菅野直之さんが便槽内で死亡した福島便槽内怪死事件ですが、利権・闇が動いた可能性もあります。
今回は福島便槽内怪死事件の詳細や遺体発見場所、どうやって便槽に入ったか、霊視結果、原発や選挙など真相や犯人、映画化を紹介します。
この記事の目次
福島便槽内怪死事件とは
福島便槽内怪死事件とは、1989年2月28日に福島県田村郡都路村(現在の田村市)で起こった事件です。
教員住宅内のトイレの便槽に菅野直之さんという男性が膝を折り曲げた状態で入り、死亡していました。
この福島便槽内怪死事件はなぜ、そしてどうやって便槽内に入ったのか?という謎があり、真実はわからないままになっています。
しかも、この事件の真実には原発や選挙など大きな力が関わっていて、菅野直之さんは見せしめのために殺害され、便槽内に入れられたのではないか?とも言われているんです。
福島便槽内怪死事件の詳細
福島便槽内怪死事件の詳細を見ていきましょう。
女性教員がトイレ中の遺体を発見
福島便槽内怪死事件は、福島県田村郡都路村で1989年(平成元年)2月28日18時ごろに発覚しました。
都路村の小学校に勤務する23歳の女性教員は、小学校に隣接する教員住宅に住んでおり、帰宅後、自宅のトイレで何気なく下を見たところ、人間の頭と靴のようなものが見えました。
若い世代は、どうやったらトイレから「人の頭が見えるのか?」と不思議に思うかもしれません。
当時、福島県田村郡都路村ではトイレは水洗ではなく、汲み取り式だったんです。いわゆる「ぼっとん便所」ですね。トイレの下に排泄物を溜めて置き、定期的に汲み取るタイプでした。
人間の頭のようなものが見えたことに驚いた女性教員はすぐに外に出て、汲み取り口を確認しました。
すると、普段なら閉じているはずの汲み取り口の蓋が開いていて、中をのぞくと、人間の足のようなものが見えたんです。
遺体発見場所は便槽内
出典:twitter.com
トイレから下を見ると人間の頭と靴が見えて、汲み取り口から覗くと人間の足が見えた…もうこれ、恐怖以外の何物でもないですよね。
女性教員はすぐに教頭先生や同僚の先生を呼んで、同僚の先生が警察に通報しました。まず、近くの駐在所の警察官が駆け付け、それから管轄の三春署の警察官と消防団員が駆け付けました。
そして、便槽の中に男性が入っていることを確認し、みんなで引っ張り出そうとしましたが、便槽や汲み取り口が狭く、引っ張り出すことができませんでした。
そこで重機を持ち出して、便槽の周囲を掘り起こしてから便槽を破壊し、ようやく遺体を引っ張り出すことができたんです。
遺体の男性は着ていた上着を胸に抱え、上半身裸の状態で膝を折り曲げ、顔をやや左に向けた状態で固まっていました。
便槽内にいたため、排せつ物が付着していた遺体はその場でホースの水によって洗い流され、さらに消防団の詰め所でもう一度洗われてから検死されることになりました。
検死前に水で洗い流されていたことで、たとえ証拠が残っていたとしても洗い流されてしまった可能性があります。
検死の結果、死因は「凍え兼胸部循環障害」です。狭い場所で胸を圧迫されたことで循環障害が起こったこと、さらに寒さで凍死したということですね。
覗きをしていて出られなくなったと判断
遺体には争った形跡はなく、肘や膝にかすり傷がある程度で外傷もほとんどありませんでした。そして、死後硬直の状態から遺体発見から約2日前の26日ごろに死亡したと判断されました。
このことから、遺体の男性は生きた状態で便槽に入り、それから死亡したということになります。
警察では、この男性は覗き目的で便槽内に入り、出られなくなって死亡したと結論付けています。
福島便槽内怪死事件で亡くなった菅野直之さんとは
覗きをするために便槽内に入り、そこで死亡したという男性はどんな人物なのでしょうか?
遺体の身元はすぐに判明しました。遺体は菅野直之さんです。菅野直之さんはどんな人物だったのでしょうか?
