斎藤真由美の現在!結婚や旦那と子供・兄弟など家族・中村高校の中退理由・若い頃のかわいい画像まとめ

日本ではバレーボール人気が高まっていますが、美人アスリートとして注目され、波乱万丈な現役生活を送ったバレーボール選手が斎藤真由美さんです。

 

斎藤真由美さんのプロフィールや生い立ち、バレーを始めたきっかけ、家族や兄弟、高校中退理由、経歴や若い頃のかわいい画像、結婚と旦那や子供について、現在をまとめました。

斎藤真由美は元バレーボール選手

斎藤真由美

生年月日:1971年2月27日
出身:東京都練馬区
身長:177cm
所属:群馬グリーンウイングス
血液型:A型
活動:元バレーボール選手、バレーボール指導者・解説者

 

斎藤真由美さんは元バレーボール選手です。現役時代から、ニックネームは「マッチョ」でした。

 

高校中退後に実業団のイトーヨーカドーに加入し、さらに1998年~1991年まで全日本代表としても活躍しました。

 

その後、ケガに泣かされ、一時期プレーできないこともありましたが、1996年に復帰すると、Vリーグで活躍し、1998年にはVリーグMVPとベスト6に輝きました。

 

斎藤真由美さんはその美しいルックスでも注目を集め、若い頃は「バレーボール界のゴクミ」と呼ばれていました。

 

 

斎藤真由美の生い立ちやバレーを始めたきっかけ

出典:blog.livedoor.jp

 

斎藤真由美さんは東京都練馬区で生まれました。

 

小学生の頃はバレーボールをしていませんでした。それどころか、スポーツに全く興味がない子供だったとのことです。しかも、小学4年生~6年生まではいじめを受けていて、内向的な性格でした。

 

小4から小6まで、原因はよくわからないんですが、いじめに遭っていたんです。6年生の時にはもう身長が168cmあって他の子より大きく、ちょっと内向的なタイプだったからかもしれませんね。

 

引用:元日本代表・齋藤真由美が辿った波乱のバレー人生。大人への不信、引きこもり、事故での大ケガに「まったく先が見えなかった」 | web Sportiva (スポルティーバ)

 

その後のバレーボールでの活躍を考えると、ちょっと意外な子供時代です。

 

そんな斎藤真由美さんに新たな道を示してくれたのが、4つ上のお兄さんでした。お兄さんがバレーボールを勧めてくれて、中学に入学するとバレーボール部に入りました。

 

物事にもあまり関心がなかったんですが、4つ上の兄が心配してくれて、『みんなで目標を持って協力し合えるスポーツは楽しいよ』と勧められたのがバレーボールだったんです。それで、未経験のまま中学校でバレー部に入りました。

 

引用:元日本代表・齋藤真由美が辿った波乱のバレー人生。大人への不信、引きこもり、事故での大ケガに「まったく先が見えなかった」 | web Sportiva (スポルティーバ)

 

初心者なので最初から試合に出れたわけではありませんが、それでも応援やボール拾いで「自分にやれることがある」というだけで楽しかったとのこと。

 

また、小6ですでに身長168cmあって、背が高かったこともあり、1年生の時に試合に出る機会が訪れます。初めての試合は負けてしまいましたが、斎藤真由美さんにとってはとても楽しい経験で、そこから真剣に練習するようになり、2年生になるとキャプテンになり全国大会に出場するまでに成長しています。

 

バレーボールを始めて1年ちょっとでキャプテンとして全国大会に出場するなんて、斎藤真由美さんはバレーボールの才能の塊だったと言えるでしょう。

 

 

斎藤真由美の家族・兄弟

出典:instagram.com

 

斎藤真由美さんは幼い頃に両親が離婚していて、母子家庭で育ちました。

 

・母親
・兄(4つ上)
・斎藤真由美

 

母子家庭だったこともあり、家庭の経済状況はあまり良くなく、お兄さんは中学卒業後に社会に出て働き、家計を支えていたとのことです。

 

お兄さんは斎藤真由美さんが33歳の時に脳腫瘍と白血病になり、4年後に亡くなりました。お母様もすでに他界されています。

 

