日野町事件の真犯人は?阪原弘の冤罪や被害者の池元はつ・部落や宗教・アリバイや事件現場・裁判の経緯もまとめ

強盗殺人事件「日野町事件」の冤罪がほぼ確定しました。

 

この記事では日野町事件の被害者の池元はつさんや事件現場と遺体発見の現場など詳細を振り返り、阪原弘さんが犯人とされた経緯と部落や宗教、アリバイ、冤罪を作り出した手口、裁判の経緯と真犯人、現在についてまとめました。

日野町事件は1984年に発生した強盗殺人事件で冤罪がほぼ確実に

 

出典:https://news.ntv.co.jp/

 

1984年(昭和59年)の暮れに滋賀県で発生した「日野町事件(ひのちょうじけん)」は、日本の刑事司法における凄惨な冤罪の構図と、取り調べ・証拠開示・再審制度の闇を浮き彫りにした歴史的事件です

 

強盗殺人の容疑者として逮捕され、無期懲役が確定した阪原弘(さかはら・ひろむ)さんは、獄中から一貫して無実を訴え続けましたが、再審(裁判のやり直し)の決定を見届けることなく2011年に75歳で病死しました

 

しかし、遺族による執念の「死後再審」請求によって、警察・検察による証拠の捏造や強圧的な取り調べの実態が次々と暴かれ、2026年、ついに再審無罪が確定する見通しとなっています。

 

 

日野町事件の詳細① 被害者・池元はつさんの失踪と遺体・金庫発見の現場

 

出典:https://static.chunichi.co.jp/

 

1984年(昭和59年)12月29日の朝、滋賀県蒲生郡日野町豊田で自宅兼酒店を経営していた被害者・池元はつさん(当時69歳)が消息を絶ちました

 

前日の12月28日夜まで店内や自宅で普通に過ごしていたと見られていましたが、29日朝になると店の鍵が開いておらず、池元はつさんの姿が消えていたのです

 

同居していた高齢の親族女性も別室におり、異変や争う音などを聞き取っていませんでした。店内には物色されたような荒らされた形跡はなく、整然とした状態が保たれていました

 

捜査が難航する中、事件は最悪の結末を迎えます。

 

  • 1985年1月18日…遺体発見現場は日野町内の宅地造成地の草むら

  •  
  • 失踪から20日後、日野町内の宅地造成地の草むらにて、池元はつさんの遺体が発見されました。遺体は手足を縛られ、首を圧迫されたことによる絞殺体でした

 

1985年4月28日…手提金庫の発見の現場は日野町内の山林

  •  
  • 事件から約4ヶ月後、遺体発見場所から離れた同町内の山林(石原山)の中で、池元はつさんの店から持ち出された手提げ金庫が破壊された状態で投げ捨てられているのが発見されました。

 

事件現場から見えた初期捜査の謎と「詳細」

 

この事件で最も解明が困難だったのは、「池元はつさんがいつ、どこで、どのように連れ出され殺害されたのか」という根本的な詳細が、客観的な証拠から一切判明しなかった点です

 

店の金庫は店頭の目立つ場所ではなく、奥の生活空間に置かれていました。一見して金庫の場所が分からない店内構造であったにもかかわらず、自宅内部が荒らされた形跡がないまま金庫だけが奪われていたことは、犯人が店の内部事情を非常によく知っていたか、あるいは被害者と面識があり、家に難なく上がれる人物であった可能性を強く示唆していました

 

しかし警察は、現場に残された直接的な物的証拠(犯人の血痕や足跡、犯行工具など)を決定的に欠いたまま、捜査を進めざるを得ない状況に陥ったのです

 

 

日野町事件の詳細② 犯人とされた阪原弘さんと苛烈な取り調べ

 

出典:https://news.tv-asahi.co.jp/

 

酒店の常連客だった阪原弘さんへの見込み捜査

 

捜査が難航を極める中、警察がターゲットとして目をつけたのが、被害者・池元はつさんの酒店で頻繁に立ち飲みをしていた常連客の阪原弘(さかはら・ひろむ)さん(当時53歳)でした。

 

警察が阪原弘さんを疑った直接の理由は「酒店の店内に阪原さんの指紋が残っていたこと」と「事件前後に近くで目撃されたという情報」でした

 

