元スピードスケート選手の自民党議員・橋本聖子さんのキス強要写真が蒸し返されています。
この記事では橋本聖子さんの身長や学歴、若い頃の画像や経歴、家族や結婚した旦那さんと子供、高橋大輔さんへのキス強要騒動の内容と週刊文春が掲載したキス強要写真、現在についてまとめました。
この記事の目次
- 橋本聖子のプロフィール
- 橋本聖子の身長
- 橋本聖子の学歴① 出身小学校は「早来町立早来小学校」
- 橋本聖子の学歴② 出身中学校は「早来町立早来中学校」
- 橋本聖子の学歴③ 出身高校は「駒沢大学附属苫小牧高等学校」
- 橋本聖子の若い頃の経歴や画像① サラエボオリンピック出場
- 橋本聖子の若い頃の経歴や画像② カルガリーオリンピック出場
- 橋本聖子の若い頃の経歴や画像③ ソウルオリンピック(夏季)に出場
- 橋本聖子の若い頃の経歴や画像④ アルベールビルオリンピック出場
- 橋本聖子の若い頃の経歴や画像⑤ バルセロナオリンピック(夏季)出場
- 橋本聖子の若い頃の経歴や画像⑥ リレハンメルオリンピック出場
- 橋本聖子の若い頃の経歴や画像⑦ 参議院議員選挙に出馬し当選
- 橋本聖子の若い頃の経歴や画像⑧ アトランタオリンピック(夏季)出場
- 橋本聖子の家族① 実家の家族は両親と歳の離れた兄と姉が3人
- 橋本聖子の家族② 結婚は1998年で旦那は元警視庁巡査部長の石崎勝彦氏
- 橋本聖子の家族③ 子供は旦那・石崎勝彦氏の連れ子を含めて6人
- 橋本聖子は高橋大輔に対するキス強要事件を週刊誌報道され批判された事も
- 橋本聖子の高橋大輔へのキス強要の写真も出回り拡散される事態に
- 橋本聖子の現在…高橋大輔へのキス強要騒動がネットで蒸し返されている
- まとめ
橋本聖子のプロフィール
橋本聖子のプロフィール
生年月日:1964年10月5日
出身地 :北海道勇払郡早来町(現在の安平町)
身長 :156cm
血液型 :B型
橋本聖子さんは、1984年のサラエボオリンピックから1996年のアトランタオリンピックまで合計7回のオリンピックに出場したスピードスケートと自転車競技の元選手(冬季と夏季両方のオリンピックに出場)で、1995年から現在まで参議院議員を務めている自民党所属の政治家です。
橋本聖子さんは若い頃はスピードスケート選手として国民的人気を誇った選手で、1992年のアルベールビルオリンピックでは女子スピードスケート1500m種目に出場し銅メダルを獲得。これは当時、日本人女性として同競技での史上初となるメダル獲得でした。
政治家としては、2019年から2021年にかけて東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会担当大臣・内閣府特命担当大臣(男女共同参画)を務め、2021年からは失言で辞任した森喜朗さんの後任として東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長に就任し注目されました。
橋本聖子の身長
橋本聖子さんの身長は「156cm」です。
橋本聖子さんはスポーツ選手としては恵まれた身長や体格ではありませんでしたが、輝かしい実績を残した事でも度々話題にされています。
天与の体格や運動能力やパワーが圧倒的に優れていたからではない。身長は156cmと小柄。
ただし、スピードスケートという競技では身長が低い方が空気抵抗が少なくなり有利な点もあるとされているため、低身長であるから全てが不利というわけではありません。
橋本聖子の学歴① 出身小学校は「早来町立早来小学校」
橋本聖子さんは北海道勇払郡早来町の出身で、出身小学校は地元の公立「早来町立早来小学校」(現在は閉校)で1971年4月に入学されています。
橋本聖子さんは小学校に上がる前、3歳の時に冬になると凍る近くの池でスケートを始め、小学校入学後の1年生の時に札幌オリンピックをテレビで観戦し、スピードスケートという種目がある事を知って、オリンピック出場を夢見るようになり、家族にお願いして小学校2年生から地元のスポーツ少年団に入団して本格的にスピード競技を始めています。
