30年くらい前に岩手県宮古市で行われた全日本プロレスの試合でのことです。
駐車場に作られた特設会場に停車していたバスの中で、選手たちがお昼休みを取っていて、一番前の席ではジャイアント馬場さんが野球の試合に見入っている姿がありました。
すると、バスから降りて来たのがサーベルを持ったタイガー・ジェット・シンさん。鈴木おさむさんは「おおカッコイイ」と思って息をのみ、様子を見守りました。
近くのパン屋さんに入ったタイガー・ジェット・シンさんは、2袋パンを購入してバスの近くまで戻ると、アントニオ猪木さんに向かって「パンタベル?」と、袋を振って見せたのだとか。
午後の試合では、サーベルでジャイアント馬場さんを殴りつけていましたが、鈴木おさむさんは「本当はいい人なのになあ」と思ったそうです。
タイガー・ジェット・シンの性格はいい人?エピソード③ サバンナ高橋の証言
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お笑い芸人のサバンナ高橋さんは、2017年4月に出演したラジオ番組「よんぱち 48hours」で、タイガー・ジェット・シンさんとの緊張のエピソードを披露しました。
仕事で滞在した六本木のホテルのエレベーターに乗ると、なんと偶然タイガー・ジェット・シンさんも乗っていたそう。
リングを離れても何をするか分からないタイガー・ジェット・シンさんだから、襲い掛かられるかもしれないという恐怖を感じ、手が震え始めてしまったサバンナ高橋さん。
まだエレベーターは動いてなかったので、急いで開くボタンを押して降りようと手を伸ばしたところ、ボタンの近くにいたタイガー・ジェット・シンさんが「ナンカイ?」と聞いてきたそう。
サバンナ高橋さんが「8階です」と答えると、おもむろに黒い棒状の袋(サーベルが入っていると思われる)をスッと出し、サーベルの柄の部分でボタンを押したんだとか。
ラジオの共演者からは、「なんかいい人」と笑いが起こりました。
タイガー・ジェット・シンの結婚や嫁と子供
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タイガー・ジェット・シンさんは、ヒールレスラーのイメージが強すぎて家庭のイメージが湧かないですよね。
プライベートでは結婚しているのでしょうか。嫁や子供について調査しました。
嫁は一般人で子供の躾に厳しい
タイガー・ジェット・シンさんが結婚したのは1967年頃のこと。嫁は、ジャスミン・アサドさんという女性です。
一般人なので、顔写真や生年月日など個人が特定できるような情報は公開されていません。
嫁との間には、1973年3月9日に1人息子が誕生しています。名前はタイガー・アリ・シンさんです。
タイガー・ジェット・シンさんは、どうしても息子に甘くなってしまうようですが、嫁は躾に本当に厳しい女性なのだとか。
息子のタイガー・アリ・シンさんによると「家では母が悪役です」とインタビューで回答していることから見ても、毅然とした女性なのでしょう。
タイガー・ジェット・シンの息子もプロレスラーデビューしている
出典:https://ja.wikipedia.org/
息子のタイガー・アリ・シンさんは、幼少期からプロレスの英才教育を受けて、1991年にトロントでレスラーデビューを果たしました。
1995年には、新日本プロレスにも参戦し、父親とタッグを組んで東京ドームで試合をしています。
ただし、父親ほどの才能には恵まれなかったようで、2002年にWWFから自由契約になっています。
現在プロレスラーとして活動しているのかは分かっていませんが、実業家として父親をサポートしているようです。
タイガー・ジェット・シンの現在① 実業家として活動
出典:http://blog.livedoor.jp/
2022年現在、タイガー・ジェット・シンさんの年齢は77歳です。普通に考えると、余生をのんびり過ごしていてもおかしくはありません。
さすがにプロレスからは一線を引いていますが、今も実業家として活躍中です。どんな商売をしているのでしょうか。
実業家としてのタイガー・ジェット・シンさんについて紹介します。
現役時代から準備をしていた
出典:https://gentosha-go.com/
タイガー・ジェット・シンさんがプロレスラーとして活動したのは2009年までです。明確には引退声明は出していませんが、少しずつフェイドアウトしていきました。
若い頃から嫁に「いつまでもプロレスラーとして食べていけるわけではないから、なにか仕事を考えておいて」と頼まれていたそうです。
ファイティングマネーをずっと貯金し続けて、インド海で獲れたエビの輸入業の会社に投資してきました。
エビは中華料理をはじめ、様々なジャンルの料理で重宝されます。タイガー・ジェット・シンさんは、トロント郊外で中華レストランなどの事業を展開し、取引先を開拓。
プロレス時代とは打って変わって、ビジネスではとても誠実なタイガー・ジェット・シンさんの事業は大成功。
2007年には12兆円のビッグプロジェクトも手掛けています。
タイガー・ジェット・シンの現在② 慈善事業を展開
出典:https://rorotans.web.app/
これまで「狂える虎」としてファンも取材陣も震え上がらせてきたタイガー・ジェット・シンさんですが、今では様々な場所で慈善事業を展開しています。
2021年には、日本政府から表彰されたというニュースが飛び込んできました。
被災地への寄付で表彰される
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タイガー・ジェット・シンさん自身が慈善事業の団体を設立したのは2010年に遡ります。
これまでに地元の学校の支援をしたり、学校を建設をしたりと、主に子供の教育に対して手厚い寄付をしてきたようです。
2011年に東日本大震災が起こった時には、被災した子供のためにと募金活動に飛び回りました。
その後も、途絶えることなく寄付を続け、2021年に対日友好親善に貢献したという功績から、日本政府がタイガー・ジェット・シンさんを表彰することを発表したのです。
新型コロナの影響でオンラインでの授与式に参加したタイガー・ジェット・シンさんは、「津波のことを聞いた時、大きな衝撃を受けた。日本は私にとって実家のようなもの」と語りました。
そして、被災地に新たな寄付をすることを発表し、日本での慈善事業継続を表明しています。
まとめ
出典:https://cena-s.blogspot.com/
タイガー・ジェット・シンさんは、1973年に来日して、まだ黎明期だった新日本プロレスを盛り上げる活躍をしたことで知られているプロレスラーです。
ヒールに徹したことで「狂える虎」などの異名を持ち、アントニオ猪木さんのライバルとしてファンもメディアも震え上がらせる狂気のプロレスで魅了。
ヒールとしての使命感が強すぎたことから、新宿伊勢丹の近くでアントニオ猪木さんを襲撃した「伊勢丹事件」を起こしたものの、プロレスファンを爆増させたきっかけともなりました。
その一方で、性格がいい人である説もあちこちで囁かれており、いくつかのエピソードが寄せられています。
敵として血まみれの戦いを繰り広げたアントニオ猪木さんとはツーカーの仲で、本当はリスペクトしていることも明らかになっています。
現在は、実業家として成功しただけではなく、慈善事業家として日本にも毎年被災地に寄付を続けています。
77歳という年齢を考えると、さすがに今後プロレスのリングで戦うことはなさそうですが、まだまだ元気なタイガー・ジェット・シンさんの活躍を応援していきましょう。