羽野晶紀さんは役者・タレントで、旦那の和泉元彌さんとの仲や嫁姑の確執が長きにわたって注目を集めています。
今回は羽野晶紀さんの若い頃の経歴や結婚エピソード、息子と娘、子供たちが通う学校や自宅、現在の様子をまとめました。
この記事の目次
- 羽野晶紀のプロフィール:役者で和泉元彌の嫁として有名
- 羽野晶紀の若い頃の経歴① 関西ローカルで女子大生タレントとして活動
- 羽野晶紀の若い頃の経歴② 劇団☆新感線に所属し、役者としても始動
- 羽野晶紀の若い頃の経歴③ ”浪速のキョンキョン”として大人気に
- 羽野晶紀の若い頃の経歴④ 役者として数多くの映画・ドラマに出演
- 羽野晶紀の若い頃の経歴⑤ 情報番組のレギュラーや司会も担当
- 羽野晶紀が結婚した旦那は狂言師・和泉元彌
- 羽野晶紀の旦那・和泉元彌のプロフィール
- 羽野晶紀と姑・節子との関係…当時話題となった嫁姑問題は本当?
- 羽野晶紀の子供① 息子と娘が1人ずつ・どちらも狂言師に
- 羽野晶紀の子供② 子供たちの学校は?幼稚園・小学校は公立だった?
- 羽野晶紀の子供③ 子供たちのいとこ・慶子も狂言師に
- 羽野晶紀の自宅は東京都文京区にある?
- 羽野晶紀の現在① 役者・タレントとして今も現役で活躍中
- 羽野晶紀の現在② 離婚疑惑のあった和泉元彌との関係は?
- まとめ
羽野晶紀のプロフィール:役者で和泉元彌の嫁として有名
生年月日:1968年8月22日
出身地:京都府
所属事務所:リコモーション→東宝芸能
羽野晶紀さんは役者で、タレントとしても活躍。本名は「山脇晶」というそうです。
また、狂言師・和泉元彌さんの嫁であることでも知られています。
結婚を機に、芸能活動を一時休業していた時期がありましたが、現在も芸能界で活動されています。
羽野晶紀の若い頃の経歴① 関西ローカルで女子大生タレントとして活動
羽野晶紀さんは京都府立西宇治高等学校出身。笑福亭鶴瓶さんが司会を務めていた朝日放送の番組「9年9組つるべ学級」に出演したことを機に、芸能界入りを果たしています。
その後、大阪芸術大学の芸術学部舞台芸術学科へと進学。
大学生活と並行して芸能活動を続け、同じ朝日放送のローカル番組「ナイトinナイト」内の企画「おっちゃんVSギャル」に”女子大生回答者”としてレギュラー出演していました。
この番組内で見せた個性的なキャラクターが視聴者に受け、同番組で司会を務めていた桂三枝(現在の六代目桂文枝)さんからもよくいじられていたそうです。
ちなみに羽野晶紀さんの父親が八百屋を経営していたことから、番組内ではたびたび”八百屋の娘”キャラとしていじられていたのだとか。
羽野晶紀の若い頃の経歴② 劇団☆新感線に所属し、役者としても始動
羽野晶紀さんは大学在学中に役者としての活動をはじめ、当時はまだ学生劇団の1つであった「劇団☆新感線」に所属しました。(大学自体はその後中退)
同劇団の同期には、渡辺いっけいさん・筧利夫さん・古田新太さん・高田聖子さんというそうそうたる面々がそろっており、その中でも周栄良美さんとは大親友の仲だったといいます。
その後、関西に小劇場演劇ブームが訪れ、劇団☆新感線もそのブームの渦中に。羽野晶紀さんも関西ローカルを中心としたテレビ番組に出演するようになりました。
その中でも、1989年に放送されていた読売テレビのコント番組「現代用語の基礎体力」がヒット。
槍魔栗三助(現在の生瀬勝久)さん演じる怪人にさらわれるお嬢様役で注目を集め、ブレイクを果たします。
羽野晶紀の若い頃の経歴③ ”浪速のキョンキョン”として大人気に
羽野晶紀さんはブレイク後、CDデビューも果たすなどアイドル的な人気を得るように。
全国的な知名度はそれほどありませんでしたが、関西地区では”浪速のキョンキョン”と評されるほどだったのだとか。
ちなみに、羽野晶紀さんはこれまでに6枚のシングル、2枚のアルバムを発売。
秋元康さんやピエール瀧さんらも作詞で携わっており、歌手活動が本格的なものだったことがうかがえますね。
君のために雪を降らそう(1991年11月21日)
Too Lucky!(1992年6月19日)
キスをしよう(1992年10月21日)
ララ・サラマ(1992年12月16日)
ショーガクセー イズ デッド(1993年5月12日)
羽野晶紀の若い頃の経歴④ 役者として数多くの映画・ドラマに出演
羽野晶紀さんは全国区の知名度を得て以降、数多くのドラマ・映画に出演しています。