しかし、小学校3年生の春頃に腎臓病に罹患し小児病棟へ入院。2ヶ月ほどで退院できたものの、小学4年生の夏休み明けくらいまで療養生活を送られています。そして、医師の判断により2年間はスケートはおろか、学校の体育の授業を含む全ての運動が禁止されました。
橋本聖子の学歴② 出身中学校は「早来町立早来中学校」
橋本聖子さんは小学校を1977年3月に卒業後は地元の公立「早来町立早来中学校」(現在は閉校)へ1977年4月に入学されています。
橋本聖子さんは中学2年生の時に本格的にスケート競技の練習を再開し、家族のもとを離れて苫小牧市のコーチの自宅に下宿して徹底的にスケートに打ち込みました。
才能を開花させた橋本聖子さんは、中学3年だった1981年12月に第50回全日本スピードスケート選手権大会に出場して初制覇を果たしています。なお、橋本聖子さんはこの初優勝から連続優勝記録を10に伸ばして、この記録は現在も破られていません。
橋本聖子の学歴③ 出身高校は「駒沢大学附属苫小牧高等学校」
橋本聖子さんは1980年3月に中学を卒業後、同年4月にスポーツ強豪校である「駒澤大学附属苫小牧高等学校・普通科・総合進学体育系コース」へ進学しました。
高校進学後も苫小牧市のコーチ自宅での下宿生活を続け、高校1年生で世界ジュニア選手権の日本代表に初選出され、高校2年で全日本スプリングスピードスケート選手権大会および全日本スピードスケート選手権大会を制覇し、国内の高校生最強選手と目されるようになります。
ところが、1982年の高校3年生の秋、腎臓病が再発し入院を余儀なくされます。
橋本聖子さんはオリンピックに出場出来ないかもしれないと思い詰め、周囲の期待にも応えられないというプレッシャーから胃に穴が空いて円形脱毛症にもなり、さらには「PTSD」による「呼吸筋不全症」を発症。
橋本聖子さんは精神病院(現在の心療内科)に入院するも、ここでB型肝炎に院内感染し、1週間にわたって生死の境を彷徨います。医師からは「命の危険があるからスポーツをやめた方がいい」と勧められるほどだったそうです。
しかし、橋本聖子さんは不屈の精神力でリハビリをこなして奇跡のような復活を遂げ、退院後間も無く出場した全日本選手権で「4種目完全制覇」という離れ技をやってのけました。
橋本聖子の若い頃の経歴や画像① サラエボオリンピック出場
橋本聖子さんは1983年3月に駒澤大学附属苫小牧高校を卒業し、大学には進まずに富士急行株式会社へ入社してスピードスケート競技を続けています。
橋本聖子さんは1984年2月のサラエボオリンピックにてオリンピック初出場を果たしました。橋本聖子さんは当時の女子スピードスケートの全4種目に出場しましたがいずれも入賞には届きませんでした。
橋本聖子の若い頃の経歴や画像② カルガリーオリンピック出場
橋本聖子さんは1988年のカルガリーオリンピックに出場し、冬季五輪2連続出場を果たしました。当時のスピードスケート女子全5種目に出場し、全ての種目で日本新記録を達成し、入賞を果たしました。
橋本聖子の若い頃の経歴や画像③ ソウルオリンピック(夏季)に出場
橋本聖子さんは1988年のソウル夏季オリンピックに自転車競技で出場しました。冬季と夏季のオリンピック両方に出場するのは日本人として初でした。
橋本聖子さんはアメリカのエリック・ハイデンに憧れて(スピードスケートのレジェンド選手で自転車競技もしていた)、自転車競技にも取り組み始めたそうです。
橋本聖子の若い頃の経歴や画像④ アルベールビルオリンピック出場
橋本聖子さんは1992年のアルベールビルオリンピックに出場しました。冬季五輪出場は3大会連続で、当時の女子スピードスケート全5種目に出場し、1500m競技で日本人女性初となる銅メダル獲得の快挙を成し遂げました。
橋本聖子の若い頃の経歴や画像⑤ バルセロナオリンピック(夏季)出場
橋本聖子さんは1992年のバルセロナ夏季オリンピックに自転車競技で2大会連続の出場を果たしました。同大会では女子3000m個人パシュートで11位に入り自転車競技でも成績を上げました。
