山田和利(山田裕貴の父)の若い頃や現在!嫁と子供(息子や娘の山田麻生)・経歴や成績・自宅も総まとめ

山田和利さんは中日や広島で活躍した元プロ野球選手で、息子・山田裕貴さんの活躍も話題です。

 

今回は山田和利さんの若い頃の経歴、結婚した嫁、息子の山田裕貴さんと娘の山田麻生さんなど子供情報、自宅、現在の様子もまとめました。

山田和利のプロフィール:中日ドラゴンズ・広島東洋カープで活躍

生年月日:1965年6月3日

出身地:愛知県

所属:不明

 

山田和利さんは元プロ野球選手で元コーチでもあります。

 

現役時代には「中日ドラゴンズ」「広島東洋カープ」で内野手・外野手として活躍しました。

 

また、息子が役者の山田裕貴さん、娘がモデルの山田麻生さんであることでも知られています。

 

 

山田和利の若い頃の経歴① ドラフト4位で中日ドラゴンズに入団

 

山田和利さんは愛知県の豊正中学校を経て、東邦高校へ進学し、同校の野球部で主将を務めます。

 

しかし、当時の愛知県は中京高校が勢いづいており、甲子園へ出場するという夢は叶いませんでした。

 

一方、100m11秒6と俊足であることやキャプテンとしての資質を評価され、1983年のプロ野球ドラフト会議では中日ドラゴンズから4位指名され、入団が決定します。

 

中日は地元享栄高校のスラッガー藤王康晴を単独での1位指名に成功しました。さらに、2位では、後に兄弟プロ野球選手としてプレーした仁村徹を獲得します。山田和利は、1位の藤王と同じ愛知県の高校出身の内野手として4位での指名でしたが、実は5位指名が山本昌広であり、当時は全く注目されていませんでした。

 

引用:山田和利

 

 

山田和利の若い頃の経歴② 長い下積みの後ユーティリティープレイヤーとして活躍

出典:https://pixabay.com/

 

入団後、ファームでの育成・身体づくりからのスタートとなった山田和利さん。そのため、入団から2年間、1軍での出場機会はありませんでした。

 

3年目の1986年5月に、やっと代打としてプロ初出場を果たしましたが、同年はこの1席だけ。

 

山田和利さんは遊撃手でしたが、なかなか山田和利さんに活躍の場が回ってこなかったのには、当時球団には宇野勝さんという絶対的な遊撃手がいたからでした。

 

さらにはスーパールーキーとして、同じ遊撃手である立浪和義さんが入団。

 

すると、当時監督だった星野仙一さんは、立浪和義さんを正遊撃手とし、宇野勝さんを二塁手へコンバートするという戦略を取ります。

 

結果、内野手レギュラーが落合・宇野・立浪と完全に固定され、山田和利さんは出番を失ってしまいました。

 

しかし、1988年頃からは立浪和義さんの控えとして活躍するようになり、82試合に出場。

 

内野のすべてのポジションで活躍し、外野手までこなすという”ユーティリティープレイヤー”として重宝されるようになります。

 

落合博満、宇野勝はともに30歳を超えるベテランだったこともあって、後半の守備固めなどで、様々なポジションで貴重な働きを見せました。1試合でしたが外野手としても出場するなど、ユーティリティプレイヤーとしての地位を手に入れます。打席でも得意の俊足を披露して、チームトップの三塁打に、10盗塁、一方チーム3位の14犠打を成功させるなど小技でもチームに貢献しました。

 

引用:山田和利

 

 

山田和利の若い頃の経歴③ トレードで広島カープへ移籍

山田和利さんは1991年、「広島東洋カープ」の長嶋清幸さんとのトレード要員として、音重鎮さんと共に「広島東洋カープ」に移籍

 

「広島東洋カープ」でも、同じ遊撃手にスピードスター・野村謙二郎さん、三塁手にも江藤智さんがおり、初年度はわずか6試合の出場に。

 

