影山百合子さんは日本最高齢出産の記録を持つ女性で、2023年に子供が成人を迎えました。
今回は影山百合子さんのプロフィール、現在の年齢や経歴、生い立ちと家族、結婚した旦那との馴れ初めや高齢出産への道のり、現在を紹介します。
この記事の目次
影山百合子のプロフィール:日本最高齢出産記録者で現在の年齢は81歳
生年月日:1941年(月日非公開)
出身地:東京都
所属:なし
影山百合子さんは一般人で、「日本最高齢出産」の記録を持つ女性です。
2001年7月に60歳で出産を経験され、大きな話題となりました。
なお、「影山百合子」という名前はペンネームで、本名は非公開とされています。
影山百合子の生い立ち:両親を3歳で亡くし、家族は祖母だけだった
影山百合子さんは戦時中である3歳の時に両親を亡くし、祖母に育てられたそう。幼い頃から成績が良く、特に外国語が好きだったといいます。
小中学生のころから、自宅の近所にあった雙葉学園の校外学習で、尼僧さんから英語とスペイン語を習いました
高校を卒業後は、公務員となり役所に勤めるように。当時、大学進学も考えたものの、祖母と2人暮らしであったため、生活への影響を考えて断念したそうです。
福祉関係の仕事でしたが、私自身、祖母を介護した体験があったので、苦悩する家族のために何ができるかと常に考え働いていたという自負はあります
影山百合子はバツイチで現在の旦那とは再婚だった
影山百合子さんは実はバツイチで、現在の旦那とは再婚なのだそうです。
祖母の介護が原因で、最初の夫との関係が破綻
影山百合子さんは25歳で最初の旦那と結婚しています。しかし、同時期に祖母が認知症となり、新婚生活と同時に介護生活が始まったのだとか。
30代前半に祖母が亡くなったことで介護生活は終わりますが、すでに夫との関係は修復不可能な状態だったそう。
もともと会話が少なかったという夫との関係を改善すべく、子供を持つことを考えたそうですが、不妊治療後進国であった日本の医師の対応はとても冷たかったのだとか。
「最後の願いで、もう一度、夫とやり直せるかもと思って挑んだのが今で言う妊活で、45歳でした」しかし、不妊治療がまだ一般的でない当時、訪ねた大学病院の産婦人科医の誰もが、「50歳になろうかという人が出産なんて、とんでもない」という対応だった。
今でこそ、40代後半での出産は珍しくありませんが、当時は30歳を超えると「高齢出産」と言われていた時代。影山百合子さんは医師の言葉を受けて妊娠をあきらめたといいます。
オーストラリアで現在の旦那と恋に落ちた
影山百合子さんはその後、若い頃から夢見ていた外国暮らしをするべく、オーストラリアでボランティアの日本語教師に。そして、そこで現在の旦那と出会ったそうです。
教師と生徒という形で出会った現在の旦那は中東出身で、24歳年下でしたが、影山百合子さんは「初めての本当の恋」に落ちたのだと語っています。
祖母と2人きりの生活で明るい青春時代のなかった私は、52歳で初めて本当の恋に落ちたんです
その後、前の旦那との離婚が成立。2人は再婚を果たします。しかし、再婚相手となった旦那の親族は、当初結婚に反対していたといいます。
中東の夫の親族たちは、この結婚に猛反対した。
「なんで、わざわざそんな年上の女性と結婚するんだ」
「もっと若い人と結婚すれば、子供も自然に授かるのに」
影山百合子の子供① 55歳で妊活を始めるも医師から反対される
影山百合子さんは再婚を機に、再び妊活を決意。
しかし、当初よりさらに年齢を重ね、55歳となった影山百合子さんに手を差し伸べてくれる医師はいなかったといいます。
「孫がいてもおかしくない患者の不妊治療をしたら、私が日本中からバカにされる」診察を希望する影山さんに、不妊治療で有名だったある医師は言い放った。その後も、信頼して任せられる医師とは出会えなかった。
2023年現在でも、高齢出産の定義は「35歳」とされており、年齢を重ねるにつれて妊娠時や出産時のリスクはさらに高まると言われています。
また、妊活においても年齢は重要で、年齢を重ねるにつれてその成功率は下がっていきます。
そんな中、影山百合子さんに唯一協力してくれたのが、東京都にある「卵子提供・代理母出産情報センター」なのだとか。