しかし、阪原弘さんは日頃からその酒店で酒を購入し、店内で立ち飲みをしていた常連客であったため、店内に指紋が残っているのは極めて自然なことであり、何ら犯人性を示す直接的な証拠にはなり得ないものでした

 

1985年(昭和60年)9月、警察は阪原弘さんを任意同行して事情聴取を行いました。この際、阪原弘さんは関与を断固として否認し、妻のつやこさんも「事件当夜は知人宅で酒を飲んでそのまま泊まっていた」というアリバイを明言したため、警察は一旦阪原弘さんを帰宅させました

 

 

「娘の嫁ぎ先をガタガタにする」強圧的取り調べと嘘の「自白」

 

事件発生から3年以上が経過した1988年(昭和63年)3月9日、事件の早期解決を焦る警察は再び阪原弘さんを連日呼び出し、密室での苛烈な取り調べを開始しました

 

この取り調べは拷問に等しい強圧的なものでした。取調官は阪原弘さんに対し、以下のような激しい暴力と脅迫を加えたとされています

 

  • パイプ椅子を蹴飛ばして阪原さんを床に転倒させる

  • 束ねた鉛筆で身体を突き刺す

  • 連日にわたり怒号を浴びせ、精神的に限界まで追い詰める

 

さらに決定打となったのは、阪原弘さんの家族に対する脅迫でした。当時、阪原弘さんの娘は結婚したばかりでした。取調官は阪原さんに対し、

 

「自白しなければ、結婚したばかりの娘の嫁ぎ先へ行って、家の中をガタガタにしてやるぞ」

 

と言い放ったのです

 

自分自身への暴行には耐え抜いていた阪原弘さんでしたが、新婚の娘の人生や嫁ぎ先まで破壊されるという恐怖に直面し、ついに耐え切れなくなりました

 

「自分が偽りの罪を認めれば家族を守れる」という絶望的な思いから、1988年3月11日、阪原弘さんは「自供」してしまいました。翌3月12日、警察は阪原弘さんを強盗殺人容疑で逮捕しました

 

 

日野町事件の詳細③ 崩された「アリバイ」と事件当夜の「宗教」行事

 

出典:https://www.asahicom.jp/

 

 

「お浄め」の宗教行事と知人宅での酒宴アリバイ

 

刑事裁判において、被告人が「事件発生時に事件現場とは別の場所にいた」ことを証明する「アリバイ」は、無実を示す最も重要な要素です

 

阪原弘さんが一貫して主張していたアリバイは、「1984年12月28日夜(被害者行方不明の時刻)、知人Mさんの義兄宅で行われた『お浄め』と呼ばれる宗教的行事に参加し、その帰り道にMさん宅で酒を振る舞われて翌朝まで泊まった」という明確なものでした

 

この「お浄め」とは、地域や特定の宗教的慣習・信仰に基づき、年の節目や家内安全・厄除けなどを祈願して行われる伝統的な民間宗教行事・集会でした。阪原弘さんはその日、宗教行事の集まりに顔を出し、その後知人宅で他の参加者らとともに酒宴を楽しみ、そのまま就寝して29日朝まで滞在していたのです

 

 

警察によるアリバイ潰しと「虚偽アリバイ」へのすり替え

 

捜査機関(警察・検察)は、この確実なアリバイを崩さなければ阪原弘さんを犯人に仕立て上げられないため、関係者に対する強引な聴取とアリバイ潰し工作を行いました

 

警察は、酒宴に同席していた知人Mさんらに対し、「阪原がいたのは別の日だったのではないか」、「記憶違いだろう」と圧力をかけて供述を曖昧にさせました

 

そして裁判所に対して「阪原弘は意図的に作り話の虚偽アリバイを主張している」と印象付けたのです

 

日本の裁判では、「被告人が嘘のアリバイを主張した」と認定されると、それがかえって「罪を逃れようとしている(犯人性を示す間接事実)」として有罪の根拠に利用されてしまうという不条理な構造が存在します

 

第一審の裁判所は、捜査機関の誘導に乗せられ、阪原弘さんの「お浄め」と酒宴のアリバイを「虚偽アリバイ」と断定し、有罪判決の補強材料にしてしまいました

 

