女優でタレントの吉本多香美さんは父親が俳優の黒部進さんであることでも有名ですが、旦那や子供との石垣島生活も話題です。
今回は吉本多香美さんの父親や母親、ハーフ説、結婚歴と離婚歴、旦那や子供、現在の生活をまとめてみました。
この記事の目次
吉本多香美のプロフィール
出典:https://yomidr.yomiuri.co.jp/a
生年月日:1971年10月13日
出身地:埼玉県大宮市
血液型:O型
所属事務所:アートプロモーション
吉本多香美さんは女優で、タレントとしても活動しています。
獨協大学外国語学部フランス語学科を卒業しており、アテネフランセにも通っていたそうです。
獨協大学の卒業生には、女優のかたせ梨乃さん、ミュージシャンのパッパラー河井さんら多くの芸能人がおり、特にアナウンサーの小倉智昭さんは同じフランス語学科を卒業されています。
また、アテネフランセはフランス語をメインとした語学学校で、恐らく吉本多香美さんはここでフランス語を深く学んだものだと推測されます。
吉本多香美の父親や母親とは 【ハーフの噂と真相も紹介】
吉本多香美さんの父親は、俳優の黒部進さんです。
黒部進さんは、特撮ドラマ「ウルトラマン」のハヤタ隊員役で知られています。
ウルトラマンは平均視聴率36.8%を誇る大ヒット作となり、今もなおシリーズが放送されている大人気特撮ドラマです。
黒部進さんはウルトラマン以降も多くのドラマ・映画に出演し、その多くが時代劇や刑事ドラマ、特撮ドラマにおける悪役などだったそうです。
母親に関しては一般人のようで、エピソードも含めてあまり情報が見つかりませんでした。
ハーフの噂もあった
吉本多香美さんは一時、ハーフではないかという噂もあったそうです。
確かに彫りの深い顔立ちで、父親の黒部進さんのお顔がそこまで彫りが深いというわけではないため、母親が外国の方では…と考えてしまうのも無理はないでしょう。
しかし、実際には母親も日本人だそうで、吉本多香美さんもハーフではないそうです。
吉本多香美の経歴 【デビュー~ブレイクまで】
大学在学中に芸能界デビュー
吉本多香美さんは1990年、大学1年生の頃に父の黒部進さんと朝日新聞に掲載された「安田信託銀行」の広告に登場しました。
また、そののちにJR東海のCM「クリスマス・エクスプレス」シリーズの5代目ヒロインに選ばれています。
クリスマス・エクスプレスシリーズは1989年~1992年に放送されていたJR東海のCMで、山下達郎さんの「クリスマス・イブ」の楽曲が使用され、遠距離のカップルを描いています。
過去には、ヒロインに深津絵里さんや牧瀬里穂さんが起用されていました。
その他にもクイズ番組のレポーターを務めるなど、芸能の仕事に携わっていましたが、在学中はあくまで「アルバイト」として捉えていたといいます。
就職先が決まっていたが芸能界へ
大学卒業後は就職するつもりで、内定も決定していたという吉本多香美さん。
しかし、卒業が近づくにつれ、芸能界での仕事に未練を感じるようになったそうです。
最終的には内定先に辞退を申し入れることになりますが、娘には芸能界ではなく手堅い職業に就いてほしかったという父の黒部進さんは猛烈に怒ったといいます。
その後は、母のフォローもあり、なんとか許してもらったそうです。
親子2代でウルトラシリーズに出演
前述の通り、吉本多香美さんの父親は「ウルトラマン」のハヤタ隊員役として有名ですが、娘である吉本多香美さんもウルトラマンシリーズに出演しています。
つまり、親子2代でウルトラシリーズに出演していることになります。
吉本多香美さんは、1996~1997年に放送された特撮ドラマ「ウルトラマンティガ」にレナ隊員役で出演しました。
主演は長野博さんで、吉本多香美さん演じるレナ隊員は同作品のヒロインにあたります。
当初、吉本多香美さん自身は出演に乗り気ではなかったそうですが、父の黒部進さんが親子2代でのウルトラシリーズ出演を非常に喜び、そのこともあってオファーを受けたと語っています。
インタビューでは、当時の心境について以下のように語っています。
ウルトラマンは子供番組のような印象があって、少し抵抗がありました。
父がウルトラマンだったのは私が生まれる前で、再放送で見かけることがあってもほとんど興味はありませんでしたから。
また、作中でレナ隊員はハヤテ隊員の娘という設定となっており、2008年に公開された「大決戦!超ウルトラ8兄弟」では、実の親子で親子役を演じています。
