「清水エスパルス」や「ヴェルディ川崎」で活躍した元プロサッカー選手の三浦泰年さんの現在が話題です。
この記事では三浦泰年さんの若い頃の経歴や画像、兄弟の三浦知良さんや結婚した嫁や子供(息子と娘)などの家族、サッカー指導者としての現在の活動などについてまとめました。
この記事の目次
三浦泰年のプロフィール
三浦泰年のプロフィール
生年月日:1965年7月15日
出身地 :静岡県静岡市葵区
身長 :171cm
血液型 :A型
三浦泰年さんは1980年代から2000年代初めにかけて活躍した元プロサッカー選手で、Jリーグ発足後は「清水エスパルス」、「ヴェルディ川崎」、「アビスパ福岡」、「ヴィッセル神戸」でプレーしました。
日本代表としては、1993年のワールドカップ・アジア最終予選で3試合出場しています。
実弟にサッカー界のレジェンドであるキングカズこと三浦知良さんを持つ事でも知られており、「読売サッカークラブ」(ヴェルディの前身)、「ヴェルディ川崎」、「ヴィッセル神戸」では、兄弟でチームメイトとしてプレーし話題を呼びました。
現役引退後は、サッカー指導者の道を歩み、ヴィッセル神戸のチーム統括本部長およびコーチ、静岡FCのテクニカルアドバイザー(総監督)、ギラヴァンツ北九州の監督、東京ヴェルディの監督、タイのチエンマイFCの監督、カターレ富山の監督、鹿児島ユナイテッドFC、ブラジルのソコーロSCのU-20の監督などを歴任しました。現在は、鈴鹿ポイントゲッターズ(JFL所属)の監督を務められています。
また、自身で少年サッカークラブチーム「FCトッカーノ」を設立し現在も運営されています。
三浦泰年の若い頃① 高校卒業後にブラジル留学し帰国後は読売SCでプレー
三浦泰年さんはサッカーの名門校「静岡学園高校」の出身です。2歳年下の弟の三浦知良さんも同高校で1年弱ですが同じサッカー部でプレーしています。(三浦知良さんは1年の途中で退学しブラジルへサッカー留学)
高校卒業後、三浦泰年さんは弟の三浦知良さんに1年半遅れて18歳でブラジルへサッカー留学し、サンパウロ州にあるサントスFCのジュニアチームに所属して2年間プレーしています。
1986年に日本に帰国してJSL1部の読売サッカークラブ(東京ヴェルディの前身)に入団し、主力選手としてプレーしました。1990年にはブラジルから帰国した弟の三浦知良さんも読売サッカークラブに入団し高校以来となる兄弟での試合出場も実現しています。
三浦泰年の若い頃② Jリーグ発足に伴い清水エスパルスに移籍
出典:https://www.soccerdigestweb.com/
三浦泰年さんは、Jリーグ発足に伴い新たに設立された「清水FCエスパルス」に移籍し初代主将に選ばれ初年度から主力として活躍しました。
弟の三浦知良さんはヴェルディ川崎に所属してプレーしたため、兄弟での対戦も黎明期のJリーグを大いに盛り上げました。
出典:https://sportiva.shueisha.co.jp/
三浦泰年さんは清水エスパルスでは主にボランチとしてプレーしていましたが、1993年に左サイドバックとして日本代表に選ばれ、1994年FIFAワールドカップ・アジア最終予選3試合に出場しています。ただこの時は結果を残せず、その後は日本代表には招集されていません。
三浦泰年の若い頃③ ヴェルディ川崎やヴィッセル神戸ではカズとの兄弟同チーム所属で話題に
1996年シーズンには、清水エスパルスから古巣の読売サッカークラブを前身とする「ヴェルディ川崎」に移籍し、Jリーグ発足後は初となる弟の三浦知良さんとの兄弟での同チーム所属が実現しファンも盛り上がりますが、スター選手を多数擁していたヴェルディ川崎では清水エスパルス時代と比べて大きく出場機会を減らす事になりました。
1998年シーズン終了後、三浦泰年さんは戦力外通告を受け、1999年シーズンからはアビスパ福岡でプレーしています。福岡では精神的支柱としてチームを牽引するもチーム成績は低迷。2001年に福岡はJ2降格が決まり、運営費の縮小に伴って三浦泰年さんらベテラン勢の退団が決まりました。
出典:https://football-uniform.up.n.seesaa.net/
