“オウム真理教最後の逃亡犯”とも呼ばれた高橋克也は、17年に及ぶ逃亡生活が注目を集めました。
今回は高橋克也の逃亡生活~逮捕、無期懲役が確定した現在、麻原彰晃をはじめとする教団幹部の死刑執行についてまとめてみました。
この記事の目次
オウム真理教の元信徒・高橋克也のプロフィール
プロフィール
名前:高橋 克也(たかはし かつや)
誕生日:1958年4月26日
出身:神奈川県横浜市
ホーリーネーム:スマンガラ
ステージ:師長補
教団での役職:諜報省
入信:1987年
関係した事件:
・公証人役場事務長逮捕監禁致死事件
・地下鉄サリン事件
・東京都庁小包爆弾事件
・会社員VX殺害事件
・被害者の会会長VX襲撃事件
判決:無期懲役(上告棄却)
高橋克也は、元オウム真理教の「諜報省」に所属していた信徒です。
オウム真理教事件実行犯の1人として、警察庁に特別指名手配されながらも、長期間逃亡し続け、“オウム最後の逃亡犯”と呼ばれていました。
オウム真理教最後の逃亡犯・ 高橋克也の生い立ち① 幼少期
高橋克也の幼少期から精神世界へ傾倒するまで
高橋克也は1958年、ごく普通のサラリーマンの父親と、パートタイマーとして働く母親の次男として誕生しました。
そんな両親の期待を一身に背負っていた4歳違いの兄は、小学校から高校まで進学校に進み、国立大学に進学する一方で、 高橋克也は地元の公立小学校へ通っていたそうです。
そんなこともあって、 高橋克也は幼少期の頃から、両親が何かにつけて自分よりも兄の方を大切にしている…との劣等感を持って育ったと言います。
そんな高橋克也は、中学までは柔道部に入部しており、大会ではそれほど活躍できなかったようですが、大人になってから柔道を再開した後は、最終的には2段まで取得しています。
出典:https://www.rissho-hs.ac.jp/
ちなみに、1995年年2月に起きた「目黒公証役場事務長監禁致死事件」において、拉致の実行役に選ばれたのは、 高橋克也の柔道2段の腕前が買われたからのようです。
1979年、横浜市の高等専門学校(高専)を卒業後は、大学進学を諦め、自宅近くの電気関係の会社に就職した高橋克也。
しかし、大学出身の社員と差別されていると感じた高橋克也は、その会社でのやりがいを見い出せず、1年もたたないうちに転職してしまいました。
ただ、転職先の会社でも同じように社内の人間関係がうまくいかず、結局26~27歳の頃に退職しています。
出典:https://el-lab.jp/
やがて高橋克也は、自分が社会でうまくやっていけないのは、大卒ではないからでは?そして、大学へ行けなかったのは、兄や両親のせいでは?なんて思いに至るようになったと言います。
それには、高橋克也なりに理由があって…
「高等専門学校に行った方がいい」と4歳上の兄から強く進められ、5年制の高専に入学を決め、電子工学を学んだ。そんな兄は大学付属の小中学校などを経て一浪して九州の国立大学に進学。「悪く解釈すれば兄はいずれ学費が必要になるので、弟の自分に20歳で卒業できる学校を薦めたのでないか」と不満を述べた。
引用:【法廷から】「麻原からお前の弁護人を殺せと言われたらどうする」と弁護人に問われ、30秒押し黙ったオウム「高橋克也被告」の“今も帰依” https://www.sankei.com/
そんな心の中にくすぶったモヤモヤを持てあました 高橋克也は…
「根底の生き方に迷いが生じた。いろんなことを知り自分の人生の選択をしたいと思った」
との考えに取り憑かれ、その後は仕事にも就かずに、実家でヨガや宗教に関する本を読みまくったのだとか。
オウム真理教最後の逃亡犯・ 高橋克也の生い立ち② 麻原彰晃との出会い
麻原彰晃に出会いオウム真理教の前身「オウム神仙の会」に入信
そして、そんな中で出会ったのが…“麻原彰晃”こと、松本智津夫元死刑囚の著書だったそうです。
出典:https://www.dailyshincho.jp/
「最初はうさんくさいと思ったが、書かれていた体操のようなものをやると体調が良くなった。もうちょっと知りたいと思った」
引用:【法廷から】「麻原からお前の弁護人を殺せと言われたらどうする」と弁護人に問われ、30秒押し黙ったオウム「高橋克也被告」の“今も帰依” https://www.sankei.com/
高橋克也は後にこのように振り返っています。
そして、著書に記載されていた連絡先に電話をかけてみると…繋がった先は、オウム真理教の前身である「オウム神仙の会」でした。
その後、高橋克也は1987年5月に「オウム神仙の会」に入信すると、その2ヶ月後の7月には、当時の全財産である自動車と現金370万円をオウム真理教に布施して出家信者となりました。
出家当初は、高専出身の技術を買われ、教団幹部の自動車を整備や運転をする「車両班」に配属されると、若くして教団幹部となった井上嘉浩の運転手に抜擢された高橋克也。
出典:https://www.msn.com/
やがて、彼が統括する「諜報省」に移籍すると、井上嘉浩の補佐役となり、以降、オウム真理教が起こす数々の非合法活動に手を染めていくことになります。
公証人役場事務長逮捕監禁致死事件では拉致と遺体焼却の実行犯、地下鉄サリン事件では帝都高速度交通営団(現東京地下鉄)日比谷線でサリンを散布した豊田亨の送迎役を務めたとして警察から特別指名手配された。
