「水の怪物」との異名を持ち数々の記録を打ち立てた水泳選手・マイケルフェルプスさんですが、努力の人としても知られています。
今回はマイケルフェルプスさんの若い頃や記録、食事方法や名言、引退後の現在もまとめました。
この記事の目次
マイケルフェルプスのプロフィール
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Michael Fred Phelps(マイケル フェルプス)
生年月日: 1985年6月30日
生誕地:アメリカ合衆国
身長:193cm
体重:88kg
ニックネーム: 水の怪物
マイケルフェルプスの若い頃① ADHD(注意欠陥多動性障害)だった
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これまで水泳競技で目覚ましい世界記録を保持し、獲得したメダルが圧倒的な数として知られるマイケルフェルプスさん。
日本でも人気の競泳選手ですが、決して恵まれた境遇ではありませんでした。それどころか、逆境と言っても過言ではない境遇を這い上がり、頂点に上りつめたのです。
水泳界に名を知らしめるまでの若い頃を振り返ってみましょう。
幼少期のマイケルフェルプスさんは、じっと座っていられず、注意されても静かに出来ない子供でした。
病院で出た診断結果から、発達障害の1つと指定されている「ADHD(注意欠陥多動性障害)」だったことが判明したのです。
しかし、マイケルフェルプスさんの母親は絶望することなく、前向きにADHDを捉えました。
興味のあることに集中力を全て使うから、それ以外の場面で集中できないのだ、と考えたのです。
さらに母親は、一点に集中力が突き抜けた息子は、きっとスポーツに向いている、と考えたようです。
ADHDとはどのような病気なのか?
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ADHDとは、1つのことに集中が出来ない不注意や、じっとしていられない過活動、考えるよりも先に体が動いてしまう衝動性が特徴です。
6歳頃あたりから症状が出始め、意識して集中しようとしても防ぐことが難しく、両親や教師から叱られ続けて成長するため、辛い思いをすることが多いと認識されています。
通常は薬物療法を試みるケースが多く、マイケルフェルプスさんもリタリンという薬を2年に渡り服用してきました。
マイケルフェルプスの若い頃② いじめられっ子だった
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幼いマイケルフェルプスさんの外見特徴は、背が高くひょろりと痩せて、耳が大きいというものだったようで、学校では外見をからかわれていじめに遭っていたのです。
当時について、CNNでインタビューを受けたことがありました。
マイケルフェルプスさんが語ったところによると、「当時は少し落ち込んだりもした。乗り越えるとどうでも良くなり、好きなことを楽しんでいた」とのこと。
逆境にあっても物事を前向きに考えられる、打たれ強さはアスリートとして生き抜くことに大いに役に立ったことでしょう。
マイケルフェルプスの若い頃③ 水泳に出会い頭角を現す
コーチの考案したトレーニング方法がマッチした
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水泳に出会ったマイケルフェルプスさんは、みるみる上達して10歳の時に同じ年齢のベストタイムを打ち破っています。
そしてその頃に出会ったコーチであるボブ・ボーマンさんは、その才能をすぐに見抜き、更なる高みを目指すためにトレーニング方法を考えて実践しました。
マイケルフェルプスさんの泳ぐ姿を撮影して、何度も見る習慣を付けさせました。自身の泳ぎを覚えさせるためです。
漫然と見るだけではなく、細部にも拘りを持たせました。脳内でイメージする姿に水の感触や、どのようにストロークしいくのか、どんなターンなのかに注目したそうです。
何千回にも及ぶイメージトレーニングは、いつしかどのような環境でも冷静になれる、というアドバンテージを持つことへと繋がったのです。
水泳によってADHDを克服した
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水泳に恐ろしい集中力で挑み続けたある日のこと、マイケルフェルプスさんは母親に「もうこれは飲みたくないよ。友達は飲んていない。僕も(飲まなくても)できるよ」と伝えました。
ADHDの薬であるリタリンの服用停止を訴えたマイケルフェルプスさんは、水泳のおかげでいつしか、薬がなくても通常生活を送れるようになっていたのです。
マイケルフェルプスはゴーグルが壊れても泳ぎ切る
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コーチのボブ・ボーマンさんは、日頃のイメージトレーニングの成果として、大会前の調整試合が始まる前に、ゴーグルを密かに踏んづけました。
マイケルフェルプスさんがそれに気が付かないままレースは開始され、プールに飛び込んですぐにマイケルフェルプスさんのゴーグルに水が入り、視界がぼやけ始めます。
普通の人であれば、慌てふためきレースはガタガタになりますが、影響を一切受けずにゴールしたマイケルフェルプスさん。
日頃のイメージトレーニングにおいて往復に必要なストローク数を知っていたおかげで、カウントを自身で行い、プールの壁も見つけることができたのだとか。
ゴーグルが急に壊れたことに不思議そうな顔をして戻ってきたマイケルフェルプスさんに、コーチはゴーグルを踏んだことは一切口にせず、「よくやった」と褒め称えたのです。
マイケルフェルプスの輝かしい記録まとめ
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これまでに樹立した、マイケルフェルプスさんの輝かしい記録を振り返ってみましょう。
過去の五輪においてメダルの数は28個、金メダルの数は23個と歴代1位の記録を打ち立てました。
マイケルフェルプスは15歳で世界記録を更新!