2002年シーズンはヴィッセル神戸に移籍。神戸では2001年から弟の三浦知良さんがプレーしていたため、再び兄弟同チーム所属が実現し話題になりました。しかし、三浦泰年さんは出場機会に恵まれず、2003年シーズンを最後に現役引退を決断されています。
三浦泰年の家族① 兄弟(実弟)は三浦知良(カズ)
三浦泰年の兄弟・三浦知良のプロフィール
生年月日:1967年2月26日
出身地 :静岡県静岡市葵区
身長 :177cm
血液型 :A型
三浦泰年さんの家族としては、兄弟(実弟)がサッカー界のレジェンドである「キングカズ」こと、三浦知良(みうら・かずよし)さんである事がよく知られています。
三浦知良さんは三浦泰年さんの2歳(学年は1年)下の実弟で、幼い頃から兄弟でサッカーボールを蹴って遊んでいたそうです。小学生の頃は兄の三浦泰年さんの方が全国的に注目されていて、三浦知良さんは三浦泰年さんを目標にサッカーの練習に励んでいたのだとか。
高校は兄と同じ「静岡学園高校」に進学しサッカー部に入るも、1年修了を待たず入学8ヶ月後の1982年12月に高校を中退し、サッカー修行のためにわずか600ドルだけを持って単身ブラジルへと渡りました。
当時、日本のサッカー指導者らはブラジルで成功するなど無理だと見ていましたが、三浦知良さんは挑戦4年目の1986年2月にサントスFCとのプロ契約を勝ち取り、SEマツバラ、クルーベ・ジ・レガタス・ブラジル、キンゼ・デ・ジャウー、コリチーバFCなどを渡り歩いて主力として活躍。ブラジルでその名前が知られるようになりました。
1990年、Jリーグ発足の動きが本格化した事から、三浦知良さんは将来の日本代表選出も見越して日本でのプレーを決断し、兄の三浦泰年さんも所属していた読売サッカークラブに入団しています。
Jリーグ発足後は、ヴェルディ川崎に所属し、Jリーグを象徴する選手として活躍。イタリアやクロアチア、オーストラリアなど海外でのプレーも挟み、京都パープルサンガ(現在の京都サンガF.C.)、ヴィッセル神戸、横浜FCなどでプレーを続けました。
2023年現在は56歳を迎えていますが、現役を続けており、ポルトガル2部「オリヴェイレンセ」でプレー(ポルトガルリーグ最年長出場記録を)されています。
三浦泰年の家族② 父親は納谷宣雄
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三浦泰年さんの父親は納谷宣雄さんという方です。三浦姓なのは小学校の時に両親が離婚しているためです。
三浦泰年さんの父親の納谷宣雄さんも若い頃はサッカーをプレーしており、三浦泰年さんと三浦知良さん兄弟が幼い頃からサッカーをプレーするきっかけをつくりました。
1970年代に日本で初となるサッカー専門のスポーツ用品店を静岡市内に開店させ、1983年には日本ブラジルサッカー協会(日伯フッチボール協会)を設立し、1980~90年代にかけて、日本からブラジルへサッカー留学生を多数送り込み、日本のサッカー界の発展に大きく貢献されました。
そんな三浦泰年さんと三浦知良さん兄弟の父親の納谷宣雄さんは、2023年9月8日に81歳で亡くなっています。葬儀は9月12日に営まれ喪主は長男である三浦泰年さんが務めました。
三浦泰年の家族③ 結婚しており嫁は一般女性の美奈子さん
正面から見て右が三浦泰年さんの嫁の美奈子さん。真ん中は三浦知良さんの嫁のりさ子さん
三浦泰年さんは1990年代に結婚されていて、嫁は一般女性の美奈子さんという方です。
三浦泰年さんと嫁の美奈子さんとの馴れ初めや結婚の経緯などは公表されていませんが、美奈子さんは現役時代にはアスリートの嫁として三浦泰年さんの活躍を支え、三浦泰年さんが現役を引退し指導者となった後もその活動をサポートされています。
嫁の美奈子さんは、三浦泰年さんが設立した少年サッカークラブ「FCトッカーノ」の運営の面でもサポートをされているようです。
三浦泰年の家族④ 子供は2人で息子と娘が1人ずつ
三浦泰年さんは嫁の美奈子さんとの間に子供が2人生まれています。
三浦泰年さんの子供は息子と娘が1人ずつで息子さんが1994年生まれの三浦俊太郎さん、娘さんが1995年生まれの長女の萌子さんです。
上の画像は三浦泰年さんのTwitter(現在のX)に投稿された家族集合写真で、前列真ん中が息子さんの三浦俊太郎さん、その右の横顔の女性が娘さんの萌子さんです。