上記の指名手配容疑以外にも会社員VX殺害事件における運転役、被害者の会会長VX襲撃事件における実行役の補佐役、東京都庁小包爆弾事件における爆弾の起爆装置製造の容疑で起訴された。
引用:高橋克也 (オウム真理教) – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/
出典:https://twitter.com/
1995年5月、警視庁により特別手配された高橋克也は、1996年11月に、埼玉県所沢市のマンションに菊地直子ら5人で潜伏していたことが判明します。
ですが、それ以降は足取りがプッツリと途絶えることに…。
2010年9月からは、逮捕につながる有力な情報提供に最大1000万円の懸賞金がかけられていました。
オウム真理教最後の逃亡犯・ 高橋克也の17年間の逃亡生活~逮捕
2011年12月31日、高橋克也同様、特別手配されていた元教団幹部の平田信が、警視庁丸の内署に出頭。その半年後である2012年6月3日には、菊地直子が逮捕されます。
出典:https://gigazine.net/
そして、6月15日、“オウム真理教の最後の特別手配犯”と呼ばれた、高橋克也が長年に渡って潜伏していた川崎市から、一駅しか離れていない蒲田のマンガ喫茶で逮捕されるに至りました。
15日午前8時半ごろ、東京都大田区西蒲田の漫画喫茶から「似ている男がいる」という通報があり、捜査員が急行。同9時15分ごろ蒲田署に任意同行して本人と確認した。高橋容疑者は一連の事件について「幹部の指示でやりました」などと供述しているという。
オウム真理教の一連の事件では2011年12月31日、元教団幹部、平田信被告(47)が警視庁丸の内署に出頭、菊地直子容疑者(40)を今年6月3日に殺人容疑で逮捕しており、警察当局は一連の事件で手配されたすべての教団信者の身柄を拘束したことになる。
95年の教団への強制捜査から17年。190人が起訴され、13人が死刑、5人が無期懲役の判決を受けたオウム真理教事件の捜査が完全に終結する見通しになった。
引用:オウム高橋克也容疑者を逮捕 逃亡生活17年 https://www.nikkei.com/
出典:https://www.nikkei.com/
公判で17年に及ぶ逃亡生活について語った高橋克也
2015年3月24日に開かれた公判で、高橋克也は約17年の逃亡生活について公の場で初めて語りました。
出典:https://txbiz.tv-tokyo.co.jp/
高橋克也は、事件についての質問には、「覚えてない」など曖昧な発言を繰り返す一方で、生い立ちや教団への入信経緯、そして約17年に及ぶ逃亡生活については雄弁に語ったと言います。
1996年に潜伏先の所沢市の教団アジトから逃亡後は…
それによると、1996年に埼玉県所沢市の教団アジトから、からくも逃げおおせた高橋克也は、その後しばらくは菊池直子と一緒にラブホテルなどを転々していたそう。
そして、2001年から2007年頃まで川崎市内のアパートで暮らしていました。
出典:https://blog.goo.ne.jp/
また、区役所に行って、近くにいた人の手続きを盗み見て住民票を取るとともに、「櫻井信哉(さくらい しんや)」という偽名を手に入れたのもこの頃だったそうです。
逃亡生活の当初は、指名手配の写真が貼ってある場所を避けていた高橋克也。
ですが、警察官とすれ違っても怪しまれなかったことから、「ひょっとしたら手配写真と全然似てないのでは?」と思うようになったのだとか。
というのも、手配写真は20代前半のパスポートの写真だったからなんですよね。
出典:https://twitter.com/
2007年頃、菊地直子がアパートを出て高橋克也の元を去る
2007年頃、菊池直子は仕事先で同じオウム手配犯・高橋寛人と偶然出会い、その直後に高橋克也と暮らしていたアパートを出て、高橋寛人との生活を始めました。
出典:http://sinzinrui.blog.fc2.com/
というのも、菊池直子は高橋克也との逃亡生活は本意ではなかったようです。
所沢のアジトから逃亡する際、菊池直子のノートが見つかったのですが、そこには高橋克也を軽蔑し、嫌悪している記述すらあったとも報じられています。
しかし、高橋克也にとっては、長年夫婦のように暮らしてきた菊池直子が、ある日突然消えてしまったことで、相当なショックを受けたと言われています。
そして、そのことが、麻原彰晃へ帰依する気持ちを強くさせたとも…。
「高橋にとって、菊地は精神的な支えになっていたはずです。だが、孤独になってしまったことで、彼にとって、自分の支えというのは、教団あるいは麻原しかないと強く思うようになってしまったのでしょう」
引用:高橋克也容疑者 麻原への強い信仰心背後に菊地直子との別れ https://www.news-postseven.com/
菊地直子逮捕後の高橋克也の逃亡生活
菊池直子が去った後も、川崎市を離れなかった高橋克也は、2011年12月まで、川崎市幸区のアパートに潜伏していましたが、契約更新によるトラブルで退居せざるを得なくなりました。
