元横綱で武蔵丸親方として多くの力士を育成した三重ノ海剛司さんが話題です。
この記事では三重ノ海剛司さんの国籍や韓国との関係、親などの家族、厚雅との親族関係、嫁の洋子さんとの結婚や子供の石山俊明さん、モデルデビューで話題の孫の嵐翔真さん、現在についてまとめました。
この記事の目次
三重ノ海剛司(元横綱)のプロフィール
三重ノ海剛司のプロフィール
本名 :石山五郎
生年月日:1948年2月4日
出身地 :三重県松阪市
身長 :180cm
血液型 :A型
三重ノ海剛司(みえのうみ・つよし)さんは、元大相撲力士で第57代横綱です。
三重ノ海剛司の力士としての経歴
三重ノ海剛司さんは、地元の松阪市立鎌田中学校を中学卒業後、一時は集団就職で上京してアルミ工場へ就職。しかし仕事があまりにもキツく、給料も低かったためすぐに退職し、地元の三重県へと戻っています。
そして、15歳の時に出羽海部屋に入門し、1963年7月の名古屋場所で初土俵を踏んでいます。その後、1967年9月場所で三段目優勝を果たし、1969年1月場所後には新十両に昇進し同年9月場所で新入幕を果たしました。その後、1970年7月場所で新三役となる西小結に昇進し大鵬・玉の海を破るなどして初の殊勲賞を受賞。1971年11月場所は11勝4敗成績を挙げ初の技能賞を獲得するなどし、大関候補として注目を集めました。
しかしその後の1972年より、三重ノ海剛司さんは肝臓病を患って成績が振るわず、1973年9月場所〜1975年3月場所にかけては平幕に在位しています。
1974年の嫁の洋子さんとの結婚を機に野菜中心に食事にするなどして体質改善に取り組み復調し、1975年5月場所で関脇復帰すると、同年9月場所で11勝4敗、続く11月場所で13勝2敗の好成績をあげて初の幕内優勝を果たし、1976年1月場所において大関昇進を果たしました。
新大関として迎えた1976年1月場所は8勝7敗と勝ち越したところで足首を捻挫し。その影響で同年3月場所、5月場所を途中休場する事になり、2場所連続負け越しとなって在位3場所目で大関の地位を明け渡し、同年7月場所より関脇へと陥落。しかしこの7月場所で10勝をあげて大関への特例復帰(降格直後の場所で10勝以上で特例で大関に復帰できる)しています。
しかし、そのまま完全復活とはいかず、1976年9月から1977年11月の8場所にわたって二桁勝利すらあげられず、、2桁勝利すら挙げられず大関角番を2度経験するも瀬戸際で勝ち越し角番を脱しています。1976年7月場所の頃には「家族にも伝えなかったが駄目なら引退しようと思った」と三重ノ海剛司さんは後に述懐されています。
1978年1月場所、大関昇進後12場所目にして初めての10勝を挙げると、この年は2桁勝利を4度記録するなど完全復活を果たし、1979年5月場所では13勝2敗で優勝次点。続く7月場所で初日に栃赤城に敗れるも、その後、怒涛の14連勝を飾り14勝1敗の成績で輪島との優勝決定戦へと進み、敗れはしたものの優勝同点の好成績により、横綱に推挙され、続く9月場所にて、31歳5ヶ月での横綱昇進を果たしました。当時、大関からの陥落経験のある力士の横綱昇進は史上初の出来事でした。
新横綱の1979年9月場所は11勝4敗でしたが、続く11月場所で14勝1敗、1980年1月場所で15戦全勝と2場所連続優勝達成しました。しかしその後は、年齢による衰えと怪我や病気などで休場が増え、1980年11月場所の最中に現役引退を表明しました。横綱としては在位8場所と短命に終わりました。
三重ノ海剛司さんの生涯戦績は「695勝525敗1分56休(105場所)」、幕内戦績は「543勝413敗1分51休(68場所)」でした。
三重ノ海剛司の現役引退後の経歴
出典:https://upload.wikimedia.org/
三重ノ海剛司さんは、現役を引退した後は1981年8月に出羽海部屋から分家独立する形で武蔵川部屋を新たに創設し第14代武蔵川親方を襲名。武蔵川部屋を起こしてからは弟子30人〜40人を抱え、当初は部屋経営は火の車で借金地獄に陥った事もあったそうですが、徐々に部屋経営基盤が確立され、地元後援会の会員は100人を超えるほどになりました。
