千日デパート火災の跡地と現在!飛び降りや便器の遺体・生存者の証言・原因と犯人・アンビリバボーの特集・心霊現象もまとめ

千日デパート火災は大阪難波の「千日デパート」で発生し118名もの死者を出した戦後最悪のビル火災です。

 

この記事では千日デパート火災の原因と犯人、死者数や遺体、飛び降りやトイレの便器で亡くなった方や生存者の証言、アンビリバボーの特集、跡地の心霊の噂、現在についてまとめました。

千日デパート火災は118人もの死者を出した戦後史上最悪のビル火災

 

出典:https://cdn.mainichi.jp/

 

「千日デパート火災」とは、1972年5月13日に大阪府大阪市南区難波新地(現在の中央区千日前2丁目)にあった地上7階建ビル「千日デパート」で発生した大規模ビル火災です。

 

千日デパート火災は、死者118名、負傷者81名(消防隊員や警察官、通行人を含む)もの人的被害を出し、戦後における日本のビル火災史上最悪の惨事として知られ、「千日デパートビル火災」、「千日前ビル火災」、「千日前惨事」などの名称でも呼ばれています。

 

 

千日デパート火災の経緯① 1972年5月13日(土)22時半頃に3階より出火

 

千日デパート火災が発生した1972年5月13日は土曜日で、デパート自体の営業は21時に終了しましたが、同ビル7階にあったチャイナサロン「プレイタウン」(アルバイトサロンと呼ばれた現在でいうところのキャバクラ)は営業を続けていました。

 

火災が発生した22時半頃にも、7階「プレイタウン」店内には客とホステス、従業員ら合わせて181名が滞在し混み合っていました。

 

一方、ビル3階のニチイ千日前店では売り場改装に伴う電気設備工事が行われており、6名の作業員が工事を行なっていました。

 

22時15分頃、工事監督が1人でタバコを吸いながら現場を離れ、照明が消された3階東側フロア周辺をうろついています。

 

22時32分〜33分頃、工事作業者の1人が3階東側の寝具・呉服売り場方向(工事監督がうろつきに行った方向)から「バリバリ」とガラスが割れるような音を聞き、そちらを見やると40メートルほど離れた東側売り場で高さ70cm、幅40cmくらいの炎が立ち上がり、黒煙が天井いっぱいに立ち込めているのに気がつきました。

 

工事作業員は直ちに火災を他の作業員や工事監督に知らせ、工事監督は「3階が火事や!」と数回叫びながら1階の保安室へ向かって階段を駆け下りました。

 

 

千日デパート火災の経緯② 22時40分に消防への最初の通報

 

22時34分頃、作業員が作動させた火災報知器と、3階から降りてきた工事監督の大声により、1階保安室は火災発生を知り、保安係員2名はすぐさま階段を昇り3階の状況を確認。

 

すでにフロアには黒煙が立ち込めており出火元へは近づけず、作業員らと協力して消化器を使って消化を試みるも、もはや初期消火が行えるような段階ではなく、火は燃え広がり保安係員と作業員らは消火を諦めて1階へと避難しています。

 

22時40分、保安室の外線電話から119番通報がされましたが、営業中だった7階の「プレイタウン」への連絡はなされませんでした。

 

 

千日デパート火災の経緯③ 7階のチャイナサロン「プレイタウン」がパニックに

 

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3階で火災が発生した22時半頃、営業が続いていた7階の「プレイタウン」には、客57名、ホステス78名、従業員35名、ステージでの演奏を担当するバンドマン10名、ダンサー1名の計181名が滞在していました。

 

22時36分〜22時39分にかけてプレイタウンの一部の関係者がエレベータドアの隙間から流れ込んでくる白煙やダクトから煙が流れ込んでいる事などに気がついています。

 

22時41分頃、エレベータードアの隙間から流れ込む煙が急激に増え、白煙から黒煙へと変わり、付近は一寸先も見えない状態となりました。

 

22時42分、プレイタウンに滞在していた全ての人がようやく異変に気づき、臭気と大量な煙から火災が起きている事を認識。客やホステスらは避難しようとエレベーター前に殺到して混乱状態に陥りました。しかしエレベーターからは激しく煙が吹き出しとても使用できる状態ではありませんでした。

