1972年に起きた「霧積温泉女性殺人事件」は、被害者が殺害直前に撮影された写真が心霊写真だと話題です。
今回は事件の経緯や小屋で発見された被害者の遺体状況など詳細、釣り人が撮影した写真、犯人など真相、霊視動画を紹介します。
この記事の目次
霧積温泉女性殺人事件とは
「霧積温泉女性殺人事件」は、1972年(昭和47年)8月16日の午後5時頃、碓氷郡松井田町の霧積ダム建設現場付近の小屋の中で、殺害された女性の遺体が見つかった殺人事件です。
1972年8月17日に、上毛新聞の一面で報じられたことから世間が知るところとなりました。
被害者は、群馬県伊勢崎市昭和町在住の当時24歳の女性でした。
Kさんの遺体は激しく損傷していましたが、着衣の乱れから乱暴された後に殺害されたとみられています。
遺体を発見したのは、撚糸(ねんし)業を営む人物と近所の住民で、すぐに松井田署に通報しました。
警察は殺人事件として捜査を開始しましたが、有力な手がかりは得られず、現在まで未解決事件となっています。
霧積温泉女性殺人事件の被害者は当時24歳の女性
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「霧積温泉女性殺人事件」の被害者となったのは、群馬県伊勢崎市昭和町在住の当時24歳の女性Kさんで、本名は公表されていません。
詳しくは後述しますが、心霊写真と言われる写真をはじめ、報道された際の写真が公開されています。
ただ、この心霊写真は本物である可能性もあるため、ここには掲載を控えさせていただきます。
霧積温泉女性殺人事件の詳細 【被害者の足取りと小屋で発見された遺体の状態】
1972年8月13日、Kさんは群馬県にある秘湯温泉「金湯館」に1人で旅行にきていました。
本来の予定であれば、母親と銀行に勤めている弟の3人で行くはずでしたが、2人が直前に都合が悪くなったため、1人旅になったようです。
Kさんは13日に宿泊した翌日、1人で下山しようとしたため、「金湯館」の女将さんが、女性1人での下山は危険で、徒歩だと3時間以上かかるため、マイクロバスに乗ることを勧めました。
しかし、Kさんは1人でも大丈夫だと言って下山を開始しています。
事件当日は真夏で気温も30度以上あったとみられ、女性の足で3時間以上山中を歩くのは気候的にもかなり厳しかったと思われます。
女将の助言を無視して「金湯館」を後にしたKさんは、その後、行方不明となりました。
Kさんの遺体が小屋で見つかる
Kさんが帰宅するはずだった8月14日を過ぎても自宅に戻ってこなかったため、Kさんの姉が「金湯館」まで探しに行っています。
当時は携帯電話はもちろん、ポケベルもないため、本人と直接連絡をとる手段がありませんでした。
Kさんは「金湯館」にはおらず、その後の足取りも分からなかったため、家族は16日に警察に捜索願いを提出しています。
Kさんの父親は、近隣住民の協力を得て10人体制で「金湯館」に向かったところ、16日16時30分頃、途中の林道脇にある作業小屋に、大量のハエが群がっているのを発見しました。
父親らは不審に思って小屋の中をのぞいてみると、そこにはKさんの遺体が仰向けの状態で倒れていたのです。
被害者Kさんの遺体は無残な状態だった
遺体が発見された古びた板張りの作業小屋は、8畳と6畳の2間で、 Kさんは8畳の部屋の真ん中に仰向けの状態で倒れていました。
Kさんの着衣は濃い紺のノースリーブのブラウスに白いスカートで、スカートがまくれあがり着衣の乱れがありました。
また、遺体は目をそむけたくなるようなほど激しく損傷していたようです。
首の右と左腕、そして右手の3箇所に鋭利な刃物で刺されたような深い傷があった他、大小合わせて全身24箇所に刺し傷、 さらに心臓がえぐられており、肋骨3本が折れていました。
遺体発見現場での出血量は少なかったため、おそらく、他の場所で殺害された後にこの作業小屋に遺棄されたとみられています。