武蔵川部屋は非常に厳しいスパルタなスタイルで有名で、横綱となった武蔵丸をはじめ、武双山、出島、雅山ら3人の大関を含め合計12名の関取を育て上げました。
相撲協会員としては、役員待遇・監事(現在の副理事)→理事と出世し、2006年2月より事業部長を務め、2008年9月に第10代日本相撲協会理事長に就任しています。
三重ノ海剛司さんは、2010年7月に高血圧で入院し、その後に胃がんの手術を受け、2010年8月に理事長職を辞任。同年9月には、武蔵川部屋の部屋付き親方であり、元大関・武双山こと18代藤島親方に武蔵川部屋を譲渡(藤島部屋に名称変更)し、親方の座から退かれました。
三重ノ海剛司(元横綱)の国籍は日本だが元は韓国籍とも言われている
三重ノ海剛司さんの国籍は「日本」ですが、元々は韓国籍(朝鮮籍)で、相撲部屋に入門時に帰化をして相撲界に入ったと言われています。当時は帰化申請は中々承認されず日本国籍になるのが遅れたという情報も当時の相撲ファンの間では知られていたようです。
えっそうだったの。知りませんでした。大人気だった若貴兄弟も父親は在日韓国人で母親は日本人のダブルですし、相撲界には在日の横綱が何人も居ます。初代若乃花、玉ノ海、三重ノ海等、、、それなのに日本人横綱と煩い舞の海や日本会議NHK。「国境なき相撲ファン」は良い言葉。https://t.co/bqDFj0Sdxx
— boukendanji (@boukendanji) July 17, 2018
三重ノ海も外国籍で、日本の国籍を取得したんだけどね……。
— 無楽斎 the Grey (@murakusai01) April 21, 2019
三重ノ海剛司(元横綱)の両親などの家族
三重ノ海剛司さんの家族は建設関係の仕事をしていた韓国籍(朝鮮籍)の父親と母親、10歳以上歳の離れた兄をはじめ上に何人かの兄や姉がいる家庭で成長しています。
三重ノ海剛司さんの家族は父親が仕事をしていた時は普通の生活を送っていましたが、三重ノ海剛司さんが小学生の頃に父親が病気で倒れると貧しい生活を余儀なくされ、ベルトを買うお金もなく母親の腰巻きの紐を代わりにするほどだったそうです。
三重ノ海剛司さんも小学校4年生の時から新聞配達、6年生からは牛乳配達、中学時代には精肉店で働いて家族の生活を助けていたそうです。
父親は、三重ノ海剛司さんが松阪市立鎌田中学校在学中に亡くなっています。
三重ノ海剛司さんが相撲界に入ったきっかけは10歳以上歳の離れた兄が、出羽海部屋と親しかった魚屋の主人に「うちの弟がそこそこ体が大きいから相撲取りにどうかな」と相談し紹介してもらった事だったそうです。
三重ノ海剛司(元横綱)と若手力士の厚雅は親族関係
三重ノ海剛司の姉のひ孫・厚雅のプロフィール
本名 :中西朋誠
生年月日:2005年
出身地 :三重県松阪市
身長 :182cm
血液型 :A型
三重ノ海剛司さんと二子山部屋の若手力士の厚雅朋誠(こうが・ともよし)さんは親族関係です。厚雅朋誠さんは、三重ノ海剛司さんの姉のひ孫にあたります。
そうそう!二子山部屋の厚雅くんの曾祖母の弟が横綱・三重ノ海だと知ってビックリしたのよ今日は
— フェイなのですも (@xiao_hui_doge) March 24, 2024
んで三重ノ海のWikipediaのページを読んでみたら目頭が熱くなってしまったわ…そうだったんだね…
思わず3月場所初日の厚雅くんの取組を再び見てしまった
三重ノ海剛司さんの姉のひ孫にあたる厚雅朋誠さんは中学時代は柔道に打ち込み、中学卒業後に二子山部屋に入門し2021年9月場所で初土俵を踏みました。
厚雅朋誠さんは、2024年10月現在の時点で戦績は20場所に出場して「45勝78敗3休」、最高位は2023年3月場所で昇進した序二段六十一枚目です。
三重ノ海剛司(元横綱)は1974年に嫁の洋子さんと結婚
三重ノ海剛司さんは1974年に現在の嫁である洋子さんと結婚しています。結婚式は1974年9月25日に東京プリンスホテルで挙げています。
2人は1974年9月25日、東京プリンスホテルで挙式。
三重ノ海剛司さんは1972年頃に急性の肝臓病を患い、その影響で成績を落としていましたが、この結婚が契機となって復調し、大関昇進、そして横綱昇進を果たしました。
