「K-1」や「PRIDE」などで活躍し、絶大な人気を誇った格闘家・佐竹雅昭さんの破天荒な経歴や現在が話題です。
今回は佐竹雅昭さんの経歴を振り返り、弱いとの噂やパンチドランカー説、引退の理由や結婚、サブカル研究家などの現在の活動についてまとめました。
この記事の目次
佐竹雅昭のプロフィール
佐竹雅昭のプロフィール
生年月日:1965年8月17日
出身地 :大阪府吹田市
身長 :187cm
血液型 :A型
佐竹雅昭さんは、格闘技イベント「K-1」の初期の立役者として知られる空手家、総合格闘家です。格闘家引退後は、タレントやコメンテーターとして活躍。2013年には参議院議員選挙にも自民党候補として出馬するなど政治活動家としても顔も持ちます。
佐竹雅昭の経歴
佐竹雅昭さんは中学生の頃に伝説的武道家の大山倍達さんの書籍に影響を受け、空手家の道を志しました。大阪府立北千里高等学校在学時に大阪市福島区の極真会館関西本部に入門しますが、道場の空気が肌に合わないという理由でわずか1ヶ月で大会し、17歳の時に大阪天満の正道会館総本部に入門し、2年で黒帯を習得しています。
佐竹雅昭さんは、高校卒業後は関西外国語大学に進学、大学在学中から全日本空手道選手権大会(正道会館主催)に出場をはじめ、4回生時に初優勝を果たしました。佐竹雅昭さんはそれから同大会の3連覇を達成し、通算では4度の優勝を決めています。
大学在学中、佐竹雅昭さんは関西テレビへの内定が決まっていましたが「あえて茨の道を進みたい」という思いから、大学卒業後は関西テレビへの就職を蹴って正道会館の職員という進路を選んでいます。
1991年には総合格闘技団体「リングス」に参戦し、プロの格闘家として本格的に活動を開始。
1993年には、打撃系格闘技イベント「K-1」の立ち上げに参加して日本人唯一のヘビー級選手として絶大な人気を集め、1990年代に巻き起こった格闘技ブームの立役者の1人になります。
また、この頃から佐竹雅昭さんは、プロ格闘家として活躍するかたわら、「マジカル頭脳パワー!!」や「超天才・たけしの元気が出るテレビ!!」への出演など、バラエティタレントとしても活動。テレビドラマ「金田一少年の事件簿」や「聖龍伝説」、映画「1・2の三四郎」などで俳優デビューも果たし、格闘技ファン以外からの人気も集めました。
なにかと学園が話題の昨今。
— 雪崎 (@yukisaki0315) June 13, 2018
K-1の城戸康裕選手が「マジムリ学園」でAKB48と死闘を繰り広げるそうですが、22年前のドラマ「聖龍伝説」でもK-1に出てた佐竹雅昭さんが明和学園の安達祐実ちゃんと死闘を繰り広げてました。
長きに渡るK-1ファイターvs女子学生、戦いの系譜!!https://t.co/0RiWw20943 pic.twitter.com/N1kjfjxRct
佐竹雅昭さんは「K-1」の舞台を中心にキックボクサーとして「初代UKF世界ヘビー級王座」「KICK世界スーパーヘビー級王座」「K-1 JAPAN GP ’97」「K-1 JAPAN GP ’98」など、数々のタイトルを獲得し、日本人最強選手の名を欲しいままにします。
出典:http://praneman2.naganoblog.jp/
しかし、1999年、後輩の武蔵選手と「K-1 GRAND PRIX ’99」で対戦し、ダウンを奪うなど激戦を見せたものの0-3で判定負けを喫し、その試合直後に、兼ねてから不仲が噂されていた正道会館館長で「K-1」の創設者の石井和義さんとリングサイドに激しく口論し、これがきっかけになって正道会館を離脱してしまいます。
2000年、佐竹雅昭さんは、総合格闘技イベント「PRIDE」に参戦して格闘技ファンの注目を集め、元柔道家の小川直也さんらとの熱戦を繰り広げますが、惜しくもこの頃には佐竹雅昭さんの格闘家としてのピークは過ぎており、総合格闘技の世界では良い結果を残す事ができませんでした。
2002年12月31日、格闘技イベントの「INOKI BOM-BA-YE 2002」で、引退試合として柔道家から総合格闘家に転向した吉田秀彦さんと対戦し敗れ、この試合を持ってプロ格闘家からの引退を発表しています。
