辻内崇伸さんは鳴り物入りで巨人に入団した投手でしたが、秋田県にてALSOK勤務の現在が話題です。
今回は辻内崇伸さんの高校&甲子園時代、成績や年俸、なぜケガが多かったのか、結婚した嫁と子供、現在の様子をまとめました。
この記事の目次
- 辻内崇伸のプロフィール:元巨人軍投手&女子プロ野球の監督
- 辻内崇伸の経歴① 大阪桐蔭高校エースとして甲子園で大注目されていた
- 辻内崇伸の経歴② 読売ジャイアンツに入団するもケガの連続
- 辻内崇伸の経歴③ 2007年に2軍落ち・以降もケガに悩まされる
- 辻内崇伸の経歴④ 1軍昇格を果たすも再び肩を痛めて登板なく降格
- 辻内崇伸の経歴⑤ 引退後はテレビの密着取材を機に女子プロ野球界へ
- 辻内崇伸の経歴⑥ 宮城拠点の女子プロ野球チームの監督に就任
- 辻内崇伸の経歴⑦ 野球業界から完全に離れ、嫁・子供のいる秋田へ移住
- 辻内崇伸の現役時代の年俸:契約金は1億円・年俸は500~900万円ほど?
- 辻内崇伸はなぜケガが多かった?
- 辻内崇伸が結婚した嫁は4歳年上の一般女性
- 辻内崇伸の子供は女の子が1人
- 辻内崇伸の現在① 秋田県在住でALSOKに勤務
- 辻内崇伸の現在② 公私ともに順調・プライベートでは海釣りに夢中
- まとめ
辻内崇伸のプロフィール:元巨人軍投手&女子プロ野球の監督
生年月日:1987年12月5日
出身地:奈良県
所属:ALSOK
辻内崇伸さんは元野球選手で、現役引退後は女子プロ野球業界でコーチとして活動。その後、女子プロ野球チーム「埼玉アストライア」で監督も務めました。
現在は野球界を離れ、警備会社「ALSOK」に勤務。サードキャリアを築いているとのことです。
辻内崇伸の経歴① 大阪桐蔭高校エースとして甲子園で大注目されていた
辻内崇伸さんは小学校1年生の時に野球を始め、中学校に進学すると野球チーム「郡山シニア」に所属。
小学生時代は一塁手を務めていましたが、郡山シニアに所属してからは投手に転向しています。
その後、大阪桐蔭高校に進学した辻内崇伸さんはエースとして活躍。3年生の夏には甲子園出場も果たしました。
1回戦で春日部共栄高校と対戦した際には、5回6失点という状況で登板。その際の速球が156km/hであったことから大きな注目を集めました。
藤代高校との2回戦の際には19奪三振を記録。当時の大会タイ記録を叩き出します。
結果として大阪桐蔭高校は4強入りを果たし、辻内崇伸さん自身も当時歴代2位の通算奪三振数を記録しました。
辻内崇伸の経歴② 読売ジャイアンツに入団するもケガの連続
辻内崇伸さんは、甲子園に出場した年に開催された「AAAアジア野球選手権大会」の日本代表に選出。チームメイトとともに優勝を飾りました。
同年のドラフト会議では、甲子園での活躍に加え、同大会での活躍があった辻内崇伸さんに世間が注目。
今回のドラフトで、高校生投手で最も注目を集めるのが、辻内(大阪桐蔭)だ。今夏の全国選手権では152キロを出し、第6回アジアAAA選手権(韓国)では決勝で155キロをマーク。日本球界屈指の快速左腕に成長し、複数球団の指名が有力視される。
結果として「読売ジャイアンツ」と「オリックス・バファローズ」が競合することとなり、指名権を獲得したジャイアンツから1巡目指名を受けて入団しています。
大阪桐蔭時代は3年の夏に甲子園にも出場。田中将大を擁する駒大苫小牧の前に延長で敗れたもののベスト4まで勝ち進んだ。当時の大会タイ記録となる1試合19奪三振、左腕最速の152㎞/hをマークするなど、この夏の主役となった金足農業(秋田)のエース・吉田輝星のように脚光を浴び、巨人に高校生ドラフト1位で入団した。今の吉田同様、将来の日本球界を背負って立つピッチャーとして嘱望された。
そんな辻内崇伸さんは、入団後すぐに1軍キャンプスタートになるのではと予想されていましたが、肩の痛みの影響で2軍スタートに。
同年6月には左肩の炎症が原因で「フレッシュオールスターゲーム」への出場を辞退してしまいます。
