田原博子さんは片岡孝太郎さんの元嫁で片岡千之助さんの母親ですが、田原桂一さんとの再婚や実名小説も話題です。
今回は田原博子さんのプロフィールや実家、若い頃の経歴、元旦那や子供、離婚理由、再婚や現在の年齢や様子を紹介します。
この記事の目次
- 田原博子のプロフィール
- 田原博子の若い頃の経歴① 実家は裕福な家庭だった
- 田原博子の若い頃の経歴② 学生時代はバスケットボールと日本舞踊に打ち込む
- 田原博子の若い頃の経歴③ 銀座三越の受付嬢
- 田原博子が結婚した元旦那・片岡孝太郎のプロフィール
- 田原博子の元旦那・片岡孝太郎の華麗なる実家の家族
- 田原博子と元旦那・片岡孝太郎の馴れ初めとは
- 田原博子と元旦那・片岡孝太郎の結婚生活エピソード① 気配りで梨園の妻として尽くす
- 田原博子と元旦那・片岡孝太郎の結婚生活エピソード② 浮気に悩んでいた
- 田原博子の子供は片岡千之助
- 田原博子と元旦那・片岡孝太郎との離婚原因は田原桂一との不倫だった
- 田原博子と再婚相手・田原桂一の馴れ初めとは
- 田原博子と再婚相手・田原桂一との結婚生活エピソード
- 田原博子の再婚相手・田原桂一は2017年に死去
- 田原博子をモデルとした小説「奇跡」とは
- 田原博子の現在① 年齢は53歳に
- 田原博子の現在② 本宅と別荘を行き来する生活
- 田原博子の元旦那・片岡孝太郎の現在
- まとめ
田原博子のプロフィール
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田原 博子(たはら ひろこ)
生年月日: 1970年1月31日
出身地: 千葉県香取市
血液型; 不明
身長: 不明
年齢: 53歳
職業: 経営者
田原博子さんは、歌舞伎俳優をしている片岡孝太郎さんとかつて結婚していた女性で、1人息子は同じく歌舞伎俳優の片岡千之助さんです。
片岡孝太郎さんとは2013年に離婚し、その後、写真家の田原桂一さんと再婚しました。
2017年に再婚相手の田原桂一さんが死去していますが、現在の田原博子さんは株式会社ビィルトを経営し、田原桂一さんの作品を管理し、展覧会の開催、プロデュースを手掛けています。
また、2022年2月に出版された林真理子さんの実名小説『奇跡』のモデルが田原博子さんと田原桂一さんであることがわかると、たちまち本は10万部超えになりました。
田原博子の若い頃の経歴① 実家は裕福な家庭だった
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田原博子さんの若い頃について振り返ってみましょう。
田原博子さんは千葉県香取市で誕生しました。家族構成は両親と弟が1人の4人家族です。
実家はかなりの豪邸で、田原博子さんが以前、自身のインスタに実家で撮影した写真をアップしているのですが、背景に広い日本庭園が写っていたことが話題になりました。
庭園は広いだけでなく、手入れがきちんとされていて、維持するためにそれなりの金額がかかってことが一目でわかります。
そんな裕福な実家で育った田原博子さんは、幼い頃から日本舞踊を習い、10歳になる頃には1人で着物の着付けができたそうです。
そして毎年のように日本舞踊の舞台に立ち続け、最終的には名取になっています。
田原博子の若い頃の経歴② 学生時代はバスケットボールと日本舞踊に打ち込む
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田原博子さんは学歴を公表していませんが、学生時代はバスケットボール部に入り、毎日猛練習していたというエピソードが知られています。
日本舞踊も続けていましたので、かなりハードな学生時代だったようです。
田原博子さんはインタビューで「体育会系ですから、求められる役割に全力で応えるとともに、楽しんでしまうところがあります」と語っています。
相手の期待に応えようと頑張る田原博子さんだからこそ、後に梨園の妻となる決意をすることができたのかもしれません。
田原博子の若い頃の経歴③ 銀座三越の受付嬢
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田原博子さんの経歴はあまり詳しい情報は公表されておらず、結婚前は銀座三越で受付嬢として勤務していたことのみ判明しています。