すると、山田和利さんは”俊足の遊撃手”から”強打の内野手”へとポジションチェンジを図り、翌年5月には3塁手・1塁手として起用されるようになりました。

 

当時故障で欠場していた正田耕三さんに代わる形で、1塁手・2番打者に定着。

 

その後は、俊足・堅守を活かして”小技と強打を兼ね備えた打者”となり、より一層の活躍を見せました。

 

結果が振るわない時期がありつつも、1995年にはルイス・メディーナさんに代わって一塁手・外野手として定着。112本塁打、53打点をマークしています。

 

1992年、二塁手のレギュラー正田耕三は、月間MVPを獲得する絶好のスタートを切りましたが、手首の故障後は山田がスタメンを務めました。同年は93試合に出場して、打率.282、8本塁打、29打点とニュースタイルの打撃を披露します。1993年、1994年は、内野手レギュラーが万全だったため、出番が減りましたが、1995年、故障した一塁手メディーナの穴埋めをする働きを見せました。

 

引用:山田和利

 

しかし、シーズン中盤に故障を理由に無念の離脱となっています。

 

 

山田和利の若い頃の経歴④ 古巣・中日ドラゴンズに復帰するも故障で引退

出典:https://pixabay.com/

 

1996年に星野仙一さんが「中日ドラゴンズ」の監督に復帰すると、音重鎮さんと共に若林隆信さんとのトレード要員として、山田和利さんは「中日ドラゴンズ」に復帰します。

 

しかし、再び故障してしまい、やむなく現役引退を決意

 

現役時代を通じて366試合に出場しており、通算成績は865打数・227安打・22本塁打・102打点・21盗塁・打率.262でした。

 

 

山田和利の若い頃の経歴⑤ 引退後はコーチに転向

 

山田和利さんは引退した翌年の1997年から、コーチへと転身。

 

「中日ドラゴンズ」で2軍打撃→一軍内野守備・走塁→一軍打撃→2軍内野守備・走塁→2軍野手総合チーフと、様々なコーチを担当しました。

 

そして、2005年には現場を離れ、フロントスタッフになっています。

 

フロントスタッフとは?

 

スポーツクラブにおいて、いわゆる現場とは、トップチームの選手や監督、コーチを指すのですが、簡単に言うとフロントスタッフとは現場以外の活動を行う社員のすべてを指します。

 

引用:【高校生必見】スポーツチームフロントになるには? | 仕事内容や年収、おすすめの専門学校を紹介!

 

その後、2011年に「広島カープ」へと移り、2軍守備・走塁コーチに就任。翌年の2012年からは広島カープのフロントとして、球団編成を担当していました。

 

2015年には4年ぶりに現場へ復帰し、再び2軍守備・走塁コーチに就任。そして、2021年に広島カープを退団しています。

 

広島は3日、山田和利2軍内野守備・走塁コーチ(56)と沢崎俊和3軍投手育成強化担当(47)が退団することを発表した。山田コーチは11年に2軍守備走塁コーチに就任し、12年からは球団編成部を経て、15年に同コーチに復帰。18年から20年は、1軍の内野守備・走塁コーチを務めていた。

 

引用:広島山田和利2軍内野守備・走塁コーチ、沢崎俊和3軍投手育成強化担当退団

 

 

山田和利が結婚した嫁の詳細は不明

 

山田和利さんは既婚ですが、結婚時期や嫁の素性は不明です。

 

詳細を明らかにしていないことからも、一般人である可能性が高いのではないでしょうか。

 

息子である山田裕貴さんも役者としてブレイクしており、その影響を考えて顔出しなどを控えているのかもしれませんね。

 

ただ、息子の山田裕貴さんは時折母親について語ることがあります。

 

2018年公開の映画「亜人」に出演し、同年に開催された「ええじゃないか とよはし映画祭2018」のトークイベントに出演した山田裕貴さんは、会場に母親が来ていることを明かしました。

 

