平野早矢香さんはロンドン五輪で銀メダルを獲得した元卓球選手で、かわいいルックスの一方、「卓球の鬼」とも呼ばれていました。
今回は平野早矢香さんの国籍・身長、実家や家族、高校など経歴、結婚した旦那や子供、現在を紹介します。
この記事の目次
- 平野早矢香の身長&国籍などプロフィール 【愛称は「卓球の鬼」】
- 平野早矢香の家族① 両親も卓球をしており、お正月は実家に大集合
- 平野早矢香の家族② 弟は卓球選手の平野友樹
- 平野早矢香の家族③ 妹は平野美宇?
- 平野早矢香の生い立ち① 5歳で卓球を始める
- 平野早矢香の生い立ち② 中学・高校は仙台育英へ
- 平野早矢香を輩出した仙台育英とは?出身選手は?
- 平野早矢香の経歴① ライバルばかりのミキハウス入社を決意
- 平野早矢香の経歴② 日本卓球界初の銀メダリストに
- 平野早矢香の経歴③ 2016年に現役を引退し、コーチ・解説者の道へ
- 平野早矢香がかわいいと話題に・愛称は「卓球の鬼」
- 平野早矢香の現在① 卓球解説者やコメンテーターとして活躍中
- 平野早矢香の現在② 2021年に結婚・旦那は一般人で「優しい人」
- 平野早矢香の現在③ 2022年8月に妊娠を発表・年末に子供を出産予定
- まとめ
平野早矢香の身長&国籍などプロフィール 【愛称は「卓球の鬼」】
生年月日:1985年3月24日
出身地:栃木県
所属:ミキハウス、ノースプロダクション
平野早矢香さんは元卓球選手で、現在はコーチや解説者として活躍しているほか、タレントとしても活動しています。
身長158cmと小柄な印象の平野早矢香さんですが、現役時代の愛称は「卓球の鬼」。2012年の「ロンドンオリンピック」では、女子団体銀メダリストとなりました。
また、国籍に関して「中国から帰化した」という噂があるようですが、これはガセで、日本国籍の日本人のようです。
平野早矢香の家族① 両親も卓球をしており、お正月は実家に大集合
平野早矢香さんは、父親の司さんと母親の美恵さんの元に、3兄弟の長女として誕生しました。
- 両親も卓球をしており、どちらもトップ選手という訳ではなかったものの、社会人になっても卓球を続けていたのだとか。
そのため、平野早矢香さんも幼い頃から両親の試合に連れられ、ボールやラケットで遊んでいたといいます。
インタビューで「ご両親は卓球選手にしたいと思っていたのか」という質問に対し、平野早矢香さんは以下のように回答。
まったく思っていなかったそうです。「まさか、こんなふうになるとは」と驚いていました(笑)。もちろん、応援はしてくれていましたが、英才教育ということはありませんでした。
また、ご両親もインタビューにて以下のように語っています。
私たち夫婦も学生時代から卓球をやっていて、よく練習や試合に連れて行きましたが、子どもたちに卓球をやらせようとは思っていませんでした。たまたま知り合いの先生にお会いし、子どもの卓球クラブがあることを知りました。本人も「行ってみたい」と言うので、5歳で鹿沼市の華卓会に通い始めました。
2019年のお正月には、三が日を実家の家族そろって過ごす様子をブログに投稿しており、家族仲の良さがうかがえました。
平野早矢香の家族② 弟は卓球選手の平野友樹
平野早矢香さんの弟・平野友樹さんも卓球選手として活躍しています。
2022年1月に開催された「全日本選手権」では、平野友樹さんのベンチコーチを平野早矢香さんが務めて話題となりました。
5大会前に4強の実績がある平野友は、姉で2012年ロンドン五輪女子団体銀メダリストの早矢香さんを初めてベンチコーチに起用。「姉がベンチにいれば心強いし、全日本の勝ち方も知っている」。所属先の承諾を得て、優勝5回を誇る姉と1カ月前から全日本に向けた練習にも打ち込んできた。
平野友樹のプロフィール
生年月日:1992年7月23日
出身地:栃木県
所属:協和発酵キリン、琉球アスティーダ
平野早矢香さんの弟である平野友樹さんもは卓球選手で、「琉球アスティーダ」に所属。
両親と姉である平野早矢香さんの影響から6歳で卓球を始め、2007年の「全国中学校卓球大会」では男子シングルスで優勝、2010年には「インターハイ」男子ダブルスで優勝しました。
秀光中等教育学校、野田学園高等学校を経て明治大学を卒業。その後、協和発酵キリンに入社し、2017年の「全日本卓球選手権」ではベスト4入りを果たしています。
2018年からはセミプロ卓球リーグ「T.T彩たま」に入団。2020年には「琉球アスティーダ」に在籍し、現在も卓球選手として活躍しています。
平野早矢香の家族③ 妹は平野美宇?