・両親と祖母の4人暮らし
・26歳で独身
・原発保守会社の営業主任
・地元の青年会のレクリエーション担当部長
・スポーツと音楽が好きでバンド活動もしていた
福島便槽内怪死事件で亡くなった菅野直之さんはどうやって便槽内に入ったのか?
出典:twitter.com
そもそも、菅野直之さんはどうやって便槽内に入ったのでしょうか?便槽内の広さをもう一度確認しておきましょう。
出典:twitter.com
・汲み取り口の直径は36cm
・便槽内の幅は125cm
・便槽の高さは50cm(一部分は47cm)
・肩をすぼめていた
・肩にすべりをよくするためのローションを塗った可能性あり
福島便槽内怪死事件の7つの謎
福島便槽内怪死事件の7つの謎を見ていきましょう。
菅野直之さんと教員は顔見知りだった
遺体として発見された菅野直之さんは、そのトイレの家の住人である女性教員と友人だったことが分かっています。狭い村で同年代なら、顔見知りであることになんの不思議はありません。
2人は女性教員の恋人を通じて知り合っています。そして、女性教員はいたずら電話があった時には、菅野直之さんに相談しています。
いたずら電話の相談をされるなんて、菅野直之さんがいかに人望があったかが分かりますね。
万が一、菅野直之さんに覗きの趣味があったとしても、知り合いの女性の便槽内に忍び込むでしょうか?狭い村社会の中で、もし覗きがバレたら、菅野さんは村八分状態では済みません。
そんなリスクを冒してまで知り合いの女性の便槽内に忍び込むのか?その可能性は限りなく低いと言えるでしょう。
菅野直之さんは不在を知っていた可能性あり
女性教員は2月24日から27日まで実家に帰省していたため、教員住宅にはいませんでした。
1989年は平成元年です。1989年1月7日に昭和天皇が崩御され、大喪の礼が執り行われた2月24日は休日になり、世間は3連休でした。それで、女性教員は実家に帰省していたんです。
女性教員が不在にしていることを菅野直之さんは知っていた可能性があります。知らなかったとしても、3連休なら若い独身女性は家にいないかもしれないと想像するのはごく普通です。
そんな状況で、菅野直之さんは覗きのために便槽内に忍び込むのか?謎は深まるばかりです。
菅野直之さんの足取りがわかっていない
菅野直之さんは、実は事件前からの足取りが分からなくなっているんです。遺体が発見されたのは2月28日。そして、死亡推定時刻は2月26日ごろです。
2月23日には菅野さんは先輩の送別会に出席し、24日の深夜1時ごろに店を出て、自宅に戻っています。
そして、2月24日の午前10時ごろに、居間でテレビを見ていた父親に「ちょっと行ってくるからな」と声をかけて外出しました。その後は、菅野直之さんの足取りはわかっていません。
車で出かけたのはわかっていますが、その車は遺体発見現場の教員住宅から徒歩3分の場所の農協前の個人の家の庭に置かれていました。
しかも、その車は鍵がついたままで、ロックもされていませんでした。さらに、菅野さんの片方の靴は近くの川の土手で見つかっていて、もう片方は遺体の頭部付近にありました。
車は鍵がついたまま置き去りにされていて、靴の片方は近くの土手で見つかった。そして、2月24日から死亡推定時刻の26日まで約2日間の間の足取りはつかめていません。
これを考えると、菅野直之さんは拉致された可能性が高いですよね。
東北の2月下旬に上半身裸だった
福島便槽内怪死事件の謎はまだあります。遺体発見時、菅野さんは上半身裸で、衣服を胸に抱えていました。
東北の山間部の2月下旬、まだまだ冷え込みはきついですし、氷点下になります。田村市の2月の平均気温は-0.4度、最低気温は-4.7度です。
氷点下の中、そして便槽に入るのになぜ上半身裸になったのか?覗き目的なら絶対にあり得ません。
靴が片方なかった
先ほども言いましたが、遺体発見場所からは菅野さんの靴は片方しか発見されませんでした。しかも、なぜか頭部のあたりから見つかっています。
もしかしたら、服と一緒に胸に抱えて便槽内に入ったけれど、靴だけが抱えきれずに頭部の方に落ちてしまったのかもしれません。
どちらにしろ、菅野さんは氷点下の冷え込みの中、靴を履いていなかった。そして、片方はなぜか頭部の近くにあり、片方は川の土手にあった。
この靴の状況を考えると、ほぼ間違いなく、菅野さんは何かしらの事件に巻き込まれた、もしくは拉致されたと考えるべきでしょう。
きちんと捜査されなかった
この福島便槽内怪死事件にはたくさんの謎があります。それなのに、きちんと捜査されなかったようなんです。
そもそも、いくら便槽内に遺体があって排せつ物がついていたとしても、検死前に遺体を洗い流すなんてありえないですよね。
そして、便槽をすぐに壊してしまったりして、綿密な操作とは言えない状況でした。
再捜査を求める署名が4,000人分集まりましたが、それでもきちんと捜査されなかったんです。
便槽内になんで入った?