プロ格闘家引退後の佐竹雅昭さんは、2003年に京都府京都市で総合打撃道を掲げる「佐竹道場」を設立。
2007年には、人間活学塾「平成武師道」を立ち上げ、京都の企業や医院などの経営者向けに、社員育成、人材育成をテーマとして講演活動などを展開しています。
また、佐竹雅昭さんは、政治の世界にも進出し、2013年の参議院議員選挙に自民党の候補として出馬しています。この選挙では、自民党圧勝ムードなか票を集められずあえなく落選しています。
佐竹雅昭が選手晩年弱いと言われた理由
空手家として圧倒的な戦績を残し、初期の「K-1」ではキックボクサーとしての強さも見せつけた佐竹雅昭さんですが、「PRIDE」など総合格闘技の世界では思うような戦績を残せず、かつての佐竹雅昭さんを知らない新しい世代の格闘技ファンからは弱いなどと言われてしまいました。
しかし、「PRIDE」に賛成した頃の佐竹雅昭さんは「K-1」時代に無茶な試合をかいくぐって戦い続けてきたツケで体に限界を超えたダメージが蓄積しており、かつてのパフォーマンスを発揮する事はもう不可能になっていたのです。
それでも佐竹雅昭さんは試合に出続けたため、総合格闘技のリングでは負け続け、結果として弱いという印象につながってしまったと言えます。
全盛期の佐竹雅昭さんは、間違いなく日本人の中でも最強といってよいほどの強さを見せつけていました。佐竹雅昭さんが「K-1」からの脱退と同時にプロ格闘家を引退していれば、決して弱いなどと言われる事はなかったでしょう。
佐竹雅昭はパンチドランカーだった?
そんな佐竹雅昭さんでしたが、現役時代後期には激戦の末に重傷を負い、試合後にそのまま病院に担ぎ込まれるケースが多かった事もあり、パンチドランカー(慢性外傷性脳症)の症状が出ていて、引退後の現在も後遺症が残って病院に通っているのではないかと噂されました。
そして、佐竹雅昭さん自身も、引退後に著した「まっすぐに蹴る」の中でパンチドランカー気味も症状が出ていた事を告白しています。
しかし、2015年に受けた雑誌のインタビューの中で佐竹雅昭さんは実はパンチドランカーではなかったとコメントしています。
「実はパンチドランカーでも何でもありませんでした。ですがいつの間にか、まわりにパンチドランカー扱いされていました、ハハハ。
佐竹雅昭さんは相当過酷な試合を繰り返してきたため、周囲の関係者が心配してパンチドランカー扱いしていたというのが真相のようです。
佐竹雅昭の引退理由とは
佐竹雅昭さんは、2002年12月31日、「INOKI BOM-BA-YE 2002」での吉田秀彦さんとの試合を最後に現役を引退しましたが、その引退理由については明かされませんでした。
佐竹雅昭さんの引退理由として格闘技ファンの間で当初言われていたのが上でも触れた「パンチドランカー」の症状が出たからというものでしたが、前述のように佐竹雅昭さん本人が「パンチドランカーでもなんでもなかった」と否定しているので、これが引退理由では無かったようです。
佐竹雅昭さんは現役時代、ヘビー級の選手として世界に通用する数少ない日本人として体の大きな外国人相手に過酷な試合を繰り返してきた事で、相当に身体に大きな負担がかかっていたようです。
そのため、医者にこのままこうした試合を続ければ、30歳でアルツハイマーになる恐れがあると言われ、命に関わるとの警告を受け続けていた事を佐竹雅昭さん本人が明かしています。
現役当時は医者に『(試合を)このまま続けていたら30歳でアルツハイマーになるよ』と忠告されましてね。試合で脳が揺れ動いたりして、それで死の瀬戸際が4回あっただけですよ。医者には『試合後は絶対安静にしてもらわないと困る。誰かに付き添ってもらって、あの世に逝かないように看てもらってください』とよく注意されました。
この事から、佐竹雅昭さんはもしあのタイミングで引退を決断しなければ、生命の危険があったため、引退を決断せざるを得なかったといえます。
佐竹雅昭は結婚している?