同センターは1991年に設立され、アメリカにあるネバダ不妊治療センターと提携しながら、当時すでに200件以上もの出産を手助けしていました。
しかし、同センター代表・鷲見侑紀さんは当時の状況を以下のように語っています。
20年たった今だから言えますが、影山さんの出産に際しては、『リスクが大きすぎると、スタッフ全員が猛反対でした。万が一のことがあれば、日本の医療界から干されるのは明らかでしたから
たとえ若くても出産には危険がつきもの。様々なケースを見てきたセンターのスタッフだからこそ、その危険性を理解していたのでしょう。
影山百合子の子供② 不妊治療に踏み出せたのは健康体だったから
「卵子提供・代理母出産情報センター」のガイドラインでは、受け入れの上限年齢が55歳と定められていました。影山百合子さんは当時、すでに57歳。
それでも同センターが受け入れを決断したのは、健康・肉体的に申し分がなかったこと、そして自分のためではなく愛する夫に子供を抱かせたいと心から望んでいたからだといいます。
影山百合子さん夫妻は相談の段階から、必ず夫婦2人で手をつないで来訪していたのだとか。
「ただ単に子供が欲しい」という欲求だけではなく、夫婦としてのゆるぎない絆や、安心して子供を迎えうることができる環境であることなどから判断されたのではないでしょうか。
事前の検診でわかったのは、自身の肉体がすこぶる健康なこと。50代半ばにして、虫歯は1本もなく、髪も黒々としている。
「骨密度も20歳並み、ホルモン値は同年代の2倍以上、生理も順調。このデータを知らされて、あの戦争の食うや食わずの時代に、アスリート並みの健康体に生んでくれた両親に改めて感謝しました」
その後、1999年に卵子のドナーが見つかるも、影山百合子さんに子宮筋腫が見つかってしまいます。
しかし、影山百合子さんはひるむことなくすぐに医師を見つけ、手術。その翌年には、アメリカで2度目の体外受精を行い、念願の長男を妊娠します。
卵子ドナーの28歳のアジア人女性のリストを受け取ったとき、彼女の誕生日が彼と同じだったんです。その運命的な偶然を知ったとき、この出産はきっとうまくいくと信じることができました。
日本での出産は、高齢出産で実績のある東京慈恵医大病院の産婦人科が引き受けたといいます。
なお、東京慈恵医大病院とは当時、「もし出産までに母子が危険な状態に陥ったときには、母親の生命を優先する」との取り決めもあったのだとか。
影山百合子の子供③ 2001年に念願の息子を出産
影山百合子さんは、2001年7月21日に帝王切開で長男「レノ」くんを出産。
大好きだったジャン・レノと、体外受精でお世話になった米国リノ市にちなんでの命名です。別に父親の国での名前もあります。
また、レノの誕生日は父親と一緒です。予定日が夫の誕生日に近いとわかったときから同じ日に産もうと決めていて、私から主治医の先生にその日の帝王切開を『どうしても』とお願いしました
無事、念願の我が子を抱くことができた影山百合子さんですが、2002年には2人目を妊娠すべく動き始めます。
影山百合子さんいわく「1人目は夫のため、2人目はレノのため」だといい、レノくんに兄弟を作ってあげたいという思いからの行動だったそうです。
しかし、影山百合子さんが60歳で出産という実績を作ったことで、日本医療は高齢出産に向けて条件を緩和するどころか、より厳しい目を向けるようになっていました。
私の60歳出産は、日本の不妊治療に風穴を開けたのではなく、バッシングも大きかったですから、逆に先生方を追い込んで、旧態依然の状態に戻してしまったのではないかと感じました
以降、3年にわたり関係各所に掛け合いますが、さらに年齢を重ねていることに加え、関係各所による意見の相違などに行く手を阻まれてしまいました。
特に、卵子提供については厚生労働省が「加齢により妊娠できない夫婦は対象とならない」と見解を述べています。
そして、長男出産に尽力してくれた「卵子提供・代理母出産情報センター」代表の鷲見侑紀さんからも、次のように説得されたと言います。
「もし『自分の命と引き換えにでも』と考えているなら、それは違う」
「子供のためというなら、ご自分が1年でも長生きして、レノちゃんの人生を見守ってほしい」
