2004年に発生した北村一家による凶悪連続殺人「大牟田4人殺害事件」が話題です。
この記事では大牟田4人殺害事件の詳細な経緯や、被害者の4人、実行犯の北村孝紘を元とする犯人の北村一家と死刑執行はいつか、この事件をモデルとして映画「全員死刑」や現在についてまとめました。
この記事の目次
- 大牟田4人殺害事件とは
- 大牟田4人殺害事件の詳細な経緯① 事件発生までの背景
- 大牟田4人殺害事件の詳細な経緯② 長男・北村孝と次男・北村孝紘が強盗殺人を起こす
- 大牟田4人殺害事件の詳細な経緯③ 一家4人で共謀し高見小夜子さんを殺害
- 大牟田4人殺害事件の詳細な経緯④ 発覚を恐れて高見龍幸と原純一を殺害
- 大牟田4人殺害事件の詳細な経緯⑤ 事件発覚から逮捕・裁判まで
- 大牟田4人殺害事件の被害者4人について
- 大牟田4人殺害事件の犯人の北村一家① 実行犯の次男・北村孝紘
- 大牟田4人殺害事件の犯人の北村一家② 父親・北村實雄
- 大牟田4人殺害事件の犯人の北村一家③ 母親・北村真美
- 大牟田4人殺害事件の犯人の北村一家④ 長男・北村孝
- 大牟田4人殺害事件の北村一家の死刑執行はいつ?
- 大牟田4人殺害事件の獄中手記を原作とした映画「全員死刑」も話題に
- 大牟田4人殺害事件の犯人・北村一家の現在
- まとめ
大牟田4人殺害事件とは
「大牟田4人殺害事件」は2004年9月に福岡県大牟田市で発生した4人連続殺人事件です。
犯人は、父、母、兄弟2人の4人家族北村一家で、家族全員で共謀して、約6600万円の借金をしている相手だった当時58歳の貸金業者(闇金)・高見小夜子さん(当時58歳)を殺害して金を奪う事を計画。
北村一家4人は、9月16日の夜から18日未明にかけて、高見小夜子さんの次男の高見穣吏さん(当時15歳)、高見小夜子さん、高見小夜子さんの長男の高見龍幸さん(当時18歳)とその友人の原純一さん(当時17歳)の4人を立て続けに殺害し、遺体を自宅近くを流れる諏訪川に遺棄しました。
高見穣吏さんの遺体が諏訪川下流で発見された事で事件はすぐに発覚し、同年9月22日午前1時に北村一家母親・北村真美(当時45歳)が死体遺棄容疑逮捕され、その北村真美の供述により、その日の夜には車ごと諏訪川に沈められていた、高見小夜子さん、高見龍幸さん、原純一さんの3遺体が発見されています。
翌日9月23日から10月7日にかけて、次男の北村孝紘(当時20歳)、長男の北村孝(当時23歳)、父親の北村實雄(当時60歳)ら犯行に及んだ北村一家4人全員が死体遺棄の容疑で逮捕されました。
その後、北村一家は高見小夜子さんに対する強盗殺人、他の3人に対する殺人容疑などで再逮捕され、その後の裁判で北村一家4人全員に死刑判決が確定しています。
今回はこの大牟田4人殺害事件についてまとめていきます。
大牟田4人殺害事件の詳細な経緯① 事件発生までの背景
大牟田4人殺害事件の経緯についてもう少し詳細に紹介してきます。
犯人の北村一家と被害者の高見小夜子さんは、事件から10年前の1994年頃に知り合い、それぞれの家族ぐるみで付き合うようになります。
高見小夜子さんは闇金融業を営んでおり、暴力団北村組組長だった北村一家の父親・北村實雄の次男で北村組の組員だった北村孝紘らがその取り立てを代行し一定の報酬を受け取るという利害関係でもつながっていました。
しかし、北村一家はこの取り立ての報酬額に不満を持ち、取立て金のうちから勝手に数万円から十数万円を着服するなどし、1994年9月上旬にそれがバレた事で高見小夜子さんとの間にトラブルも発生していました。
さらに、北村一家は、稼業である建設会社の経営がうまくいっておらず、暴力団関係者への借金返済や上部組織への上納金のために、高見小夜子さんから借金をしており、2004年9月の時点で借金の総額は約6600万円に達していました。
こうした事から、北村一家は高見小夜子さんへの不満を募らせ殺害して金を奪おうと考えるようになり、2004年9月に入ると北村實雄、北村真美、北村孝の3人で具体的な殺害計画を練るようになりました。
大牟田4人殺害事件の詳細な経緯② 長男・北村孝と次男・北村孝紘が強盗殺人を起こす
犯人・北村一家長男の北村孝は、両親を出し抜いて高見小夜子さんの金を手に入れようと考え、弟の北村孝紘を誘って高見家への強盗を計画します。
2004年9月16日の22時過ぎ、長男の北村孝(当時23歳)と次男の北村孝紘は、高見小夜子さん宅に押し入り、その時家に1人でおり、知人(北村孝紘と穣吏さん兄の龍幸さんが友人関係)でもあった高見小夜子さんの次男・高見穣吏さん(当時15歳)を殺害した上、貴金属が入った金庫を盗み出しています。