また、2022年9月放送の「山田裕貴のオールナイトニッポンX(クロス)」では、同年の正月に10年ぶりに実家へ帰省したエピソードを披露しています。

 

「『でっかくなってからじゃないと帰りたくない』みたいな、かっこつけたことを言ってたんですけど」と回想。続けて、家族で食事をした後、母親と2人で話したとして、「『ほんとよくここまでやってきたね』みたいなことを言われて」「『そうだな』みたいな、『地元の友達とかも絶対ここまで続けられると思ってなかったんだろうな』みたいな」と会話の内容を明かした。

 

引用:山田裕貴、“記録に残したい”と思った実家での母親との会話を明かす「10年ぶりぐらいに…」

 

山田裕貴さんいわく、母親からは18歳で上京して以降、ずっと連絡があったそう。

 

山田裕貴さんが返信せずに放置していたところ、長文の連絡が送られてきていたそうで、山田和利さんの奥様の愛情深さがうかがえますよね。

 

 

山田和利の子供① 息子は役者の山田裕貴

 

生年月日:1990年9月18日

出身地:愛知県

所属事務所:ワタナベエンターテインメント

山田裕貴さんは山田和利さんの息子で、役者として活躍中。また、俳優集団「D2」や「D-BOYS」のメンバーとしても活動しています。

 

父親の出身校でもある東邦高校を卒業後、上京。芸能事務所「ワタナベエンターテインメント」

の養成所「ワタナベエンターテイメントカレッジ」6期生となりました。

 

その後、2010年開催の「D☆DATE新メンバーオーディション」でファイナリストとなり、「D-BOYS」部門でグランプリを獲得

 

翌年の2011年に、朝日テレビ系列の特撮ドラマ「海賊戦隊ゴーカイジャー」のゴーカイブルー役で役者デビューを果たしました。

 

 

以降も、2012年放送のテレビ東京系列のドラマ「ボクらが恋愛できない理由」、2014年公開の映画「ライヴ」で主演を務めるなど活躍。

 

2017年には、「おんな城主 直虎」で大河初出演を果たしただけではなく、14本の映画に出演し、各作品で幅広い役柄を演じ切りました。

 

そして、その高い演技力から「カメレオン俳優」と称されるように。

 

さらに、2022年には「エランドール賞」で新人賞を受賞。女性向けファッション誌『ViVi』の「国宝級イケメンランキング」(アダルト部門)でも1位を獲得しました。

 

 

山田和利の息子・山田裕貴はかつて野球少年だった

 

 

山田和利さんの息子・山田裕貴さんは、プロ野球選手として活躍する父親の姿を見て「かっこいいな」と憧れ、小学校3~4年生の頃から野球を始めました。

 

強豪とされるチームに所属していたものの、レギュラーになれず、中学3年生で野球を辞めてしまったそうです。

 

山田裕貴さんは当時、「野球選手の息子」という周囲の目にプレッシャーを感じていたそう。

 

「やっぱりプロ野球選手である父を意識してしまって、プロ野球選手の息子、って看板を重く感じてて。でもやんなきゃ、やんなきゃ、って(思って)。ふと我に返った時に、あれ、これは俺の人生を生きてるのか?父親を追いかけてるのか?って分かんなくなっちゃって」。プロ野球選手の父を持つ“宿命”をプレッシャーに感じた生い立ちを語った。

 

引用:山田裕貴「プロ野球選手の息子、って看板重かった」 中3で野球辞め、甲子園で涙止まらず

 

「ガチガチにプロ野球選手目指してたんですけど、父親がプロ野球の仕事をやってたっていうこともあって。そこで、家にプロ野球の人がいるから、差を感じながら、子供の時ずっと過ごしながら…」「自分が打てたか打てないかっていうレベルの話。『打てたよ!』って言っても、『へー』くらいの、そういうところにいたんで」と話し、野球が嫌いになりかけたと回想。

 

引用:山田裕貴、プロ野球選手だった父との“差”を痛感して夢を諦めた過去「自分のせいだったって…」

 