老舗デパートの受付であれば美貌だけではなく、美しい立ち振る舞い、華やかさも求められる職種でしょう。
この後に詳しく解説しますが、26歳で歌舞伎俳優の片岡孝太郎さんと結婚しているので、結婚を機に銀座三越を退職したものと思われます。
田原博子が結婚した元旦那・片岡孝太郎のプロフィール
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本名: 片岡 康雄(かたおか やすお)
生年月日: 1968年1月23日
出身地: 京都府
田原博子さんは結婚2回、離婚を1度経験されています。
最初に結婚したのは歌舞伎俳優の片岡孝太郎さんで、1995年に結婚しました。
元旦那の片岡孝太郎さんは、代々続く松嶋屋の歌舞伎俳優で、気品と格調高い芸風が特徴の女形として知られています。
1987年以降は歌舞伎だけではなく、映画やテレビドラマにも出演しているので、ご存知の方も多いかもしれませんね。
田原博子の元旦那・片岡孝太郎の華麗なる実家の家族
父親は十五代目片岡仁左衛門
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本名: 片岡 孝夫(かたおか たかお)
生年月日: 1944年3月14日
出身地: 大阪府大阪市
片岡孝太郎さんの父親は、2015年に人間国宝になった十五代目片岡仁左衛門さん。
スラリとした体型と衰えない色気を纏う二枚目歌舞伎役者です。
長年、本名の片岡孝夫名義で、テレビや映画でもご活躍されています。
妹で元宝塚歌劇団の片岡サチ
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本名: 片岡 幸子(かたおか さちこ)
旧芸名: 汐風 幸(しおかぜ こう)
生年月日: 5月24日
出身地: 東京都目黒区
血液型: O型
身長: 168cm
片岡孝太郎さんには2人の妹がおり、上の妹は元宝塚歌劇団の片岡サチさんです。
片岡サチさんは1988年に宝塚歌劇団74期生として入団し、2003年に退団。
その後は女優として芸能活動を継続しています。
妹で女優の片岡京子
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片岡 京子(かたおか きょうこ)
生年月日: 1971年6月19日
出身地: 東京都目黒区
血液型: O型
身長: 166cm
2番目の妹は、女優の片岡京子さんです。
プライベートでは、1999年に永谷園の創設者一族の永谷竜一さんと結婚しています。
2017年3月から永谷園の「あさげ」、「松茸のお吸いもの」のCMタレントとして起用されていて、優しくて元気なお母さんのイメージを持っている人が多いのではないでしょうか。
田原博子と元旦那・片岡孝太郎の馴れ初めとは
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元旦那の片岡孝太郎
田原博子さんは、かねてから片岡孝太郎さんの大ファンだったそうです。
具体的にどのような出会いだったのかは不明ですが、田原博子さんの両親から結婚を猛反対されたんだとか。
それもそのはずで、梨園の妻は旦那を支えるために家事を完璧にこなすだけでなく、分刻みのスケジュールに追われる日々です。
一方で、後援会などの関係者との円滑な人間関係の構築が求められます。
よくテレビや雑誌で、美しい着物姿の梨園の妻がにこやかに挨拶をしているのを見かけますが、周囲の人間と信頼を積み重ねていくことが必要で、一語一句に注意することが必要です。
田原博子さんはそういった大変さを理解したうえで、両親からの反対を押し切って片岡孝太郎さんと結婚しました。
田原博子と元旦那・片岡孝太郎の結婚生活エピソード① 気配りで梨園の妻として尽くす
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ここからは、片岡孝太郎さんと結婚した田原博子さんの結婚生活について紹介します。
獅子奮迅の活躍
結婚後の田原博子さんは梨園の妻として一生懸命尽くしたことが報われて、片岡孝太郎さんの両親から可愛がられました。
『現代ビジネス』のインタビューでは「求められていることに、誠実に一生懸命頑張っていると皆さん助けてくれるし、さまざまなことを教えてくださいます」と感謝を述べています。
