元内閣総理大臣の森喜朗は数々の失言で注目を集めましたが、がんで激やせした姿や息子の死因も話題です。
今回は森喜朗元首相の経歴、息子・森祐喜の死因、嫁・智恵子夫人の結婚エピソード、がんで激やせした現在をまとめました。
森喜朗・元首相とは
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森 喜朗(もり よしろう)は日本の政治家で、2000年から約1年に渡り、第85代・第86代の内閣総理大臣を務めました。
現在は、2020年の東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長を務めており、現役で活動しています。
森喜朗のプロフィール
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名前:森喜朗(もり よしろう)
生年月日:1937年7月14日
出身地:石川県 能美郡 根上町
選挙区:石川2区
当選回数:14回
学歴:早稲田大学商学部
森喜朗は石川県立金沢二水高校を卒業後、早稲田大学第二商学部に入学し、商学士の称号を取得しました。
元々はラグビーのスポーツ推薦で入学しましたが、胃潰瘍により退部しています。その後ラグビー好きが高じて、日本ラグビーフットボール協会名誉会長の座に就いています。
政治家としては1969年の衆議院選挙で初当選し、1983年には文部大臣に入閣。文部大臣を1年務めた後、通商産業大臣、建設大臣をそれぞれ1年務めています。
2000年4月5日、脳梗塞で緊急入院した小渕恵三首相の後を継いで、内閣総理大臣に就任。
在任期間は2000年4月5日から2001年4月26日と、わずか1年の総理大臣となりました。
問題発言を連発した森喜朗
総理大臣を務めていた当時、問題発言の多さが槍玉に挙げられた森喜朗。
その最たるものとして「神の国」が有名です。
2000年5月15日、神道政治連盟国会議員懇談会結成三十周年記念祝賀会で演説した森喜朗は、「日本は天皇を中心とした神の国」と発言しました。
日本は天皇を中心としている神の国ということを国民にしっかりと承知してもらう、との趣旨の発言は大々的に報道されました。
民主党も「日本は神の国? いいえ、民の国です」と批判するなど、大きな波紋を呼びました。
他にもえひめ丸沈没事故の際に事故の報告を受けた後もゴルフを続け、批判する記者団に「ゴルフが悪いことなのか!」と怒鳴ったこともあります。
さらには、「無党派層は寝てしまってくれればそれでいい」とも発言するなど、数々の失言を残しています。
このことから首相としての資質に欠けるとの批判が殺到し、メディアで多くの問題発言が取り上げられ、マスコミからも批判が集中。
結局、辞任に追い込まれることとなりました。
森喜朗の息子・森祐喜とは~生前の黒い噂・謎の多い死因も紹介
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森喜朗の息子で政治家だった森祐喜。社団法人小松青年会議所の第44代理事長で、石川県議会議員、石川県議会建設委員長などを歴任してきました。
46歳という若さで亡くなった息子ですが、どうやら死因や私生活にキナ臭い噂が浮上しているようです。
ここでは、森喜朗元首相の息子である森祐喜のプロフィール、死亡した理由や私生活の噂まで、気になる情報を紹介します。
森祐喜のプロフィール
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生年月日:1964年10月15日
没年月日:2011年7月25日(46歳没)
出身地:石川県 能美郡 根上町
死没地:石川県 金沢市
学歴:玉川学園高等部卒業→東海大学教養学部中退
所属政党:自由民主党
森祐喜の生家である森家は、石川県能美郡根上町の名家です。
父の森喜朗が政治家であることはもちろん、曾祖父の森喜平は石川県能美郡根上町の初代町長、祖父の森茂喜も町長に就任するなど、幼い頃から政治は身近な存在でした。
東海大学教養学部を中退した後はアメリカ合衆国のジョージタウン大学に留学し、日本に帰国後は父の森喜朗の秘書として政治の世界に飛び込みます。
そして2000年、父の森喜朗が内閣総理大臣に就任すると、息子の森祐喜も衆議院議員公設第一秘書となり、父親を支えました。
翌年には小松青年会議所の理事長にも就任し、自身も石川県議会議員になるなど政治家として活動を始めます。
しかし問題も多数あったようで、2010年8月7日には飲酒運転でコンビニエンスストアに車で突っ込む事故を起こして逮捕されました。