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2001年3月に行われた大会でマイケルフェルプスさんは、弱冠15歳で200mバタフライの世界記録(2001年当時)を更新し、史上最年少レコード保持者として認定されました。
さらに同年、福岡で行われた世界水泳福岡大会において200mバタフライの種目で自身が打ち立てた世界記録をさらに上回り、再度世界記録を更新しています。
2002年からは個人メドレー競技にも参入し、400m個人メドレーにおいて世界記録を更新。
このように次々に世界記録を更新し、「水の怪物」としての才能を世界中に見せつけることになりました。
王者イアン・ソープを大差で破る
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2003年に行われた世界水泳バルセロナ大会において、当時の王者として君臨していたイアン・ソープさんとの一騎打ちが話題になりました。
200m個人メドレーで世界記録を更新し、2位に入賞したイアン・ソープさんに3.6秒という大差をつけて圧勝。
さらに、4x200mフリーリレーにおいて、自由形長距離選手の中で第1人者と名高いグラント・ハケットさんに大差をつけてバトンを渡しています。
元からバタフライメインで行ってきた競技生活に、自由形に力を入れることに繋がりました。
北京五輪で夢の8冠達成
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2008年の北京五輪において、9日間で17レースというハードなスケジュールにも関わらず、全種目で金メダルを獲得したことで夢の8冠を達成したマイケルフェルプスさん。
8冠はオリンピックにおいて初の快挙となり、世界中で大きな話題として取り上げられました。
中でも、注目を浴びた競技は100mバタフライ。2位との選手の差は0.01秒で、劇的な勝利をもぎ取っていたのです。
バタフライはゴールタッチを決めにくい競技とも言われていますが、マイケルフェルプスさんは術力に優れており、競った状況でゴールタッチを決める場面がこれまでも何度もありました。
8冠という前人未到の偉業に対してオリンピック委員会は、功績を称えて記念品が贈呈されています。
ロンドン五輪で同種目3連覇を達成
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2012年に開催されたロンドン五輪においては、100mバタフライ、200m個人メドレー、4×200mフリーリレー、4×100mメドレーリレーで金メダルを獲得しました。
フリーリレー、メドレーリレーにおいて、同種目3連覇の偉業を達成しています。
マイケルフェルプスの食事方法がスゴイと話題に
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前人未到の偉業を達成したマイケルフェルプスさんの食事がスゴイ、と各種メディアで取り上げられました。
凄まじいまでの食事管理の一部を紹介します。
1日に12000カロリーを摂取する
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成人男性の摂取カロリーは、平均1800カロリーから2000カロリーと言われています。
それに対してマイケルフェルプスさんは、1日で12000カロリーという膨大な量の食事を摂取します。
ちなみに、大相撲の力士でも1日の平均摂取カロリーは8000カロリーであることを鑑みても、マイケルフェルプスさんのカロリーの多さは際立っていますね。
例えば、ある日の朝食は卵5個のオムレツ、フレンチトースト3枚、チョコチップパンケーキを3枚、卵やチーズ・マヨネーズを挟んだサンドイッチ3つと、恐ろしい量を平らげています。
また、夕食に登場するパスタは4人分をペロリ。しかし実は、パスタが好きで食べているではなく、無理に食べているのだそうです。
水泳選手は消費するカロリーが激しいことが知られており、食事量は他の競技選手よりも多めに設定されていますが、それでも平均6000カロリーと言われています。
その倍をマイケルフェルプスさんが食べる理由として、イギリスのデイリーメール紙電子版によると「一般的な選手よりも練習量が多く、食べた物をすぐに消費している」としています。
また、テレビのインタビューにおいて勝つ秘訣について、「食べて、寝て、泳いだ。私がやったのはそれだけです」と、シンプルに語ったマイケルフェルプスさん。
驚異的な練習量と食事量を、1日も休むこともなく継続した力こそが鍵だったと言われています。
マイケルフェルプスがうつ病になった理由とその後
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前人未到の偉業を達成したマイケルフェルプスさんは、うつ病に悩まされた過去をカミングアウトしています。
どのような症状に悩み、乗り越えてきたのでしょうか。
五輪うつだった
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マイケルフェルプスさんが初めてうつ状態を自覚したのは、2004年に開催された五輪後だったようです。その後も五輪が終わると気持ちが落ち込む、というサイクルを繰り返してきました。
五輪の終幕と共に深刻なうつ状態になり、4日間家に閉じこもり食事も睡眠も取らなくなってしまうのだとか。
マイケルフェルプスさんが語るには、「打ち込んでいた水泳も続けたくない、生きているのも辛くなる」とのこと。
もっと病状が悪化すると、本気で死を選ぶことを考えてしまう程に重症になったこともあるそうです。
うつが引き起こした不祥事