特に朝の連続テレビ小説に多数出演しており、1990年放送の「京、ふたり」、2019年放送の「スカーレット」、2021年放送の「舞い上がれ!」に出演。
羽野晶紀さんは主演作品こそ少ないものの、人気作品や2時間ドラマで強いインパクトを残しており、いわば各作品におけるスパイス的な存在。
過去作でいうと、1992年にTBS系列で放送されていたドラマ「愛はどうだ」や、1993年にスタートしたドラマ「帰ってきたOL三人旅シリーズ」などに出演しています。
また、1999年にNHKで放送された時代劇「元禄繚乱」、2000年にテレビ朝日系列で放送されていたドラマ「科捜研の女 第2シリーズ」などにも出演しました。
映画については出演本数が少ないものの、「平成モスラシリーズ」にベルベラ役で出演していたことで知られており、「ミナミの帝王」や「円卓 こっこ、ひと夏のイマジン」にも出演。
2002年から2007年頃までは結婚・出産のために芸能活動を一時休止。復帰後は、再び役者・タレントとして活躍し始めました。
ちなみに、2008年には読売テレビで放送されたバラエティ番組「現代用語のムイミダス ぶっとい広辞苑」で勝手知ったる生瀬勝久さん・古田新太さんらと新作のコントを披露。
昔ながらのファンからは歓喜の声があがっていました。
羽野晶紀の若い頃の経歴⑤ 情報番組のレギュラーや司会も担当
羽野晶紀さんは芸能界復帰後、役者としてだけではなくタレントとしても活躍。
TBS系列の情報番組「2時っチャオ!」、読売テレビのニュース番組「かんさい情報ネットten!」、東京MXテレビのワイドショー「ハーフタイム」で曜日レギュラーを務めていました。
また、NHKで放送されていた女性向け講座番組「おしゃれ工房」では司会も務めています。
羽野晶紀が結婚した旦那は狂言師・和泉元彌
羽野晶紀さんは2002年に、狂言師・和泉元彌さんと結婚。
1998年公演の舞台「ロミオとジュリエット」での共演が交際のきっかけとなったそうです。
また、結婚と同時に妊娠を発表しており、羽野晶紀さんは芸能活動を一時休止。その後、2度の出産を経て芸能界へと復帰しています。
復帰後久々のテレビ出演となったのが、2004年に日本テレビで放送されたトークバラエティ番組「いつみても波瀾万丈」。
しかし、トレードマークであった関西弁が封印されており、一部の視聴者の間では「狂言師の嫁として出演しているからだろうか」と推測する動きもあったようです。
子供にも恵まれ、順風満帆かと思われた和泉家ですが、2007年に各スポーツ紙が夫婦の別居を報道。「離婚危機か」とまで報じられていました。
しかし、実際には別居が「別火」によるものだと判明しています。
神職などが日常用いる火による穢 (けが) れを忌んで、神事・祭事に際して炊事の火を別にすること。また、服喪にある者などが穢れを他にうつさないように炊事の火を別にすること。べつび。
そして同年、羽野晶紀さんは東宝芸能へと所属。芸能界へと本格的に復帰し、テレビ・ラジオに出演し始めました。
その際には、再び関西弁で話していたことから、「やはり和泉家と何らかの不和があるのでは?」と再度話題になっていました。
羽野晶紀の旦那・和泉元彌のプロフィール
生年月日:1974年6月4日
出身地:東京都
所属:和泉宗家、和泉流宗家宗家会
和泉元彌さんは狂言師で、役者・タレントとしても活動されています。本名は「山脇元彌」。
和泉元彌さんは和泉流十九世宗家・和泉元秀さんを父親に持ち、1歳の頃から狂言を学んでいたそう。3歳で初舞台を踏み、狂言師としての道を歩み始めました。
1995年に父親が亡くなると、「和泉流二十世宗家 和泉元彌」を名乗るように。
しかし、父親の時代からの不和や襲名時の手続きの不備、和泉元彌さんの公演キャンセル・ドタキャンが問題となり、能楽協会・能楽宗家会・和泉流職分会は宗家として認めませんでした。
その後、能楽協会からも退会処分を受け、同協会関連の舞台に立つことが不可能になります。
そのため、以降の狂言師としての活動は自主公演やショー形式の狂言ライブ、狂言教室の開催などに限られているそうです。
その一方で役者として活躍しており、2001年には大河ドラマ「北条時宗」で主演。
2006年放送のTBS系列のドラマ「クロサギ」第7話や、2011年放送の大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」にも出演しています。
また、2005年にはプロレスデビューしたことで大きな話題を呼びました。
羽野晶紀と姑・節子との関係…当時話題となった嫁姑問題は本当?