こういった配慮ができるからこそ、息子の嫁として気に入ってもらえたのかもしれませんね。
田原博子と元旦那・片岡孝太郎の結婚生活エピソード② 浮気に悩んでいた
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結婚しても、片岡孝太郎さんは女性との噂が絶えず、田原博子さんは悩んでいたようです。
歌舞伎俳優が嫁以外の女性と関係を持ち、週刊誌にスクープされるというのは決して珍しくありませんし、隠し子が発覚して記者会見を開く俳優もいます。
一般的に、歌舞伎俳優は女性にモテるケースが多く、嫁以外の女性と交際することは「芸の肥やし」として容認されがちです。
一方で、梨園の妻は旦那の女性関係のスキャンダルの火消しに回り、耐え忍ぶイメージがあります。
そんな鬱屈した環境でも、田原博子さんは梨園の妻の責務を懸命にこなしていたことは間違いなさそうです。
田原博子の子供は片岡千之助
片岡千之助のプロフィール
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本名: 片岡 正博(かたおか まさひろ)
生年月日: 2000年3月1日
出身地: 東京都
血液型: O型
片岡千之助さんは、田原博子さんと片岡孝太郎さんの長男として2000年3月1日に誕生しました。
2003年7月に大阪松竹座の「男女道成寺」で初お目見えし、2004年のに歌舞伎座の初舞台「松栄祝嶋台」から片岡千之助を名乗っています。
片岡千之助さんが初舞台を踏んだのは4歳でしたが、年齢を感じさせない、しっかりとしたセリフ廻しと可愛らしいルックスで人気を集めました。
2011年の新橋演舞場で行われた「六月大歌歌舞伎」では、祖父の十五代目片岡仁左衛門さんと連獅子を披露。
祖父と孫が連獅子を組むのは戦後初のことで、各メディアがニュースとして報じられています。
なお、連獅子への挑戦は静岡朝日テレビが練習の段階から密着取材で撮影を行い、BS朝日がドキュメンタリーとして放送しています。
片岡千之助さんがそれだけ注目を集める存在だったんですね。
普通の学生としての顔も持っている
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片岡千之助さんは、幼稚園から大学まで青山学院に通っています。
エスカレーター式に進学してきたのですが、それでもやはり役者と学生の両立はかなり大変だったそうで、昔からのよく知っている間柄の友人達に支えられてきたそう。
通っている大学の学科は男性よりも女性が多く、仲良くしている「いつメングループ」7人のうち、男子が2人で女子が5人という構成だったといいます。
みんなで普通にご飯やカラオケに行くなど、片岡千之助さんを普通の学生として扱ってくれているそうで、この仲間を「変わらず親友で、ずっと家族みたいなメンバー」と表現しています。
かけがえのない仲間を得た片岡孝太郎さんはインタビューで「本当に大学行って良かったなって」と、しみじみとコメントしていました。
近年は歌舞伎だけではなく、テレビドラマやCMにも出演しているので知名度はぐんぐん上がる中、それでも変わらない態度で接してくれる友人はありがたい存在なのではないでしょうか。
田原博子と元旦那・片岡孝太郎との離婚原因は田原桂一との不倫だった
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田原博子さんは、10年に渡る別居の末、片岡孝太郎さんと2013年に離婚しました。
別居の原因は、後に再婚する写真家の田原桂一さんとの出会いでした。田原桂一さんの経歴、元嫁について紹介します。
田原桂一のプロフィール
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田原 桂一(たはら けいいち)
生年月日: 1951年8月20日
没年月日: 2017年6月6日(65歳没)
出身地: 京都府京都市左京区
田原桂一さんは、写真家だった祖父の影響を受けて中学生の頃から写真を習い始めました。
高校を卒業すると、劇団「レッド・ブッダ・シアター」に入り、照明と映像を担当。
1972年に劇団のヨーロッパ公演に同行するためにフランスに渡ったのですが、日本とは違ったヨーロッパの光景に感銘を受け、そのままパリに滞在して写真家としての活動を開始しました。
田原桂一の光とは?