辞めることを山田和利さんに報告すると、「やれ、とは言ってない」、「自分でやると決めたことをなぜ最後までやらないのか」とだけ言われたのだそう。

 

高校に入ると、野球部が甲子園に出場したそうですが、野球部には入らなかった山田裕貴さんは観客席にいました。

 

そして、かつてのチームメイトがグラウンドで輝く姿を見て涙が止まらなかったといいます。

 

「『何で自分でやると決めたことを続けなかったんだ』っていう父の言葉がよぎって。チームメートはすごい輝いてるし。僕は野球やめて自分で人生諦めて何やってるんだ、って。サイレン鳴ってる時から涙が止まんなくなっちゃって」と告白。「次にやる、って決めたことは死ぬまでやろう、と思ったのが、このお仕事(俳優)だった」と語っていた。

 

引用:山田裕貴「プロ野球選手の息子、って看板重かった」 中3で野球辞め、甲子園で涙止まらず

 

山田和利の息子・山田裕貴が受けた中傷と家族の思い

 

山田和利さんの息子・山田裕貴さんは、役者としてブレイクしていますが、”父親がプロ野球選手”という特殊な環境のために中傷されたこともあるといいます。

 

急激に露出が増えたこともあって、ネット上では『ゴリ押し』などと批判されたことも。また、父親が元プロ野球選手の山田和利氏であることから、『親のコネで出てるだけ』『最近よく見ると思ったら二世タレントだった。納得したわ』などと揶揄する声も少なくない。

 

引用:こ親のコネで出てるだけ『東京リベンジャーズ』揶揄する声「二世タレント」「納得したわ」映画は「超よかった」

 

現在、朝ドラ『なつぞら』でブレイク中の山田だが、父がプロ野球選手であることに触れ、野球をやっていた頃も芸能界に入ってからも、「プロ野球選手の息子なのに」「親のコネで芸能界入ったんだろ」など、いわれなき中傷に悩んだ過去を明かす。

 

引用:朝ドラブレイクの山田裕貴が涙 いわれなき中傷に悩んだ過去を告白「プロ野球選手の息子なのに…」

 

しかし、俳優ならまだしも、父親の山田和利さんはプロ野球選手です。

 

バラエティ番組などにも出演しておらず、俳優やテレビの世界にコネがあるとは思えません。現在の高い人気は、山田裕貴さんが実力でつかみ取ったものでしょう。

 

また、妹の山田麻生さんいわく、山田和利さんは山田裕貴さんに対する思いを以下のように語っているのだとか。

 

褒める父ではないですが『裕貴はよくやっている』『俺にはできないことだからすごい』と前にポロッと言っていました。今も出ている映画やドラマは必ずチェックしているし、映画館に大きく張り出されているポスターを見て『大きく名前載ってるね』とうれしそうにしていました

 

引用:山田裕貴、元プロ野球選手の父・和利氏は「本当に褒めない人だったので…」自身への“思い”に涙

 

山田和利さんは普段は息子本人には、「あの作品のあの芝居は、別にお前の芝居がいいわけじゃなくて、キャラがハマってるだけだから」などと直接は褒めないそう。

 

そのため、妹から聞いた父親のエピソードを聞いた山田裕貴さんは、「本当に褒めない人なので、なんかうれしいです」と喜びを語っていました。

 

 

山田和利の子供② 娘はモデルの山田麻生

 

生年月日:1993年3月5日

出身地:愛知県

所属事務所:STANFORD

 

山田麻生さんは山田和利さんの娘で、モデルとして活動中です。

 

詳しいプロフィールは明かされていませんが、名古屋に住んでいた頃は靴・ブーツのブランド「ドクターマーチン」やドライフラワーショップ「その灯くらし」で働いていたそう。

 

また、名古屋時代はフリーでモデルをしていたそうですが、現在は東京にある芸能事務所「STANFORD」に所属しているため、上京している可能性が高いでしょう。

 