しかし、後の再審請求審において、弁護団がMさんや関係者から改めて詳細な聞き取りを行い、当時のカレンダーや宗教行事の実施記録などを再検証した結果、阪原弘さんが12月28日夜に宗教行事「お浄め」を経て知人宅に泊まった事実は真実であり、アリバイは完全に成立していたことが立証されたのです

 

 

日野町事件をめぐる地域背景と「部落」問題の闇

 

日野町豊田の地域性と捜査機関の先入観

 

日野町事件を深く掘り下げる上で避けて通れないのが、事件現場となった滋賀県蒲生郡日野町豊田という土地の持つ歴史的・地域的背景、および「部落差別」に起因する予断と偏見の問題です

 

滋賀県内の一部地域には、歴史的に被差別部落指定を受けたエリアが存在し、日野町豊田周辺もまた、近代以降に環境改善事業や同和対策事業が進められてきた地域でした。こうした地域社会においては、外部からの差別的偏見や、警察などの行政機関・捜査機関による「特定の地域住民に対する潜在的な先入観」が根強く存在していたことが指摘されています

 

捜査初期において、警察は事件現場の身近にいる常連客や地域関係者の中に犯人がいるという前提(見込み)を強力に設定しました

 

その際、対象とされた人物の個人的背景や人間関係、地域の属性に対する予断が働き、「こいつならやりかねない」、「怪しい」という偏見に基づいたターゲット絞り込みが行われたのです。

 

 

冤罪救済活動における地域・支援団体の役割

 

阪原弘さんが逮捕・起訴された後、自白偏重のずさんな捜査と冤罪の疑いにいち早く声を上げたのは、日本国民救援会や自由法曹団、部落解放運動に携わる人権団体、そして地元の支援者たちでした

 

人身保護や人権擁護を求める団体は、「証拠もないまま特定の住民に容疑を被せ、暴行や脅迫によって自白を強要する捜査手法」が、過去の「石川一雄さんの狭山事件」などに通じる構造的差別と強権的捜査の産物であると激しく批判しました

 

これらの支援団体は「阪原弘さんを守る会」を結成し、現地調査や法廷闘争の支援を数十年間にわたって支え続けることになります

 

 

日野町事件の裁判…有罪認定の根拠が二転三転する異常な展開

 

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日野町事件の刑事裁判は、第一審から最高裁に至るまで、有罪認定の根拠が二転三転するという、裁判史上に残る異例かつ異常な展開を辿りました

 

先に裁判の流れがわかりやすいよう表にしてまとめ、その後に詳細な経緯について書いていきます。

 

 段階 裁判所 判決 / 決定 有罪(棄却)の主な根拠・論理の異常性
 第一審 大津地裁(1995年) 無期懲役 「自白」の信用性を全面否定。「内容の変遷や矛盾が多く有罪の根拠にできない」としながら、「指紋や虚偽アリバイなどの間接事実」のみで有罪認定
 控訴審 大阪高裁(1997年) 控訴棄却(有罪維持) 一審の認定を翻し、**「間接事実だけでは有罪にできない」と指摘。しかし「自白の根幹部分は信用できる」**として、180度異なる理由で有罪維持
 上告審 最高裁(2000年9月) 上告棄却 一審と二審で有罪の根拠が真逆という重大な矛盾を抱えたまま、機械的に上告を棄却し、無期懲役判決を確定させた
 第1次再審 大津地裁・大阪高裁 棄却・審理中死亡 阪原さんが獄中から申し立てるも、高裁審理中の2011年3月18日、阪原さんが75歳で病死
 第2次再審 大津地裁(2018年) 再審開始決定 遺族が再審請求。新証拠(写真ネガや法医学鑑定)により、「引当捜査や自白の信用性が消滅した」と判断
 即時抗告審 大阪高裁(2023年2月) 検察の抗告棄却 大津地裁の再審開始決定を支持し維持
 特別抗告審 最高裁(2026年2月) 検察の特別抗告棄却 再審開始が確定(戦後初の死後再審無期懲役事件)
 再審公判 大津地裁(2026年6月) 検察が有罪立証放棄

 検察側が有罪主張を行わない方針を表明。阪原弘さんの無罪判決が確定へ。

 

 