平野早矢香さんと弟・平野友樹さんの間には、もう1人兄弟がいて、平野早矢香さんにとっては妹になります。
このことから、同じ卓球選手の平野美宇さんが「姉妹や親族なのでは?」と勘違いされることが多いそうです。
ただ、偶然同じ名字の卓球選手なだけで、実際には姉妹でも親族でもないそうです。
平野早矢香の生い立ち① 5歳で卓球を始める
平野早矢香さんは小さい頃から活発で、1歳前には歩き始めていたのだとか。
幼い頃は両親から共働きだったことから、母方の祖父母に預けられることが多かったそうで、大好きなジグソーパズルを祖父とどちらが早く完成させられるかよく競っていたといいます。
また、外遊びも大好きで、人見知りせずに誰とでも仲良く遊んでいたのだそう。
そんな平野早矢香さんは両親が卓球をしていた影響から、5歳の時に卓球を始めたのだとか。
平野早矢香さんはインタビューで当時の心境について、以下のように語っています。
5歳の頃、私は水泳を習っていたのですが、母に連れられて行った卓球クラブがすごく楽しくて。水泳と卓球の両方は出来ないので、「卓球に飽きたら水泳に戻ろう」という軽い気持ちで始めました。
小学校時代の平野早矢香さんにとって、卓球ははあくまで趣味の延長、といった意識だったようですね。
平野早矢香の生い立ち② 中学・高校は仙台育英へ
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小学校時代は「華卓会」や「城山クラブ」に所属し、2年生の時に全国大会バンビの部で初めての2位入賞を経験し、そこで「同世代で1位になりたい」と思うようになったのだとか。
しかし、地元である栃木県は中学高校に卓球の強豪校がなく、トップを目指す選手は県外の強豪校に進学する流れがあったといいます。
平野早矢香さんも目標に掲げた「同世代で1位」となるため、誘いがあったという卓球の強豪校・仙台育英学園秀光中学校へ進学。その後、仙台育英学園高等学校を卒業しています。
なお、仙台育英を進学先とすることに、両親は当初難色を示していたようです。
両親は少し反対していましたね。「高校からでもいいんじゃないの?強豪校に行けば当然レギュラーになることも難しいのよ。」と言われましたが、私は中学からそういった環境で勝負しないと日本一にはなれないと思っていました。両親は最終的に「あなたが決めたことだから自分で責任と覚悟を持っていくのなら」ということで許してくれました。
進学した仙台育英では、卓球部の監督とその奥さんと一緒に寮暮らしをすることで、卓球面だけではなく生活面も見るという方針だったそうです。
そんな生活の甲斐あって、高校時代には「全日本選手権ジュニア」での優勝も経験した平野早矢香さん。
当時、卓球情報サイト「卓球レポート」では平野早矢香さんについて、その集中力の高さや精神的なたくましさを賞賛していました。
平野早矢香を輩出した仙台育英とは?出身選手は?
平野早矢香さんの出身校である仙台育英学園秀光中学校・仙台育英学園高等学校は、学校法人仙台育英学園が経営。2021年に併設型の中高一貫校となりました。
これまでに数多くのスポーツ選手を輩出しており、特に野球・サッカー・陸上部が有名です。
卓球に関しては、平野早矢香さんのほかに、渡辺裕子さんや大岡博華さんなどが同校を卒業。
2008年「北京オリンピック」と2012年の「ロンドンオリンピック」に出場した岸川聖也さんも同校の出身です。
また、平野早矢香さんは2012年に同校を訪れた際、在校生を前に学生時代の思い出や同年に開催を控えていた「ロンドンオリンピック」への意気込みなどを語っています。
もともと「卓球で全国のトップにいこう」という考えで入学したのですが、加藤雄彦校長先生をはじめ諸先生方が私を自分の子供のように面倒をみてくださって、安心して卓球だけに集中できる環境を作ってくださいました。卓球で強くなることももちろん大切だけど勉強もして、人間性も高めて、卓球も強く、という思いが先生方にありましたし、選手にもありました。
そんな在校生へのメッセージは、「それぞれ一人ひとりがいろんな場面で活躍していってもらいたい」という激励で締めくくられました。
平野早矢香の経歴① ライバルばかりのミキハウス入社を決意
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平野早矢香さんは仙台育英学園高等学校を卒業後、ミキハウスへ入社。
当時のミキハウスは、仙台育英学園高等学校とライバル関係にあった四天王寺高校卓球部出身の選手が多く在籍していたといいます。
ですが、「自分の目標を達成するためには、ミキハウスに入社するのが一番いい」と入社を決意したのだとか。
