女子プロレス界の四天王として活躍したナンシー久美さんですが、後輩いじめ疑惑も話題です。
今回はナンシー久美さんの若い頃の経歴や活躍、引退理由が結婚の噂と真相、ダンプ松本さんやジャガー横田さんとの関係、現在をまとめました。
この記事の目次
ナンシー久美のプロフィール:女子プロレス界の”四天王”
生年月日:1960年12月30日
出身地:神奈川県
所属:日本女子プロレスほか→引退
ナンシー久美さんは、かつて抜群のスタイルとルックスで人気を博し、ビクトリア富士美さんとのタッグ「ゴールデン・ペア」として活躍した元女子プロレスラーです。
また、ジャッキー佐藤さん・風間ルミさん・神取忍さんと、女子プロレス界の”四天王”として君臨していました。
本名は「金子久美子」さんといいます。
ナンシー久美の若い頃の経歴① 2ヶ月半でデビュー後、すぐスター選手に
ナンシー久美さんは中学の頃から体格が大きかったそう。そのため、柔道部の先生から、柔道部に入るよう何度も勧誘され続けたそうで、その誘いを頑なに断っていたんだとか。
ナンシー久美さんさんいわく、格闘技があまり好きではないうえ、「柔道をするとガニ股になる」という先入観があり、どうしても柔道をしたくなかったのだとか。
そんなナンシー久美さんがプロレスラーを目指すようになったきっかけは「家を出たかったから」だといいます。
高校を決めていかなければいけないというとき、とにかく家を出たかったんです。何かい良い方法はないかと考えていて。そんなとき、テレビを見ていたら、女子プロレスやってて。父が見てたんですよね。下の方にテロップで選手募集って出てて。これは面白いかもって何も知らずに、自分で履歴書を書いて送ったんです。それが12月ぐらいだったかな。翌1月に連絡があって、ぜひ面接にきてくださいと。
引用:ナンシー久美
プロレスのルールすら知らなかったというナンシー久美さんですが、面接に参加するとその場で採用。
しかし、通っていた中学校が厳しく、「卒業までは練習に行ってはいけない」と厳しく言われてしまいます。
そのためナンシー久美さんは意地になり、学校に内緒でセコンドについたり練習したりしていたそうです。ナンシー久美さんはその後、中学を卒業して正式に入団。
「受け身ができればあとは実践で」という会社の方針もあり、入団からわずか2ヵ月半でプロレス団体「全日本女子プロレス」の選手としてデビューを果たしました。
ナンシー久美さんは当時を振り返り、インタビューで以下のように語っています。
デビュー戦、覚えてます。後楽園ホールで、相手は阿蘇しのぶさん。体は小さいのに、リングに上がると大きく見えるんですよ。ボコボコにされました。デビュー戦から場外乱闘ですもん。怖かったし、痛かったし。5分もったのかな。当時、自分の試合が終わったら、すぐにセコンドにつかなければいけないので、考える暇もなかったんですけど。
引用:ナンシー久美
ナンシー久美の若い頃の経歴② ゴールデン・ペアでの活躍と2度の引退
ナンシー久美さんは、抜群のスタイルとルックスで、瞬く間にスターダムへとのし上がります。
ビクトリア富士美さんとタッグを組んだ「ゴールデン・ペア」として活躍し、「第68代WWWA世界タッグ王座」を制すと、「レッド・フェニックス」「アマゾネス軍団」としても活動。
1979年に開催された「NWA王座」では、ファビュラス・ムーラに挑むも、レフェリーに対して暴行を働いたことで反則負けとなっています。
それから4年後の1983年に引退試合と引退式を行い、一時プロレスラーを引退しました。
その後の1986年にプロレス団体「ジャパン女子プロレス」の旗揚げに伴い、選手として現役に復帰します。
ジャッキー佐藤さん・風間ルミさん・神取忍さんとともに”四天王”と称されました。
ナンシー久美さんはインタビューで、ジャパン女子プロレスでの現役復帰について以下のように振り返りました。