日野町事件の裁判① 一審(大津地裁):自白を否定しながら「間接事実」で有罪

 

1995年(平成7年)6月30日、大津地方裁判所は阪原さんに無期懲役を言い渡しました

 

しかし、この判決の内容は極めて異様でした。裁判所は、警察が作成した数々の「自白調書」について、「犯行の日時や状況に関する供述が変遷しており、客観的事実とも矛盾するため、自白調書そのものを有罪認定の根拠とすることはできない(信用性を否定)」と判示しました

 

本来、自白が否定され直接的な物証もない以上、無罪判決が出されるのが刑事裁判の鉄則(「疑わしきは被告人の利益に」)です。ところが大津地裁は、「店内に指紋があった」、「近所で目撃された」、「虚偽のアリバイを主張した」といった間接事実(情況証拠)を組み合わせることで、「阪原が犯人でなければ説明がつかない」として有罪を強引に認定したのです

 

さらに恐ろしいことに、公判の終盤で立証が不十分であると悟った裁判官が、検察官に対して犯行時刻の幅を広げる「予備的訴因の追加」を裏で示唆・誘導していたことも後に発覚しました

 

 

日野町事件の裁判② 二審(大阪高裁):間接事実を否定し「自白」で有罪にする論理破綻

 

1997年、大阪高等裁判所の控訴審判決は、さらに不可解な論理を展開しました

 

大阪高裁は、一審が有罪の根拠とした間接事実について、「常連客である阪原さんの指紋が店内にあっても不自然ではなく、目撃証言やアリバイも犯人と断定する決定打にはならない(間接事実による有罪認定を否定)」と一審の論理を崩しました

 

しかし、それで無罪にするどころか、今度は一審が否定したはずの「自白調書」を取り出し、「自白の基本的根幹部分は信用できる」として、180度逆の理由で有罪(無期懲役)を維持したのです

 

第一審と第二審で有罪認定の根拠が正反対に逆転しているという事実は、捜査機関にも裁判所にも「阪原さんが真犯人である客観的根拠」が何1つ存在しなかったことを証明していました。

 

 

日野町事件の裁判③ 最高裁での有罪確定と阪原さんの無念の獄死

 

2000年(平成12年)9月、最高裁判所は阪原弘さんの上告を棄却し、無期懲役の有罪判決が確定してしまいました

 

阪原弘さんは広島県尾道刑務所などに服役しながら、2001年に「第1次再審請求」を申し立てました。しかし裁判の扉は開かれず、阪原弘さんは長年の過酷な獄中生活で体調を著しく崩し、特発性間質性肺炎などを発症しました

 

病床の中でも「自分はやっていない、冤罪だ」と訴え続けましたが、2011年(平成23年)3月18日、再審決定の知らせを聞くことなく75歳で息を引き取りました

 

 

日野町事件の冤罪のからくり…暴かれた捏造の手口

 

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阪原弘さんの死亡により第1次再審請求は終了しましたが、遺族(長男・阪原弘次さん、妻つやこさんら)は2012年3月に「第2次再審請求」を起こしました

 

この第2次再審請求において、裁判所が検察官に対して未開示証拠の開示を命じたことで、事件の裏に隠されていた衝撃的な「証拠捏造の実態」が白日の下に晒されたのです

 

 

証拠開示で発覚した「引当捜査写真」の偽装(行きと帰りの入れ替え)

 

裁判において阪原さんを有罪とみなす最大の根拠となっていたのが、警察が作成した「引当捜査(ひきあてそうさ)報告書」でした


引当捜査とは、容疑者が捜査員を現場へ誘導・案内させ、「警察も知らなかった犯行現場や物の隠し場所を容疑者が自発的に案内できた(=秘密の暴露)」として犯人性を証明する捜査手法です

 

警察は、「阪原さんが誰の指示も受けずに、山林の深い草むらの中に投げ捨てられていた手提げ金庫の発見現場へ警察官を迷わず案内した」とし、その様子を撮影した連続写真を証拠として提出していました

 

しかし、開示された写真の「フィルムのネガ(原板)」を弁護団が精査したところ、恐るべき不正が判明しました

 

