世界3階級制覇の偉業を成し遂げたボクシング界のレジェンド長谷川穂積さんの輝かしい戦績、引退後の現在などが話題です。
今回は長谷川穂積さんの戦績や引退理由、その偉業を支えた嫁・泰子さんとのエピソード、息子や娘、ジムの設立や俳優デビューなど現在の活躍などについてまとめました。
この記事の目次
長谷川穂積のプロフィール
長谷川穂積のプロフィール
生年月日:1980年12月16日
出身地 :兵庫県西脇市
身長 :168.5cm
血液型 :O型
元プロボクサーの長谷川穂積さんは、世界3階級王者(WBCバンタム級、フェザー級、スーパーバンタム級)を制覇した日本ボクシング界のスーパースターです。
長谷川穂積さんは小学2年生の頃に元プロボクサーの父親・大二郎さんに教わってボクシングを始めました。父のあまりに厳しい指導に対する反発心から中学時代は卓球部に所属し一時ボクシングと距離を置きますが、高校時代に知り合った女性(のちの夫人)と同棲するための交換条件として、17歳の頃に再びボクシングを再開します。
1999年、18歳の時に2度目の挑戦でプロテストに合格(1度目は麻疹による練習不足が原因で不合格)以降、長谷川穂積さんは勝利を積み上げて瞬く間でにランキングを上げ、2003年5月にはOPBF東洋太平洋バンタム級王座を制覇。
2004年10月には、当時WBAランキング4位の鳥海純に勝利し、当時のWBCバンタム級王者・ウィラポン・ナコンルアンプロモーションへの挑戦権を獲得します。
タイのウィラポンは、辰吉丈一郎や西岡利晃を倒し「日本ボクシング界の宿敵」とも評されていましたが、2005年4月、長谷川穂積さんは最終12ラウンドまでの壮絶な打ち合いの末、3-0の判定勝ちでこのウィラポンを下し、WBCバンタム級チャンピオンを獲得。
WBCバンタム級チャンピオンとなった頃の長谷川穂積さんはまさに全盛期で、名だたる挑戦者達を次々と下し、2010年4月にWBOバンタム級王者フェルナンド・モンティエルに敗れるまで5年間に渡ってチャンピオンの座を守り抜き、10連続防衛の偉業も達成しています。
2011年11月、スーパーバンタム級を飛び越えてフェザー級王座に挑戦し、同級1位メキシコのファン・カルロス・ブルゴスを破って2階級制覇を成し遂げ、ピークを過ぎたと言われていた2016年9月、大方の予想を覆し、WBCスーパーバンタム級チャンピオンのメキシコのウーゴ・ルイスを下して、世界3階級制覇の偉業を成し遂げました。
長谷川穂積の戦績
長谷川穂積さんのプロボクサーとしての通算戦績は「41戦35勝 (15KO) 5敗」戦績の詳細は以下の通りです。
【1戦目】 1999年11月12日 黒岩修一戦 4R判定勝ち
【2戦目】 2000年 4月28日 石塚英樹戦 2RKO勝ち
【3戦目】 2000年 7月30日 竹田津孝戦 4R判定負け
【4戦目】 2001年 1月28日 寺田吉徳戦 4R判定勝ち
【5戦目】 2001年 5月20日 荒川正光戦 4R判定負け
【6戦目】 2001年 7月 7日 吉岡義広戦 1RKO勝ち
【7戦目】 2001年 8月17日 竹田津孝戦 6R判定勝ち
【8戦目】 2001年10月21日 北原久己戦 6R判定勝ち
【9戦目】 2002年 2月 8日 ガムウォンワム・シスソバ戦 2RKO勝ち
【10戦目】2002年 4月21日 ポーンチャイ・シスラプロム戦 6RTKO勝ち
【11戦目】2002年 8月24日 中谷年伸戦 10R判定勝ち
【12戦目】2002年10月27日 熟山竜一戦 10R判定勝ち
【13戦目】2003年 3月 2日 パデット・スーンキライノーイナイ戦 10R判定勝ち
【14戦目】2003年 5月18日 ジェス・マーカー戦 12R判定勝ち OPBF東洋太平洋バンタム級王座獲得
【15戦目】2003年 7月20日 宇野スナオ戦 12R判定勝ち