橋本聖子の若い頃の経歴や画像⑥ リレハンメルオリンピック出場
橋本聖子さんは1994年のリレハンメルオリンピックに出場。この大会で冬季五輪には4大会連続の出場で、日本選手団の主将も務めました。同大会では500mを除く4種目に出場し、3000mで6位入賞を果たしています。
橋本聖子の若い頃の経歴や画像⑦ 参議院議員選挙に出馬し当選
橋本聖子さんは30歳だった1995年に当時自民党幹事長だった森喜朗さんに勧められ、同年の第17回参議院議員通常選挙に自民党公認候補として出馬し、比例区で初当選を果たしました。
橋本聖子さんは国会議員になった後も選手生活を続ける事を表明しました。橋本聖子さんが政治の道へ進んだ理由は、日本のスポーツ界の改革に着手するためだったそうです。
橋本聖子の若い頃の経歴や画像⑧ アトランタオリンピック(夏季)出場
橋本聖子さんは1996年のアトランタオリンピック(夏季)に自転車競技で出場。女子3000m個人パシュートで12位、女子ポイントレースで9位を獲得されています。
- このアトランタオリンピックを最後に、橋本聖子さんは現役を引退されています。
橋本聖子の家族① 実家の家族は両親と歳の離れた兄と姉が3人
橋本聖子さんの実家の家族構成は、両親と歳の離れた兄と姉が3人いる6人家族で育ちました。
橋本聖子さんの両親は北海道の早来町で牧場を営んでおり、競走馬を主に生産していました。(上の画像のサングラスの白いスーツの男性が橋本聖子さんの父親の橋本善吉さん)
「聖子」という名前は、父親の橋本善吉さんが橋本聖子さんが生まれた年に開催された東京オリンピックの聖火にちなんでつけたそうです。
橋本聖子さんの父親の橋本善吉さんは2020年10月19日に96歳で亡くなっています。
橋本善吉さん(はしもと・ぜんきち=橋本聖子五輪相の父)19日、老衰のため死去、96歳。
出典:https://www.seiko-hashimoto.net/
橋本聖子さんは母親からは人生の節目で大切な事を教わったそうです。
橋本聖子さんは小学生の時に腎臓の病気で入院しましたが、その際に母親から「神様は誰に対しても平等に喜びと悲しみと、楽しさ、苦しさを与えてくれる。だから、最初に辛い事や悲しい事を与えられた人には、後に喜びや楽しみがたくさん残っている。だから、今病気になってありがたいと思いなさい」という言葉をもらったそうです。
また、「「悲しいとか苦しいとか思うときに、それをいかにしっかり受け止めて笑顔でいられるかが人間にとって大切な事なんだよ」と諭されたのだそうです。
橋本聖子さんの母親は2003年に胃がんで亡くなっています。74歳でした。
橋本聖子さんの兄弟姉妹は、兄が父親から牧場を継いだ橋本善一さん、長姉が元衆議院議員の高橋辰夫さん(2001年に72歳で死去)と結婚した睦さん、次姉が小熊あさ子さんで、橋本聖子さんの議員活動の手伝いをされていました。
橋本聖子の家族② 結婚は1998年で旦那は元警視庁巡査部長の石崎勝彦氏
橋本聖子さんは1998年に34歳の時に結婚されています。
橋本聖子さんの旦那さんは石崎勝彦さんという9歳年上の男性で、警視庁警備部警護課に所属されていた元巡査部長で大臣など要人の警護を担当するSPでエリート警察官でした。
橋本聖子さんと旦那さんの石崎勝彦さんは同じ北海道の出身で、結婚式は1998年12月19日に札幌市内の神社で挙げています。
橋本聖子さんと旦那さんの馴れ初めは1996年の事で、島村宜伸農林水産大臣(当時)の警護を担当していた石崎勝彦さんに、橋本聖子さんが一目惚れした事だったそうです。旦那さんの石崎勝彦さんは学生時代にラグビーをしていたそうで、橋本聖子さんはその筋肉に惚れたとも語られていた事があります。
その後、2年間の交際を経て、旦那さんの石崎勝彦さんの方から「生涯のSPをさせて欲しい」とプロポーズされて結婚されたのだとか。
橋本聖子の家族③ 子供は旦那・石崎勝彦氏の連れ子を含めて6人
出典:https://images.sukusuku.tokyo-np.co.jp/