  • 警察は、あらかじめ金庫の発見場所を熟知していた捜査員が阪原さんを連れて現場に行き、「現場から帰る途中(復路)」に撮影した写真を撮影順とは逆順に並べ替え、あたかも「阪原さんが自発的に現場へ向かって進んでいる(往路)」写真であるかのように偽装して実況見分調書に貼り付けていたのです

  •  
  • さらに、遺体発見現場への案内においても、事前に警察が阪原さんに「リハーサル(現場再現の予行演習)」を行わせ、案内できる手順を仕込んでから撮影していたことも発覚しました

  •  

「犯人しか知り得ない秘密の暴露」とされていた引当捜査は、警察が意図的に仕組んだインチキな自作自演・写真捏造劇だったのです

 

 

法医学・工学鑑定が証明した自白と客観的事実の決定的矛盾

 

開示された証拠をもとに専門家が再鑑定を行った結果、阪原弘さんの「自白」が客観的事実と根底から矛盾していることが以下のように科学的に証明されました

 

  1. 殺害方法の矛盾(法医学)

 

  • 自白調書:「座っている被害者の首を、後ろから両手で挟むように強く絞めて殺した」

  •  
  • 実際の解剖所見:被害者の首には紐状・コード状の物体で強く圧迫された痕跡があり、仰向け状態で上から体重をかけられたような圧迫痕が存在した。手で絞めたという自白とは傷の形状や内部出血の状況がまったく一致しない

 

  1. 金庫破壊方法の矛盾(工学鑑定)

 

  • 自白調書:「持っていたバールやドライバーで金庫のバール穴をこじ開けた」

  •  
  • 実際の金庫:金庫に残されていた工具痕や変形状態は、自白で述べられた工具やこじ開け方では物理的に不可能な形状であった

 

  1. 死亡推定時刻と胃内容物の矛盾

  2.  

    • 被害者の解剖時の胃内容物(食後の消化状態)を再鑑定した結果、被害者は失踪当夜の食事から1〜2時間以内に殺害された可能性が極めて高く、捜査機関が設定した犯行タイムスケジュール(阪原さんの行動範囲)と合致しないことが判明しました

    •  

これら決定的な新証拠により、「阪原弘さんの自白は警察の拷問と誘導によって作られた虚偽のものであり、有罪判決の基盤は完全に崩壊した」と結論付けられました

 

日野町事件の真犯人は誰なのか

 

阪原弘さんが無実であり、警察の捏造によって逮捕されたことが明らかになった現在、真の疑問として浮上するのが「では、池元はつさんを殺害し金庫を奪った真犯人は誰なのか」という点です

 

見込み捜査が逃がした真犯人像

 

日野町事件の現場状況を改めて分析すると、真犯人に関するいくつかの明確な特徴が浮かび上がります

  1.  

    • 侵入痕のない店内と「面識」のある人物

    •  
    • 事件当時、店舗や自宅のガラスが割られたり、鍵が破壊されたりした痕跡は一切ありませんでした。被害者・池元はつさんは、夜間に訪れた犯人に対して自ら鍵を開けて店内や奥の部屋へ招き入れたか、あるいは閉店作業の隙を狙って侵入された可能性が高いと考えられます

 

    1. 金庫の置場を知っていた人物

    •  
    • 店舗内は荒らされておらず、奥の生活空間にあった手提げ金庫だけが的確に持ち去られていました。これは、日頃から店の手伝いをしていた人物、被害者の金銭管理や金庫の保管場所を熟知していた人物、あるいは事前に入念に下調べを行っていた人物の犯行を示しています

 

    1. 金庫の移動と車・地理的知識

    •  
    • 奪われた手提げ金庫は、店舗から離れた石原山の山中に投げ捨てられ、遺体は別の宅地造成地に遺棄されていました。夜間に被害者や重量のある金庫を運搬するためには「車両の使用」が不可欠であり、日野町内の土地勘に非常に詳しい人物による計画的な犯行であったと考えられます

 

 

なぜ真犯人の特定に至らなかったのか

 

警察が1988年に阪原弘さんを容疑者として無理やり逮捕した背景には、初動捜査の失敗と「見込み捜査への依存」がありました

 

当時、事件発生から3年が経過しても目ぼしい証拠が得られず、世間や上層部からの批判に晒された警察は、立ち飲み常連客で扱いやすかった阪原弘さん人をターゲットに設定しました