「世界で活躍するために一番良い選択肢は?」と考えてミキハウスに入社しました。実は、ミキハウスは、仙台育英とライバル関係にあった四天王寺高校卓球部のエリートクラスの選手が行く会社だったんですよ。それまで仙台育英からミキハウス卓球部に入社するなんて、考えられないことだったんです。当然、ミキハウスに仙台育英の先輩はいません。ライバルとして試合をしていた人たちばかりです。
平野早矢香さんはそんなミキハウスの選手の中でもすぐにシニア代表となり、18歳の時に「全日本卓球選手権」で初優勝。
2006年頃は不調が続き、スランプ状態となってしまうものの、1年ほどでその状況を打破し、その後の大会や選考会で優勝し続け、「女王」と称されるまでに上り詰めます。
「全日本選手権」においては、2007年~2009年の3連覇を含め、通算で5度の優勝を経験。
2008年には北京オリンピック出場を果たしましたが、成績は振るわず、個人シングルスでは3回戦敗退、団体戦でも3位決定戦で敗退し、メダルを手にすることは叶いませんでした。
平野早矢香の経歴② 日本卓球界初の銀メダリストに
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翌年の2009年と2010年は、中国卓球クラブリーグ「甲Aリーグ」に参戦し、2011年には国際卓球連盟(ITTF)の世界ランキングで、自己最高の10位にランクイン。
2012年のロンドンオリンピックでは、福原愛さん・石川佳純さんと共に団体戦に出場し、男女ともに日本卓球界初のメダルとなる銀メダルを獲得するという快挙を達成しました。
平野早矢香さんはその後、2014年の「第52回世界卓球選手権団体戦」でも銀メダルを獲得。日本女子として31年ぶりとなる銀メダル獲得となりました。
2015年に入ると、伊藤美誠さんや平野美宇さんといった年下の選手が台頭してくるようになり、世界ランキング上位3名となることが難しい状況に。
結果、2016年のリオデジャネイロオリンピックへの出場を逃してしまい、同年に現役引退を表明。
引退を決意した決め手について、2018年に放送されたニッポン放送のラジオ番組「あさナビ」に出演した際に以下のように語りました。
2020年の東京オリンピック・パラリンピックに、自分が出場できるかどうか。私はいま33歳ですが、35歳で迎えることになるので、いまの日本全体のレベルを考えると、若手選手もこれだけ強いので難しいと思い、最後は自分で第一線を退きました。国内だけでやるとか、海外リーグに行くとか、卓球を続ける選択も可能でしたが、私の頭にあったのは「オリンピックに出られるか?」だったので、そこで最後に決断しました。
平野早矢香の経歴③ 2016年に現役を引退し、コーチ・解説者の道へ
平野早矢香さんは、2016年4月12日に引退会見を開き、以降はミキハウスのコーチとして後進の指導をしていくことを明かしました。
卓球の2012年ロンドン五輪女子団体銀メダリストの平野早矢香(31)が12日、所属先のミキハウス本社(大阪府八尾市)で現役引退の記者会見を行い、「卓球の神様からいろんなご褒美を頂いた。よく頑張ったなと思う」と振り返った。今後は同社のコーチとして後進を指導。卓球の普及活動にも携わる。
同年6月には、テレビ東京で放送された「卓球ジャパンオープン2016」で解説者デビュー。同年にBSジャパンで放送された「全農杯全日本卓球選手権」でも解説を担当しました。
また、出場を逃したことで引退を決意した2016年のリオデジャネイロオリンピックでは、中継リポーターとして試合後の選手にインタビューなどを行っています。
その後、スティガとコーチ契約を結んだほか、2017年1月からは「日本卓球協会アスリート委員会」の委員に就任。
さらに同年、芸能事務所「ノースプロダクション」ともマネジメント契約を結びました。
平野早矢香がかわいいと話題に・愛称は「卓球の鬼」
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そのルックスから「かわいい」と度々話題になるも、試合中に見せる鬼気迫る形相から「卓球の鬼」とも呼ばれるように。
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確かに、同一人物とは思えないほどの迫力です。
ただ、平野早矢香さん本人は、愛称である「卓球の鬼」を嫌ってはいないようです。
引退後の2017年、同じ卓球選手・平野美宇さんとの差別化のため「鬼の平野、と覚えて欲しい」と自らアピールしています。