 

22時43分、消防隊の第1陣が到着して消火活動が開始されました。この頃、プレイタウン内は煙が立ち込め、人々はむせ返り目からは涙が溢れて止まらないような状態となってパニック状態に拍車がかかり、煙が充満するエレベーターホールから出ようとする人々とエレベーターで脱出しようとする人がぶつかり合って極度の混乱状態に陥っていました。

 

支配人はエレベーター東隣の階段から客を避難させようと考え、ボーイにその扉の鍵を取ってくるように命じましたが、猛烈な煙に阻まれて鍵が置かれている場所に辿り着く事ができませんでした。

 

22時45分、プレイタウン内でパニック状態に陥った人々は、煙を吸い込んで一酸化炭素中毒で倒れて力尽きる者が出始めました。22時48分には窓を破って地上に飛び降りる者も出始めています。

 

22時49分には、火災の影響でプレイタウンが停電し照明が消えた暗闇の中に黒煙が立ち込め、視界を失って店内を逃げ惑う人々がぶつかり合って転倒し一酸化炭素中毒によって次々と息絶え、22時50分から55分にかけては窓際にいた人々が黒煙と熱気による苦しさに耐えかねて窓から地上へと飛び降りる者が続出する凄惨な有様となります。

 

 

千日デパート火災の経緯④ 救助活動と火災鎮圧

 

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22時55分から23時1分にかけて消防隊による救助活動がようやく本格化し、23時23分までにはしご車によって窓から50人の救出に成功しています。その他、地上に設置した救助幕により3名の救助にも成功しています。

 

23時30分、消防隊はこの時点で7階に要救助者はいないと判断してはしご車による救助活動を打ち切り、消火活動優先へと方針を切り替えています。

 

午前5時になってようやく消防隊と大阪府警機動隊が7階プレイタウン内に入って捜索を開始し、プレイタウンフロアで多数の遺体が確認されました。5時43分に火災鎮圧が確認され、午前7時41分正式に火災鎮火の発表が出され、7階プレイタウンフロア内で96人の遺体発見も報じられています。

 

 

千日デパート火災では死者118名に対し生存者は63名

 

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「千日デパート火災」の死者数は「118名」で、全員が火災発生当時にビル7階の「プレイタウン」にいた人(火災発生時は合計で181名が滞在)で、死者の内訳は客34名、ホステス65名、従業員17名、バンドマン2名でした。

 

対して、千日デパート火災の生存者は火災発生時にプレイタウンにいた181名中わずか「63名」でした。生存者の内訳は客23名、ホステス13名、従業員18名、バンドマン8名、ダンサー1名でした。

 

生存者63名がどのようにして助かったのかは下の通りです。

 

・たまたま上がってきたエレベーターに乗り脱出:1名

 

・クローク後ろの避難階段から脱出:2名

 

・窓から隣接するアーケード商店街の屋根に飛び降り脱出:2名

 

垂れ下がった救助袋をつたって脱出:5名

 

・消防隊にはしご車で救出され脱出:50名

 

・消防隊が設置した救助幕に落ちて脱出:3名

 

生存者のうち、消防隊の救助を全く受けずに自力で脱出できたのはわずか3名だけでした。

 

1人目は、22時43分頃に1階からホステス1人と男性客1名を乗せてエレベーターで7階に昇ってきたエレベーターのドアが開いたところに偶然居合わせて、咄嗟に飛び乗って1階へ降りる事ができたホステスです。このすぐ後にエレベーターは使用不能になっており九死に一生を得た形でした。

 

2人目はクローク係の女性従業員で、クロークの後ろに特別避難階段がある事を以前から知っており、22時43分頃にこの階段を使用して避難に成功しています。このクローク係の女性がこの時に速やかに他の人をこの階段に誘導していれば、もっと多くの人が救われた可能性がありますが、現場はパニックに陥っていて、刻一刻と煙が充満して行っている状況もあって、その判断は難しかったと思われます。

 

