樫山文枝さんはかつてNHK朝の連ドラで人気になった女優で、旦那の綿引勝彦さんが死去したことが話題です。
今回は樫山文枝さんの若い頃、旦那との結婚生活や子供の有無、綿引勝彦さんの闘病生活と死因、年齢など現在をまとめました。
この記事の目次
樫山文枝は俳優・綿引勝彦の嫁
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舞台女優として知られる樫山文枝さん。
NHK朝ドラ「おななはん」で1年間ヒロインを務めると、2時間ドラマや大河ドラマなど、女優として頭角を現していきました。
まずは樫山文枝さんのプロフィールから振り返ってみましょう。
樫山文枝のプロフィール
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樫山 文枝(かしやま ふみえ)
本名: 綿引文枝
生年月日 :1941年8月13日
出身地: 東京都
身長: 162cm
血液型: A型
樫山文枝さんは、東京都武蔵野市吉祥寺生まれ。
東京文化学園高等学校を卒業すると、俳優養成所である「劇団民藝俳優教室」を経て「劇団民藝」に所属する舞台俳優として女優業を開始しました。
樫山文枝の父親は著名な哲学研究者
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樫山文枝さんの親族には著名人が何人もいるのですが、父親である樫山欽四郎さんもその1人。
哲学研究者として著書も出版しています。
元早稲田大学の教授
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父親の樫山欽四郎さんは、長野県で1907年5月1日に誕生し、成長して早稲田大学文学部哲学科を卒業しています。
哲学の世界では「ヘーゲル精神現象の研究」において文学博士を修め、早稲田大学の教授を務めてきました。
哲学以外では、兄が設立した樫山学園の理事、日米大学野球世界選手権大会組織員など多岐に渡る分野で活躍しました。
樫山文枝の叔父は実業家
樫山純三はオンワード樫山を起業
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樫山文枝さんの父親の兄である樫山純三さんは、オンワード樫山(現オンワードホールディングス)の創業者。
地元長野の小学校を卒業後、三越呉服店に丁稚として入り、1927年2月に大阪で樫山商店を立ち上げました。
商売が軌道に乗り、1947年にオンワード樫山の経営会社となる樫山商店を株式会社へと変更。日本全国に名の知れたブランドを展開していきました。
オンワード樫山が展開する「組曲」「自由区」「23区」などのブランドは、主に百貨店に出店し、女性の支持を獲得して成長を続けてきました。
樫山純三さんは、自身の立ち上げたブランド達が日本中で有名になっていくのを見守りながら、1986年6月1日に死去しています。
オンワード樫山は現在、オンワードホールディングスへと社名を変えて老舗アパレルとして現存しています。
2020年4月には、コロナ禍で1400店舗を閉店したことが大きくニュースで取り上げられました。
樫山文枝の若い頃
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初の女性一代記路線が大ヒットした「おはなはん」
ここからは、樫山文枝さんの若い頃について見ていきましょう。劇団民藝の正規の劇団員となった1965年から、女優として活動を開始。
NHKの朝ドラでヒロインに抜擢されたことで、その後の人生が大きく変わっていくことになります。
おはなはんのヒロインを代打
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おはなはんを演じた若い頃の樫山文枝
NHKの朝ドラ「おはなはん」は、1966年4月4日から1967年4月1日までの1年間に渡り放送されました。
現在のNHK朝ドラは半年サイクルですが、この当時は1年間の放送期間だったことが現在と異なりますね。
そして当時の朝ドラは、人気と実力を兼ね備えた女優がヒロインとして立つことが多く、この作品も森光子さんがヒロイン役に内定していました。
しかし、撮影が始まる直前に森光子さんが急病にかかり、入院が必要になっため、急遽新人女優の樫山文枝さんが抜擢されたのです。
最高視聴率56.4%を記録
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おはなはんこと、浅尾はなが生き抜いた時代は明治中期で、愛媛や鹿児島が舞台でした。
浅尾はなは明るい性格で、周囲から好かれているヒロイン。父親が持ってきた速水中将との縁談を断るべく画策しますが、いざ会ってみると意気投合して結婚へ。
子供にも恵まれたものの、旦那が急死。たった1人で子供達を育てながら、困難を乗り越える女性の半生を描いたストーリーです。
そんなひたむきなヒロインがお茶の間に受け入れられ、人気が沸騰し、視聴率は平均で45.8%、最高視聴率は56.4%と驚異的な数値を叩き出しています。
人気ぶりがわかるエピソードとは?