その後は、川崎市にある勤務先の社員寮に引っ越した高橋克也ですが、2012年6月4日に菊池直子の逮捕が報じられると、すぐに逃亡生活を再開しています。
警察が高橋克也が住んでいた川崎市の社員寮に踏み込んだのは、高橋克也が逃亡した3時間後だったそうです。
出典:https://twitter.com/
警察は、一般市民から情報提供を呼びかけるべく、当時の職場に提出された履歴書の顔写真を公開した他、次のような様々な細かい情報を次々と公開していきました。
・逃走直前にスーパーで逃走用に購入したとみられる青いキャリーバッグの存在
・職場関係者の証言に基づく似顔絵
・金融機関から引き下ろした200万円以外にも数百万円を所持している可能性があること
・「潜伏先は地方を避けて都会にすべき」や「駅や空港には防犯カメラが多いから避けるべき」と高橋が供述していたとする菊地の証言
・キャリーバックを購入したスーパーからタクシーに乗車する際に脚と青いキャリーバッグがわずかに映った防犯カメラの映像
・社員寮に夏服がない一方で冬服が残されていることから何着かの夏服が持ち出されている可能性が高いこと
・社員寮に防犯カメラ特集の雑誌が残されており防犯カメラに関する知識を悪用して逃亡している可能性が高いこと
・川崎駅周辺の透明なドア越しに歩く姿がわずかに映った喫茶店の防犯カメラの映像
・職場に提出された履歴書や金融機関払戻請求書に書かれた筆跡
引用:高橋克也 (オウム真理教) – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/
出典:https://www.cinematoday.jp/
結果として、連日に渡って世間の注目を集めることになったためか、市民から有力な情報が寄せられるようになり、2012年6月15日、逃亡開始から約17年後の逮捕に繋がったわけです。
高橋克也の現在【死刑執行された教団幹部も紹介】
逮捕されれば死刑になると思っていた高橋克也
高橋克也は逮捕される10日程前、逃走資金を用立ててもらおうと、かつて親しかった元教団関係者に電話をかけてきたそうです。
自首を説得する元教団関係者に対して、高橋克也は次のように述べていたのだとか。
高橋は『自分は(逮捕されれば)たぶん死刑になる。だから、もし逃げることができるものなら逃げる。ホテルや交通機関には、手配写真が配られているから、なるべく人目につかない場所にじっとしている。どこに泊まればいいのか……』と聞いてきたのです」
引用:高橋克也 逃走直後に電話で告げた「死刑になりたくない!」 https://smart-flash.jp/
出典:https://polaris.ti-da.net/
高橋克也自身、どうやら逮捕されれば死刑になると思ってたようですね。
結局、この元教団関係者から逃走資金を用立ててもらえなかった高橋克也は、仕方なく、信用金庫の自分の口座から預金238万円を引き出しました。
その時の防犯カメラの画像も、その後の逮捕に繋がることになりました。
現在、高橋克也は無期懲役が確定
2012年6月15日に逮捕された高橋克也は、公判を経て、2018年1月18日、高橋克也被告の上告を棄却する形で、1、2審判決である無期懲役が確定しています。
出典:https://newspicks.com/
オウム真理教による地下鉄サリン事件(平成7年3月)などに関与したとして殺人罪などに問われた元信者、高橋克也被告(59)について、最高裁第2小法廷(菅野博之裁判長)は、高橋被告の上告を棄却する決定をした。無期懲役とした1、2審判決が確定する。18日付。3裁判官全員一致の結論。教団による一連の事件の刑事裁判は、元教祖、麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚(62)が逮捕された7年5月から約23年を経て、全て終結する。
引用:オウム裁判終結 高橋克也被告の無期懲役確定へ 最高裁が上告棄却 https://www.sankei.com/
結局、オウム真理教事件では、192人が起訴され、13人の死刑が確定し、その後執行されています。
元教団代表の松本智津夫元死刑囚ら13人の死刑が執行される
オウム真理教最後の特別手配犯・高橋克也が逮捕され、判決が確定したことで、オウム真理教事件の被告全員の刑が確定したことになります。
これにより、法務省が死刑囚の死刑執行を本格化されると見られていたのですが…。
出典:https://www.sora-ten.com/
まず2018年7月6日に、元教団代表の松本智津夫(麻原彰晃)元死刑囚ら、7人の死刑囚の死刑執行が執行場所こそ分散されたものの、ほぼ同時刻に行われました。
残りの6人についても、同年7月26日に死刑を執行したことが発表されています。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
“オウム真理教最後の逃亡犯”とも呼ばれていた高橋克也の、約17年に渡る逃亡生活、逮捕、無期懲役が確定した現在をまとめてみました。
日本の犯罪史上、類を見ない無差別殺人事件を含む一連のオウム真理教事件。
無期懲役が確定した高橋克也にはしっかり反省して、刑を全うすることを願うばかりです。