10月からはハワイのウィンターリーグに派遣され、現地の「ホノルル・シャークス」に所属。
外国人独特のフォームやチェンジアップなどを習得しました。
辻内崇伸の経歴③ 2007年に2軍落ち・以降もケガに悩まされる
辻内崇伸さんは、当時の監督・原辰徳さんや首脳陣からも期待されていましたが、2007年2月に左肘の痛みが原因で2軍落ちとなってしまいます。
左肘について、医師は内側側副靭帯の断裂と診断。同年4月に再建手術を受けました。
内側側副靭帯は肘の内側にある3つの帯からなる靭帯で、上腕骨と尺骨を主に繋げています。その役割は、肘の外側からのストレス(外反ストレス)に抵抗することで、関節の内側部分が開きすぎるのを防いでいます。
引用:内側側副靱帯損傷とは
ラグビーやアメフトのタックルの際に起きやすいケガのようです。
野球においては、1度の投球ではなく、繰り返し積み重なる慢性的なストレスにより徐々に損傷していき、オーバーユースが原因で断裂してしまうのだそうです。
ボールを投げる時、腕は鞭のようにしなり、その反発力をボールに乗せることで遠くに投げたり、早いボールを投げられるのですが、この時にヒジには大きな力が加わります。ここで骨と骨が脱臼しないように関節をとどめる靭帯が重要な役割を負います。ヒジの内側では牽引力が発生し、靭帯や骨が極限まで引っ張られます。一度の投球で靭帯が切れることは滅多にありません。
引用:内側側副靱帯損傷とは
手術の影響から、年内の登板が叶わなかった辻内崇伸さん。
2008年にやっと実戦復帰すると、連合チーム「フューチャーズ」のメンバーとして出場。復活の兆しを感じさせるも、2軍公式戦への出場はありませんでした。
翌年の2009年からはようやく2軍の試合に出場。自己ベストとなる防御率2.69という数字も出していましたが、2010年の登板数はわずか3試合と再び出場機会が減少してしまいます。
さらに、2011年の登板はゼロ。同年、ヤンキース傘下のルーキーリーグ「Gigantes de Carolina」へ派遣され、プエルトリコで過ごしました。
また、その際には現地の投手コーチから「正しい投げ方を身に付けてほしい」ともアドバイスされたといいます。
辻内崇伸の経歴④ 1軍昇格を果たすも再び肩を痛めて登板なく降格
辻内崇伸さんは2012年、1軍のオープン戦の西武ライオンズ戦に初登板し、被安打2・失策絡みの1失点を記録しました。
その後は2軍戦で43試合に登板し、同年8月には1軍への昇格も果たしますが、1軍としての登板はないまま同月22日に登録が抹消されてしまいます。
2013年のキャンプは1軍でスタートしたものの、肩の調子が影響して第2クールからは2軍に合流。
ブルペン入りした翌日に左肘に強烈な痛みが走った辻内崇伸さんは、腕を上げることも難しく、同年3月に痛みの原因だった遊離軟骨を内視鏡で除去する関節クリーニング手術を受けました。
その後、8月にプロアマ交流戦で復帰し登板しているものの、以降の登板はなく、10月に戦力外通告され引退となりました。
辻内崇伸さんは現役引退後に受けたインタビューで、当時の心境について以下のように振り返っています。
2005年、夏の甲子園で当時の左腕最速となる156kmを記録。2005年に契約金1億円でドラフト1位指名された大型左腕だが、一軍登板のないまま戦力外通告を受けた。
「内心すごくホッとしました。入団時に150kmの球を投げていたのに、最後の年は130kmも出なかった。ケガでほとんど野球をしてないのに、8年間もお金を貰っていて、本当に自己嫌悪に陥っていましたから」
辻内崇伸の経歴⑤ 引退後はテレビの密着取材を機に女子プロ野球界へ
辻内崇伸さんは引退を決意した際、不動産会社の営業職に就くことを検討していたそう。
2013年にTBS系列で放送されたドキュメンタリー番組「プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達」では、そんな戦力外通告後から転職活動までの期間、密着取材を受けていました。