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田原桂一さんは生涯「光そのものの存在を見たい。光を自分の手でつかみ取りたい」という欲求を持ち続けた写真家でした。
そのため、「光」を扱った作品にこだわり、写真以外にも、彫刻や光のインスタレーションなども手がけてきました。
2000年には、田原桂一さんはパリ市から依頼を受け、サンタマルタン運河地下道に「Echos de lumière(光のエコー)」を設置しています。
田原桂一さんの「Echos de lumière」は、動画でも見ることができます。プリズムによって生まれた虹の光が、石壁を伝う様子はなんとも不思議な感覚になりますよね。
2001年には、パリ写真美術館の野外空間に「庭園Niwa」が常設されています。
2003年にもヨーロッパ文化イベントで作品を発表。2004年には、日本で個展「田原桂一 光の彫刻」が開催されました。
2006年にはパリ第七大学新校舎の外壁デザインを手掛け、それ以降も主にフランスで数々のプロジェクトで成功を収めています。
2008年以降は建築物のプロデュースも開始。銀座888ビル、沖縄県宜野座村リゾート開発プロジェクトなどを手掛けました。
田原桂一は離婚歴があった
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田原桂一さんは田原博子さんと結婚する前、元嫁である友松美幸さんと結婚していました。
友松美幸さんはフランス文化庁に勤務し、日本とフランスの文化の懸け橋として尽力していた人物として知られています。
田原博子さんと田原桂一さんが出会った時点で、すでに友松美幸さんとは離婚協議の交渉を行っている状態だったようです。
そのため、田原博子さんとの不倫が離婚の直接の原因ではないようで、なぜ田原桂一さんが友松美幸さんと離婚したのかは明らかになっていません。
なお、離婚後の友松美幸さんは体調を崩して日本に帰国。その後、病は癒えることなくほぼ寝たきりの状態となり、2016年に死去しています。
友松美幸さんの友人によると、どんな時も決して弱音を吐くことなく気丈な強さを持っていた女性だったようです。
田原博子と再婚相手・田原桂一の馴れ初めとは
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田原博子さんが田原桂一さんと出会ったのは33歳の頃なので、2003年~2004年あたりになります。
双方結婚していた身でしたが、どんな馴れ初めだったのでしょうか。
田原桂一の一目惚れだった
田原桂一さんと初めて会ったのは、京都の宵山祭りの夜だったそうです。
この時、田原博子さんは白い着物を着ていたのですが、その可憐な美しさに田原桂一さんは一目惚れ。
ただ、この時は何も起こらず、数年後に京都の教会で偶然2人は再会したといいます。
お互いに「博子ちゃんだよね?」「田原さんですよね?」と挨拶を交わし、田原博子さんはまだ何も始まっていないのに、再会した瞬間に衝撃を感じたと以下のように語りました。
私の中にこれまでの人生で貯め込んできたものが、風船のようにパンと弾けたとも言えます。
また、子供を産んで3年、さまざまな経験を積んできて、私の中にある“女という生き物が持つ何か”が、一気にふくらんで開いていくような実感もありました。
引用:不倫でも惹かれ合った田原桂一という人の力 – 現代メディア https://gendai.media/
田原博子さんは「どうしよう。こんなに素敵な人がこの世の中にいるんだ」とうろたえてしまったことを日記に書き残していました。
その後、田原桂一さんは「僕たちは出会ってしまったんだ」と熱い気持ちを以下のようにぶつけてきたそうです。
この世には結ばれるべくして結ばれる二人がいる。たとえどちらかが結婚していたり、子どもがいたとしても、それはたまたまというもの。先にそういうことがあったというだけなのだ。運命によって結びつく二人は、この世に存在するだろう。