3人目はホステスで、22時50分頃、ホール内が黒煙と煙に包まれる中でハンカチで口を押さえて壁づたいに移動してホテルに入ってハンカチを水に濡らして口に押し当て、一酸化炭素中毒で意識が朦朧とする中、かろうじてクローク奥にある特別避難階段へ辿り着いて脱出に成功しています。

 

なお、千日デパート火災の負傷者数は「81名」で、その内訳はプレイタウンにいた47名、救助活動にあたった消防士27名、警察官6名、通行人1名でした。

 

 

千日デパート火災の原因は工事監督のタバコ不始末と推定も裁判では不明に

 

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「千日デパート火災」が発生した原因は、当日にビル3階で電気設備工事を行なっていた工事監督(工事を請け負っていた電気関連会社の設計監理課長)が、煙草を吸う際に使用した火のついたマッチを売り場にあった商品の布団に捨てた事だと見られています。

 

この工事監督は、千日デパート火災の原因を作った犯人だとして、5月14日23時50分に大阪府警捜査一課・南署特別捜査本部に現住建造物重過失失火および重過失致死傷の容疑で緊急逮捕されています。

 

 

工事監督が千日デパート火災の原因を作った犯人とされた根拠

 

工事監督がタバコの不始末によって千日デパート火災の原因を作った犯人として逮捕する根拠として警察が挙げたものは以下の状況証拠でした。

 

① ビルの電気系統に漏電などの出火を起こすような原因が確認されなかった

 

② 21時30分頃、同売り場の店長が点検をしたが出火推定場所に異常はなかった

 

③ デパート保安係員2人による3階巡回時にも出火推定場所に異常はなし

 

④ 出火推定時刻に3階にいたのは工事監督1人と工事作業者4人のみ

 

⑤ 出火10分前に工事監督が1人で出火推定場所の方へ行くのを工事作業者が目撃

 

⑥ 出火推定時刻に出火推定場所にいたのは工事監督のみ

 

⑦ 火災発生後工事監督が工事作業者達に「出火場所に行った事を言うな」と口止め

 

⑧ 警察署に出頭の際に工事作業員達に「絶対に言わないでくれ」と重ねて口止め

 

⑨ 工事監督は当初は喫煙自体を否認したが口止めした事を追及されて歩きタバコをしていた事と火のついたマッチを売り場の商品の布団に捨てた事を自供

 

⑩ 工事監督が「タバコかマッチを捨てた」と自供した場所が出火推定場所と一致

 

これらの状況証拠を見る限りは千日デパート火災はほぼ間違いなく工事監督のタバコの不始末が原因のように思えるし、警察が工事監督が犯人と断定して緊急逮捕に踏み切ったのも無理はないと感じます。

 

 

犯人と見られた工事監督が不起訴になり千日デパート火災の原因は不明という事に

 

ところがその後、ほぼ間違いなく犯人だと見られていた工事監督は様々な事情により不起訴処分となり、その後の裁判では千日デパート火災の原因は「不明」と結論づけられました。

 

一時は千日デパート火災の犯人と見られていた工事監督が不起訴となった経緯については次の見出しで見ていきます。

 

 

千日デパート火災で当初犯人とされた工事監督が不起訴処分となった経緯

 

出典:https://www.asahicom.jp/

 

千日デパート火災で当初犯人とされた工事監督が不起訴になった経緯と理由について見ていきます。

 

 

工事監督は警察の取り調べに容疑を認めたが大阪地検は処分保留で釈放

 

工事監督は千日デパート火災の犯人だとして現住建造物重過失失火および重過失致死傷の容疑逮捕された後、「火災現場でパイプに煙草を差して咥えてマッチで火をつけたが、火の消えていないままのマッチを布団の上に捨てたか、パイプを吹いて火のついている煙草を布団の上に飛ばした」、「煙草を落としたのに気が付いたがビールでほろ酔い気分になっていたので、落とした場所を確認しなかった。私の不注意で大変な事故を引き起こしてしまい遺族の方に何とお詫びしてよいかわからない」などと容疑を認め、同罪で送検されました。

 

ところが、勾留期限までに工事監督の供述を裏付ける物的証拠(煙草の吸い殻やマッチの軸)は発見されず、物証の代わりとなる科学鑑定の結果も得られなかったため、大阪地検は1972年6月4日に工事監督を処分保留で釈放しています。