 

斎藤真由美が中村高校を中退した理由

出典:hanemone.blogspot.com

 

斎藤真由美さんは中学の時に全国大会に出場したこともあり、バレーの強豪高校からスカウトが来るほど注目を集めました。

 

斉藤さん自身は家計を支えるために働くつもりでしたが、母親が「バレーボールを続けてほしい」と希望したこともあり、都内の強豪校の1つである中村高校にスポーツ推薦で進学しました。

 

しかし、1年生の時に自主退学します。理由は大人・指導者への不信感でした。

 

斎藤真由美さんが高校生だった頃は、「根性」「精神論」がまかり通っていた時代です。バレーボール部の指導者も理不尽に厳しかったとのこと。

 

指導者も厳しかった。試合に負けたあとは延々と殴られる。鼻血をぬぐうと、それが気にいらないからと再び殴る。長時間の叱責でトイレに行けず、その場で漏らす選手もいた。そんなことが日常茶飯事の時代だった。

 

引用:「負けたら殴られる」指導者に抱いた不信感…元バレーボール日本代表・斎藤真由美はなぜ“高校1年生で中退”したのか? 本人が明かす壮絶な過去(2/3) – バレーボール日本代表 – Number Web – ナンバー

 

斎藤真由美さんは「スポーツは楽しむもの」という考えを持っていたため、このような指導環境に不信感を抱くようになります。

 

それでも1年生でレギュラーになり、8月のインターハイでは全国3位になりました。その活躍もあり、その後は国体の東京選抜に選ばれたのに、それを知らされることもなく、勝手に辞退したことになっていました。事後報告で「辞退した」とだけ告げられたのです。

 

このようなことがあり、斎藤真由美さんは高校を中退しました。中退後は3~4ヶ月自宅で引きこもっていたとのことです。

 

 

斎藤真由美の経歴①:イトーヨーカドー加入とソウル五輪辞退

出典:mainichi.jp

 

高校中退した斎藤真由美さんは、自宅で引きこもり生活をしていましたが、注目選手だった斎藤真由美さんが高校を中退したことを聞きつけたいくつかの実業団からオファーがありました。

 

その中でも、一番最初に声をかけてくれたのがイトーヨーカドーでした。イトーヨーカドーの前田健監督は以前に斎藤真由美さんが通っていた中村高校で指導していたこともあり、「練習を見に行くだけなら」という気軽な気持ちで見に行くことになりました。

 

そこで「実業団で給料をもらいながらバレーボールをする」という道があることを知ります。母子家庭育ちで家計を助けたいと思っていた斎藤真由美さんは、イトーヨーカドーに加入することになりました。

 

1987年2月(16歳)に日本リーグのダイエー戦でデビューすると、その翌年の1988年には全日本代表のソウルオリンピック第1次候補選手に選出され、一気に注目を集めるようになります。

 

しかし、そのかわいいルックスにばかり注目が集まり、しかも全日本に呼ばれた時には「ベンチに座っていればいいから」と客寄せパンダの扱いをされたことに不満を感じ、ソウルオリンピックメンバーへの選出は辞退しています。

 

 

斎藤真由美の経歴②:肩の故障と交通事故の大けが

出典:ameblo.jp

 

ソウルオリンピックは辞退したものの、その後のNHK杯で全日本デビューを果たしました。翌1989年にはワールドカップでは敢闘賞を獲得し、日本リーグでもMVPとベスト6に選ばれました。

 

しかし、肩を故障します。ご自身曰く、技術がなくがむしゃらに打つだけの選手だったので、体を酷使してしまったそうです。19歳の時には右肩が上がらず、クシで髪をとかすこともできなくなってしまいました。20歳の頃からリハビリ生活に入ることになります。

 

リハビリ生活をする中で、さらなる不幸が斎藤真由美さんを襲います。1993年8月に交通事故に遭ったのです。

 

お兄さんが運転する車で斎藤真由美さんは助手席に、母親は後部座席に座って家族3人で外出していた時のこと。飲酒&居眠り運転のトラックに正面衝突されました。

 