引用:梨園の妻が出会った奇跡の愛 – 現代ビジネス https://gendai.media/
ほどなくして、2人は交際に発展します。
ただ、田原博子さんは「田原桂一さんのことが好きでたまらないのに、梨園の妻も全うしたい。でも体は1つしかない。体が2つになればいいのに」と苦悩を抱えていくことになりました。
出典:https://katzesokuhou.com/
悩んだ末に、田原博子さんは片岡千之助さんを連れて家を出て、田原桂一さんと3人で新しい生活をスタートさせます。
ただし、息子を一人前の歌舞伎俳優として育てるために、別居しながらも田原博子さんは懸命に息子をサポートしました。
また、2人のデートには息子の片岡千之助さんを連れて行くことも多く、田原桂一さんは片岡千之助さんに深い愛情を注ぎ続けてくれていたので、とても懐いていたとのこと。
片岡千之助さんは田原桂一さんが作る料理が大好きで、今も「おじちゃんが作ってくれた鶏飯とマーボ豆腐が食べたいな」とこぼすそうです。
林真理子さんが『奇跡』を執筆する際に、片岡千之助さんに「お母さんの恋人と一緒にいるのは、正直どんな気持ちだった?」と質問したことがありました。
片岡千之助さんからは、意外なことに「3人でいる心地よさがすごくあった」と返事が返ってきたんだとか。
普通に考えると、片岡千之助さんは当時難しい年頃だったはずで、母親の恋愛に嫌悪感を持ったとしてもおかしくはありません。
林真理子さんは「純粋で崇高な愛があったからこそ、息子さんがそう感じたに違いない」と感動すら覚えたとコメントしています。
その後の協議の末、2013年に片岡孝太郎さんとの離婚が成立し、田原博子さんはようやく田原桂一さんと晴れて夫婦になりました。
田原博子と再婚相手・田原桂一との結婚生活エピソード
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田原桂一さんと10年に渡る事実婚を続けていたので、入籍したからといって生活に大きな変化はなかったそうです。
ただ、一緒に暮らす中で、豊かな気持ちになれる幸せを手に入れたことを明かしています。
自分らしく生きる意味に気が付く
いつからか、田原博子さんは田原桂一さんの仕事のパートナーも務めるようになります。
しかし、田原桂一さんから「作品を覚えなさい」、「これをしなさい」といった指示を受けたことはないそうです。
一貫して「博子ちゃんらしく生きなさい」と言われていたそうで、最初のうちは意図が分からず困惑していたといいます。
妻として母親としてなすべきことをしているのに「自分らしく」とはどういうことなのか、と疑問が渦巻いていた田原博子さん。
年月が経過する中で、次第に自分が「こうあるべき」という形にとらわれてしまい、周囲からの期待に応えることだけに目が行きがちだったことに気が付いたのです。
このことに気が付いてから、田原博子さんはパートナーがいる幸せだけではなく、パートナーの周囲にいる人々にまで大切に思えるようになったといいます。
田原博子さんが満ち足りた結婚生活を送っていたことが伝わってくるようですね。
田原博子の再婚相手・田原桂一は2017年に死去
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初めて出会った日から約10年が経過して、再婚に踏み切ったものの、田原桂一さんは肺がんを患って2017年6月6日に死去しています。
田原桂一さんは病院での闘病生活中、不安な気持ちを抱える田原博子さんに微笑みながら「大丈夫だよ。僕が博子ちゃんを置いて逝くわけがない」と息も絶え絶えに励ましてくれたそう。
田原桂一さん死去後の田原博子さんは、株式会社ビィルトを立ち上げて、現在も田原桂一さんの作品のプロモーション活動を精力的に行っています。
田原博子をモデルとした小説「奇跡」とは
