2020年2月に女優の鈴木杏樹さんの不倫スキャンダルが週刊誌報道された事で、その夫の山形基夫医師が再び話題を集めています。
この記事では、鈴木杏樹さんの夫の山形基夫医師のプロフィールや、嫁の鈴木杏樹さんとの結婚や子供、そのエピソード、再婚前の嫁についてや死因や闘病などについてまとめました。
この記事の目次
山形基夫医師のプロフィール
山形基夫(やまがたもとお)のプロフィール
生年月日:1956年5月18日
没年月日:2013年2月1日
出身地 :東京都
山形基夫医師は、駿河台日本大学病院外科部長を務めていた外科医で、テレビなどで「癌の権威」とも紹介され、常に患者の親身になる温かい人柄もあって名医として知られた存在でした。
また、山形基夫医師は女優の鈴木杏樹さんの夫で、鈴木杏樹さんの所属事務所(ジャパン・ミュージックエンターテインメント)の主治医のような存在として、芸能界でも慕われる存在でした。
山形基夫医師と鈴木杏樹さんはおしどり夫婦として知られていましたが、2013年2月1日に、山形基夫医師は56歳という若さで病気によってこの世をさっています。当時は、鈴木杏樹さんが悲しみに暮れる様子がメディアで大きく報じられました。
2020年2月、そんな鈴木杏樹さんが、妻帯者である歌舞伎役者の二代目喜多村緑郎さんと不倫関係にあるというスキャンダル記事が、週刊文春などで報じられた事で、夫である山形基夫医師にもにわかに注目が集まっています。
今回は改めて、鈴木杏樹さんの夫の山形基夫医師について紹介します。
山形基夫医師の生い立ちや経歴などのプロフィール
山形基夫医師は、1907年創業の老舗紳士服店「銀座山形屋」を営む実家に長男として生まれ、御曹司として育てられました。
1975年に日本大学医学部に進学し、1981年に卒業。大学卒業後は、日本大学医学部附属板橋病院で外科医として勤務し、その後、アメリカへの医学留学によって内視鏡治療の技術を習得し、帰国後も消化器癌の研究をテーマとして活躍されました。その後は、駿河台日本大学病院の外科部長に就任し、乳がんの名医としても評判になりました。
当時の山形基夫医師はとても優しい人柄で知られ、夜勤の時にはスタッフにカレーを作って振る舞ったり、病室にもよく顔を出し、患者一人ひとりに親身になって温かい言葉をかける事などから周囲の人々からとても慕われていたそうです。
山形基夫医師と嫁の鈴木杏樹との馴れ初めや結婚エピソード
既に紹介していますが、山形基夫医師の嫁は、女優の鈴木杏樹さんです。
2人が結婚したのは1998年で、当時、鈴木杏樹さんは「お嫁さんにしたい女優第1位」に選ばれた事もあったため、大きな話題になりました。結婚当時、鈴木杏樹さんは28歳。山形基夫医師は41歳でした。
続けて、山形基夫医師と嫁の鈴木杏樹さんとの馴れ初めや結婚エピソードを紹介します。
鈴木杏樹(すずきあんじゅ)のプロフィール
本名 :山形香公子(やまがたかくこ・旧姓は鈴木)
生年月日:1969年9月23日
出生地 :大阪府箕面市
出身地 :兵庫県神戸市
身長 :161cm
血液型 :AB型
山形基夫さんの嫁の鈴木杏樹さんは、1990年代から活躍する女優で、1994年にはキリン一番搾りなど年間13本、1995年には全日空など年間14本ものテレビCMに出演して「CM女王」とも呼ばれました。
代表的出演作は、1993年のドラマ「あすなろ白書」、1994年のドラマ「若者のすべて」、人気刑事ドラマシリーズ「相棒」など。最近では、2019年のNHK連続テレビ小説「なつぞら」にレギュラー出演して話題を集めました。
また、司会者としても人気が高く、長い歴史を持つフジテレビの音楽番組「ミュージックフェア」では1995年から2016年まで20年半にもわたって司会を担当しました。
その他、日本テレビの朝の情報番組「ZIP!」では2011年から2019年まで金曜日のメインパーソナリティを務め、朝の顔として人気を集めました。