放送当時の人気ぶりが分かるエピソードとして、朝ドラが始まると女性達が家事の手を止めてドラマを見ていたことから、水道の使用量が激減したと言われています。
また、放送時間帯に見られない視聴者から「悔しい」という声がNHKに届き、急遽1週間分の放送を1時間に編成し直した「特集おはなはん」が毎週日曜日に放送されました。
こうして異例の人気を博したドラマと共に、樫山文枝さんも一躍人気女優として躍り出ました。
実は、この作品以降からNHKの朝ドラは新人女優を起用するケースが多くなったというエピソードも知られていますね。
樫山文枝の結婚した旦那は俳優・綿引勝彦
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樫山文枝さんが結婚した男性は、強面の俳優として知られる綿引勝彦さん。
ここでは、あまり知られていない2人の結婚生活について振り返ってみましょう。
綿引勝彦のプロフィール
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綿引 勝彦(わたびき かつひこ)
生年月日: 1945年11月23日
没年月日: 2020年12月30日
出身地: 東京都
身長: 173cm
血液型: AB型
学生時代は野球に没頭していた綿引勝彦さんでしたが、高校2年生の時に腰を痛めたことで、ドクターストップがかかりました。
趣味を断念して手持ち無沙汰になっていた頃、友人に誘われて俳優座の舞台「令嬢ジュリー」を観たところ、「世の中にはこんなにも綺麗なものがあるのか」と感激してしまったそう。
高校を卒業後、日本大学芸術学部に入学しますが中退。20歳の時に「劇団民藝」の研究生のオーディションを受けて合格しています。
ちなみに「劇団民藝」は、樫山文枝さんが所属している劇団です。
樫山文枝さんは、綿引勝彦さんが入った時には既に大ブレイクを果たし、新鋭女優として注目を集めていたので、2人の間にかなりの格差があったようです。
若い頃は悪役が多かった
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若い頃の綿引勝彦
研究生を経て正規の劇団員になった綿引勝彦さんは、1970年代からは劇団の舞台以外にテレビの仕事が舞い込んでくるようになりました。
映画「極道の妻たち」シリーズなどのヤクザ役や鬼刑事など、見た目の強面を活かした役が多く、決してメインキャラクターではありませんでしたが、重宝されていたようです。
バイプレーヤーとして評価が高い
綿引勝彦さんは単に見た目に頼った演技をするのではなく、役に憑依したかのように全身全霊で演技をするバイプレイヤーとして、その演技力が評価されていました。
2021年1月23日の「日刊ゲンダイ」に掲載された、芸能リポーターによる綿引勝彦さんとの思い出には、役者としての気迫を感じたエピソードが掲載されています。
今から約20年程前のお正月、ホノルル空港に到着する芸能人にリポートをしていたところ、偶然綿引勝彦さんが到着したので囲み取材を申し込んだそう。
綿引勝彦さんは、「私はそんなインタビューを受けるような役者じゃありません。他の方々に話をしてください」と、謙虚に頭を下げたんだとか。
しかし諦めきれない芸能リポーターは、綿引勝彦さんが当時出演していた「鬼平犯科帳」の五郎蔵の役名を口にして、どうにか取材を受けてもらおうと以下のようなやり取りが発生しました。
「いや、大滝の五郎蔵がハワイにいる、そういう絵柄だけでも面白いと思いませんか。ぜひ一言!」
すると綿引さんの表情がスッと変わった。「えっ……、そうかい?じゃあ、ひとつやってみるか」
引用:綿引勝彦さんの思い出 – Yahoo!ニュース https://news.yahoo.co.jp/
スイッチが入るカチッという音が聞こえたような気がしたと、記事は締められています。
綿引勝彦さんの役者魂が垣間見えるエピソードですね。
樫山文枝と旦那・綿引勝彦の馴れ初め
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樫山文枝さんと綿引勝彦さんが結婚した当時、樫山文枝さんは売れっ子女優で、綿引勝彦さんはまだまだ下積み生活がメイン。
同じ劇団に所属していても、2人の間にはかなり隔たりがあったようですが、どのような馴れ初めで結婚に至ったのでしょうか。
同じ沿線だった
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綿引勝彦さんによると、樫山文枝さんとは同じ劇団に所属していても、一般人がスターに憧れているような状態で、身近な感覚や恋愛感情が全く湧かなかったそう。
そんな中、樫山文枝さんの自宅は中央線の吉祥寺駅で、綿引勝彦さんは武蔵境駅に住んでいたことから、飲み会や稽古の帰りに送っていくことが次第に多くなっていきました。
徐々に心の距離が縮まり、樫山文枝さんは綿引勝彦さんを意識するようになったのだとか。
最初の頃は遠慮がちだった綿引勝彦さんも、次第に演技について議論を対等にする仲に。さらには議論を通り越して、喧嘩に発展することもしばしばだったそうです。
仲直りした時に綿引勝彦さんは、「樫山さん、僕と結婚してくれるといいんですがね」と照れ臭そうに口にすることが多くなり、結婚を意識するようになっていったそうです。
樫山文枝と旦那・綿引勝彦は格差婚と言われた
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2人が挙式を挙げたのは、1974年12月29日のこと。東京都杉並区に所在する東京女子大付属礼拝堂にてささやかな式でした。
2人の結婚が世間に公表されると、売れっ子看板女優の結婚に驚く人が多かったそうです。結婚生活はどのようなものだったのでしょうか。
綿引勝彦はアルバイトをしていた
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2人が挙式した当時、綿引勝彦さんはテレビに少しずつ出演するようにはなっていましたが、役者の仕事だけでは生活が成り立たず、アルバイトをしていました。
格差婚でしたが、綿引勝彦さんは「いつか嫁よりも稼げるようになろう」と決意し、頑張るためのモチベーションに繋がったそうです。
この時の綿引勝彦さんの決意は、後に達成されて芸能界では有名な良い夫婦のエピソードとして語り継がれています。
樫山文枝と旦那・綿引勝彦に子供はいる?