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林真理子の書き下ろし小説『奇跡』
2022年2月に出版された、林真理子さんの実名小説『奇跡』は、田原博子さんと田原桂一さんの愛を綴った物語。
なぜ林真理子さんは実名小説を書こうと思ったのでしょうか。また、田原博子さんと林真理子さんの意外な関係についても紹介します。
著者・林真理子とはママ友の関係だった
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著者の林真理子
田原博子さんと林真理子さんは、息子の片岡千之助さんと林真理子さんの娘が同じ幼稚園に通っていたことから、ママ友として交流を持ってきました。
疎遠な時期もあったものの、田原博子さんが田原桂一さんと再婚した時の披露宴に参列したことがきっかけに再び仲良くなりました。
馴れ初めを聞いた林真理子さんから「2人の愛を小説として書きたい」とオファーがあった当初は、田原博子さんは断り続けたといいます。
元旦那の片岡孝太郎さんは伝統ある歌舞伎俳優ですし、元義理の父親は人間国宝であるため、「彼らに迷惑をかけてしまうことは避けなければ」と考えると承諾できなかったのです。
コロナ禍で起きた心境の変化
頑なに林真理子さんからのオファーを断り続けてきた田原博子さんですが、2020年にコロナ禍に入ったことをきっかけに心境の変化があったといいます。
病院を簡単に受診できなくなり、救急搬送困難件数も急増して多くの人の命が失われていきました。
田原博子さんは「生命には限りがあり、生と死が隣り合わせだと感じるようになった」と、当時の心境の変化をインタビューで明かしています。
そして、「今こそ、田原桂一さんとの物語を書いてもらう時が来たのだ」と本能的に感じて、林真理子さんに「どうか田原と私の物語を書いて欲しい」とお願いしたそうです。
こうして、林真理子さんは38年ぶりの書き下ろし小説『奇跡』の執筆活動に入りました。
田原博子は周囲への配慮をしていた
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不倫がテーマの実名小説を出版するにあたり、田原博子さんは世の中の反応も大きいだろうと心配もしていました。
そのため、本が発売される前には、歌舞伎関係者への説明のために時間を割き、コロナ禍ではありましたが、なるべく対面の場を設定して丁寧に説明して回りました。
元義理の両親に対しては、対面の説明だけではなく便箋8枚の手紙に、出版の挨拶とこれまで育ててくれた感謝の気持ちを綴っています。
本が出版されると大きな注目を集め、たちまち10万部売上を記録しましたが、田原博子さんが心配していた元義理の両親との関係は現在も良好であるそうです。
田原博子の現在① 年齢は53歳に
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2023年1月31日で田原博子さんは53歳になりましたが、インスタには、今も若々しく、スタイルの良さが伝わってくる画像がたくさん投稿されています。
誕生日前日の1月30日には、チョコペンで「Happy birthday」と書かれたデザートが乗せられたお皿を持つ片岡千之助さんの手の写真を、インスタにアップ。
田原博子さんは「久しぶりに息子と2人きりに。息子の指先が写っている写真を見てふっと思い出すのは息子を叱り続けた日々」と、昔を懐かしく思ったという心境を吐露しました。
歌舞伎俳優として活躍する片岡千之助さんを見ると頼もしく思う反面、手を離れて少し寂しく感じることもあるのかもしれませんね。
田原博子の現在② 本宅と別荘を行き来する生活
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田原博子が公開した箱根の別荘内部
田原博子さんは田原桂一さんが元気だった頃、箱根に別荘を購入しています。