三浦泰年の子供① 息子は元サッカー選手の三浦俊太郎
三浦泰年の子供(息子)の三浦俊太郎のプロフィール
生年月日:1994年4月10日
出身地 :東京都世田谷区
身長 :173cm
三浦泰年さんの子供2人のうち、息子さんの三浦俊太郎さんは元サッカー選手で2019年までプレーされていました。
息子の三浦泰年さんは、父親の三浦泰年さんが設立したジュニアサッカークラブ「FCトッカーノ」でサッカーをはじめ、FC東京のアカデミーであるU-15むさしを経て、東京ヴェルディユース、桐蔭横浜大学サッカー部でプレーしています。
桐蔭横浜大学卒業後の2017年からは、三重県鈴鹿市に本拠を置くJFL所属の「鈴鹿アンリミテッドFC(現在の鈴鹿ポイントゲッターズ)」に入団。
東海社会人リーグ1部の鈴鹿アンリミテッドは18日、桐蔭横浜大からMF三浦俊太郎(22)の新加入を発表した。三浦は今季からJ3鹿児島で指揮を執る三浦泰年監督(51)の長男で、Jリーグ最年長選手のカズこと元日本代表FW三浦知良(49=J2横浜FC)は叔父にあたる。
三浦泰年さんの息子さんの三浦俊太郎さんは3年間鈴鹿アンリミテッド(鈴鹿ポイントゲッターズ)で、ミッドフィルダーとしてプレーし2019年を最後に現役を引退されています。
現役引退後は鈴鹿ポイントゲッターズのスカウトに就任し、2023年7月には強化担当スカウト部門での業務委託契約を結んだ事が鈴鹿ポイントゲッターズのオフィシャルサイトで発表されています。
いつも鈴鹿ポイントゲッターズをご支援いただき誠にありがとうございます。
7月1日より、クラブOBの三浦俊太郎氏が鈴鹿ポイントゲッターズの強化担当スカウト部門として業務委託契約することが決まりましたのでお知らせいたします。
三浦泰年の子供② 娘は萌子さん
三浦泰年さんの2人目の子供は娘の萌子さんです。
娘さんの萌子さんは一般の方でサッカーもプレーされていないようで情報がほとんど公開されていませんが、兄の三浦俊太郎さんと兄弟で同じ高校に通われていたようです。
三浦泰年さんは2019年から2020年にかけてブラジル・サンパウロのフットボールクラブ「ソコーロSC」のU-20チームの監督を務められていましたが、当時、Twitterで娘の萌子さんがサンパウロまで遊びに来てくれた事を嬉しそうに投稿されていた事がありました。
娘の萌子がサンパウロに遊びに来てくれた…4日間と短い滞在であったが一緒にいれて嬉しかった(笑) pic.twitter.com/WnJXS5H2dr
— 三浦 泰年 (@yasutoshi_miura) August 27, 2019
三浦泰年の現在① パワハラ問題で鈴鹿ポイントゲッターズの代表取締役とGMを退任
出典:https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/
三浦泰年さんは、2021年7月に息子の三浦俊太郎さんが2019年までプレーしていた、JFL所属のサッカークラブ「鈴鹿ポイントゲッターズ」の監督兼ゼネラルマネージャー(GM)に就任し、2022年には弟の三浦和義さんを鈴鹿ポイントゲッターズに期限付きで移籍させるなどし、監督兼代表取締役ゼネラルマネージャーとなって、ほぼ同クラブの全権を任されました。
ところが、週刊文春のウェブメディア「文春オンライン」が、2022年12月に、三浦泰年さんが鈴鹿ポイントゲッターズの所属選手やスタッフに対して壮絶なパワハラを行い、所属選手の大半が退団したという衝撃的なスキャンダル記事を配信しました。
文春オンラインの記事を要約すると、三浦泰年さんはペットボトルを投げつけたり、ホワイトボードを床に叩きつけて破損させるなどしたり、特定の選手に心無い言葉を浴びせたり、体調が万全でない選手を無理矢理練習に参加させて叱責したり、選手を突き飛ばして捻挫をさせた挙句試合に出し「動きにキレがない」と言ってクビにしたりのパワハラを行なっていたとの事です。
また、文春オンラインの記事では、息子の三浦俊太郎さんが、三浦泰年さんがGMに就任してから突然フロント入りし、活動の面で身内びいきとも見られるような特別扱いをしていたとの内容も明かされています。