平野早矢香の現在① 卓球解説者やコメンテーターとして活躍中
平野早矢香さんは現在、前述にもあるようにスティガのコーチや卓球解説者として活躍。
また、タレントとしても活動しており、テレビ朝日系の朝の情報番組「グッド!モーニング」やBSテレ東で放送されている卓球番組「卓球ジャパン」ではレギュラーを務めています。
そのほかにも、スポーツ関連番組を中心にテレビ・ラジオなどのメディアに多数出演。
2022年はABCラジオの「播戸竜二のバン!バン!バン!」や、TBS系列のスポーツバラエティ番組「炎の体育会TV」などに出演しました。
講演会の講師としてのオファーもあり、2022年は地元・栃木県の「全農栃木県本部」から依頼で「令和4年度全体職員研修」で「昨日の自分より一歩前へ」というテーマで講演しています。
全農さまといえば!!卓球日本代表のオフィシャルスポンサーとして、現役時代から大変お世話になりました 当時のご縁から今回このような機会をいただき、私自身とっても嬉しかったです。
引用:かなりの時差投稿になりますが、全農栃木県本部・令和4年度全体職員研修ということで、地元栃木で講演をさせていただきました
平野早矢香の現在② 2021年に結婚・旦那は一般人で「優しい人」
平野早矢香さんは、2021年1月10日に結婚しました。
旦那は一般人だそうで、同月15日にテレビ朝日系の朝の情報番組「グッド!モーニング」に出演した際に、結婚を報告しています。
「こんな時期に私事で恐縮なんですが、先日入籍しました」と結婚を報告し、「おめでとうございます!」と出演者から拍手で祝福された。お相手については「スポーツ関係のお仕事をしている方で同世代」と説明し、「この圧の強い私を受け止めてくれる優しい方です」と幸せいっぱいの笑顔を見せた。
また、結婚発表の際には石川佳純さんなど卓球関係者をはじめ、たくさんの人たちが御祝いのコメントを寄せていました。
2012年のロンドンオリンピックで平野さん、福原さんと一緒に戦えた事は、いつまでも私の大きな財産です!素敵な旦那様に巡り会えてのご結婚、私もとても嬉しいです。きっと笑顔溢れる家庭になると思います。本当におめでとうございます
平野早矢香の現在③ 2022年8月に妊娠を発表・年末に子供を出産予定
平野早矢香さんは、2022年8月4日に第1子を妊娠していることを発表。
テレビ朝日系の朝の情報番組「グッド!モーニング」で、安定期を迎えたため、と妊娠を自ら発表しています。
また、テロップで「年末ママに」と表示されたため、2022年末の出産予定であることも判明しました。
さらに、同番組では共演者であるアナウンサー・坪井直樹さんから「子供も卓球選手にするのか?」という質問をされる場面も。
平野早矢香さんは冗談交じりに、「自分自身が子供を見て鬼に戻りたくない」といい、自分の知らない分野や卓球以外のスポーツに興味を持って欲しいと語っていました。
平野早矢香さんは同日、自身のインスタグラムでも妊娠を改めて報告。
妊娠中の状況や今後の働き方についても、以下のように明かしていました。
安定期に入るまでは悪阻などの体調不良も続き、自身の身体の変化と向き合う中で、既にお仕事の面では内容の調整や中には延期させていただいたお仕事もあります。今後もお仕事は可能な限り続けていくつもりですが、関係者の皆さまにはご迷惑をおかけすることも多いと思います。皆さまのご理解とサポートに心から感謝し、授かった命を大切に日々過ごしていきたいと思います。引き続きどうぞよろしくお願い申し上げます。
まとめ
平野早矢香さんは、卓球をしていたという両親に影響されて5歳の時に卓球を始め、すぐにその才能を開花させます。
小学校を卒業すると、卓球のよりよい環境を求めて、親元を離れて仙台育英学園秀光中学校に進学。
仙台育英学園高等学校を卒業後は、ライバル高校の出身者が多いというミキハウスに単身で入社し、すぐに活躍を見せました。
その愛らしいルックスから「かわいい」と話題になることも多かった平野早矢香さんですが、試合中の鬼気迫る表情から「卓球の鬼」と呼ばれることも。
2008年の北京オリンピックでは結果は振るわなかったものの、2012年のロンドンオリンピックでは団体戦で初の銀メダルを獲得。日本卓球界における初のメダリストとなりました。
その後、2016年のリオデジャネイロオリンピック出場を逃したことを機に、現役を引退。
以降、スティガのコーチや卓球解説者として活躍しているほか、テレビ朝日系の朝の情報番組「グッド!モーニング」ではコメンテーターも務めています。
プライベートでは、2021年に結婚し、2022年末に出産も控えているとのこと。
ぜひ、元気なお子さんを産んでいただきたいですね。