吉本多香美さんはこの作品がきっかけで女優としてブレイク、今もなお当時のファンから熱烈なメッセージをもらうそうです。
あれから20年以上たっていますが、今でも私のインスタに「僕の少年期の恋人です」なんて、中国やインドネシアの方からもメッセージが届くんです。うれしいですね。
吉本多香美の代表作を紹介
クイズ番組「世界ふしぎ発見!」のミステリーハンター
クイズ番組「世界!ふしぎ発見!」は、1986年から2024年まで放送されていた、世界各地の歴史・風土・文化にまつわる不思議や謎についてクイズ形式で紹介する番組です。
吉本多香美さんは、「ミステリーハンター」と呼ばれる世界各地に赴き取材を行いながらクイズを出題するポジションとして、7回ほど出演しています。
映画「皆月」
1999年に公開された映画「皆月」は、芥川賞作家の花村萬月さんの同名小説を映画化したもので、「アウトロー映画」であると評されています。
妻・沙夜子が現金と預金通帳を持って失踪してしまった夫・諏訪憲雄は、ショックで何もやる気が起きない上に、しかも失業してしまいます。
そんな諏訪を見かねた妻の弟でヤクザのアキラが世話を焼くことになり、そのおかげで新たな人生が踏み出される…といったストーリーです。
主人公である諏訪憲雄を奥田瑛二さんが演じ、吉本多香美さんは諏訪憲雄さんと出会う由美というソープ嬢を演じます。作中では大胆な濡れ場があり、大きな話題となりました。
作品を観た人の多くが、吉本多香美さんの体当たりとも言える濡れ場の演技を高く評価しています。
吉本たかみの体当たり演技も、本当にすごかった!
この映画で強烈な印象を残すのは、何と言ってもソープランド嬢を演じた吉本多香美の熱演です。人気のある女優がよくぞここまで激しい濡れ場を演じたと、驚嘆するほどです。しかも、ただ単に濡れ場を演じただけでなく場末のソープランドで働く女性の悲哀さを見事に表現していました。
吉本多香美の体当たり演技は凄かったですよ。泣いてるんですけど、あれは演技っていうんでしょうか?泣き崩れてるんですね。相当キツイ役だったと思われます。
吉本多香美の若い頃が葵わかなに似ている?
吉本多香美さんについて調べていると「葵わかな」というキーワードが目につきます。
これは吉本多香美さんの若い頃と、女優の葵わかなさんが似ていると言われていることから、よく検索されているようです。
葵わかなさんは、2017年放送のNHKの朝ドラ「わろてんか」のヒロインで御馴染みです。
確かに、彫りの深い目元と高い鼻が共通しており、雰囲気もかなり似ているのではないでしょうか。
年齢的に親子役が可能だと思うので、将来的に親子役での共演などもあり得るかもしれません。
吉本多香美の結婚した旦那とは 【2度の結婚・離婚】
2001年に結婚
吉本多香美さんは2001年にアメリカ人の男性と結婚しています。
しかし、結婚相手の情報や馴れ初めなどはほとんど情報を開示していないようで、詳細については調べることができませんでした。
2005年頃に離婚
吉本多香美さんは2005年頃に離婚しています。
結婚したアメリカ人男性との結婚生活は4年ほどとされていますが、離婚については特に公表していませんでした。
そのため、後述の2010年の再婚時に、離婚したことが判明しています。離婚の理由については「感性の違い」と述べているようです。
2010年に再婚
吉本多香美さんは2010年にパフォーマーアーティストの人と再婚しています。
また、再婚時にはすでに妊娠をされていたようです。
高校時代の初恋相手だということで、疎遠だった期間もあったものの、再会したのちに徐々に真剣交際へと発展していったそうです。
吉本多香美の子供・摩光(まこう)くんとは
子供の名前は摩光(まこう)くん
吉本多香美さんは2010年、38歳の時に男の子を出産しています。
名前は「摩光(まこう)」くんというそうで、摩光くんの「摩」は「摩訶不思議」からきており、「自然界の美しい光をいっぱい見てほしい」という願いを込められてつけられたそうです。
また、出産までの数か月間は愛知県岡崎市に滞在していたようで、その様子をブログに綴っていました。
自然な分娩にこだわった
「自然な出産」にこだわりたかったという吉本多香美さんは、その界隈では有名な愛知県岡崎にある産科診療所を選択しました。
その診療所では出産3ヵ月前から提携している家庭で寝食を共にし、産院で毎日のように体を動かすといったスタイルをとっていたそうです。
