かつて実力・人気ともにトップクラスの野球選手だった二岡智弘さんですが、山本モナさんと不倫していた過去が話題です。
今回は二岡智宏さんのプロフィール、嫁や子供、山本モナさんとの不倫騒動、現在をまとめてみました。
この記事の目次
二岡智宏のプロフィールと現在までの経歴
生年月日:1976年4月29日
出身地:日本広島県三次市
身長:180cm
二岡智宏さんは、元々プロ野球選手やコーチなどとして活動をしていました。また、現在はBCリーグ・富山GRNサンダーバーズなどの監督を務めています。
プロ入り前
1993年、当時高校2年生の秋に、翌春の選抜高校野球大会の実質的予選となる広島県秋季大会に選手として出場を果たしました。
その後の10月2日、同大会の準決勝の応援に向かう途中、両親が交通事故に遭ってしまい、後にこの時の事故がもとで父親が他界。
これをきっかけとして、親が交通事故に遭ってしまった小学生・中学生を試合に招待するなど、プロ入り後に活動を行うようになりました。
高校卒業時に、プロからの誘いがありましたが、元々大学への進学を希望していたこともあったのでこのプロの誘いを断り、近畿大学へと進学しています。
そして近畿大学では、1年生の時からレギュラー入りを果たし、7期連続でベストナイン、関西学生のリーグ通算歴代では1位の13本塁打、歴代2位の通算114安打などを記録。
藤井彰人さんたちと共に、大学日本一など多くのタイトルに貢献しています。
巨人を逆指名
1998年に開催されたドラフトでは、二岡智宏さんの獲得を巡り、地元球団である広島東洋カープの他に、読売ジャイアンツ、阪神タイガースなどが争うこととなりました。
最終的に、ドラフト開催の直前になって一気に交渉を進めて巻き返しを行った読売ジャイアンツを、二岡智宏さんは逆指名しました。
この二岡智宏さんのドラフト指名の件については、2012年3月15日に朝日新聞朝刊にて、疑惑が報じられています。
記事によると、読売ジャイアンツから二岡智宏さんに5億円が支払われていたんだとか。
さらに、退団時には功労金7千万円+出来高3千万円という、様々な高金額が二岡智宏さんに支払われていたとも報じられています。
ただし、本人が語ったわけではないので真相は不明です。
巨人時代
出典:https://image.entertainment-topics.jp/
ルーキーイヤーの1999年、読売ジャイアンツに入団をすると、長らく読売ジャイアンツの遊撃手のレギュラーとして活躍していた川相昌弘さんから、ポジションを奪取しました。
126試合に出場し、打率.289と18本塁打といったかなりの好成績を残しており、新人王に選ばれてもおかしくありませんでした。
ですが、同期入団で投手主要タイトルを総ナメにしていた上原浩治さんが新人王に選出されたため、二岡智宏さんは残念ながら選ばれませんでした。
ふくらはぎの肉離れ、右足首の捻挫、ふくらはぎ痛など、様々な怪我をしており、二軍落ちしたこともあったものの、2008年には、読売ジャイアンツの第15代目選手会長に就任しています。
日本ハム時代
2008年11月14日に、マイケル中村さんと工藤隆人さんとの交換トレードによって、林昌範さんとともに日本ハムへの移籍が決定しました。
前述の通り、当時二岡智宏さんは第15代目巨人軍選手会長でしたが、任期1年での解任と選手会長がトレードに出されたのは異例中の異例と言われており、球団史上初となっています。
トレード先の日本ハムでも、足の故障や右肘の手術を行うなど、体の調子が悪く、だんだんと出場数が減ってくるようになりました。
そして、2013年10月3日に日本ハムの球団から戦力外通告を受けてしまいました。
現役引退後
そして二岡智宏さんは、2014年1月9日に現役の引退を表明しました。
引退を決めた理由について、「走・攻・守の全部をすることができないと意味がない」という表現を使い、下半身の故障で守備や走塁を満足にこなせなかったことを挙げていました。
また、自分自身の15年間の野球選手としての現役生活については、怪我が多かったことに対しては悔いがないと述べており、完全燃焼できたという言葉を述べていました。
そして引退後は、古巣である巨人と業務委託契約を締結し、2016年からは、巨人の二軍打撃コーチに就任しています。3年ぶりの現場復帰になりました。