それを裏付けるかのように、作業小屋前の道路にはタイヤの跡がついてました。
なお、Kさんが所持していたはずのハンドバッグやカメラは作業小屋にはありませんでした。
霧積温泉女性殺人事件の犯人はまだつかまっていない
作業小屋からは犯人につながる証拠品は一切上がらず、霧積温泉女性殺人事件は現在までに未解決事件となっています。
なお、その後のネット上での検証などで、 Kさんはアスペルガー症候群の可能性が指摘されています。
また、 犯人も同様の精神障害や発達障害を抱えた人物ではないか?と言われていますが、信憑性が高い情報ではありません。
さらに、事件当時周辺ではダム建設のために期間作業員が200名ほどいたことが分かっています。
たまたま、Kさんが1人で下山しているのを目にした悪意ある人間が襲った可能性も指摘されています。
しかし、 現時点で犯人として有力視されているのは、死の直前だと思われるKさんを撮影した人物です。
霧積温泉女性殺人事件の真相:犯人は写真を撮影した釣り人?心霊写真だと話題に
「霧積温泉女性殺人事件」は、当時釣りに来ていた男性が情報提供者です。
この釣り人は、Kさんから写真を撮ってほしいと頼まれたと証言しています。
男性はカメラに詳しくなく、一度は撮影を断ったようですが、Kさんがシャッターを押すだけだと操作を教えてくれたため撮影に応じたといいます。
撮影後、男性はKさんと何事もなく別れたと証言しています。
しかしその後、警察が男性を調べたところ、証言時に伝えていた住所である世田谷区にはそうした名前の人物は実在しないことが判明したのです。
また、男性は新聞で事件を知ったことから情報提供に協力したと証言していましたが、事件が報じられたのはローカル新聞である上毛新聞だけでした。
つまり、世田谷区に住んでいる人間が事件のことを目にする機会はなかったはずです。
そのため、この釣り人である男性が犯人である可能性が極めて高いと見られています。
そして、Kさんが死の直前に撮影されたこの写真には、Kさんの足元に霧がかかっていることから死を暗示していた心霊写真と話題になりました。
霧積温泉女性殺人事件の不可解な点
Kさんの当時の言動にも不可解な点がいくつか見られています。
Kさんは「金湯館」に向かう途中、連絡所に立ち寄っています。
実はKさんは「金湯館」を訪れるのは3度目だったにも関わらず、「初めて来た」と伝えており、予約していた名前も告げませんでした。
また、当時ハイヒールを履いていたとみられ、およそ登山をするスタイルではなかったため、連絡所の人に指摘されて白のスニーカーを購入していました。
さらに、旅館には母と弟が来れなくなったことを事前に伝えていなかったようで、2人分の宿泊の準備が無駄になる迷惑をかけていたことも分かっています。
こうした言動が、Kさんがアスペルガー症候群の可能性が指摘されるきっかけとなったとみられています。
霧積温泉女性殺人事件を霊視した動画を紹介
霧積温泉女性殺人事件は不可解な点が多く、さらに心霊写真が話題になっていたことから、心霊系番組で放送されたことがあります。
非常に不謹慎な内容となっていますが、以下にYouTube動画のリンクを紹介します。
まとめ
被害者のKさんが暴行された上に殺害され、怪しい犯人がいるものの未解決事件となっている1972年に発生した霧積温泉女性殺人事件についてまとめてきました。
死の直前であるKさんが撮影された写真には、Kさんの足元に霧とみられるモヤがあることから、本物の心霊写真だと言われています。
これはKさんを守っていたご先祖様の警告なのか、Kさんの霊体が危険を察知し警告していたのかは分かりませんが、この心霊写真をみだりに掲載するのは良くないと判断しました。
犯人の可能性が高いとされる釣り人の行方が気になるところではありますが、Kさんのご冥福を心よりお祈り申し上げ、この記事の結びとさせていただきます。