子供はいない
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樫山文枝さんと綿引勝彦さんはおしどり夫婦として知られていますが、残念ながら2人の間に子供は生まれていません。
子供が誕生していたら、やはり芸能界に入っていたかもしれませんね。
樫山文枝の旦那・綿引勝彦は2020年12月30日に死去している… 【死因はすい臓がん】
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綿引勝彦さんは2020年12月30日に死去しています。突然の訃報に驚いた方も多いのではないでしょうか。
綿引勝彦さんの死因について調査しました。
2018年にがんが見つかっていた
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闘病生活が発覚したのは2018年8月のこと。膵臓内にある嚢胞を除去する手術を受けたのですが、進行性のがんが発見されたのです。
2019年12月に肺に転移していることが発覚し、2020年の年明けから化学療法を開始。抗がん剤の副作用にかなり苦しめられていたそうです。
しかし綿引勝彦さんの意志により、闘病していることは伏せられました。
その後、3年に渡る治療を行ったものの症状に改善が見られなかったため、2020年11月に積極的な治療を止めて、自宅療養に切り替えられました。
死因はすい臓がん
2021年1月に綿引勝彦さんの死去が公表され、そこで初めて世の中に長年の闘病生活が知られることになりました。
ネットでは「まだ75歳だったんだ」「年末に亡くなってたのか……。 大滝の五郎蔵、大好きだった」と、突然の訃報に多くの驚きと悲しみの声が寄せられています。
樫山文枝の現在
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現在、樫山文枝さんの年齢は79歳です。
旦那の綿引勝彦さんは75歳で逝去しています。4歳下の旦那を看取った樫山文枝さんは、どのように過ごしているのでしょうか。
生前の綿引勝彦さんの意志で闘病生活をひた隠しにしてきましたが、亡くなる前の様子や最後の言葉をようやく世に公表しました。
喪主を務めた
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綿引勝彦さんの逝去が各メディアで報じられたのは、2021年1月14日のこと。2020年12月30日0時54分に眠るように息を引き取ったことを樫山文枝さんが公表しました。
既に、樫山文枝さんが喪主として綿引勝彦さんの葬儀を関係者だけで済ませたことを明かし、2人で過ごした闘病生活についても語っています。
綿引勝彦さんは自宅療養に入ると、信州にある山小屋に行き、花を植えたり、将棋をしたりと好きなことをして身の周りの整理をしていたそうです。
最期の言葉は「投了すると伝えてくれ」
2020年12月下旬に入ると体調が悪化した綿引勝彦さんは、夢うつつの中で最期の言葉は「投了すると伝えてくれ」だったそう。
樫山文枝さんは、この言葉に対して「これで人生を投了するということでもあったのでしょうか」と、しみじみと旦那の最期に想いを馳せていました。
まとめ
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樫山文枝さんは、劇団民藝出身の女優です。
まだ無名だった舞台女優時代に、1966年放送のNHKの朝ドラ「おはなはん」のヒロインに抜擢されました。
放送が始まると、ヒロインおはなはんのキャラクターと力強いストーリーに助けられて大人気に。
最大視聴率56.4%と驚異的な数値を叩き出し、一気に人気女優の仲間入りを果たしたのです。
プライベートでは、同じ劇団に所属していた4歳下の俳優、綿引勝彦さんと結婚しています。結婚当初はまだ綿引勝彦さんは下積み時代で、看板女優との結婚が大きな話題を呼びました。
そんな綿引勝彦さんは、2018年にすい臓がんが発覚し、闘病生活を送った後、2020年12月30日に死去したことが発表されています。
2020年11月頃に自宅療養に切り替えて、身辺整理をしたり好きな将棋をさしたりと、最期の一時まで一緒に過ごした樫山文枝さん。今は旦那を偲び毎日を過ごしているようです。
いつかその悲しみが和らぐ日が来ると信じ、これからの樫山文枝さんを応援しましょう。