その責任を取って、同日付で石川県議会の議員を辞職しています。
この時、事故を起こした時点で飲酒運転が明らかだったにも関わらず現行犯逮捕に至らず、任意同行した後に逮捕となったことが注目されました。
石川県の名家であり、父親が元首相の森喜朗ということで、何かしらの政治的な力が働いているのでは?と懐疑的な声が挙がったのです。
飲酒運転でコンビニに突っ込む事故を起こした時、車から降りる際に足元がふらついており、意味不明な言葉を発していたとの目撃と報道もありました。
飲酒ではなく、ドラッグを使用していたのではないかとの噂も流れました。
押尾学とホステスの薬物死亡事件との関係
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2009年に起きた銀座ホステスと俳優・押尾学の薬物服用によるホステス死亡事件でも、息子・森祐喜の名前が挙がっています。
ホステスの体調が急変したにも関わらず、適切な処置を行わなかったとして保護責任者遺棄致死の罪に問われ、実刑判決を受けたのは押尾学です。
しかし、押尾学の逮捕時に交友関係がある1人として息子・森祐喜の名前が挙がっています。
当時2期目の石川県議だった森祐喜は、亡くなったホステスと一緒に写った写真が存在し、ホステスが勤務していた銀座のクラブに押尾学と共に常連だったことなどが証言されています。
そして、押尾学の他に息子の森祐喜も、事件当時ホステスと一緒にいたのではないかという噂まで流れています。
出所後の押尾学は仕事をしている様子がないにも関わらず、俳優時代より羽振りが良く、誰かから援助を受けて生活しているようだとの記事も存在しています。
レストランでの飲食代、高級マンションでの生活など、裕福な私生活の資金は一体どこから出ているのでしょうか。
事件当時、現場にいたことを揉み消すために押尾学に口止め料を支払った人物が存在するのかもしれません。
押尾学を援助している人物は事件当時、政治家の秘書をやっていたと言われており、その点でも森祐喜との関連があります。
金の出どころは週刊誌の記者でも掴みきれてないようですが、森祐喜が関係しているという噂が流れるのは不自然ではないのかもしれません。
森祐喜の死因
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そんなキナ臭い噂が流れる森祐喜ですが、2010年10月31日に石川県能美市の自宅で倒れ、一時心肺停止状態に陥りました。
入院して一命を取り留めたものの、2011年5月頃より再び体調を崩して入院していましたが、2011年7月25日に入院先の病院で急性膵炎による多臓器不全のため46歳で死去しました。
葬儀は、家族のみの密葬で行われています。
繰り返す体調不良も薬物使用から来るものではと噂されており、森喜朗元首相の息子・森祐喜は薬物依存だったという説が実しやかに囁かれています。
森喜朗の嫁・森智恵子とは~馴れ初めや結婚生活エピソードも紹介
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元内閣総理大臣・森喜朗を支え、息子・森祐喜を育てた嫁はどのような人物だったのでしょうか。
森喜朗は愛妻家として知られており、2人の出会いは早稲田大学在学時に遡ります。
森智恵子夫人のプロフィール
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出身地:神奈川県横浜市
学歴:早稲田大学 教育学部
早稲田大学生時代、胃潰瘍でラグビー部を退部した森喜朗は、東南アジアからの留学生との交流を深めるサークル「国際学友会」に所属し、ここで後に嫁となる智恵子夫人と出会いました。
当時の彼女は水泳をしており真っ黒に日焼けしていたため、東南アジアからの留学生と間違えて森喜朗が「お国はどちらですか?」と声を掛けたのが始まりです。
そこから仲を深め、結婚するまでになった2人。
結婚生活では、森喜朗が出張に出かけた際に1日1回は用事がなくても嫁に電話を掛けるほどの愛妻家として知られています。
森喜朗は自民党に入党してから着実に出世の階段を登り、幹事長の座に着きました。
その頃に自民党国会議員の夫人たちが集まる会で食事会が催された際、智恵子夫人から発された言葉が話題になっています。
夫人達の間で〝夫のために死ねるか〟という話題が出た際、ほとんどの夫人達は「子供のためなら死ねるけど、夫のためには…」と否定の言葉を口にしました。
しかし、そこで智恵子夫人だけが「子供のためにも死ねるけど、夫のためにも死ねる」という肝の座った発言を残したのです。