 

 

大阪府警が燃焼実験で工事監督が捨てたマッチが原因と断定も大阪地検は不起訴に

 

大阪府警は工事監督の供述を裏付けるべく、出火状況を再現する燃焼実験を実施し、工事監督が売り場の布団に火のついたマッチを投げ捨てた事が千日デパート火災の原因だとする結果を示しました。

 

ところが、大阪地検は「工事監督の供述に一貫性がなく起訴するに足る証拠がない」として1973年8月10日に工事監督を不起訴処分としました。

 

 

大阪地検が工事監督を不起訴とした理由① 供述自体に信用性が無い

 

検察は工事監督の供述が「パイプのタバコを吹かしたまま捨てた」→「火の点いたマッチの軸を捨てた」→「自分がマッチで放火した」→「(マッチでなく)火の点いたタバコを捨てた」→「タバコを吸うときにつけたマッチの火が消えているのを確認しないで捨てた」などと二転三転しています。

 

他にも工事監督は火災当時の自身の行動について、実際の状況とは辻褄の合わない供述を繰り返していました。こうした点から検察は工事監督の供述に信用性がないとして不起訴の判断を下しました。

 

 

大阪地検が工事監督を不起訴とした理由② 目撃者がおらず自供以外の証拠がない

 

工事監督は火のついた煙草かマッチを布団に投げたと供述しているものの、それを目撃した者はおらず証拠は本人の自供のみでした。

 

この自供自体が二転三転しているのだから、起訴したとしても公判を維持できない可能性が高く、被疑者を有罪にできる可能性も極めて低いと判断し、大阪地検は工事監督を不起訴にしています。

 

 

大阪地検が工事監督を不起訴とした理由③ 別に放火の犯人が侵入していた疑い

 

千日デパート火災が発生した日から見て約2週間前の4月30日に、千日デパート4階の婦人服売り場に閉店後に何者かが侵入して婦人服にいたずら書きをした事件が起きていました。

 

また、千日デパート火災が発生する前の閉店後に保安係員が3階の防火シャッターが閉鎖されている事を確認していましたが、なぜか火災発生当時にこの防火シャッターが開いていました。

 

この2つの事実が確認されており、ビル内に侵入して放火をした犯人が別にいる可能性が捨てきれず大阪地検は工事監督を犯人として起訴する事に慎重にならざるを得ませんでした。

 

 

大阪地検が工事監督を不起訴とした理由④ 工事監督が容疑を否認に転じた

 

当初は容疑を認めていた工事監督でしたが、1974年4月15日の遺族会統一訴訟(遺族会が起こした民事裁判)において、工事監督は「出火地点には近づいていないし、煙草やマッチを捨てたこともない。脅されて殴られたりして早く釈放されたい一心で調書に署名し押印した」などと供述して容疑の全面否認に転じています。

 

これは、不起訴となった後の出来事なので不起訴となった理由ではありませんが、当時は警察による強引な取り調べが多くあったともいわれており、工事監督が警察に脅されたり暴行を受けたりして虚偽の供述をした可能性が絶対にないとは言い切れません。

 

 

千日デパート火災の遺体は飛び降りやトイレの便器に顔を突っ込んだものも

 

出典:https://article-image-ix.nikkei.com/

 

「千日デパート火災」では118名もの死者が出ましたがその遺体の状況も凄惨を極めたものだったようです。

 

最も多くの死者が出たプレイタウンのホールには遺体が折り重なったような状態だったという事です。また、生存者の証言によるとトイレの便器に顔を突っ込んだ状態のホステスの遺体もあったそうです。他にも窓から飛び降りて地面に衝突して亡くなった方も多く、その遺体も凄惨な状態だったという事です。

 

窓から地上への飛び降りで亡くなった遺体が22体

 

千日デパート火災では押し寄せる黒煙と熱波に耐えかねて窓を破って7階から地上へと飛び降りた方が多くいました。

 