羽野晶紀さんと聞いて、姑・節子さんの顔が浮かぶ人も多いのではないでしょうか。
2002年に旦那の和泉元彌さんと結婚した羽野晶紀さんでしたが、当時は結婚よりも、姑となった節子さんとの確執がメディアに大きく取り上げられていました。
2002年に羽野が和泉と結婚するとき、和泉の母親である節子から大反対され、「嫁の7箇条」をつきつけられたことを週刊誌で大きく報道された。しかし、その件に関しては、「直接言われたこともないし、紙に書いて見せられたこともないし、テレビで観て始めて知った」と否定。しかも二人きりで話したことはないという。
「嫁の7箇条」とは、「関西弁ではなく標準語を使う」「お稽古ごと禁止」「マニキュア禁止」「車の運転禁止」「ノースリーブ禁止」「芸能界の仕事を辞める」といったものなのだそう。
ちなみに、羽野晶紀さんは節子さんから直接苦言を呈されたわけではないそうです。
しかし、節子さんがメディアに積極的に出演していたこともあり、”嫁姑問題”を好むメディアの恰好の餌食になってしまったといいます。
「違います、違いますと言っても次から次へとすごく言われる」と、あえて避けていた。テレビが去ると、次は週刊誌。家にいても周りにカメラがいて、少し買い物に出ても撮られるし、少しのことで書かれるから大変だった。「元彌さんが子どもを自転車に乗せて、マクドナルドに行っただけで、私が食事を作っていないと書かれた。子どもはみんなマクドナルド好きなので楽しく行く…」と、事実無根であったことも明かした。
ちなみに、芸能人であることを理由に結婚を反対されていた、というのは事実とのこと。
そのため、羽野晶紀さんは仕事を全て整理し、事務所も辞めるつもりだったのだとか。
そのほかの7箇条については、禁止されているはずの関西弁もしゃべるし、車も運転すると語っています。
しかし、インタビューでは「嫁姑の関係性について具体的に切り込まれると明言を避ける」といった場面も。
具体的には語らないものの、その発言のところどころに隠れた苦労がうかがえました。
「すごい平和よ」と言いながらも、子どもを産むときには、「自分の中では、男の子を産まれるまでは頑張って産んだ方がいいかなと思っていた」とのこと。
長女が産まれたときには、姑は「普通」と言い、長男が産まれたときには「普通、普通」と言いながらペロっと舌を出した羽野。そこには、無言の重圧があったことが感じられた。
一方の節子さんはというと、2022年に受けたインタビューで嫁・羽野晶紀さんについて、「口出しはしない」と語っています。
ちなみに、かつては結婚を反対した嫁・羽野との関係も良好なのだろうか。
「宗家と嫁はウチから車で20分くらいのところに住んでおりまして、孫のお稽古のために毎日孫を連れてウチに来ますよ。晶紀はお仕事が忙しいので毎日ではありませんが。でも、ああしなさい、こうしなさい、とは申しません。口出ししないと決めております」
羽野晶紀の子供① 息子と娘が1人ずつ・どちらも狂言師に
羽野晶紀さんの子供は2人です。2002年に長女、2004年に長男を出産しています。
なお、長男の和泉元聖さんは父親の和泉流二十世宗家を継ぐ狂言師になるべく、2008年に初舞台を踏んでいるのだとか。
ちなみに、歌舞伎などの印象から男児だけが舞台に立つ印象がありますが、長女の采明さんも狂言師として舞台に立っているそうで、すでに親子3人での共演も実現済みとのことです。
羽野晶紀さんはそんな2人の子育てについて、インタビューで以下のように語っています。
私は子どもたちに、悔いの残らないようにしなさいと言っています。両親が芸能界の仕事をしているわりには、ふたりともあまり興味がないみたいですね。お父さんも狂言をしながら芸能界の仕事をやっていますが、すべて父と同じようにとはいかないでしょう。私たち夫婦は、狂言を大切に思うのと同じように、子どもたちの気持ちも大切に思っています。
また、専業主婦経験のある羽野晶紀さんですが、当時を含めてこれまで一度もベビーシッターさん・家政婦さんにお願いしたことがないのだそう。
しかし、「母親が働くためには、誰かのサポートが必要ですよね。」とも述べています。
現代は結婚した女性も、男性と同じように働いていいですよという時代なので、ある意味、大変だと思います。それぞれ家庭の事情はあると思いますが、特に小さなお子さんがいる女性の働き方については「柔軟」な社会になってほしいですね。主婦時代にできたママ友たちとは今でもつき合いがあり、助け合い、それぞれの子どもたちの成長を見守っているので、とても意味のある時期だったと思います。