ジャパンは、当初1年ぐらいで辞める予定でした。選手育成が目的で。佐藤さんが、一人じゃ厳しいということで、いろんな人に声かけたらしいんです。最後に声かけられて、「やりまーす」って軽いノリでいっちゃったんだな。最初から無謀な闘いでもありましたね。全然知らない素人を半年で仕上げていく。佐藤さんが、格闘技っていうプロレスを目指していたんで、それに見合った体づくりをしていかなければいけなかった。
引用:ナンシー久美
ジャパン女子プロレスには、体格が理由で全日本女子プロレスに入れなかったという小柄な選手が多く、体づくりには大変な苦労があったのだとか。
翌年の1987年に再び現役を引退したナンシー久美さんは、1993年に清心流空手道総本部「清心館」へと入門し、空手の道へと進みました。
ナンシー久美の若い頃の経歴③ 歌手としても活動していた
ナンシー久美さんは若い頃、歌手としても活動していた時期がありました。
全日本女子プロレスに入団して半年ほどたった頃に、歌手デビューを言い渡されたのだそう。
「よくここまでもったな。だったら、これからも頑張れるよな。歌でも出さないか?」と。16歳だったので嬉しいじゃないですか。「わーい」って。当時、会社の人に言われると、全部ストンとはいってきて「うん」って。その後のことは、頭になかったですね。でも、歌を出すのが決まってからは、こんなはずじゃあというのが続きました。プロレスの実力もないのに歌出してどうするの?って。
引用:ナンシー久美
そして、1977年にシングル「夢見るナンシー」を発売。
普段の戦いぶりからは想像できないほど乙女チックな世界観のジャケット写真は、男性ファンを中心に大きな話題を呼びました。
しかし、その一方でコアなプロレスファンからは批判の声もあったといいます。
ナンシー久美さんは以降も歌手活動を続けており、ビクトリア富士美さんとのタッグ「ゴールデンペア」名義で「ソーダ水の向こうに」「ミステリー・ラヴ」の2曲を発売。
1981年には、再び個人で「アマゾネス女王」を発売しています。
ナンシー久美は結婚していない?結婚引退の噂の出どころは?
ナンシー久美さんは1983年、同じく引退する高階由利子さんと「W引退試合」を行い、引退。
また、同試合ではコミッショナー・植田信次さんが、ナンシー久美さんの引退理由について「結婚」と述べていました。
この発言から、ファンの多くはナンシー久美さんは結婚のため引退したと思っています。
しかし、当時所属していたプロレス団体「全日本プロレス」が発信する情報には、ファンの目から見ても怪しいものが多かったそう。
そのため、ナンシー久美さんが結婚のために引退するという発表についても、信憑性が低いと見ていたファンもいたようです。
ナンシー久美さんはその後のインタビューで、最初の引退について「自然消滅にしようと思っていた」と語っています。
会社に辞めることを告げると「あと1年」とお願いされたので、試合出場のペースを月2~3回ほどに減らして、徐々にフェードアウトするつもりだったそう。
しかし、ファンからの問い合わせが相次いだことから、それならば引退式をという運びとなったといいます。
また、引退理由を明言しなかったものの、寿退社ではなかったことを思わせる言い回しが確認されています。
会社から親心は感じましたよ。10代半ばから見てきて、寿退社が好きなんですよね。女の子だし、ゆくゆくは、結婚して子供産んで幸せになってくれっていうのは、社長やマネージャーにもありました。引退の理由は、大ケガが怖くなったんです。今、思うと、こじつけかなって思いますが、遊びたかったんでしょうね、きっと。外の世界を見てみたかった。当時は、もっともらしく言ってましたけど。
引用:ナンシー久美)
文脈から「結婚はしたけどそれが1番の理由ではない」とも「結婚するわけではなかったが会社がそういうことにした」とも読み取れますが、おそらく後者のニュアンスではないでしょうか。
ナンシー久美はダンプ松本をいじめていた?