出典:ameblo.jp
なぜ、菅野直之さんは便槽内に入ったのでしょうか?これが最大の謎ですよね。
ここまでの謎や情報を考えると、菅野直之さんは脅された状態で便槽内に入るように強要された可能性が高いでしょう。だから上半身裸だったし、靴も片方しかなかった。
「便槽内に入らないと殺すぞ!」と脅されたのかもしれませんし、「便槽内に入らないと、お前の家族に危害を加えるぞ」と脅されたのかもしれません。
こんな風に脅されたら、菅野直之さんは頭から自分で便槽内に入らざるを得ないですよね。なぜ、脅されていたのかはこの後に詳しく説明していきます。
福島便槽内怪死事件は霊視された
福島便槽内怪死事件は謎が多い事件です。でも、「覗きのために便槽内に入って、そこで死亡した」と警察は結論付けています。
これは、遺族にとっては耐え難いことですよね。菅野直之さんの名誉が守られていません。
状況を考えると、菅野直之さんは覗きで便槽内に入ったとは考えにくく、それどころか、拉致されるなど事件に巻き込まれ、やむを得ず便槽内に入った(入れられた)可能性が高いです。
それなのに、「覗きのために、便槽内に入った」とされたら、遺族としてはやっていられないですよね。
菅野直之さんの父親は何とかこの事件の謎を解こうと、霊視を頼ったこともありました。
1993年ごろのテレビ番組で、この福島便槽内怪死事件を霊視しています。霊能力者の木村藤子さんは、他殺と断言したようです。
俺の記憶では、女性霊能者の木村藤子がはっきり「息子さんは殺されたんだと思います。何人かで息子さんを便槽に押し込んでいる姿が見える」と言ったが、推理作家の小林久三が「やはり事故でしょう」と言っていたはず。
テレビ局としては、一応双方の言い分のバランスを取った形にしたんだろう。
ただ、あくまで霊視ですので、真偽は定かではありません。
福島便槽内怪死事件の真実① 原発事故関連?
福島便槽内怪死事件の真実を考察していきます。まず1つ目は原発事故関連で菅野直之さんは殺害されたというものです。
事件が起こった福島県田村郡都路村は、福島第一原発・福島第二原発で潤っていた村でした。原発があるから、仕事があると言っても過言ではありません。
菅野直之さんも原発保守会社の営業主任で、事件当時は福島第二原発を担当していました。
実は、事件があった2月28日の約2ヶ月前の1989年1月6日、福島第二原発の3号機で事故が発生しました。この事故は国際原子力事象評価尺度(INES)レベル2に該当するものです。
1988年の暮れから警報が3回ほど鳴っていましたが、稼働し続けた結果、原子炉再循環ポンプ内部のインペラー(回転翼)の溶接部が壊れ、炉心に多量の金属片等が流出してしまいました。
出典:wemp.app
この事故で放射性物質の漏出はありませんでしたが、長期にわたり発電所を停止せざるを得なくなりました。
そして、この福島第二原発3号機事故の責任者は、上京した1月4日に上野駅で飛び降り自殺したんです。この自殺した責任者は菅野直之さんの同僚でした。
あくまで推測ですが、東京電力はこの福島第二原発の事故の真相・原因を隠したかった、もし事故がバレたら原発反対の声が高くなり、福島はもちろん全国で原発稼働が難しくなるから。
だから、その事故の責任を菅野直之さんの同僚(1月4日に自殺)に全部押し付けることにした…。
それを知った菅野直之さんは、同僚の無念を晴らすためにも、原発事故の真実を公表しようとしたのではないでしょうか?それを知った原発利権を持つ人たちによって殺害された。
便槽内に入れたのは、見せしめのためです。「事故の真相をばらそうとすれば、同じような目に遭うぞ」というメッセージですね。
都路村の当時の人口は約1万人、その4割の4000人の再捜査を求める署名が集まったにもかかわらず再捜査が行われなかったのは、原発利権という巨大な力が働いたと考えれば納得ですよね。
福島便槽内怪死事件の真実② 選挙汚職?