「昨年の途中から突然、監督の息子がフロント入りしました。彼はスカウト担当なのですが、クラブとして受け入れた練習生は経費を全額自己負担させられるのに、息子が連れてきた練習生は鈴鹿PGが全額負担しています。さらに新人選手の年俸が42万円(月3万5000円)しか貰えないにもかかわらず、息子の出張費は1回3万円程も出していると言われています。クラブを私物化していると感じる選手たちはいますよ」
引用:《所属選手36名中28名が退団》キングカズ実兄・三浦泰年監督(57)の“壮絶パワハラ”を選手、スタッフが内部告発「批判された選手はストレスから突発性難聴に…」
三浦泰年さんに叱責された選手のうち1人は、そのストレスから突発性難聴になって年間通じて通院し最終的に自ら退団したそうです。
文春オンラインの記事では、証拠として三浦泰年さんが選手に対して暴力的な行動をしている証拠の画像なども掲載されていて批判的な声が高まりました。
この文春オンラインの報道後の2023年2月1日、鈴鹿ポイントゲッターズは、三浦泰年さんの代表取締役GMからの退任を発表しています。ただ、退任の理由については上記のパワハラではなく「目標としていた、Jリーグ参入の見通しが立たなくなったため」と説明されています。
また、2023年3月3日にはJFL規律委員会により、パワハラ問題の件で4試合のベンチ入り停止と譴責(始末書提出)の処分が決定しています。
三浦泰年さんはこの処分を受けて、年俸の10パーセントの自主返納を申し出て了承されています。
JFL鈴鹿ポイントゲッターズは7日、三浦泰年監督が年俸10%の自主返納を申し出、クラブが了承したと発表した。昨季、三浦監督によるスタッフへの暴力行為があったとJFL規律委員会に認定され、開幕から4試合のベンチ入り停止処分がJFLから課されたことを受けた。
三浦泰年の現在② 鈴鹿ポイントゲッターズの監督は続投
代表取締役ゼネラルマネージャー兼監督を務めていた「鈴鹿ポイントゲッターズ」での選手やスタッフに対するパワハラ問題が表沙汰になった三浦泰年さんですが、代表取締役とGMは退任となったものの、監督としては契約を延長し2025年まで務める事がチームから発表されています。
2023年9月の現在も三浦泰年さんは鈴鹿ポイントゲッターズの監督として指揮をとられています。
2023年7月15日には、鈴鹿ポイントゲッターズの選手やスタッフから三浦泰年さんの58歳の誕生日をお祝いしたとの「X」(Twitter)への投稿もあったので、選手やスタッフとの信頼関係は現在は回復している可能性が高いようです。
HAPPY BIRTH DAY
— 鈴鹿ポイントゲッターズ【公式】 (@SuzukaPG) July 15, 2023
(続き)
練習後には、 #三浦泰年 監督の誕生日をチームでお祝いしました✨
明日のソニー仙台戦、全員で勝ちにいきましょう#鈴鹿ポイントゲッターズ#鈴鹿ポゲ#皆で夢を描こう pic.twitter.com/8ZydYfRK30
まとめ
今回は、1980年代から2000年代にかけて活躍した元プロサッカー選手で、現在はサッカーの指導者として活躍されている三浦泰年さんについてまとめてみました。
三浦泰年さんは若い頃は、静岡学園高校を卒業後にブラジルへ2年間サッカー留学し、帰国後にJSL1部の読売サッカークラブでプレーしました。
1993年のJリーグ発足後は、Jリーガーとして「清水エスパルス」、「ヴェルディ川崎」、「アビスパ福岡」、「ヴィッセル神戸」でプレーし黎明期と成長期のJリーグの人気を牽引した1人でした。
三浦泰年さんの家族では、兄弟(実弟)にサッカー界のレジェンドである三浦知良さんを持つ事でも知られています。現役時代は兄弟でJリーグでプレーし度々話題となりました。
1990年代に結婚した嫁は美奈子さんという一般の女性で、美奈子さんとの間には2人の子供が生まれています。
三浦泰年さんの子供は息子さんと娘さんが1人ずつで、息子さんは1994年生まれで元サッカー選手で長男の三浦俊太郎さん、娘さんは1995年生まれの長女・萌子さんです。
三浦泰年さんは現在は、JSL所属のサッカチーム「鈴鹿ポイントゲッターズ」の監督を務められています。2022年12月には選手やスタッフへのパワハラが問題になった事もありましたが、現在はチームのSNSなどを見る限りは選手やスタッフとの信頼関係は回復している様子です。