彼女は「代議士の嫁の見本」と言われるほど、立ち振る舞いがしっかりしています。
夫を第一に考えて控えめにわきまえる態度でいることはもちろん、肝の座った芯の強さで外国の要人にも物怖じせず接し、堂々とした姿と古き良き大和撫子の姿を使い分けます。
その一方で、森喜朗が「神の国」発言などでマスコミに叩かれていた時も夫を叱咤激励した智恵子夫人。
退陣が決まった直後には「やっと終わる。これでせいせいする。終わったらパーティーでもやりましょう」と親しい議員夫人に語るなど、サバサバした思い切りの良い性格でも有名です。
夫の森喜朗の選挙区を守り、夫の政治家の道を支える…夫を徹底的に優先するその内助の功があったからこそ、森喜朗は内閣総理大臣にまで上り詰めたのかもしれません。
森喜朗の現在~がんで激やせした姿が話題に
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2016年3月に公の場に立った際、がんの手術をしていたことを明らかにした森喜朗元首相。
2020年の東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長の立場であるため、がんの病状や余命について注目が集まりました。
メディアの前に登場した森喜朗は、見るからに激やせした状態の姿を見せました。
本人によると、100kg以上あった体重が85kgまで落ちたようで、肺がんの手術をしたばかりで激やせしたことを報告しました。
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一度肺がんの除去手術を受けたものの、2015年には再発が見つかり、抗がん剤治療を始めた森喜朗。
抗がん剤の副作用に苦しみ、激やせしてしまうほど体調が悪化していた彼を救ったのは、「オプジーボ」です。
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オプジーボは画期的ながん治療薬として近年話題になっているもので、人間の免疫力を利用してがんを退治する「免疫療法」 の一種です。
その効果は絶大と言われており、過去には悪性の皮膚がんで余命半年と宣告されたがん患者からがん細胞を消し去ることに成功するなど、がん患者にとって奇跡的な効果を上げています。
ただこのオプジーボはかなり価格が高く、森喜朗が治療を受けた当時は1瓶(100mg)あたり約73万円という高額な治療薬です。
体重にもよりますが、1年間でかかる費用は3500万円以上にものぼり、一握りの富裕層でなければ受けることができない治療でした。
現在は100gで17万円まで下がり、がん治療に大きな希望が生まれています。
副作用と体調悪化に苦しんでいた森喜朗は、このオプジーボを使用したことで体力が回復し、急激に改善して1人で歩けるまで体調が戻りました。
激やせしたものの、公の場に立つことができるまでに回復したのは素晴らしい効果です。
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森喜朗は自身の余命について「このままどれだけ持つか分からない」と語っています。
ですが、2020年東京五輪に向けて「東京都のため、オリンピックのため、痩せるような思いで頑張っている」と気合を込めた思いを述べています。
森喜朗は、過去にもがん手術を受けています。
総理大臣に就任した直後に前立腺がんが見つかりました。当時は総理大臣就任直後ということもあり至急の手術を受けることはせず、在任期間が明けた2002年にがん手術を受けました。
こうして何度かのがん手術を受け、がんと闘ってきた森喜朗が、闘病生活や政治家としての人生を綴った手記を発表しました。
森喜朗の手記「遺書」
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森喜朗の手記「遺書」は、2020年東京五輪に向けて指揮を執る中での肺がんの闘病記録、日本オリンピック委員会(JOC)や現東京都知事の小池百合子との確執まで赤裸々に綴られ、話題になっています。
石原慎太郎、猪瀬直樹、舛添要一、小池百合子といった歴代東京都知事とのやりとりも綴られており、オリンピック組織委会長に就任してからの興味深い話を読むことができます。
まとめ
元首相・森喜朗の現在、嫁や息子について紹介しました。
がんで激やせした姿でも東京五輪に向けて指揮を執る森喜朗。現在も現役で政治の世界に身を投じる政界の大物は、今後どんな活躍を見せてくれるのでしょうか。
生涯現役の政治家・森喜朗の今後にも注目です。