しかし、この番組が放送されたことを機に状況が一転。
同番組を観ていた「日本女子プロ野球機構」の関係者が、辻内崇伸さんに指導者としてオファーをしたのです。
オファーした関係者は、辻内崇伸さんがこれまでリハビリにひたむきに取り組んできた姿勢などを評価したとのことで、辻内崇伸さんもオファーを承諾。
女子プロ野球チーム「イースト・アストライア」のコーチに就任すると同時に、女子プロ野球を支援している企業「わかさ生活」に正社員として就職。
2014年には、TBS系列のバラエティ番組「私の何がイケないの? 元巨人軍選手の引退後の人生」では、そんな辻内崇伸さんの生活が特集されました。
辻内崇伸の経歴⑥ 宮城拠点の女子プロ野球チームの監督に就任
出典:https://www.www.jwbl.jp
2016年からは宮城県を拠点とする女子プロ野球チーム「レイア」のコーチに就任。
しかし、元々コミュニケーションが苦手だったそうで、最初の数か月は選手にも敬語を使っていたのだとか。
また指導だけでなく、遠征関連の手配やポスター掲示をお願いするために地道に店舗を回ることもあったといいます。
「わかさ生活」の正社員となり指導者の道を歩み始め、今年からは「レイア」の投手コーチを務めている。午前は選手を指導し、午後は社内で遠征先の宿の手配など事務作業を行なったり、女子プロ野球を広めるため商店街にポスターを配り歩いたりしている。「実は極度の人見知りなんです。だから、飛び込みで店に入って『何それ?』と冷たくいわれると、とても落ち込んでしまいます」
辻内崇伸さんは翌年の2017年にアストライアのヘッドコーチとなり、その後、同チームの監督に就任しています。
辻内崇伸の経歴⑦ 野球業界から完全に離れ、嫁・子供のいる秋田へ移住
辻内崇伸さんは2018年、アストライアの監督退任&退団を発表しました。
引退後は、嫁と娘の住む秋田県へと移住すると明かしています。
連覇を目指して臨んだシーズンだったのですが、結果は最下位の3位。戦力的には上だったと思うのですが、選手たちに力を発揮させてあげられなかった。監督としての力量のなさが敗因です。うちの両親はやめることを残念がっていましたが、妻は僕の決断を尊重してくれました。これからのことは妻と娘が待っている秋田にいったん移って、話し合いながら決めていこうと思っています
ちなみに、それまで離れて暮らしていたのは別居というわけではなく、家庭の事情があったためだそうです。
別居とかではなく、家庭の事情があって先に秋田に行ってもらったんです。仕事を終えて家に帰っても誰もいないというのは寂しかったですが、疲れているのですぐに寝て、すぐ朝が来て1日が始まる。そんな感じでした。来年5歳になる娘とは12月初旬に久しぶりに会ったのですが、またすごく成長していました。もう赤ちゃんではなく、女の子になっていましたね
辻内崇伸の現役時代の年俸:契約金は1億円・年俸は500~900万円ほど?
辻内崇伸さんは期待のルーキーとして、契約金1億円で巨人に入団しました。
ケガで登板が少なかったものの、年俸900万円からスタートし、最初の数年は700~800万円ほどだったと推定されています。
登板がゼロだった2011年を含め、2009年頃から2013年頃までは500~600万円ほどもらっていた様子。
辻内崇伸さんは現役引退後に受けた取材で、「一晩の飲食で最高40万円を使ったこともあった」とも語っており、当時の羽振りの良さがうかがえました。
同取材では、現役引退後はそんな派手な生活とは無縁な毎日で、小遣い制だとも明かしています。
現在の小遣いは交通費込みで1か月3万円程度。午前中の練習後は家に戻って昼食を済ませ、電車とバスを乗り継いで会社に通う。現役時代の休日、頻繁に通ったパチンコもほとんどしていない。「妻の家事や育児を手伝って、お駄賃をねだっています。1000円くれたらいい方。安いと500円。それじゃパチンコなんてできません(笑)」
辻内崇伸はなぜケガが多かった?