その裏には嫁の洋子さんが食事の改善などで三重ノ海剛司さんの体質改善に取り組むなどの苦労があったようです。
洋子さん 「結婚当時の夫は、目の周りや体に湿疹がひどく出ていました。アスリートは健康が第一。私は栄養学や漢方を勉強しました。力士は稽古前に食事を取らないので、朝起きたらまず、大きなグラスに野菜ジュースを飲んでもらった。ニンジン、キャベツ、セロリ……。夫は『俺はウサギじゃないんだ』って言ってましたが、野菜嫌いを克服してもらいました」
三重ノ海剛司さんが1980年に現役を引退し、1981年8月に武蔵川部屋を創設した後は、嫁の洋子さんは部屋のおかみさんとして三重ノ海剛司さんを支え、多くの弟子たちの母親代わりとして力を尽くされました。
三重ノ海剛司(元横綱)の子供は2人で長男は石山俊明
三重ノ海剛司の子供・石山俊明のプロフィール
生年月日:1975年5月19日
出身地 :東京都荒川区
身長 :183cm
三重ノ海剛司さんと嫁の洋子さんの間には2人の子供が誕生しています。
三重ノ海剛司さんの1人目の子供は1975年5月19日に生まれた長男の石山俊明さんです。
石山俊明さんは、1994年1月から1996年3月まで「石山」を四股名に武蔵川部屋(三重ノ海剛司さんの相撲部屋)に所属し力士として活躍していました。力士としての最高位は三段目八十一枚目で、生涯戦績は「28勝14敗35休(12場所)」でした。
力士引退後は俳優に転向し、日本テレビの2時間サスペンス「取調室8」、フジテレビ系のドラマ「GTO」(1998年版)の第1話、テレビ朝日系時代劇「暴れん坊将軍」の第29話などに出演しています。
その後、石山俊明さんは俳優を引退し、父親である三重ノ海剛司さんがオーナーを務める割烹「銀座三重ノ海」を2010年7月まで経営。現在は江東区門前仲町で「三重ノ海」というちゃんこ料理店を経営されています。
三重ノ海剛司さんの子供は、この石山俊明さんの他にもう1人いますが、性別や名前、経歴や職業などは明かされておらず不明なのですが、インターネットでは三重ノ海剛司さんの2人目の子供である次男が交通事故で他界されているとの情報が確認できます。
三重ノ海さんのお孫さんがモデルになったニュース。確か三重ノ海さんは息子さんは二人いらして長男さんは力士、役者をされていて、次男さんは交通事故で他界されたはず。
— ろまじょ (@dokuda3) October 23, 2024
三重ノ海剛司(元横綱)の孫・嵐翔真はメンズノンノの専属モデル
三重ノ海剛司の孫・嵐翔真
生年月日:2006年12月5日
出身地 :東京都台東区鶯谷
身長 :190cm
血液型 :A型
三重ノ海剛司さんの孫は嵐翔真さんという方で、ファッションモデル・タレントとしてデビューされています。
三重ノ海剛司さんの孫・嵐翔真さんは、三重ノ海剛司さんの長男の石山俊明さんの子供で、祖父の三重ノ海剛司さん(身長180cm)、父親の石山俊明さん(身長183cm)に加えて、母親も身長180cmという高身長遺伝子を引き継ぎ、身長190cmのスタイル抜群、甘いマスクの大型モデルとして注目されています。
嵐翔真さんははっきりとした顔立ちのイケメンでどこかハーフぽい雰囲気もあり、180cmの高身長であるという母親は西洋人女性ではないかと推測する声もあるようです。
三重ノ海剛司さんの孫・嵐翔真さんは、幼い頃から元モデルで俳優の阿部寛さんに憧れていたそうで、高校進学後の2024年10月19日、阿部寛さんがかつて活躍した「MEN’S NON-NO」の「第39回 MEN’S NON-NOモデルオーディション」に挑戦。見事、準グランプリに輝き、MEN’S NON-NO専属モデルに起用されました。
男性ファッション誌「メンズノンノ」の専属モデルオーディションで準グランプリに輝いた嵐翔真(17)が19日、自身のインスタグラムを更新し、受賞の喜びをつづった。
嵐は1メートル90の長身で元横綱・三重ノ海を祖父に持つ。子供の頃は「相撲と水泳をやってました!」とインスタグラムで明かしている。