【16戦目】2003年11月 9日 アルビン・フェリシルダ戦 10RTKO勝ち判定勝ち WBC世界バンタム級王座獲得
【17戦目】2004年 2月15日 デッチャム・シムフォーダム戦 10R判定勝ち
【18戦目】2004年 5月23日 ノラシン・ギャットプラサンチャイ戦 12R判定勝ち
【19戦目】2004年10月30日 鳥海純戦 10R判定勝ち
【20戦目】2005年 4月16日 ウィラポン・ナコンルアンプロモーション戦 12R
【21戦目】2005年 9月25日 ヘラルド・マルチネス戦 7RTKO勝ちTKO勝ち
【22戦目】2006年 3月25日 ウィラポン・ナコンルアンプロモーション戦9R
【23戦目】2006年11月13日 ヘナロ・ガルシア戦 判定12R判定勝ち
【24戦目】2007年 5月 3日 シンピウェ・ベチェカ戦 判定12R判定勝ち
【25戦目】2008年 1月10日 シモーネ・マルドロッド戦 判定12R判定勝ち
【26戦目】2008年 6月12日 クリスチャン・ファッシオ戦 2RTKO勝ち
【27戦目】2008年10月16日 アレハンドロ・バルデス戦 2RTKO勝ち
【28戦目】2009年 3月12日 ブシ・マリンガ戦 TKO1RTKO勝ち
【29戦目】2009年 7月14日 ネストール・ロチャ戦 1RTKO勝ち
【30戦目】2009年12月18日 アルバロ・ペレス戦4RTKO勝ち(10度目の防衛成功)
【31戦目】2010年 4月30日 フェルナンド・モンティエル戦 4RTKO負け (WBC・WBO世界バンタム級統一戦)統一・防衛失敗
【32戦目】2010年11月26日 ファン・カルロス・ブルゴス戦 12R判定勝ち WBC世界フェザー級王座獲得(2階級制覇)
【33戦目】2011年 4月 8日 ジョニー・ゴンサレス戦 4RTKO負け 防衛失敗・王座陥落
【34戦目】2012年 4月 6日 フェリペ・カルロス・フェニックス戦 7RTKO勝ち
【35戦目】2012年12月22日 アルツロ・サントス戦 10R判定勝ち
【36戦目】2013年 4月26日 ウィラポン・ソーチャンドラシット戦 3RKO勝ち
【37戦目】2013年 8月12日 ヘナロ・カマルゴ戦 1RTKO勝ち
【38戦目】2014年 4月23日 キコ・マルチネス戦 7RTKO負け
【39戦目】2015年 5月 9日 オラシオ・ガルシア戦 10R判定勝ち
【40戦目】2015年12月11日 カルロス・ルイス戦 10R判定勝ち
【41戦目】2016年 9月16日 ウーゴ・ルイス戦 9RTKO勝ち WBC世界スーパーバンタム級王座獲得(3階級制覇)
長谷川穂積が現役世界王者のまま引退した理由とは
長谷川穂積さんはフェザー級王座陥落以降は、選手としてのピークを過ぎたと言われながらも現役を続行し、2016年9月には「長谷川はもう終わった選手」という声が囁かれる中で、当時のWBC世界スーパーバンタム級王者、ウーゴ・ルイスを下して世界3階級制覇の偉業を成し遂げました。
その奇跡的とも言える復活劇によって「不死鳥」とも呼ばれた長谷川穂積さんでしたが、2016年12月に現役世界王者の座についたまま、引退を発表しました。
ボクシングの世界において、現役の世界王者のまま引退するのは極めて異例で、世界チャンピオンの防衛戦のファイトマネーは数千万円にも上るため、チャンピオンとして防衛できる間は試合をして稼ぐというのがボクサーとして当たり前の選択とも言えるのですが、長谷川穂積さんはあえて引退を選択しました。
長谷川穂積さんは引退理由について、「闘う理由がなくなった」事を上げ、以下のコメントを残しています。
「気持ちをすぐには作れないと思いました。ベルトを獲る理由はあったけど、ベルトを守る理由が見つからなかった。次にやる意味が見いだせなかった。これじゃあ気持ちは入らない。気持ちが入らないまま試合をして負けた経験があるので、同じことをするのは嫌でしたから」