橋本聖子さんは旦那さんの石崎勝彦さんとの間に3人の子供が生まれています。
また、旦那さんの石崎勝彦さんは前の妻と死別しており、その前妻との間に生まれた3人の連れ子がおり、橋本聖子さんの子供は合計で3男3女の6人です。
橋本聖子さんが出産した子供3人は、2000年4月12日に誕生した長女が「聖火(せいか)」さん、2004年に誕生した長男が「亘利翔(ぎりしゃ)」さん、2006年に誕生した次男が「朱李埜(とりの)」さんである事が明かされています。
子供3人はいずれもオリンピックに関連した名前で、若干キラキラネーム気味ですが、それだけ橋本聖子さんのオリンピックへの想いが強いという事でしょう。
また、橋本聖子さんは不妊治療に取り組んで3人の子供に恵まれた事も明かされています。
橋本聖子さんは旦那さんお連れ子の子供3人とも仲が良いそうで、その3人はすでに結婚していて子供も生まれ、橋本聖子さんは6人の孫がいるのだそうです。孫と一緒に遊んでいるという事なので、血のつながりはなくとも義理の子供達との関係はとても良いのでしょう。
夫には亡くなった先妻が遺した3人の子どもがいて、私には6人の子どもがいるわけですが、上の3人の子どもたちはすっかり大きくなってみんな結婚し、孫が6人になりました。ママたちより私のほうが体力があるので、遊ぶときはめいっぱい遊んでいます。
橋本聖子は高橋大輔に対するキス強要事件を週刊誌報道され批判された事も
2014年8月、橋本聖子さんがフィギュアスケートの大人気選手であった高橋大輔さんに、同年2月のソチ五輪の打ち上げの場でキスを強要したとの衝撃な内容を「週刊文春」が報じられ、セクハラではないかと批判され炎上しました。
キス強要の被害を受けたと報じられた高橋大輔さんはその後、「大人同士でハメを外しすぎた。パワハラ、セクハラとは思っていない」と釈明した事で一旦は炎上は鎮火しました。
フィギュアスケート男子の高橋大輔選手(28=関大大学院)が8月21日、2月にあったソチ・オリンピックの打ち上げパーティーで、日本スケート連盟会長で自民党の橋本聖子参院議員(49)からキスを強要されたと週刊文春が報じたことについて、「パワハラ、セクハラとは思っていない」などと語った。
この事態を受けて、橋本聖子さんは謝罪のコメントを発表しています。
橋本聖子参院議員(49)が23日、「私の行動に関する報道により、多くの皆様にご迷惑、ご心配をおかけして、大変申し訳ございませんでした」とのコメントを発表した。週刊誌にはソチ五輪で日本選手団の団長を務めた橋本議員が、高橋選手に抱きついてキスする写真が掲載された。「打ち上げは選手たちの健闘をたたえ、慰労するために設けたものでしたが、私の行動は甚だ軽率であったと深く反省しております」とした。
しかしそれから年月が経過した2021年2月18日、橋本聖子さんは女性蔑視発言を批判され辞任した森喜朗元首相の後任として、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長に就任しますが、「週刊文春」(2021年2月25日号)が、「高橋大輔『キス強要』橋本聖子はセクハラ常習犯」と題する記事を掲載し、過去のキス強要事件を蒸し返しました。
週刊文春では、橋本聖子さんが「頑張った息子に、ママのところに来なさい、という思い。最初は嫌がっていたが、その後はそんなことはなかった」などと周囲に語っていたとも書かれていて、またしても批判が殺到する事になりました。
しかも、オリンピックに関わる人物のスキャンダルという事に加え、高橋大輔さんは海外でもよく知られるフィギュアスケート選手だった事もあり、各国のメディアもこのキス強要事件を大きく報じる事態に発展し、日本の恥を晒す結果となってなってしまったのです。
橋本聖子氏が森喜朗氏の後任に浮上した2月15日頃から、海外メディアがその動きを伝えつつ、橋本聖子氏の人となりの紹介記事の最後には決まり文句のように「男子フィギュアスケート選手へのSexual harassment(セクハラ行為)が日本の雑誌に報道された」と書かれた。AFP通信、米紙ワシントン・ポスト、米紙スター・トリビューン、中国スポーツメディア新浪体育……など。