ちなみに、今も日本では高齢出産に関する法整備がされていないのだとか。
また、「卵子提供・代理母出産情報センター」が提携するアメリカの医療機関においても、受け入れ上限年齢が50歳と定められたといいます。
影山百合子の子供④ 息子・レノとは中学生になってから一緒に生活
影山百合子さんはその後、2007年に公務員を定年退職。
レノくんは幼稚園・小学校時代、父親の国で暮らしていましたが、中学入学を機に日本へ。
影山百合子さんとレノくんの待望の2人暮らしが始まりました。
父親の母国の大使館付属の中高一貫校に入りました。向こうの生活では500人も親族がいるなかの長男ですから、幼稚園もタクシーで送り迎えという猫っかわいがり状態でしたが、私は『自分のことは自分でやる』という教育方針で進めました。最初に教えたのは『こんにちは』『ありがとう』の挨拶をきちんとすること。
影山百合子の現在① 2022年に息子・レノが成人を迎えた
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2001年7月21日に誕生した影山百合子さんの息子・レノくんは、2022年に成人式を迎えました。成人式にはレノくんの父親も中東から駆け付けたといいます。
また、影山百合子さんとレノくんとの暮らしには、イスラムと日本の文化が混じり合っているのだとか。
わが家の中も、両国の文化が混在。夫の母のレシピで中東の料理も作りますし、日本の味の代表は鍋でしょうか。ただし、イカ・タコ類は絶対に使いません。レノが、幼いころから香水をつけるのも父親の影響。今では同じ柑橘系の香りが、わが家の男たちの象徴のようになっています。
また、レノくんは日本の大学へは進学していないものの、現在はアメリカのオンライン大学でMBA取得を目指しているのだとか。
影山百合子さんはそんなレノくんが介護で苦労しないよう、「何かあった時」の準備を怠っていないといいます。
私自身、祖母での体験も大きいですが、万一、認知症になっても子供に迷惑をかけないよう、経済面だけでも自立していたいと、今も毎月15万円の保険料を払い続けています。まあ、認知症にならないためのお守り代わりですね。
さらに、若い頃に習っていたスペイン語をもう一度習いたいと考えているといいます。
影山百合子の現在② 旦那との超遠距離恋愛は継続中
影山百合子さんと旦那は20年以上遠距離恋愛(結婚)を継続しており、今も毎日スカイプや電話で会話しているそう。
体格も似ており、好きな色も一緒。20年前と変わらず、会うときには洋服や靴まで着まわしているといいます。
これだけ深い愛で結ばれているのに、一緒に暮らすわけでもなく遠距離恋愛を続けているというのは、少し不思議な感覚ではあります。
ただ、2人の中では「お互いを思いながらもそれぞれの国で暮らす」というのがベストな結婚の形だったのでしょう。
影山百合子の現在③ 風呂場で転倒し足を骨折していた
影山百合子さんは風呂場で転倒し骨折したことを機に、杖が必要な生活に。
もともと、三半規管に持病があり転びやすい体質だったそうで、妊娠前には常にまっすぐ歩けるようにと、あえてハイヒールを履いて鍛えていたといいます。
そんな努力家の影山百合子さんは、現在も杖なしで生活できるようにとリハビリにいそしんでいるそう。
また、産後は体の不調に悩まされた時期があったとも告白しており、当時は遅れてやってきた更年期障害にも苦しんだと語っています。
1年ごとに病気も一つずつ増えて、ひどい神経痛にも悩まされ、要支援2、視覚障害2級となりました。かつて打ち続けていたホルモン剤の影響もあるでしょう。普通の人以上に、60歳出産で体に負担をかけ、急に油切れした状態でしょうか
まとめ
影山百合子さんは日本最高齢出産の記録を持つ人物で、60歳で息子・レノくんを出産。2023年にはそのレノくんが無事成人式を迎えたことが話題となりました。
20年以上遠距離恋愛だという現在の旦那とは、いまだに仲睦まじい様子です。
80歳を超え、高齢となった今も息子の負担にならないようにと、努力を怠らない影山百合子さん。
今後も、高齢出産や不妊に悩む人たちの希望の光であり続けるのではないでしょうか。