長谷川穂積さんは、引退を決断するにあたってかなり悩んだそうなのですが、その中で、自分がボクシングを始めた理由は「お金持ちになりたいや有名になりたい」ではなく「自分がどれくらい強いのか知りたい」という事だったと思い返したのだそうです。
そして、3階級制覇を成し遂げた事で、もう自分が強いか弱いかという事の答えは出せたとして、これ以上闘うモチベーションを維持していく事が難しくなったと引退の理由を説明しました。
長谷川穂積の嫁・泰子さんが話題
出典:https://www.sponichi.co.jp/
長谷川穂積さんの嫁は泰子さんといい、長谷川さんの1歳年上です。長谷川さんは兵庫県立多可高等学校に在学していた17歳の頃に、当時神戸に住んでいた泰子さんと知り合って一目惚れし、アタックの末遠距離恋愛に発展します。
長谷川穂積さんは泰子さんにのめりこむあまり勉強がおろそかになって高校を留年の果てに中退。
長谷川さんの父は泰子さんとの同棲の条件として高校の卒業とボクシングジムに入る事を条件に挙げた為、長谷川さんは兵庫県立西脇北高校の定時制を卒業し、その後神戸の「千里馬神戸ジム」へと入り、泰子さんとの同棲をスタートさせました。
2人は順調に交際を続け、出会ってから5年後、長谷川穂積さんのプロデビューから3年後の2002年に結婚し、その後2人の子宝にも恵まれています。
長谷川穂積さんがバラエティ番組に出演した際には、この嫁・泰子さんの恐妻ぶりが度々ネタにされています。ボクシング界のレジェンドとも言える長谷川穂積さんの試合ぶりにも遠慮なくクレームをつけるようで、手数が少ない地味な試合をした際には試合後に「全然面白くなかった」と切り捨て、練習でも長谷川さんのスパーリングに「あれでええんか」とダメ出しするとの事。
また、世界チャンピオン長谷川穂積さんにも容赦無く家事を担当させるようで、普段の洗濯は長谷川さんが自分でやっていたとのエピソードも明かされています。
さらに、長谷川穂積さんは引退後に嫁に「あんたは何も変わらない、変わったのはボクシングの収入が無くなった事じゃ」と厳しいツッコミを受けた事なども明かしています。
「奥さんに言われたんですよ。『あんたは何も変わらないけど、ひとつだけ変わったのはボクシングの収入がなくなったことじゃ!』と。おっしゃる通りやなと。ちょっとあかんなと。最近は洗い物とかするようになりましたよ。
ここまで見てくると長谷川穂積さんの嫁・泰子さんはかなり厳しい鬼嫁という印象を抱いてしまいますが、実際にはボクサーとして過酷な闘いを続ける長谷川穂積さんを献身的に支え続けてきました。
長谷川穂積さんが試合前に厳しい減量に臨む時には、嫁・泰子さんも一緒に減量したのだそうで、「一緒に戦っているつもりです」というコメントも残されています。
ウチは試合前、妻(=泰子さん。高校時代に知り合い、プロデビュー3年後に結婚)もいっしょに減量してくれていたんです、『ダイエットできるわ』とか言いながら(笑)。それでも僕にとっては『いっしょに試合してくれる』感覚でした。妻の場合、腹が減るとイライラして、夫婦ゲンカになっちゃうこともあったけど(笑)。
また、嫁の泰子さんは、長谷川穂積さんの減量中には、カロリーが少なく栄養がある食材を選び、少しでも豪華な食事だと感じられるよう、調理や盛り付けに気を配り、低カロリーながら食べ応えを感じる料理の勉強などもしていたそうです。
長谷川穂積さんは、こうした嫁の献身的な内助の功に度々感謝の言葉を口にしており、夫婦は深い絆で結ばれているのでしょう。
長谷川穂積の息子や娘
出典:https://www.sponichi.co.jp/
長谷川穂積さんと嫁の泰子さんの間には、息子の大翔(ひろと)さんと娘の穂乃(ほの)さんの2人の子供がいます。