元々吉本多香美さんのお子さんは逆子で、本来ならば帝王切開となるはずでしたが、そのまま逆子での自然分娩となったそうです。
しかし、陣痛から35時間が経過し、赤ちゃんの心拍が落ちてきてしまったため、救急車で搬送・大学病院での出産となりました。
母親から、「帝王切開で産んだため、すぐに子供を抱っこできなかった」という話を聞いていた吉本多香美さんはどうしても自然分娩をしたいと考えていました。
結果、時間はかかったものの、次の日には子供と過ごせた自然分娩を選択できたことに感謝していると語っています。
吉本多香美の現在① 石垣島に移住
吉本多香美さんは現在、沖縄県石垣島に在住していることが分かっています。
「自然豊かな土地で子育てを」と沖縄県の石垣島に移住しました。昨年には、島内にハーブ園をオープンして、ハーブ摘みやコスメ作りなど体験講習会を開いています。
元々は東京都内で子育てをしていた吉本多香美さん。
移住を考えたのは、東日本大震災がきっかけだったといいます。元々「子育てをするなら自然豊かで生命を感じられる場所」と考えていたこともあり、沖縄の石垣島を選択したそうです。
また、夫も以前石垣島でサトウキビ刈りの仕事を半年間していたことがあり、当時の友人に連絡すると「すぐに来い」といってもらえたそうで、移住はすんなりと決まったといいます。
吉本多香美さんの自然志向には、父の黒部進さんの影響もあるそうです。
黒部進さんは度々アフリカに家族を連れて行っており、車にテントを積んで1ヵ月かけて旅をしていたそうです。
吉本多香美さんは、この経験がなければ今の石垣島での生活はなかったと述べています。
石垣島でハーブ園をオープン
出典:https://yomidr.yomiuri.co.jp/
石垣島でハーブ園「Fresh & Wild」をオープンさせた吉本多香美さん。
数年かけて2000坪の土地を耕運機で耕して、グァバやレモングラス、ハイビスカスなどを育てたそうです。
来園者とハーブを摘んでナチュラルコスメやハーブボールを作ったり、ハーブクッキングをするなどしているそうです。
将来的には舞台の仕事にも復帰したい
吉本多香美さんは、女優の仕事も続けていきたいと考えており、子供がもう少し大きくなったら舞台の仕事にも復帰したいと考えているようです。
その理由について、舞台の仕事はみんなで作りこみ、さらには観客らと一緒に泣いて笑って感動するという場が好きだと語っています。
吉本多香美の現在② コロナの後遺症で一年寝たきりに
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吉本多香美さんは、Instagramのアカウントを持っていますが、2022年10月の投稿を最後に更新がストップしていました。
そして、2024年7月に1年9ヶ月ぶりにInstagramを更新し、新型コロナの後遺症から難病になり、1年間は寝たきりの生活を送っていたことを明かしたのです。
吉本多香美さんの病状は、死を覚悟し息子に遺書を残したほど深刻なものであったようです。
1年寝たきりの日々。一時は呼吸が出来ず、死を覚悟し、息子に遺書を残しました。呼吸することもままならず、血圧も維持出来ず何回も失神し、この先もう動くことが出来なくなってしまうかもと、毎日天井だけを見て、本当に苦しくて泣いてばかりの日々でした。
しかし、吉本多香美さんは、波動治療や代替治療などの先生たちや家族、友人たちのサポートにより回復プログラムが始まり日常を再開させることができるようになったといいます。
「完治までもう少し。」とも綴っていました。
波動治療、代替治療、食事療法、意識の変容をサポートしてくださる先生方と出逢い、マインドケア、家族、友達、メンターの方々沢山の、サポートを受けて、去年5月からリバースが始まりました。
まとめ
ウルトラマン俳優である黒部進さんを父に持ち、自身もウルトラマンシリーズに出演していた吉本多香美さん。
「世界ふしぎ発見!」のミステリーハンターや映画「皆月」での体当たりの演技など、様々な経験をされてきました。
そんな吉本多香美さんは東日本大震災を機に、夫とお子さんと一緒に石垣島に移住し、ハーブ園を営み、自然のなかで子育てをされています。
コロナの後遺症で大変な思いもされたようですが、お子さんが大きくなったら舞台にも復帰したいと語っていたので、女優として活躍する吉本多香美さんをまた見ることができるかもしれませんね。