嵐翔真さんは、祖父である三重ノ海剛司さんからいつも応援されていたそうで、その言葉が響いてMEN’S NON-NOのオーディションにも合格できたのだと思うとコメントされていました。
元横綱・三重ノ海の孫 嵐翔真(17): おじいちゃんがいつも言ってくれるのが「才能がなくても気合と根性があれば、グッて捕まえるものがあるから」 おじいちゃんのその気合と根性があれば、なんとかなるっていうその言葉がやっぱ響いてメンズノンノの時も合格できたのかなというふうには思いますね。
また、孫の嵐翔真さんは、三重ノ海剛司さんが現役時代に使っていた下駄をプレゼントされたそうで、いつもその下駄を履いてMEN’S NON-NOの私服撮影に臨んでいるのだそうです。
元横綱・三重ノ海の孫 嵐翔真(17): これ、おじいちゃんからもらった下駄でおじいちゃんの現役の時、相撲をやった時に履いていたやつですね。 祖父が現役時代に履いていた下駄をもらい、愛用しているといいます。 元横綱・三重ノ海の孫 嵐翔真(17): メンズノンノの私服撮影の時も、そのほとんど下駄履いてるんで、ちょっとみなぎるパワー的なのがこう抽出されて、バァーって来てる感が。
三重ノ海剛司(元横綱)の現在
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三重ノ海剛司さんは現在は76歳で、日本相撲協会を2013年、65歳の時に日本相撲協会を定年退職した後は、東京都墨田区の相撲博物館の館長に就任されていました。この相撲博物館の館長も2023年1月に退任されています。
退任の理由については「75歳を機に大相撲から卒業」と説明されています。
日本相撲協会の相撲博物館館長を務める元横綱三重ノ海の石山五郎さん(74)が、初場所後の2月に10年間務めた館長を退任することが14日、わかった。 相撲協会で理事長などを歴任した石山さんは定年退職した2013年に両国国技館に併設されている同博物館の第6代館長に就任。2月に75歳になる石山さんは読売新聞の取材に対し、「75歳を機に大相撲からの卒業だ。60年間世話になった相撲界には大変思い出深いものがある」と勇退の意向を明かした。
三重ノ海剛司さんは大相撲から卒業して1年が経った2024年現在も時折メディアの取材を受けていて、76歳とは思えないような、さすがは元横綱と感じるような堂々とした元気そうな姿を見せてくれています。
まとめ
今回は第57代横綱を務めた元大相撲の力士で、武蔵山親方として横綱・武蔵丸などを育てた三重ノ海剛司さんについてまとめてみました。
三重ノ海剛司さんの国籍は日本ですが、かつては韓国籍(朝鮮籍)で、相撲部屋入門と同時に帰化をして日本国籍になられたと言われています。
三重ノ海剛司さんの家族は建設関係の仕事をされていた父親と母親、複数人の兄弟がいました。また、現在二子山部屋の若手力士として注目されている厚雅朋誠さんとは親族で、三重ノ海剛司さんの姉のひ孫が厚雅朋誠さんにあたります。
三重ノ海剛司さんは1974年に現在の嫁である洋子さんと結婚。2人の子供が生まれています。
三重ノ海剛司さんの1人目の子供は、1975年5月19日に生まれた長男の石山俊明さんで、1994年1月から1996年3月まで「石山」の四股名で武蔵川部屋に所属して力士として活躍。力士引退後は俳優に転向し「GTO」や「暴れん坊将軍」などに出演しました。その後は、三重ノ海剛司さんがオーナーの飲食店を経営し、現在は江東区門前仲町で「三重ノ海」というちゃんこ料理店を経営されています。
三重ノ海剛司さんの子供に石山俊明さんの子供で、三重ノ海剛司さんの孫にあたるのが2024年にモデル・タレントとしてデビューし話題になっている嵐翔真さんです。
嵐翔真さんは190cmの高身長と甘いマスクのイケメンモデルで、「第39回 MEN’S NON-NOモデルオーディション」で準グランプリに輝き、MEN’S NON-NOの専属モデルを務めています。
現在、三重ノ海剛司さんは76歳を迎えており、すでに日本相撲協会は定年退職し、2013年以来務められていた相撲博物館館長も2023年に退任されています。現在は嫁のユキコさんとのんびり過ごされている様子ですが、メディア取材にも時折応じており、76歳とは思えない堂々たる姿を見せてくれています。