馴れ初めは鈴木杏樹の手術を山形基夫が担当した事
鈴木杏樹さんは人気絶頂だった1998年1月に腸閉塞を患い緊急入院しました。その際に、手術を担当した外科医の1人が後に結婚する事になる山形基夫医師でした。
2人は入院中に共通の趣味がパソコンだった事などから仲良くなり、退院時にパソコンのEメールアドレスを交換。退院後にEメールを通じて連絡を取り、何度か食事に行くうちに恋心が芽生え、そう時間もかからずに交際に発展したそうです。
山形基夫医師は、とても優しく温かい人柄で病院内でも人気が高く、「患者さんの病気が治るなら、僕の命を引き換えにしてもいい」といった言葉を口癖にするなど、医師として素晴らしい人格を持った、誰からも尊敬される人物だったという事で、鈴木杏樹さんもその人柄に惹かれたという事でした。
交際からわずか4ヶ月のスピード婚だった
そして、1998年6月に山形基夫医師と鈴木杏樹は入籍。交際開始からわずか約4ヶ月のスピード婚でした。よほど相性が良かったのか、どちらが結婚を持ち出すでもなく、当たり前のように結婚しようという流れになったと、結婚発表会見で鈴木杏樹さんが話されていました。
なお、スピード婚とはいっても、デキ婚(授かり婚)というわけではありませんでした。
山形基夫医師と鈴木杏樹さん夫妻にはラブラブなエピソードが多い
山形基夫医師は13歳年下の嫁の鈴木杏樹さんをとても大切にされ、日々鈴木杏樹さんの健康面を心配されて、その日の鈴木さんの体調に合わせて、脂物を抜いたり、消化に良い物を入れたりしたお弁当を毎日作っていたのだそうです。
鈴木杏樹さんは夫の山形基夫医師を「先生」と呼んでいる事や、一緒に料理を作っている事なども結婚会見で明かされていました。
他にも、山形基夫さんと鈴木杏樹さんは2人とも大のディズニー好きで、山形基夫さんが、東京ディズニーリゾートで鈴木杏樹さんのサプライズパーティを開いた事もあったそうです。
結婚1周年の1999年には、記念の日付入りのペアのシャンパングラスを購入し、それをきっかけに結婚5周年ごとに日付と名前入りのペアのシャンパングラスを買おうと誓い合っていたのだとか。そして、山形基夫さんが亡くなった2013年は、ちょうど結婚15周年目だったため、鈴木杏樹さんは、4つ目のペアグラスをオーダーしようとしていたところだったそうです。
山形基夫医師は嫁の鈴木杏樹とは再婚だった
出典:https://lh3.googleusercontent.com/
おしどり夫婦として有名だった山形基夫医師と鈴木杏樹さんでしたが、実は、山形基夫医師は2度目の結婚で、鈴木杏樹さんとは再婚でした。
山形基夫医師の前の嫁は、泌尿器科の医師だったと言われていますが、結婚した時期や、どのようにして別れる事になったのかなど、詳細な情報は明らかにされていません。また、前の嫁の父親は医学部の教授だったとの情報も出ていますが、こちらも詳しい事は明らかにされていません。
山形基夫医師には前の嫁との間に子供が1人
山形基夫医師には、前の嫁との間に子供が1人いるようですが、この子供についての情報も、性別や年齢含めて詳細は不明です。
この山形基夫さんの子供は、前の嫁が引き取ったようで、連れ子というわけではなく、鈴木杏樹さんが育てていたという事はありません。
山形基夫医師と嫁の鈴木杏樹の子供
おしどり夫婦として知られていた山形基夫医師と嫁の鈴木杏樹さんですが、その15年弱の結婚生活の間に2人に子供はできなかったようです。
しかし、山形基夫医師と嫁の鈴木杏樹さんが子供を望んでいなかったというわけではなく、不妊治療に励んでいたとも言われているようです。
山形基夫医師と鈴木杏樹さんは自然妊娠を希望していたそうですが、結婚して5年が経過しても子供に恵まれず、山形基夫医師の母親にも「孫の顔が見たい」と言われたのをきっかけに、それから不妊治療に励んでいたとの事でした。