 

阪原弘さんを強引に自白させ、写真を捏造して実況見分調書を作り上げた時点で、警察は「真犯人を追及する他のすべての捜査線」を完全に打ち切ってしまったのです

 

事件発生からすでに40年以上が経過しており、殺人罪の公訴時効(2010年の法改正前の旧公訴時効15年)もとうに成立しています。警察の捏造捜査と見込み捜査によって、被害者・池元はつさんの無念を晴らすべき真犯人の特定と処罰の機会は永久に失われてしまいました

 

 

日野町事件をめぐる現在の状況と今後の課題

 

2026年現在、日野町事件は日本の司法史に刻まれる「重大な歴史的転換点」を迎えています。

 

 

  • 2026年2月24日:最高裁判所第二小法廷が検察側の特別抗告を棄却


  • 最高裁は大津地裁・大阪高裁の決定を支持し、阪原弘さんの再審開始を確定させました。受刑中に死亡した被告人に対する無期懲役以上の「死後再審」が確定したのは、戦後の日本の司法史上、初の快挙でした

  •  
  •  
  • 2026年6月19日:大津地検が再審公判での「有罪立証を断念」することを表明


  • 再審開始決定を受け、裁判所・検察・弁護団による非公開協議が行われました。大津地方検察庁は「再審公判において被告人の有罪を主張・立証しない」ことを決定・発表しました

  •  

これにより、今後開かれる大津地裁での再審公判において、故・阪原弘さんの「再審無罪判決」が言い渡されることが確定的に確実となりました。逮捕から38年、事件発生から42年という途方もない歳月を経て、阪原弘さんの無実が法的に証明されることになります

 

 

遺族(長男・阪原弘次さんら)の闘いと「再審法改正」への教訓

 

阪原弘さんの無念を晴らすため、半生を賭けて闘い続けてきたのは、長男の阪原弘次(ひろじ)さんと、88歳になった妻のつやこさんらご遺族でした

 

再審開始確定の知らせを受け、長男の弘次さんは仏前に向かい「お父ちゃん、やったね。やっと無罪になれるよ」と涙ながらに報告しました。弘次さんは記者会見で、次のように訴えています

 

「父は無念のうちに病死してしまいましたが、こんな恐ろしい冤罪と不当な捜査は二度と起こしてはいけません。警察が証拠を隠し、検察が特別抗告で何年も裁判を引き延ばすことができる現在の『再審制度』を変えなければ、次の犠牲者を救うことはできません」

 

日野町事件は、現在の刑事訴訟法における以下の大きな課題を全国に突きつけました

 

  1. 証拠の全面開示義務化:捜査機関が自分たちに都合の悪い証拠(ネガフィルムや解剖資料など)を隠蔽できてしまう構造の改定

  2. 検察官の不服申し立て(抗告)の制限:裁判所が再審開始を認めても、検察が即時抗告・特別抗告を繰り返すことで何年も審理が停滞し、請求人が高齢で死亡してしまう「再審の壁」の撤廃

 

 

まとめ

 

今回は、冤罪である事がほぼ確定となった1984年に発生した強盗殺人事件「日野町事件」についてまとめてみました。

 

日野町事件は、単なる過去の一事件ではなく、日本の刑事司法が抱える根本的な脆さと罪深さを象徴する事件です

 

まず大前提として、1984年に起きた悲惨な強盗殺人事件において、被害者・池元はつさんの命が奪われた事実は決して風化させてはなりません

 

しかし、罪もない常連客の阪原弘さんを暴力と脅迫で恐怖に陥れ、写真を捏造してまで犯人に仕立て上げた警察・検察の暴走は、決して許されるものではありません

 

一審と二審で有罪理由が逆転しても平然と無期懲役を確定させた当時の裁判所の失態、そして無実を訴えながら獄中で無念の死を遂げた阪原弘さんの苦痛は、言葉では言い表せないほど痛切なものです

 

現在、2026年にようやく実現する死後再審無罪判決は、長年諦めずに闘い抜いた遺族と弁護団の執念がもたらした光です。私たちは日野町事件の教訓を胸に刻み、証拠開示の徹底と再審法の改定を進め、2度とこのような冤罪の悲劇を生み出さない社会を構築していく必要があります。

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