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マイケルフェルプスさんは、初めて五輪メダルを取った2004年11月に酒気帯び運転で逮捕されています。
実は9歳の頃に両親は離婚していたようで、母親と姉2人と過ごし、家族の誇りでなくてはならないというプレッシャーに疲弊し、気が付いたらアルコール依存症に陥っていたそうです。
また2008年秋には、大麻を吸う時に使用するパイプを咥えたマイケルフェルプスさんの姿が激写され、物議を醸し出しました。
マイケルフェルプスさんは大麻吸引の事実を認めた上で、「何かから逃げ出したいと思った時の手段だった」と語っています。
回復のきっかけは気持ちを口にしたこと
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飲酒や大麻に走ったのは安易な逃げ道だったと悟り、治療施設に入ったマイケルフェルプスさんさんは、看護師に「嫌な気分だ。むしゃくしゃする」と当たり散らしました。
しかし、気持ちを口に出してみると不思議なことに気持ちが落ち着くと気が付き、生きることが楽になったのだとか。
それからは、「心の病気は弱点ではない。みんな助けを求めている」と考えるようになり、「うつな状態」と真っすぐ向き合えるようになったと語っています。
マイケルフェルプスの名言まとめ
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世界最大級の栄光と、生きることが辛いと感じる程のどん底を味わったマイケルフェルプスさんならではの名言を紹介します。
名言① 限界を定めない
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どんなことにも、限界を定めることなんてできません。夢見れば夢見るほど、得るものがあるでしょう。
何度も世界記録を更新してきたマイケルフェルプスさんならではの言葉ですね。
この言葉に勇気を貰った人も多いのではないでしょうか。
名言② 一心にやる
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最も重要なのは、誰かに君はダメだと言われた時、一心にやればすべて実現可能だということ。
周囲からどれほどネガティブなことを言われてもブレずに、ひたむきに取り組むことが大事なようです。
名言③ やるべきことは全て達成した
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水から出る時に『やるべきことは全て達成した』、そう言って終わりたいんだ
どんな状況でもベストを尽くし、後悔をしたくないという思いが伝わる名言です。
マイケルフェルプスの現在① すでに引退している?
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華々しい競泳生活を送ってきたマイケルフェルプスさんですが、現在の活動に注目が集まっています。引退しているとの噂は本当でしょうか。
引退後はメンタルヘルス向上意識活動へ
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2016年のリオデジャネイロ五輪を最後に、競技の世界から引退すると表明したマイケルフェルプスさん。
しかし、2012年に一度引退を表明してから2014年に現役復帰した過去があったことから、今後また復帰の可能性もあると言われています。
現在は、オーストラリアにあるメンタルヘルス関連企業の「Medibio」に役員待遇として迎えられ、自身でもメンタルヘルス向上に向けた取り組みを行っているんだとか。
同じような症状で悩む人に対して、助けになりたいと願っているようです。
マイケルフェルプスの現在② イクメンとして話題に
2016年のリオデジャネイロ五輪後に、極秘結婚していた事実が明らかになったマイケルフェルプスさん。嫁や子供について調査しました。
嫁は元ミスカリフォルニア!
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嫁は、ニコール・ジョンソンさんという名前の女性で、詳細については不明です。
判明していることは、ミス・カリフォルニアUSAコンテストにおいて優勝する程の美貌の持ち主であるということです。
2人は2007年に交際をスタートしています。一度別れたものの数年後に復縁し、2015年に、マイケルフェルプスさんからプロポーズを受けたそうです。
2人の間には、子供も生まれています。リオデジャネイロ五輪には、ニコール・ジョンソンさんが長男のブーマー君を連れて応援に行きました。
引退後も健康のために水泳や各種トレーニングを続けているマイケルフェルプスさんは、息子をあやしながら腹筋をする画像がアップされるなど、育児を楽しんでいる様子がうかがえます。
まとめ
出典:https://front-row.jp/
マイケルフェルプスさんは、幼い頃はADHDやいじめ、両親の離婚など決して恵まれた環境ではありませんでした。
母親の勧めで始めた水泳で才能を発揮し、15歳にして史上最年少の世界記録更新者として一躍有名に。
その後も、満足せず次々に世界記録を更新し「水の怪物」と呼ばれるようになりました。
そして、五輪のメダル獲得数は史上最多の28個を記録しています。
2016年を最後に競技生活から引退し、現在はメンタルヘルス向上の活動を行っています。
私生活においては、2人の男児の父親としてイクメンの一面も持ち、リラックスした生活を送っているようです。
公私共に充実するマイケルフェルプスさんの、これからの活動にも期待されています。