そして、今も仕事がひと段落した時には必ず別荘を訪れているそうです。
田原桂一のDIYがいい味わいに
別荘は、かつて企業の保養所として使われていた建物で、別荘とアトリエを兼ねて田原博子さん夫妻は使うようにななりました。
リビングから続く別棟にある室内スカッシュコートを一目見た田原桂一さんは「アトリエとして使える」と閃いて、即決で契約したんだとか。
田原桂一さんはとても器用な人物で、暗室やカウンターをDIYで作ってしまったそうです。
購入当初は昭和感が溢れていたものの、田原桂一さんのパリ時代の家具や大きな作品を設置してみたところ、却って新しい雰囲気となり、田原博子さんはとても気に入っているんだとか。
オンオフを切り替えている
箱根の別荘へは、田原博子さんが自身で東京から車を運転して向かうそうです。
緑のトンネルが美しい山道を通過すると、不思議と気持ちと思考がクリアになっていくんだとか。
箱根の別荘の住所や外観は不明ですが、内装はファッション雑誌『Precious』のWEBサイトで公開されました。
元保養所だけあって、敷地面積が広大で、建物の天井が高いことが画像を見るだけでも伝わってきます。
別荘に到着すると、東京で購入した花をリビング、ダイニング、寝室に飾り、季節や気分で花瓶を変えて楽しむことがルーティンだそうです。
また、別荘では、息子や友人達と過ごすこともありますが、1人で気持ちをリセットしたり、次の展覧会のアイディアを練ったりすることもあるそう。
田原桂一さんが生前集めていた様々な素材で作られたオブジェは、今でもそのままにしていて、これからも愛した人との思い出の場所として大切にしていくつもりと語っています。
田原博子の元旦那・片岡孝太郎の現在
出典:https://www.oricon.co.jp/
田原博子さんの元旦那である片岡孝太郎さんの現在についても紹介します。
片岡孝太郎さんの年齢は、2023年2月時点で55歳。再婚して、新たに子供が誕生したことが判明しています。
現在の嫁は14歳年下のデザイナー
出典:https://www.pakutaso.com/
片岡孝太郎さんが再婚を発表したのは2015年3月31日で、実際に入籍したのは3月14日です。
新たに嫁となったのは、14歳年下のデザイナー・真麻さん。
2人は落語家の林家木久蔵さんの誕生日会で出会い、食事などデートを重ねる中で次第に意気投合して交際に発展したんだとか。
片岡孝太郎さんのブログを確認すると、2015年3月14日に湯島天神で挙式を執り行ったと報告しています。
また、ブログには真麻さんと手を繋いだ写真がアップされていますが、残念ながら現在も顔写真は公表されていません。
次男が誕生している
真麻さんとの間には2021年3月に次男が誕生しています。
この時の片岡孝太郎さんの年齢は53歳ということもあり、「改めて長生きしたいと思います」と次男の誕生に喜びの声を発表しました。
今でも片岡孝太郎さんは次男が可愛くてたまらないらしく、公式ブログに頻繁に写真をアップしています。
2023年2月26日には、次男と羽田空港に出掛け、一緒に飛行機を眺めてからレストランでランチを楽しむ様子をアップしました。
ちなみに、次男は2023年3月で2歳になりますが、現在のところ初お目見えの予定などは出ていません。
まとめ
田原博子さんのプロフィールや実家、若い頃の経歴、元旦那の片岡孝太郎さんとの結婚や子供、離婚の理由、田原桂一さんとの再婚やその後、現在の年齢や様子についてまとめました。
2022年に林真理子さんが出版した実名小説『奇跡』で、田原桂一さんとの出会いや息子である片岡千之助さんとの関係などが明らかになり、大きな反響を呼んでいます。
現在の田原博子さんは53歳になり、会社経営を続けています。そして仕事の合間には、田原桂一さんが元気な時に購入した別荘でリラックスしているようです。
穏やかに、そして充実した生活を送っている田原博子さん。今後も応援していきたいですね。