発表によると飛び降りと救助袋をつたって降りようとする途中で転落し地面に衝突した事によって亡くなった遺体は22体あったという事です。飛び降りによって亡くなった遺体の死因は脳挫滅1人、脳挫傷12人、頚椎骨折3人、骨盤骨折2人、胸腔内臓器破裂2人、外傷性ショック2人で女性16名、男性6名でした。

 

千日デパート火災当日にそれを目撃したという近隣住民の方が、飛び降りた方の様子を証言されています。それによると、その方は悲鳴を上げ両手をバタバタさせながら隣接する商店街のアーケードに落下し、それを突き破って地面衝突したようです。衝突時の音は「どすん」ではなく「ばちゃっ」という音だったと生々しい内容を語られています。

 

「向こうの千日前商店街のアーケードの上に人が『ボトン』と落ちたのを見ました、女の人やったと思います。落ちる時は『キャー』って言って両手バタバタしてたけど、下に落ちたら『どすん』じゃなくて、『ばちゃっ』っていう音が…」

 

引用:史上最悪「千日デパート火災」 よみがえる50年前の記憶 人の落ちる音、見覚えのある縫い目のズボン…社会に刻まれた教訓

 

トイレの便器に顔を突っ込んで亡くなった遺体があったとの生存者の証言

 

2015年にフジテレビ「奇跡体験!アンビリバボー」で千日デパート火災が取り上げられた際に、当時プレイタウンでジャズバンドのリーダーをしていて火災に巻き込まれ生存者の1人となった高平勇さんという方が当時の悲惨な様子を証言しています。

 

高平さんはアンビリバボーの中で、トイレの便器に顔を突っ込むようにして亡くなったホステスの話をしており、その手には子供向けの映画のチケットが2枚握られていたのだそうです。

 

千日デパート火災の翌日5月14日は母の日だったため、もしかするとこの方は子供と映画に行く約束をされていたのかも知れません。

 

 

千日デパート火災では管理責任者らが業務上過失致死傷で起訴され有罪判決

 

「千日デパート火災」では、当初、火災の原因を作った犯人と目されて逮捕された工事監督は証拠不十分で不起訴処分となりましたが、別に6名が火災の責任を問われて業務上過失致死傷の容疑で書類送検され、そのうちの4名が同罪で起訴されています。

 

業務上過失致死傷罪で起訴されたのは、千日デパートを経営する日本ドリーム観光の千日デパート管理部次長、同管理課長、「プレイタウン」を経営する千土地観光の代表取締役業務部長と同支配人の4名でした。

 

この4名のうち、千日デパート管理部次長は裁判中に亡くなりましたが、裁判は最高裁まで争われて1990年11月29日に3被告の有罪判決が確定しています。

 

言い渡された判決は千日デパート管理部管理課長が「禁錮2年6ヶ月 執行猶予3年」、千土地観光の2人に対しては共に「禁錮1年6ヶ月 執行猶予2年」でした。

 

 

千日デパート火災を「奇跡体験!アンビリバボー」が取り上げ話題に

 

出典:https://wondia.net/

 

フジテレビの人気番組「奇跡体験!アンビリバボー」が2015年7月9日の放送で「千日デパート火災」を特集しています。

 

このアンビリバボーで千日デパート火災を知ったという方も多かったようで、ネット上でもかなり話題にされていました。

 

 

 

 

このアンビリバボーの千日デパート火災の特集回は、YouTubeなどの動画共有サイトにアップロードされていますが、公式でない違法アップロードなのでここでは紹介できません、興味がある方は自己責任の上で検索し視聴してください。

 

 

千日デパート火災の跡地は百貨店を経て現在はビッグカメラなんば店

 

出典:https://www.biccamera.com/

 

「千日デパート火災」の後、千日デパートビルは1980年2月に取り壊しが始まり1981年に解体工事が完了。その跡地には日本ドリーム観光(千日デパートを経営していた会社)が新たにエスカールビルという地上9階建の商業ビルを建設し1984年に完成。

 

この千日デパートビル跡地に建設されたエスカールビルには百貨店「プランタンなんば」が入り、その後2000年に「プランタンなんば」は閉店し、2001年よりキーテナントとして「ビッグカメラなんば店」が出店し2024年現在も営業を続けています。

 

 

