プロスノーボード選手だった岡本圭司さんは事故で脊髄損傷のケガを負いましたが、懸命のリハビリで再びスノーボーダーとして活動しています。
今回は岡本圭司さんの経歴、結婚した嫁と子供、事故でのケガやリハビリ、現在をまとめました。
この記事の目次
岡本圭司はプロスノーボード選手 【プロフィールや経歴を紹介】
岡本圭司
生年月日:1982年2月20日
出身:兵庫県神戸市
身長:170cm
体重:56kg
血液型:O型
活動:プロスノーボード選手、パラスノーボーダー
岡本圭司さんはプロのスノーボード選手であり、パラスノーボーダーです。
岡本圭司さんは神戸市の出身です。地元ではほとんど雪が降らないので、幼少期から雪に親しみ、スノーボードをしていたわけではありませんでした。
岡本さんがスノーボードを始めたのは高校卒業後です。そこから一気に実力を伸ばし、メキメキと頭角を現すようになりました。
早い時期から、TTRワールドスノーボードツアーに参戦し、2007年の「日産X-TRAIL JAM IN 東京ドーム」で日本人最高の5位入賞、「MOST INPRESSIVE RIDER賞」を受賞しています。
ビッグエアやスロープスタイルが得意であり、スロープスタイルでは日本の第一人者であり、世界レベルのプロスノーボード選手でした。
2007年からは映像での表現に
プロスノーボード選手の岡本圭司さんは、2007年からは競技よりも、スノーボードの滑走を映像や写真で表現する活動を主体に行っています。
2007年にはプロスノーボードプロダクション「HYWOD」を立ち上げ、リーダーとして活躍しています。
2009年にはドイツの老舗スポーツブランドであるフォルクルと、日本人で初めてインターナショナル契約を結んでいます。
交友関係も幅広い
岡本圭司さんは、交友関係が幅広いことでも知られています。例えば、俳優の野村周平さん。
野村周平さんは子供の頃、岡本圭司さんにスノーボードを教えてもらっていたことがあり、その縁で今でも交流があるとのこと。
野村周平さんが俳優デビューする前からの知り合いというのがすごいですよね。
また、2015年USオープンのスロープスタイルで日本人初の優勝を果たし、ソチ五輪にも出場したプロスノーボーダーの角野友基さんは、仲間であり、岡本圭司さんの影響を受けた人物です。
出典:グラトリ.net
岡本さんが代表取締役を務めるHYWODのメンバーでもありますね。
2015年のUSオープンは「圭司のために滑る」と宣言し、事故に遭った岡本圭司さんに捧げる優勝になりました。
岡本圭司が結婚した嫁は岡本純子(SU-KO)
岡本圭司さんは現在結婚しています。結婚した嫁がとてもステキな人なんです!岡本圭司さんの嫁を見ていきましょう。
嫁は岡本純子(SU-KO)
出典:hywod.net
岡本圭司さんが結婚した嫁は、岡本純子さんです。
旧姓は妹尾純子さんといい、岡本圭司さんよりも3歳年上です。「SU-KO」という名義でも活動しています。
岡本さんとは5年間交際して、2010年に結婚しています。ということは、2005年ごろから交際を始めたということですね。
SU-KOさんもスノーボードをやっていて、HYWODにも参加していますが、「スノーボード歴4年で4回骨折」したこともあり、滑る側ではなく、裏方としてHYWOD作品に参加しています。
フィルマーとして撮影するだけでなく、デザイン、会計、雑用なども全部担当しているすごい人なんです。しかも、イラストもとてもかわいくて上手だと評判です。
「スノーボード歴4年で4回骨折」というと、スノーボードが下手なのかと思いますが、そんなことはありません。
こちらの写真はSU-KOさん(岡本純子さん)です。どう見えても、めちゃくちゃ上手ですよね。
ただ、映像で取るようなアクロバティックな滑りはできないということでしょうか。
今でもとても仲良し
岡本圭司さんと岡本純子さんは2010年に結婚しています。
この後に詳しく説明しますが、岡本さんが大事故に遭った時には献身的に看病をして、リハビリを支えてきたステキな奥様です。
2人で危機を乗り越えた岡本夫妻は現在でもとても仲良しです。岡本圭司さん・純子さん、それぞれのInstagramを見ていると、とてもいい関係であることが分かります。
岡本圭司さんと岡本純子さんは夫婦として人生のパートナーであると同時に、HYWODで一緒に働く(活動する)仕事のパートナ―でもあります。
公私ともにパートナーであり、ステキな関係を築いているのは間違いないでしょう。
スノーボードという共通の趣味があるのは、夫婦関係において良い方向に働いているのかもしれません。
岡本圭司と嫁との間に子供は2人
岡本圭司さんには嫁の岡本純子さんとの間に子供が2人います。
・次男:青君(2013年生まれ)
長男のケイト君は早生まれ(1月31日)ですので、3歳差の兄弟です。どちらもなかなかのイケメンで、Instagramを見ていると癒されます。
ケイト君も青君も2人ともスノーボードをするようで、ケイト君は既にかなりの腕前になっています。
家族4人でスノーボードをするなんて、ステキなご家族ですよね。
岡本圭司はスノーボード中に大事故に遭っていた…