また、2017年からは一軍打撃のコーチへと就任しています。しかしながら、2018年10月22日には退任が発表されています。
2018年11月8日には、ベースボール・チャレンジ・リーグの富山GRNサンダーバーズの監督就任で合意をしたことが発表されましたが、2019年シーズン終了後の9月17日に退任が球団から発表されました。退任の理由は明らかにされていません。
2020年から読売ジャイアンツに三軍総合コーチとして復帰することが、2019年11月29日に発表されました。その後、2020年8月1日からは三軍監督に就任。
2021年10月、二軍監督代行に就任し、2022年より正式に二軍監督に就任しています。
その他
2011年3月11日に発生をした東日本大震災=東北地方太平洋沖地震では、義援金として日本赤十字社を通じて200万円を寄付しています。
趣味は野球ではなく、ゴルフと言われています。
富山の監督に就任した際には、富山での生活について聞かれ、「ゴルフクラブを持っていけば大丈夫かなと思っています」などと返答したほどの、かなりのゴルフ好きのようです。
二岡智宏の嫁・用稲千春や子供とは
二岡智宏さんは、2005年にフリーアナウンサーの用稲千春さんと結婚しました。
用稲 千春(よういね ちはる、1974年3月26日 - )は、日本の元タレント、元東日本放送アナウンサーである。本名は二岡 千春(におか ちはる)で、1990年代後半から2000年代に、アナウンサーとして活動した。
大学在学中にミスキャンパス「ミス成蹊大グランプリ」を受賞し、大卒後の1996年(平成8年)にアナウンサーとして東日本放送へ入社してニュース番組などに出演した。2001年(平成13年)に退職してセント・フォース所属のフリーアナウンサーになった。
用稲千春さんは結婚後、アナウンサーを辞めて家庭に入ったそうで、現在は普通の主婦として生活をしていると言われています。
子供は、2007年6月に第1子の長男、2016年10月1日に次男が誕生をしているなど、2人の子宝に恵まれています。
二岡智宏と不倫・山本モナのプロフィールや騒動について
出典:https://img-s-msn-com.akamaized.net/
生年月日:1976年2月11日
出身地:日本広島県尾道市
身長:168cm
朝日時代の主な出演番組:ガラスの地球を救え 遊ぼう!!水と太陽と!、ムーブ、歴史街道 〜ロマンへの扉〜など
フリー転身後の主な出演番組:クイズ!ヘキサゴンII、ロンドンハーツ、芸能人格付けチェック!これが真の一流品だ!2010お正月スペシャルなど
山本モナさんは、元々はアナウンサーとして活躍し、その後タレントとして活動をしています。
1982年の当時6歳だった時に日本へ帰化しました。母親は日本人であり、父親は三光汽船にて外国航路に乗務していたノルウェー人の航海士でした。
福山暁の星女子中学校・高等学校を卒業後、学習院大学法学部法学科を卒業し、その時に法学の学士号取得しました。その後、2011年にウェールズ大学にて、経営学修士を取得しました。
1998年になると、朝日放送へ入社を果たしました。そして、2001年より報道局に異動となり、同時にアナウンス部の兼務となりました。そして、2004年にアナウンス部へ復帰をしました。
2005年6月に、朝日放送を退社して、その後フリーアナウンサーとなり、オフィス北野へ所属しています。
2006年9月には、『筑紫哲也 NEWS23』のキャスターに抜擢されましたが、体調不良を理由として、わずか1ヶ月後の10月3日から休むようになり、10月23日付けで降板してしまいました。
しかしながら、その後の2007年1月1日に、『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』というテレビ番組にて、見事テレビに復帰を果たしました。
そして、2008年7月に放送が開始されたフジテレビの情報番組『サキヨミLIVE』にて、再びキャスターとして復帰しています。
しかしその直後、同じ広島県出身のプロ野球選手・二岡智宏さんとの不倫が報じられました。
2008年7月6日に、「東京都品川区五反田のラブホテル街に出入りしていた」という記事が、2008年7月10日発売の女性週刊誌『女性セブン』に、写真付きで不倫スキャンダルとして掲載されてしまいました。