この事故で斉藤さんは車体と座席に両足を挟まれ、さらにフロントガラスに頭から突っ込むという大けがを負いました。

 

私も脱臼や額を13針縫うなどしましたが、特にひどかったのは両ひざ。手術をしたものの、『このケガをしてまたプレーができるのか。たとえコートに立てても、自分を奮い立たす力が出るのか』と、まったく先が見えませんでした」

 

引用:元日本代表・齋藤真由美が辿った波乱のバレー人生。大人への不信、引きこもり、事故での大ケガに「まったく先が見えなかった」 (3ページ目) | web Sportiva (スポルティーバ)

 

その後、4年半のリハビリを経て、1996年にイトーヨーカドーの主将としてコートに復帰しました。肩のリハビリも含めると、6年半のブランクを経ての復帰でした。

 

 

斎藤真由美の経歴③:大けがからの復帰

出典:cblog.sendai-iken.ac.jp

 

6年半ぶりに復帰した斎藤真由美さんは、より上のレベルを目指したいと思い、名将・セリンジャー監督が率いるダイエーに移籍しました。

 

同じスーパー業界のイトーヨーカドーからダイエーへの移籍はタブー視されていましたが、ヨーカドーを自ら退部して、セリンジャー監督に直接交渉してダイエーに入部しました。

 

ダイエーではチームを優勝に導き、1998年にはMVPとベスト6に輝いています。

 

その後、ダイエーが休部になり、斎藤真由美さんは下部リーグの東北パイオニアへの移籍を決意します。この移籍は本拠地が母親の出身地の山形県にあったこと、さらにチームがVリーグに昇格するという明確な目標があったこと、バレー界への恩返しがしたいという思いからのものでした。

 

斎藤真由美さんは移籍後1年で東北パイオニアをVリーグに昇格させ、恩人のセリンジャー監督を招へいして、2003-2004年シーズンには選手兼コーチとしてチームをVリーグ優勝に導きました。ただ、膝の状態が良くないため、Vリーグ優勝を見届けて、現役を引退しています。

 

 

斎藤真由美は若い頃に「バレーボール界のゴクミ」で人気に

 

斎藤真由美さんは、若い頃には「バレーボール界のゴクミ」として人気になりました。ゴクミとは当時「美少女」として超人気だった女優の後藤久美子さんのことです。現在は、元F1レーサーのジャン・アレジさんと結婚されています。

 

こちらが後藤久美子さんの写真です。

 

出典:amazon.co.jp

 

そして、こちらが斎藤真由美さんの若い頃の画像です。

 

出典:sportiva.shueisha.co.jp

 

出典:sportiva.shueisha.co.jp

 

出典:youtube.com

 

確かに、メチャクチャかわいいですし、後藤久美子さんに似ていますね。これ、おそらくすっぴんですよね。メイクはしていないと思います。ノーメイクで画像加工なしでこれだけかわいいのは、「正真正銘の美少女」と言えるでしょう。

 

ただ、斎藤真由美さんは、実力よりもこのルックスに注目が集まってしまいます。そのことでソウルオリンピックの出場を辞退しました。

 

「まだ若手で全日本に召集された時、『ベンチに座っていればいいから』と言われたことがあったんです。私は”客寄せパンダ”の扱いでしかないのかと。その枠に、能力があるほかの選手が入ったら勝てる確率が上がるのに、観客動員などが優先されてしまったんでしょう。

 

引用:若手の美人バレー選手として「客寄せパンダ」にされた齋藤真由美。同じく苦しんだ益子直美と取り組む「怒らない指導」 | web Sportiva (スポルティーバ)

 

ただ、オリンピックを辞退したことで、「非国民だ」と毎日自宅に電話がかかってくるほどのバッシングがあったそうです。

 

かわいすぎることも、いろいろと苦労があるんですね。

 

 

斎藤真由美の結婚や旦那と子供

出典:instagram.com

 

斎藤真由美さんは2000年に結婚しました。結婚相手はお兄さんの中学時代の後輩で、小学校の教師をしている男性です。現役時代はスケジュールの都合でなかなか時間が取れなかったため、結婚式は引退後の2004年6月に山形県の天童オルゴール博物館で執り行いました。