日本トップレベルのスロープスタイルのスノーボーダーだった岡本圭司さんですが、2015年2月7日、HYWODの撮影中に事故に遭いました。
事故の経緯はこちらです。
今回はHYWODの撮影で、山の中に装備もってハイクアップして入っていきました。
で、上から滑ってきたときに、自分がラインを間違えて横にそれ、シェード(トンネル)の端から崖に転落し、道路に落ちて腰をぶつけたという感じです。
撮影は山の奥で行われていたため、岡本さんはそんな場所にトンネルや道路があるとは思わなかったとのことです。
この事故で腰などを強打したことで、岡本さんは第3腰椎を骨折。さらにほかにも全部で十数ヶ所を骨折し、ヘリコプターで救急搬送されました。
岡本さんはそれまでも脱臼骨折などで手術を7回も受けていましたが、そんな岡本さんでもこの事故は状況が全く違うと瞬時に理解したそうです。
落ちて腰をぶつけたその瞬間に、もう一生歩けなくなると思った。現場にはカメラマンが2人いましたが、錯乱して彼らに泣き叫んでいたことを覚えています。
病院で緊急手術を受けたものの、脊髄を損傷していたため、下半身は麻痺してしまい、絶対安静の状態が続きました。
岡本圭司は大事故の後に必死のリハビリで復帰を遂げた
一生車いすを宣告される
出典:グラトリ.net
岡本圭司さんは、手術の翌日に担当医師から「一生車いすになる」と宣告されています。しかし、左足は手術後比較的早い段階でかすかに動いたとのこと。
それから、嫁の岡本純子さんは毎日3時間も足をマッサージし続け、「大丈夫、大丈夫」と岡本さんを励まし続けました。
その甲斐もあってか、事故から2~3週間程度経った時に右足の親指が1mmくらい反応しました。
一生車いすと医師から宣告されたのに、左足は動くようになり、右足もほんの少しだけ反応したというのは、奇跡ですよね。
ただ、岡本圭司さんは事故で第3腰椎を骨折しただけでなく、十数ヶ所も骨折していたので、全身の痛みがひどく、睡眠薬を飲んでも痛みで眠れないほど苦しかったそうです。
1日8時間のリハビリ
事故から1ヶ月経ち、全身状態が安定した岡本圭司さんは、地元の神戸にあるリハビリ病院に転院。そこでリハビリを本格的に始めます。
座れるようになり、さらに立てるようになるために1日8時間にも及ぶリハビリを行います。
その結果、事故から8ヶ月ほど経った2015年10月には杖をついて歩けるようになり、無事退院になりました。
完全に足の機能が回復したわけではなく、その後もリハビリは必要な状態でしたが、「一生車いす」を宣告されたのに、8ヶ月後には杖を使って歩けるまでに回復したのは本当にすごいです。
岡本圭司さん自身の努力はもちろん、奥様の純子さんの支えがあってのことだと思います。
約1年後にスノーボードに復帰
そして、事故から1年が経った頃、岡本圭司さんはブログに自分の足のことを次のように書いていました。
怪我から1年。
まだ足は自由に動かず、左足が7,80%、右足が10%くらいの動き。
スノーボードどころか綺麗にも歩けないし、走ることもできない、ボールをけることもできないし、長い時間の立ち仕事もできない。そして動きだけでなく、
完全回復にはまだまだ…といった様子ですね。
ただ、事故から1年1ヶ月経った2016年3月にはゲレンデに戻り、スノーボードを再開しているんです。驚異的な回復力ですよね。
そして、事故から約1年半経った時には、50mを12.5秒で走れるようになっています。
小学1年生程度の速さですが、それでも事故当時のことを考えると、「すごい」の一言しかありません。
岡本圭司の現在
北京パラリンピックを目指す
出典:kdl.co.jp
岡本圭司さんは現在、2022年の北京パラリンピックを目指しています。
岡本さんはスノーボードの中でもスロープスタイルの選手ですが、スロープスタイルがオリンピックの正式種目になったのはソチオリンピックからです。
岡本さんは自分の種目がオリンピックになかったため、オリンピックを目指せなかったという思いもあったようです。
そんな中、リハビリをしてゲレンデに戻ってきた岡本さんは、スロープスタイルで2022年の北京パラリンピックを目指すことにしました。
事故から復帰して、パラスノーボーダーとして競技を始めてからまだ時間は経っていませんが、既に2019年の2月に行われたカナダのワールドカップでは7位に入賞しています。
パラスノーボーダーとしての岡本圭司さんに期待したいですね。
スノーボード業界の底上げに貢献
岡本圭司さんは、スノーボード業界の底上げのための活動も行っています。
現在も、HYWODの代表としてスノーボード普及のための活動をしています。
また、年間を通してスノーボードの練習ができる「京・大阪KINGS」や全てのスキーヤー・スノ―ボーダーに楽しんでもらえることをコンセプトにした「THE PARKS」を運営しています。
さらに、スノーボード業界のIT化も進めているとのことです。
障害を抱えながらも、岡本圭司さんは精力的に活動しています。
岡本圭司のまとめ
岡本圭司さんの経歴や結婚した嫁・子供の情報、事故と後遺症からの復帰、現在の活動などをまとめました。
脊髄損傷の大きな事故に遭いながらも、そこからリハビリをしてゲレンデに復帰し、またスノーボーダーとして活動する岡本圭司さんの姿は、多くの人に勇気を与えますね。