その結果『サキヨミLIVE』への出演はたった1回のみで降板しています。
同日からは、テレビ・ラジオ出演を無期限にて自粛・謹慎することが、所属事務所のオフィス北野より発表されました。
そして、年明けとなる2009年1月20日に『大竹まこと ゴールデンラジオ!』において、メディアに再復帰を果たしました。
この放送は、聴取者からは8割程度の支持を得るなど、かなりの好意的に迎えられました。
2010年8月になると、自身のブログにて一般男性との結婚を発表、挙式後にタレントを引退することを示唆しました。
そして、2011年6月30日に芸能界引退を発表、同日付にて引退をしました。
2013年3月になると、芸能活動の再開を発表し、個人事務所「株式会社ARIES」を立ち上げるなど、経営者としても活動しています。
二岡智弘の現在~嫁と離婚の噂について
二岡智宏さんと奥様の用稲千春さんですが、二岡智宏さんが山本モナさんと不倫したことで離婚したのでは、という噂がかなり広まっていました。
しかしながら、実は離婚はしていません。
それどころか、今回の山本モナさんとの不倫という過ちは許し、その代わりとして野球選手としてしっかり結果を残して来るように、と叱咤激励をしたと言われています。
不倫をして、かなり大きく報道されていたことにより、奥様の用稲千春さんからすれば、心身ともにかなりショックだったと思われます。
そんな中、このようにしっかりと旦那である二岡智弘さんを信じて許していることから、かなり器の大きくて優しい、そして二岡智宏さんを愛していることが伝わってきますよね。
なかなか真似できるものではありません。
しかしながら、不倫後の二岡智宏さんは残りの野球選手生活にて良い成績を残すことができず、戦力外通告を受けてしまい、その野球選手生活に幕を下ろしてしまいました…。
二岡智弘さんは2022年より正式に読売ジャイアンツ二軍監督に就任しており、現在は監督として活躍しています。
今後一切、二岡智宏さんには不倫など嫁さんやお子さんを泣かせてしまうようなことをして欲しくないですね。
二岡智宏と不倫した山本モナのその後・現在
そんな二岡智宏さんと不倫していた山本モナさんの現在ですが、実は二岡智宏さんとの不倫が初めてではなく、発覚したのはなんと2回目でした。
ちなみに、1回目の不倫は2006年で、相手は当時民主党政策調査会長代理であり、イケメン政治家と人気があった衆議院議員の細野豪志さんです。
やはり2度の不倫はかなり印象も悪く、芸能活動への大ダメージとなったことは間違いありません。
不倫報道後は、キャスターとしては復帰できておらず、タレントとして活動するも、一時期は不倫をいじられるなど「汚れ役」ばかりでした。
なかなか世間のイメージが変えられないまま、一般人男性との結婚と芸能界引退を発表した山本モナさん。
2度も人の道を踏み外していては真実を伝えるキャスターでの起用は厳しく、スポンサー企業のイメージも左右するためバラエティ番組でも敬遠され、引退はやむを得なかったのでしょう。
一般男性と結婚後は、妊活の様子や3人の子宝に恵まれた生活、そして講演会など、日々をブログにアップされています。
また、2013年には芸能界へ復帰宣言をし、芸名を「中西モナ」と改名していたのを2014年に「山本モナ」に戻しています。
二岡智弘さんとの不倫報道から5年以上が経ち、世間のほとぼりも冷めたと思ったのか、知名度が高い山本姓に戻したのかもしれません。
ただ、今のところ目立った芸能活動は見受けられません。
やはり現在の日本では、不倫に対するイメージは相当悪く、積極的に山本モナさんをテレビで使おうというチャレンジャーな人物や企業はいないようです。
不妊治療や病気を乗り越えて授かった3人のお子さんの母親として、今後は誠実に生きていってほしいものです。
まとめ
二岡智宏さんのプロフィールや野球人生、嫁や子供、山本モナさんの不倫報道、現在についてまとめてみました。
クリーンなイメージの強い野球選手の中でも、さらに読売ジャイアンツのスター選手という人気者だった二岡智弘さん。
山本モナさんとの不倫をきっかけに、転落人生を歩むことになってしまいました。
現在はお互いがそれぞれの道に邁進し、それぞれの伴侶と幸せな生活を送っているようです。
今後も家族のために、しっかりと頑張ってほしいですね。