息子の大翔さんは2003年生まれで、2020年5月の現在は、16歳か17歳のはずです。娘の穂乃さんはその3歳年下なので、2006年頃の生まれで、現在は13歳か14歳になっているはずです。
長谷川穂積さんが2016年に5年ぶりのチャンピオンを獲得した際には、試合後に2人の子供たちもリングに上がっています。この時、長谷川穂積さんが息子の大翔さんにリング上で抱き上げられるという感動的なシーンが展開され話題になりました。
出典:https://www.nikkansports.com/
長谷川穂積さんの息子・大翔さんはこの時まだ13歳でしたが、写真を見てもわかるように堂々たる体躯で、身長は170cmと既に168cmの父・長谷川穂積さんの身長を抜いていました。
天才ボクサー・長谷川穂積さんのDNAを受け継いでいる上に体格にも恵まれているとなれば、将来はプロボクサーという夢も広がりますが、残念ながら大翔さんははボクシングには興味がないようで、中学時代は卓球部に所属していたとの事。
長谷川穂積さんはボクシング引退後に卓球にはまっているそうで、息子・大翔さんを練習相手にしている事も報じられています。
3LDKのリビングに卓球台を置き、他の部屋にはルームランナーを置く。ここで卓球部に所属する14歳の息子と練習しているようだが、その腕前は卓球台の角に置いた的をスマッシュで撃ち抜くほどだった
長谷川穂積の現在① 神戸市にフィットネス&ボクシングジムをオープン
長谷川穂積さんの引退後の現在の活動も見ていきましょう。
長谷川穂積さんは現在、神戸市でフィットネス&ボクシングジムを経営されています。
元世界3階級王者・長谷川穂積氏(37)が16日、現役時代からの活動拠点・神戸にスポーツジム「HOZUMI HASEGAWAフィットネス&ボクシング」をオープンさせた。
数千万円をかけた最新の器材が完備されているものの、プロボクサー育成のためのジムではなく、ライトにボクシングに興味を持つ人を増やしたいとの気持ちで設立されたとの事で、フィットネス目的だけの利用もOKだそうです。
なんと、長谷川穂積さん自身もこのジムでトレーニングされるそうで、レジェンド・長谷川穂積さんと一緒にトレーニングできるという事だけでも会員になる価値がありそうです。
長谷川穂積の現在② 舞台俳優デビュー
長谷川穂積さんはボクサー引退後、舞台俳優としてのデビューも飾っています。
俳優初舞台となったのは2019年12月に公演された「悲しき天使」で、長谷川穂積さんは特別出演という形でしたが、かなり気合いを入れて挑まれたようで、公演終了後には自身のブログに以下のように綴っています。
終わっちゃった なんもやる気でない。それほど価値のある意味のある舞台でした。何より共演者の方々が皆素晴らしい ボクサー以外ではじめて終わりたくないと思った
出典:http://cdn.helloproject.com/
また、長谷川穂積さんは、2020年4月から公演予定だった(新型コロナウイルスの影響で延期)の舞台「路地裏の優しい猫」への出演も決定していました。
新型コロナの影響で同舞台の公演は延期となっていますが、7月24日から大阪公演、8月5日から東京公演となっています。
まとめ
今回は、世界3階級王座制覇を達成した日本ボクシング界のレジェンド・長谷川穂積さんについてまとめてみました。
長谷川穂積さんは、1999年にプロデビューを飾ると、2005年にWBCバンタム級王座を獲得し、その後2010年まで5年にわたって10連続防衛を達成し圧倒的強さを見せつけました。
その後は、2011年にWBCフェザー級、2016年にWBCスーパーバンタム級を制覇し、世界王座についたまま、2016年12月に現役引退を表明しました。
引退後の現在は、ボクシング&フィットネスジムの経営、舞台俳優デビューなど幅広く活動されています。新しいことに次々と挑戦していく長谷川穂積さんの今後からも目が離せなくなりそうです。