福島便槽内怪死事件の真実の2つ目は、選挙がらみです。
菅野直之さんは地元青年会の中心的な人物で人望がありました。そして、原発保守の営業主任でしたから顔も広かったんです。
そのため、選挙の応援演説に呼ばれることも少なくありませんでした。
福島便槽内怪死事件の直前には、村長選挙が行われました。この地域の村長選挙の焦点は、もちろん原発賛成派VS反対派です。
この時の村長選挙はまれに見る激戦だったようで、菅野さんも応援演説をしていました。
人口が少ない村での村長選挙では、当時はかなりの裏金が動いていたと言います。金で票を買う汚い選挙に嫌気がさした菅野さんは、途中から選挙を支援することを辞めたようです。
菅野さんは人望があり、顔が広い人物です。そんな人物が選挙応援を辞めたら、投票を見込んでいた数十票が動く可能性があります。田舎の数十票はとても大きいです。
そんなこともあり、菅野さんは知らないうちに地雷を踏んでいて、「選挙で裏切るとこうなるぞ」という見せしめもかねて、便槽内に入れられて殺害されたのかもしれません。
福島便槽内怪死事件の真実③ 犯人はいたずら電話の主?
福島便槽内怪死事件の犯人は、いたずら電話の主という噂もあります。
遺体を発見した女性教員はいたずら電話に悩んでいて、菅野直之さんは相談を受けていました。
いたずら電話を録音して、それを警察に持って行ったけれど、事件として取り合ってもらえなかったこともあったようです。
警察は動いてくれなかったけれど、菅野さんは独自にいたずら電話の調査を続け、菅野さんの知人によると、菅野さんはいたずら電話の犯人は誰なのかをほぼ突き止めていたようです。
しかし、いたずら電話が解決される前に菅野さんは亡くなってしまいました。
もしかしたら、いたずら電話の犯人は権力者と近いところにいる人物で、いたずら電話を世間に公表される前に、菅野さんを殺害した可能性は捨てきれません。
福島便槽内怪死事件は映画化されている
出典:yojimbonoyoieiga.at.webry.info
福島便槽内怪死事件は、1996年に渡邊文樹監督によって「バリゾーゴン」という映画で扱われています。
真相を究明していく段階で村社会、自民党の大物政治家(見た目や役職は渡辺ミッチーを臭わす。)を含めた中央政界をも巻き込むほどの原発が村にもたらす利権と閉鎖性、警察の隠蔽体質、青年団の中での嫉妬、女教師のモラルの欠如などが積み重なった挙げ句が一人の青年の悲惨な死に様となる。それらを辛抱強く洗い出し、時に暴き出し、真相を突き詰めていく。
渡邊文樹監督自ら出演して、事件関係者にインタビューし、再現ドラマを交えながら真相を突き詰めていく映画です。
DVD化はされていませんので、現在は見ることができません。
福島便槽内怪死事件のまとめ
福島便槽内怪死事件をまとめました。覗き目的で便槽内に入り、出られなくなって死亡とされていますが、いろいろな情報をたどっていくと、そのようには思えなくなります。
原発関係なのか、選挙関係なのか?それともいたずら電話の主が犯人なのかは不明ですが、菅野さんの名誉だけは守られると良いですね。