ナンシー久美さんと同じプロレス団体「全日本女子プロレス」に所属していたダンプ松本さん。
一部のファンの間で、ダンプ松本さんが新人時代、当時のスター選手だったナンシー久美さんにいじめられていたという噂があるようです。
有名なのが、ダンプ松本さんが当時から太っていたことで、ナンシー久美さんに「お前は亀だ」と言われ、巡業先の旅館前にあった亀の石像を背中にくくりつけられたというエピソード。
ダンプ松本さんは四つん這いになり、泣きながらはって歩かされたといいます。なかなか衝撃的な話ですが、調べてみるとダンプ松本さんのブログにこんな記述がありました。
昨日は先輩のナンシー久美さんと後輩の影かおるの店に(めしくい亭)行ってきた。新人時代は良くいじめられて~カメの甲羅を背中にしょわされたり、おもちゃのお金でガソリンスタンドでまんじゅうを買ってこいとか(>_<)オレ様と千種は良くいじめられた。飛鳥と大森は優等生で全然いじめられない。うちら二人は毎日……怒りやすいタイプだったみたい(>_<)でも 今は仲良し。。。
引用:先輩と…
どうやらいじめられていたことと、亀のエピソードは本当のようですね。
昔は「いじめのようないじりやしごき」というのも横行しており、ダンプ松本さんがどのようなニュアンスで書かれたのかはわかりませんが、当時辛かったことは間違いないでしょう。
しかし、「今は仲良し。。。」の「。。。」という含みが気になるところですが、年月が経過したことで昔からの関係性は多少変化したようです。
ナンシー久美とジャガー横田の関係
出典:https://spice.eplus.jp/
ジャガー横田さんもナンシー久美さんの後輩だったため、その関係性が気になるファンも多いようですが、特に目立つエピソードはありませんでした。
ちなみに、ナンシー久美さんにいじめられていたダンプ松本さんは、ジャガー横田さんと今も良い関係性を築いている様子。
ジャガー横田さんについて「ナンシー久美さんと一緒にダンプ松本さんをいじめていた」、「ダンプ松本さんと一緒にナンシー久美さんにいじめられていた」というような噂もないようです。
ナンシー久美の現在① 清心館空手道総本部付指導員として活躍中
ナンシー久美さんは現在、清心館空手道総本部付指導員として活躍されているそうです。
プロレス団体「ジャパン女子プロレス」を引退した頃にジャッキー佐藤さん、そしてその友人である清心館空手道の館長・池田有紀子さんと出会ったのだそう。
そして、清心館で指導員として働くことになったといいます。
その後、遊びに行ったときに、空手着があって。私こういうの似合うんだよねって着てみたのかな。で、ノリで入っちゃった。私、全部そう。深読みしないんです。入ってから考える。最初の印象は、空手は怖い、プロレスのほうがいい。離れてる相手って怖いですよね。プロレスは組んじゃえばこっちのもんだと思いますけど。
引用:ナンシー久美インタビュー
1989年にプロレスラーのジャッキー佐藤さんが亡くなりましたが、その最期を看取ったのはナンシー久美さんだったようです。
ナンシー久美の現在② 2020年に「クイズ!脳ベルSHOW」に出演
ナンシー久美さんはメディアにほとんど出演されていません。
しかし2000年代には、プロレスラー・ブル中野さんが経営している飲食店「中野のぶるちゃん」のイベントにゲストとして招待されていたようです。
また、2020年にはフジテレビ系列のクイズ番組「クイズ!脳ベルSHOW」にも出演しています。
まとめ
ナンシー久美さんはプロレス団体「全日本女子プロレス」入団後、わずか2ヶ月半でデビューし、すぐにスター選手となりました。
その後、歌手としてデビューするなどアイドル的な人気を誇るも一度引退。その後プロレス団体「ジャパン女子プロレス」の旗揚げに伴い、1年だけ現役に復帰しました。
再引退後は、清心館空手道総本部付指導員として活躍されているそうです。
過去には、プロレスラー・ダンプ松本さんなど後輩へのいじめ疑惑もあったナンシー久美さんですが、ダンプ松本さんとはその後も交流が続いている様子。
メディア出演は少なめですが、絶対に出演しないというわけではなさそうなので、今後は女子プロレス全盛期に活躍されていた当時の裏話なども聞けるかもしれないですね。