辻内崇伸さんは甲子園で大注目され、”超高校級”と言われていましたが、現役時代になかなか成績が振るいませんでした。
その要因はやはりケガ。実力がどうこうというよりケガによる欠場が多く、出場機会すら少なかったことが大きいでしょう。
辻内崇伸さんは引退後のインタビューで、最初の大きなケガは中学時代だったと回顧しています。
中学生でファーストから投手に転向したのですが、そのときに初めてけがをしました。左肘の靭帯あたりを壊して、半年くらい野球をできない時期がありましたね。それ以来、投手になってからは、ずっとけがが付きまといました。1年間を通して万全とは言えない体でしたね。
また、高校2年生の時には肩の痛みが出ていたものの、ケガを押して連投。大会後には1ヵ月ほど投げられなくなったといいます。
大阪府大会で、準々決勝、準決勝、決勝と連投することがあったんです。準々決勝くらいから肩が痛かったのですが、我慢して投げ続けました。試合前は、薬を飲んで、注射を打って、針を打って、アイシングをして……。いろんなことをしていました。とにかく痛みがひどくて、試合の不安よりもそっちが先にありました。マウンドで汗がブワーッと噴き出ていましたから。尋常じゃない痛みの中で投げていましたね。
後悔があるとすれば、そうなってしまう前に、きちんとトレーナーやコーチに相談する勇気があったなら、という点です。
辻内崇伸が結婚した嫁は4歳年上の一般女性
辻内崇伸さんは2012年に結婚しています。
お相手は秋元こずえさんという一般女性で、神奈川県の会社員。辻内崇伸さんの4歳年上です。
辻内崇伸投手(25)が、本日25日に入籍いたしました。お相手は、神奈川県在住の会社員・秋本こずえさん(29)です。
辻内投手のコメント「支えていかなければいけない家族が出来て責任感が増しました。今まで以上に精進して『来季こそは絶対に一軍で投げる』という強い意志のもと、全てに取り組んでいきたいと思います」
引用:辻内崇伸投手が結婚
2人は行きつけにしていた居酒屋で出会い、3年半の交際期間を経て結婚。
秋元こずえさんは前述の辻内崇伸さんを特集した番組にも出演しており、「美人」と話題になりました。
辻内崇伸の子供は女の子が1人
辻内崇伸さんには、「陽菜莉(ひまり)」ちゃんという名前のお子さんがいます。2015年頃に誕生したと見られています。
辻内崇伸さんはSNSをやっていないようで、現在の様子についてうかがうことはできませんが、現役引退後は家事・育児にも積極的に取り組んでいるようです。
辻内崇伸の現在① 秋田県在住でALSOKに勤務
辻内崇伸さんはストライアを退団後、嫁と子供が住んでいる秋田県へと移り住みました。
そして2019年に警備会社「ALSOK秋田」へと入社。2023年現在も同社で現金輸送業務に就いているとのことです。
秋田県で仕事を探していた際に求人が目に留まり、「ALSOKで仕事したい、社会貢献がしたい」と応募したそう。
入社後すぐに希望していた警送隊配属となり、業務をスタートしたといいます。
入社してからは、希望していた警送隊に配属されました。現金輸送業務である警送隊は、現金輸送車に二人組で乗車して貴重品、現金の運搬を主に行います。二人で交互に貴重品や現金を守るために周りを警戒して運搬していきます。ATMでの作業では機械に現金を装填する作業もあります。警送業務はいろいろな作業があるので覚える事はたくさんありますが毎日楽しく仕事ができています。
また、今後は業務に活かせる資格を取得していきたいと、仕事に対して意欲的な様子でした。
辻内崇伸の現在② 公私ともに順調・プライベートでは海釣りに夢中
辻内崇伸さんは、秋田県に移住したことを機に、海釣りにはまっているのだとか。
会社仲間とはプライベートでも交流があるそうで、家族仲も良好な様子です。
秋田県に移住してきてから海釣りにはまっています。会社の先輩方と休みの日は海に行ってまったりとするのがストレス発散になって仕事もプライベートも充実しています。
家族とはみんなでBBQなどアウトドアをして秋田を満喫しています
まとめ
辻内崇伸さんは甲子園で大注目を集め、ドラフト1位で巨人軍へと入団。
すぐに活躍するだろうと期待が寄せられていましたが、肩のケガのためすぐに2軍落ち。
以降、調子を取り戻しては肩を壊すといったことが続き、プライベートでは結婚し子供も誕生するという大切な時期に戦力外通告を受けて退団することになりました。
そんな状況に密着した番組が放送されると、女子プロ野球業界から辻内崇伸さんに声が掛かり、選手からコーチ、そして監督へと、選手を支えるキャリアに移っています。
当初、業務だけではなく選手とのコミュニケーションにも四苦八苦したそうですが、いずれも真摯に向き合い、2018年に監督を引退しました。
その後は家族の暮らす秋田県へと移住し、現在は秋田県でALSOKに勤務しているそうです。
現役時代はケガに苦しみながらも、次のステージに活動の場を移して新たな人生をスタートさせている辻内崇伸さん。
甲子園球児を取り巻く環境や、スポーツ選手のセカンドキャリア・サードキャリアを考える際、辻内崇伸さんの経歴はモデルケースとして取り上げられる機会も増えていくかもしれません。
後輩たちのためにも、辻内崇伸さんだからこそ伝えられることをぜひ発信していってほしいですね。