また、鈴木杏樹さんは子供を妊娠したものの流産しているとの噂もあるようですが、不妊治療の事も含めてこれらは全てあくまでも噂であり真偽不明の情報です。
仲の良い夫婦として知られていただけに、子供については色々な噂が立ってしまったという部分もあるのでしょう。
山形基夫医師の死因や闘病生活
山形基夫医師は2013年に亡くなっており、死因は発表では「内臓疾患」と伝えられています。
実は、山形基夫医師は亡くなる何年も前から、肝臓に重い疾患が生じていたという事で、死去の6年前に受け持っていた乳がん患者の女性に「僕はもってあと5年の命にしかない、だけどあなたはもっと長生きしなくちゃいけない。僕よりずっと生きるんですよ」と励ます言葉をかけられていたそうです。
肝臓に重い疾患があったという山形基夫医師は、いちるの望みにかけて亡くなった日から1週間前頃に、アメリカ・ボストン近郊の病院に入院し肝臓移植手術を受けるのを待っていました。
しかし、手術を受ける目前になって容態が急変し、そのまま帰らぬ人となりました。
鈴木杏樹は「ZIP!」の仕事中に訃報を知った
山形基夫医師の容態が急変したという連絡を受けた時、鈴木杏樹さんはレギュラー出演していた情報番組「ZIP!」の収録に出かける直前だったそうです。
鈴木杏樹さんは「ZIP!」の収録では気丈に振る舞っていましたが、本番の真ん中くらいのタイミングで、携帯電話の留守電で「意識がなくなった」との連絡を聞いていたそうで、本番終了後すぐに山形基夫医師の入院する病院へ電話をかけています。
この時、既に危篤状態の山形基夫医師の耳元に電話を当ててもらい、鈴木杏樹さんは最後のメッセージを伝えられています。鈴木杏樹さんは名前を呼びかけ、「ありがとう」、「頑張ったね」といった言葉を伝えられたという事でした。
その後、鈴木杏樹さんは、「ZIP!」の本番終了から、3〜4時間後に亡くなったという連絡を受けたそうです。
鈴木杏樹さんはその翌日にすぐにアメリカへと飛び、山形基夫医師の遺体と対面されたそうです。
鈴木杏樹さんによれば、1週間後には自分もアメリカに渡る予定だったという事で、突然容態が急変したという事だったようです。
亡くなる1週間前に山形基夫さんがアメリカへ渡るために家を出る際には、山形基夫医師は、手術を終えて日本に戻ってくるつもりでいたので、普段と変わらず、「じゃあね」と明るく言って出かけていったのだそうです。鈴木杏樹さんも山形基夫医師も、それが今生の別れになるとは思っていなかったという事でした。
山形基夫医師の通夜には多数の芸能人も参列
2013年2月13日に行われた山形基夫医師の通夜には、鈴木杏樹さんと同じ事務所に所属する歌手の千秋さんや鈴木雅之さんのほか、俳優の渡哲也さんや水谷豊さんら、多くの大物芸能人が参列し、その死を悼みました。
まとめ
今回は、女優の鈴木杏樹さんの夫で、素晴らしい人格を持った名医として多くの人々に慕われた外科医の山形基夫医師についてまとめてみました。
山形基夫医師は、1998年に、腸閉塞で緊急入院した鈴木杏樹さんの手術を担当しました。それをきっかけに2人は知り合い、その後すぐに交際に発展、その年の6月に交際4ヶ月でのスピード結婚をしています。
2人は子供には恵まれませんでしたが、仲の良い夫婦として連れ添い、おしどり夫婦として知られていました。
しかし、2000年代の終わり頃に、山形基夫医師は肝臓の重い病気を患い、2013年に肝臓移植を受けるために渡米、手術を受ける目前に容態が急変し、56歳という若さで帰らぬ人となりました。
山形基夫医師は生前、何よりも患者の事を優先して考える名医として知られており、それで無理を続けた事が身体を蝕んだとの見方もあるようです。芸能界の大物を含む多くの人々がその早すぎる死を惜しみました。
最後になりましたが、山形基夫医師のご冥福をお祈りします。