橋本聖子の高橋大輔へのキス強要の写真も出回り拡散される事態に
橋本聖子さんの高橋大輔さんに対するキス強要騒動を報じた「週刊文春」の記事では、橋本聖子さんと高橋大輔さんが立った状態でキスをしている瞬間の写真が掲載されました。
このキス写真はネット上で拡散され、橋本聖子さんへの批判が集まる事態となりました。口と口のキス強要は流石にありえないですね。
橋本聖子の現在…高橋大輔へのキス強要騒動がネットで蒸し返されている
現在、国民の間で自民党への批判の声が高まっている事もあってか、ネット上では橋本聖子さんのこの高橋大輔さんへのキス強要事件が蒸し返されている模様です。
キスを強要する橋本聖子議員。
— darrellmay(ダレルメイ) (@architecturemay) July 19, 2024
家宅捜査を受ける堀井学議員。 https://t.co/t5DTZOIi11 pic.twitter.com/9tAHg7ByUl
女性から男性への性加害問題もある。橋本聖子による高橋大輔さんへのセクハラ行為。ハグやキスを強要する橋本聖子に高橋さんは「ハラスメントはなかった」と言ったが、言わされたのか。周りから見ていても嫌な気持ちしかしない。これが権力に物を言わせた行為だ。pic.twitter.com/cSNMA9Mdjv
— 世間はこいつらを忘れてはならない!この事件を風化させてはならない! bot版 (@bot_never4get7) September 29, 2024
男女のセクハラに関しての基準ってどうしてこんなに違うんだろ
— LBX1112 (@lbx11122023) November 29, 2024
森喜朗
女性がたくさん入っている会議は時間がかかると発言
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事実なのに大批判され辞任
橋本聖子
選手団団長、スケート連盟会長の立場ではるか年下の高橋大輔にキス
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本人は文書で軽く謝罪、高橋はしっかり謝罪
お咎めなしで会長に pic.twitter.com/ODZTBqmvQR
まとめ
今回は、オリンピックに冬季と夏季合わせて7度出場した元スピードスケートおよび自転車競技選手で、現在は自民党所属の参議院議員を務める橋本聖子さんについてまとめてみました。
橋本聖子さんは身長156cmの小柄な体格でありながら世界で活躍したスピードスケート選手として若い頃は国民的人気がありました。
橋本聖子さんの学歴は早来町立早来小学校、早来町立早来中学校、駒澤大学附属苫小牧高等学校卒業で中学・高校時代から世代トップの選手として活躍しました。
橋本聖子さんの実家の家族は、牧場を経営していた父親の橋本善吉さんと母親、兄と姉が計3人です。
橋本聖子さんは1998年に元警視庁のSPの石崎勝彦さんと結婚し、3人の子供が生まれています。旦那さんの石崎勝彦さんには死別した前妻との間に3人の連れ子がおり、橋本聖子さんは合計6人の子供の母親です。石崎勝彦さんの連れ子3人は皆結婚していて子供がおり、橋本聖子さんには6人の孫がいて、一緒に遊ぶ事もあるのだとか。
橋本聖子さんは2014年には、フィギュアスケート選手の高橋大輔さんに対するキス強要のスキャンダル報道で批判が殺到した事がありました。その際にはキスをする写真まで拡散される事態となり、2021年に東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長に就任した際にもこれが蒸し返されて海外メディアにまで報じられる事態となりました。
現在も、橋本聖子さんは自民党の参議院議員として活動されていますが、2024年現在は自民とへの批判が国民の間で強まっている中で、かつての高橋大輔さんへのキス強要騒動がまたしても蒸し返されています。