 

パイオニアレッドウィングスのVリーグ初優勝に貢献し2004年4月1日付で現役を引退した斎藤真由美(さいとう・まゆみ)さんが、天童オルゴール博物館で結婚式をおこないました。斎藤さんは小学校の先生をされている方と4年前に結婚しましたが、試合や練習など多忙な毎日でスケジュールを空けることが出来ず、これまで挙式をおこなってきていませんでした。

 

引用:天童のニュース(平成16年6月・第4週) – 天童市の観光ガイド

 

この旦那さんとの間には子供が1人います。2007年に出産しました。旦那さんは山形県天童市で小学校の先生をしていて、長男と3人で生活していました。

 

旦那さんはお兄さんの中学校の後輩ということは東京生まれのはず。それでも、天童市で小学校の先生をしているということは、斎藤真由美さんのために東京から天童市に引越したのかもしれませんね。

 

 

斎藤真由美の現在

出典:mainichi.jp

 

斎藤真由美さんは2004年に引退後、東北パイオニアに残り、そこで勤務しながら同チームの事務局長を務めていました。2007年に出産すると共に退職して、山形放送の朝のラジオ番組「グッとモーニン!!」の中の1つのコーナー「真由美のアタック!朝一番」でパーソナリティを務めることになりました。

 

その後も、2013年から天童市教育委員会の教育委員を務めたり、さくらんぼテレビジョン番組審議会委員を務めるなど、山形県に貢献し続けました。

 

2016年には春高バレーで解説者としてデビューしています。

 

現在は夫と小学生の長男とともに最後の所属チームの本拠地だった山形県在住。専業主婦だが、こんな逸材が地域振興の目玉にならないわけがない。山形放送のラジオ番組『グッとモーニン!!』に週1回出演するほか、山形県天童市の教育委員も務める。

 

引用:続・あの美女アスリートはいまどこで何をしているのか(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)

 

現在はさらに幅広い活動をしていて、2017年に益子直美さんと20年ぶりに再会し、益子直美さんが主宰している「監督が怒ってはいけない大会」に共感し、一緒に活動をしています。

 

マコさんの最終目標は『日本に怒る指導の文化はもうない。益子直美はもういらない』と言われること。賛同していただけることも少しずつ増えていますが、私の役割はパートナーアスリートとして批判を受け入れることです。

 

引用:若手の美人バレー選手として「客寄せパンダ」にされた齋藤真由美。同じく苦しんだ益子直美と取り組む「怒らない指導」 (4ページ目) | web Sportiva (スポルティーバ)

 

さらに、2022年からはアスリートのためのハチミツ(アスリート応援食品)を提供する株式会社MAX8という会社を立ち上げています。

 

また、日本スポーツ協会公認コーチ4の資格を取得し、群馬銀行グリーンウイングス(現・群馬グリーンウイングス)のチーム監督に就任しました。

 

2022年6月より、齋藤真由美氏が群馬銀行グリーンウイングスの監督として就任いたしました。齋藤監督の指導のもと、目標であるV1昇格に向けてチーム一丸となって戦ってまいります。

 

引用:新監督就任のお知らせ | 群馬グリーンウイングス | 群馬銀行

 

斎藤真由美さんは現在、楽しいスポーツの普及に向けて活動しています。益子直美さんと一緒に「監督が怒ってはいけない大会」活動しているのは、益子さんも「美人バレーボール選手」ともてはやされていたので、斎藤真由美さんと同じ苦労を経験したからこそ分かち合えるものがあるのかもしれませんね。

 

 

斎藤真由美のまとめ

斎藤真由美さんのプロフィールや生い立ち・バレーを始めたきっかけ、家族や兄弟、バレーボール選手としての経歴や交通事故・リハビリ、結婚した旦那や子供と現在をまとめました。

 

斎藤真由美さんは一流選手として活躍しただけでなく、選手としていろいろと理不尽なこと、辛いことを経験しているからこそ、良い指導者になりそうですね。

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