千日ビル火災の跡地には現在も心霊の噂が絶えない

 

「千日ビル火災」の跡地には現在は新たなビルが建ち「ビッグカメラなんば店」がキーテナントとして営業を続けています。

 

この跡地に建設されたビルですが、実は心霊の噂が絶えない場所として、心霊好きの間ではよく話題にされています。

 

多くの死者を出した凄惨な火災があった場所なので心霊の噂が立つのは不思議ではありませんが、実際に恐ろしい心霊体験をした方も多いようで、有名なものではトイレの鏡に女性の幽霊が映るというものや、トイレで女性の啜り泣く声が聞こえる、夜になると店内に焦げ臭い匂いが立ち込めるなどが噂されています。

 

千日デパート跡地は現在、某家電量販店となっているが、50年以上経った今でも、

 

「〇階のトイレで女性がすすり泣くを聞いた」

「1階のタクシー乗り場で乗せた客が消えた」

「急に店内で焦げ臭いにおいが立ち込め気分が悪くなった」

 

 などなど、怪現象を報告する人が少なくなく、心霊スポットとしても知られている。

 

引用:【夜街怪談】悲惨な大事故の犠牲者の霊が今も……? 大阪を代表する繁華街・梅田は「人ならざるモノ」も集まる怪異スポットの顔もあった【第10回】

 

 

千日デパート火災跡地の心霊話…閉店時間後「火災発生…」と暗い声の館内放送

 

これは、千日デパート火災の跡地に建設されたビルに百貨店「プランタンなんば」が入っていた頃に、臨時アルバイトとして働いた女性が体験した心霊話です。

 

その日、この女性は閉店時間後に翌日のバーゲンセールの準備のために商品の値札の張り替え作業を他のアルバイトや社員と行なっていたそうです。

 

22時を過ぎた頃、突然館内のスピーカーが入る音がすると微かな雑音に続き、暗い女性の声で「火災発生…火災発生…」という声が流れてきたそうです。

 

体験者の女性や他のアルバイトの方は驚きの声を上げましたが、社員の方は何か事情を知っているのか落ち着いた様子で「作業を続けてください」とアルバイトたちに指示を出していたのだそうです。

 

体験者の女性は不審に思いながらも館内放送はすぐに止まったため黙々と作業を続けたという事でした。


その後、この女性は長く勤めているアルバイトの先輩から「夜のこの時間になると、決まってあのような不可解な館内放送が流れる」と教えてもらったそうです。

 

この先輩によれば、「火災発生…」という声だけでなく、悲しそうに泣く声や、しきりに助けを求める声が放送で流れた事があったという事でした。

 

そして放送が流れる時間はちょうど22時30分過ぎ頃、つまり千日デパート火災が発生した時間と同じ時刻でした。

 

 

まとめ

 

今回は、1972年5月13日に大阪府大阪市南区難波新地にあった「千日デパート」で発生し118名もの死者を出した戦後最悪のビル火災「千日デパート火災」についてまとめてみました。

 

千日デパート火災の原因は当初、3階で電気設備工事を行なっていた工事監督の煙草の不始末だとされ工事監督が犯人として逮捕されましたが、その後証拠不十分で不起訴とされて裁判では「原因は不明」と認定されています。

 

千日デパート火災では118名の死者が出ましたが、その遺体は折り重なるように倒れ、トイレの便器に顔を突っ込んだまま亡くなっていた方もいるなど凄惨な状況でした。また、煙と熱波に絶えかねて窓を破り7階から地上に飛び降りて亡くなった方も大勢いました。

 

火災発生時、7階で営業していたチャイナサロン「プレイタウン」には客とホステス、従業員を合わせて181名が滞在していましたが、そのうち生存者はわずか63名だけでした。

 

千日デパート火災は2015年に「奇跡体験!アンビリバボー」でも取り上げられて、当時を知らない若い世代の間でもよく知られるようになりました。

 

現在、千日デパート火災の跡地には新たな商業ビルが建設され、2001年からは「ビッグカメラなんば店」が入り2024年現在も営業を続けています。

 

千日デパート火災の跡地には現在も心霊の噂が絶えず、実際に心霊体験をされた方も多いようです。

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