いつ頃からモデルを始めたかなどについてもわかっていませんが、2014年頃から美容室のヘアモデルとして登場しているそう。

 

兄弟仲は良いようで、兄・山田裕貴さんが妹の山田麻生さんについて語る場面もたびたびあります。

 

山田麻生さんがインスタに投稿している写真にも、山田裕貴さんが撮影したものがありました。

 

 

山田和利の自宅:息子・山田裕貴が実家の自室を公開し話題に

 

山田和利さんは自宅の場所や詳細を非公開としていますが、愛知県名古屋市の中でも名古屋駅に近い「中村区」や「千種区」との噂があります。

 

また、2022年7月には息子の山田裕貴さんが実家の自室の写真を公開。

 

ファンのからのプレゼントが所せましと保管されている様子に大きな反響がありました。

 

僕の実家の部屋は寝る場所はない 作品で頂いたもの、応援してくださる皆様からのモノで溢れている感謝しかない ありがとう ただ、ただ、ありがとう

 

引用:https://www.instagram.com/

 

山田和利の現在① コーチ引退後の動向については不明

 

山田和利さんは、コーチを引退した後の動向について明らかにしておらず、現在どうされているのかは不明です。

 

2023年2月時点で57歳の山田和利さん。60歳で定年する方ももちろんいますが、今の時代57歳で隠居というのはまだ若すぎるような気もします。

 

出身校である東邦高校など、高校野球や少年野球に携わっていう可能性もゼロではないでしょう。

 

いずれにせよ、山田和利さんがSNSをやっていない以上、その現在について知るすべがなく、山田裕貴さんからの発信を待つしかなさそうです。

 

 

山田和利の現在② 息子・山田裕貴が大河に出演

 

山田和利さんの息子・山田裕貴さんは現在も役者としてまい進中。2023年放送の大河ドラマ「どうする家康」に本多忠勝役で出演しています。

 

山田は生涯戦うこと57回、かすり傷一つも負わないといわれる戦国最強武将のひとり・本多忠勝役で出演。男気があり義を重んじ、筋の通らないことは大嫌い。女性にはものすごい奥手な一面も持つ役どころを演じる。

 

 

引用:山田裕貴「どうする家康」役への思い・人物像を語る「自然と涙が出た」

 

また、同年4月からは主演ドラマ「ペンディングトレイン―8時23分、明日 君と」がTBS系列で放送予定。同作は、山田裕貴さんにとって初のゴールデンプライム帯での主演作です。

 

この作品は、たまたま電車に乗り合わせた人たちが未来の何もない世界にワープしてしまうという非現実的なお話です。まさにそんな物語と同じで、僕自身GP帯連続ドラマ初主演ということが今はまだ不思議な気持ちでいっぱいです。主演だからとは気負わずに、これまでの作品同様“役を生きる”ことを大切に、共演者やスタッフの皆さんに助けてもらいながら頑張りたいなと思っています!

 

引用:山田裕貴、GP帯連続ドラマ初主演決定「今はまだ不思議な気持ちでいっぱい」 4月スタートTBS『ペンディングトレイン―8時23分、明日 君と』

 

さらに、同月には映画「東京リベンジャーズ2 血のハロウィン編 -運命-」も公開するなど、数多くの作品から引っ張りだことなっています。

 

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=3AIjldkVNzM]

 

 

 

まとめ

山田和利さんは元プロ野球選手で、現役時代は「中日ドラゴンズ」「広島東洋カープ」で活躍。引退後は両球団でコーチを務めていました。

 

結婚した嫁については詳細が不明ですが、子供たちは息子の山田裕貴さんが役者、娘の山田麻生さんがモデルとして活躍しています。

 

2021年に退団して以降、どう過ごされているのかわかっていませんが、まだまだお若いため、少年野球や高校野球などに携わっていく可能性もあるでしょう。

 

SNSをされていないようなので、今後は山田裕貴さんからの発信に期待したいですね。

 

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