羽野晶紀さんと和泉元彌さんの子供2人が卒業している学校名は、非公開となっています。しかし、ネットではそれぞれ「この学校ではないか」と噂されているところがあるようです。
父親の和泉元彌さんは、エスカレーター式で青山学院幼稚園から青山学院大学まで在籍していましたが、子供たちは2人とも地元の公立幼稚園・小学校に通っていたとの噂です。
和泉元彌さんもPTA会長をしたり、伝統芸能クラブで指導したりと、学校に深く関わっていたといわれています。
実際に羽野晶紀さんもインタビューで、和泉元彌さんと子供たちの学校との関わりを、以下のように語っていました。
小・中学高、高校でも学校の役員を務めていました。職業柄、挨拶がうまいので、行事や式典にはよく出席していました。小学校のころは毎朝、学校の校門で生徒たちを出迎えていたので、先生だと間違われたこともありました(笑)。自分の子どもがいない卒業式に参列して、号泣していたこともあったそうです。
また、羽野晶紀さんも和泉元彌とともに読み聞かせのボランティアに参加していたといいます。
その後、長女・采明さんは中学受験を経て成城学園へと進学、長男の元聖さんは都立の白鴎高等学校附属中学校へと進学したとの噂です。
もちろん、噂であるため実際のところはわかりません。しかし、ある程度の大学を卒業されている可能性は高いでしょう。
ちなみに長女・采明さんはインタビューで、大学名こそ明かしていないものの、専攻している学科を明かしています。
采明「私は国際系の学部で外国語の勉強をしつつ、国際政治、平和研究、環境問題、比較文化など幅広い視点から国際社会を学んでいます」
羽野晶紀の子供③ 子供たちのいとこ・慶子も狂言師に
羽野晶紀さんの長女・采明さん、そしていとこの慶子さんも、数少ない女性狂言師として活躍されています。
「今年女性狂言師は50年の節目を迎えますが、プロの狂言師の世界で女性は、私と妹の十世三宅藤九郎の2人だけ。私たち女性狂言師の歴史を継ぐのが彼女たち2人」と、和泉淳子さんは語る。
また、同い年だという2人は幼い頃から仲が良いのだそうです。
羽野晶紀の自宅は東京都文京区にある?
羽野晶紀さんは自宅を公開されていませんが、ネット上の噂では東京都文京区にあるのではないかといわれています。
また、茗荷谷周辺も有力視されているとのこと。文京区は高級住宅街も多く、有名人も多数済んでいる地域。
前述にもある子供たちが通っていた公立幼稚園・小学校も文京区にあると言われているため、信ぴょう性は高そうです。
羽野晶紀の現在① 役者・タレントとして今も現役で活躍中
羽野晶紀さんは現在も役者として活動しています。
2020年にテレビ朝日系列で放送されたドラマ「警視庁・捜査一課長2020」第7話や、同局で2022年に放送されたドラマ「特捜9 Season5」第5~6話にも出演しました。
映画においては、2023年公開の「1秒先の彼」に出演。
その一方でタレントとしても活躍しており、関西テレビの番組「よ~いドン!」や東海テレビのワイド番組「スイッチ!」では曜日レギュラーを務めています。
羽野晶紀の現在② 離婚疑惑のあった和泉元彌との関係は?
羽野さんはかつて、旦那・和泉元彌さんとの離婚疑惑がささやかれていました。しかし、今現在も婚姻関係は継続。
ブログやインスタグラムには時折、家族仲睦まじい様子の写真が投稿されています。
また、バラエティ番組に出演する際には夫婦共演こそ少ないものの、電話やラインでのやり取りを公開されることも。
過去には理想の身長差について話し合った際、お互いの身長差が理想そのものだったというおのろけ話も披露していました。
和泉は「理想の身長差が…結局、一緒だった!って、素敵じゃないですか?」とつづり、「心は言動か行動でしか伝えられません。表に出したお互いの思いが一緒だったらそれだけで、幸せですよね」とコメント。「世間が決めた数字より自分たちの感覚を大切にしてみませんか?二人の小さな約束事くらい世間に迷惑かけないんだし、二人の物差しで!」と、羽野との2ショットを公開した。
まとめ
羽野晶紀さんは役者で、タレントとしても活躍。また、狂言師・和泉元彌さんの嫁としても知られています。
そんな羽野晶紀さんは学生時代より関西でタレントとして活躍し、「笑っていいとも!」を機に知名度が全国区となりました。
結婚、出産の際は一時芸能活動を休止していましたが、その後復帰。現在も第一線で活躍されています。
今後は羽野晶紀さんはもちろん、狂言師となった子供たちの活躍にも注目したいですね。