佐竹雅昭さんは結婚しているのかにも興味が集まっています。
佐竹雅昭さんが格闘技を始めたきっかけは「ハリウッドに行ってアメリカ人女優のテイタム・オニールと結婚したい」だったそうです。当時、東洋人でハリウッドスターとして活躍したのがブルース・リーで、それで「ハリウッドに行くなら格闘技だ」と思い立ったとの事。
残念ながらハリウッド女優とは結婚できなかったようですが、どうやら結婚はされているようで、2015年に受けた雑誌のインタビューで、テレビゲームのし過ぎで嫁に怒られたというエピソードを明かしています。
ゲームも一時期、モンスターハンターを1時間睡眠で1日中プレイし続けて、カミさんに怒られました(笑い)
佐竹雅昭さんの結婚は報じられておらず、本人もプライベートの事をほとんど公開されていないため、結婚した時期や嫁がどのような女性なのかは不明です。また、佐竹雅昭さんに子供がいるのかについても不明です。
佐竹雅昭の引退後の現在① 「佐竹道場」「平成武師道」の運営や講演活動
佐竹雅昭さんは引退後、「佐竹道場」の設立や人間活学塾「平成武師道」の立ち上げなどの活動を展開されていますが、このふたつは現在(2020年5月時点)も運営が続けられています。
また、現在は格闘技のイベントや行事へのゲスト参加や、企業や大学生向けの講演会などにも精力的に取り組まれているようです。
こうした後進の育成のための活動だけでなく、現在も佐竹雅昭さん自身のトレーニングも継続されており、2019年1月には、激しいミット打ちの動画を自身のTwitterで公開されています。
『ガンガンガン』
— 佐竹雅昭 (@heiseibushido) January 29, 2019
年齢相応ですが、ミット打ちご覧下さい。
グローブより素手で打ち込むのは、ダイレクトに体に衝撃が伝わって気合いが入ります。 https://t.co/t75NLLjpqO
佐竹雅昭の引退後の現在② サブカルチャー評論家としての活動も
出典:https://kenyukai10.exblog.jp/
佐竹雅昭さんは格闘家としての活動のほか、現在はサブカルチャー評論家としての活動にも力を入れられています。
佐竹雅昭さんは、ウルトラマンなどの特撮物を中心としてフィギュア収集家としても有名で、概算価値数億円とも言われるそのコレクションは度々話題になっています。
また、佐竹雅昭さんは「モンスターハンター」などのテレビゲームや「マジックザギャザリング」などのカードゲーム、アニメや漫画、映画など、幅広いサブカル趣味を持ち、その知識量も国内屈指だと言われています。
2019年にはUFOを目撃
2019年8月には、佐竹雅昭さんが東京・新宿区でUFOを目撃し、それを写真に収めた事も話題になりました。
上空を見上げた時、なにかスーッと飛んで来て、すぐに“なんだアレは!?”とざわつきました。とっさに写真を撮りましたが、今でも何だったのか、分かりません」と振り返るのはK―1やPRIDEで一世を風靡した元格闘家の佐竹氏だ。
佐竹雅昭さんはこのUFOを「ポケモンのホウオウのような形だった」と、サブカル研究家らしく説明されていました。
まとめ
今回は、「K-1」や「PRIDE」などで活躍した格闘家・佐竹雅昭さんについてまとめてみました。
佐竹雅昭さんは、日本人では数少ないヘビー級の格闘家として世界の有力格闘家達と激戦を繰り広げ、日本の格闘ファン達を沸かせました。過酷な試合を重ねた佐竹雅昭さんは、パンチドランカーの症状を疑われ、生命の危機も心配される満身創痍の状態で2002年末に現役を引退。
引退後の佐竹雅昭さんは、「佐竹道場」や「平成武師道」の運営、サブカル研究家や参議院選への出馬など幅広い活動を展開されています。
佐竹雅昭さんは現在も自身のTwitterで激しいミット打ちの様子を公開するなど、現役時代さながらのエネルギッシュな姿を見せてくれています。今後も佐竹雅昭さんの活躍を応援していきたいと思います。