殺害の実行犯は北村孝紘で、遊びに来たフリをして自宅内に入り、隙をついて高見穣吏さんの首を紐状にしたタオルで絞めて殺害(高見穣吏さんはその後2度蘇生したが、北村孝紘はその度に再度首を絞めて殺害)しています。
その後、高見穣吏さんの遺体を自宅から車で4、5分のところを流れる諏訪川へと車のトランクに乗せて運び、コンクリートブロックを重りとしてくくりつけて遺棄しています。
大牟田4人殺害事件の詳細な経緯③ 一家4人で共謀し高見小夜子さんを殺害
一方、高見小夜子さんは、16日の夜から行方不明になった次男の高見穣吏さんを探しており、北村真美は穣吏さんを一緒に探すという名目で自宅2階の北村組事務所へと連行していました。
北村真美と北村實雄は、高見小夜子さんを殺害する踏ん切りがつかずに、長男の北村孝に電話で助けを求め、それを受けた北村孝が弟の北村孝紘に殺害を実行させようとその話を持ちかけました。
北村孝は、北村孝紘に睡眠導入剤(北村孝紘が密売していた脱法薬物も含む)を用意させ、ホカ弁で購入した弁当の一つにこの睡眠導入剤をすり潰したもの混入させ元どおり包装し直して北村真美に渡しています。
北村真美は、高見小夜子さんに「穣吏さんを探す前に食事をしておこう」と騙してこれを食べさせて昏倒させました。北村一家4人はその後しばらくの間、高見小夜子さんを眠らせた横で、どのように殺害するか、誰が実行役になるかを謀議しています。
9月18日0時頃、北村一家4人は意識朦朧状態の高見小夜子さんをワゴンタイプの車に乗せて大牟田港岸壁に連行し、同日0時30分頃、その車内で助手席に座らせた高見小夜子さんを、後部座席から北村孝紘が殺害のために用意していたワイヤー錠を使って首を絞めるようにして殺害しました。
本人の供述や手記などによれば、この時、北村孝紘はジュースを飲み、タバコをくわえて笑いながら高見小夜子さんの首を絞めていたようです。
北村一家は高見小夜子さんの遺体を車に乗せたままビニールシートをかけて外側から見えないようにしていますが、その後車での移動中、北村孝紘は高見小夜子さんの上に座ったり寝そべったりしています。本人の手記によれば、北村孝紘は死体の上に座っているというスリルを感じて楽しんでいたという事です。
北村一家はその後、高見小夜子さんの遺体を乗せたまま車で移動し、その最中に高見小夜子さんのバッグから現金24万円を奪っています。
大牟田4人殺害事件の詳細な経緯④ 発覚を恐れて高見龍幸と原純一を殺害
北村一家は高見小夜子さん殺害を計画している時に、高見小夜子さんの長男の高見龍幸さんも殺害することを決めており、高見小夜子さん殺害後に、龍幸さんを探し回っています。(高見小夜子さんの遺体を車に乗せたまま移動していたのはこのため)
9月18日午前1時35分頃、北村一家はいったん自宅に戻り、午前2時頃に、自宅近所にある高見小夜子さん自宅に高見龍幸さんを待ち伏せるために、北村實雄、北村孝、北村孝紘の3人で車で向かっています。
北村一家の3人が高見小夜子さん自宅に到着して侵入の準備をしているタイミングで、ちょうど高見龍幸さんの運転する軽自動車が帰宅。北村孝紘は、手を振ってこの車を停車させると、怪しまれないように声をかけています。(高見龍幸さんと北村孝紘は友人関係だった)
しかし、助手席には高見龍幸さんの友人の原純一さんが乗っていました。北村一家は相談し、事件発覚を避けるために、龍幸さんもろとも、この原純一さんも殺害する事を決めます。
北村孝紘は、これから一緒に行方不明になっていた高見穣吏さんを探そうと騙して龍幸さんと原純一さんを龍幸さんの軽自動車の後部座席に移らせると密かに後部ドアのチャイルドロックをかけて逃走されないようにしています。軽自動車の運転席には兄の北村孝が座り、北村孝紘は助手席に乗り込みました。
この時、北村孝紘は父親の北村實雄から拳銃(ブローニング・ベビーという小型拳銃)を受け取っており懐に隠していました。
同日2時15分頃、北村孝紘らは、大牟田川の河口付近岸壁(工業地帯で夜間は人気が全くない場所)まで車を走らせて停車させました。
そして、北村孝紘が拳銃を取り出し、「これはモデルガンで、音は出るける弾は出ない。見せてやる」などと言って原純一さんに頭を出させ、左のこめかみあたりに銃を突きつけて発砲しています。原純一さんは前屈みに倒れ動かなくなりました。
続けて、北村孝紘は、何が起こったかわからずに呆然としている高見龍幸さんに銃口を向けると「高見小夜子も穣吏も俺が殺した、お前の家に2000万円あるはずだ、どこにある?」と尋ねました。龍幸さんが「知らない」と答えると、北村孝紘は「悪いけどお前も殺す事になっている、頭を出せ」というと、龍幸さんの左こめかみに銃口を押し当てて発砲しました。
頭を撃ったものの、龍幸さんと原純一さんは呼吸を止めずに呻き声を発して生存していたため、それを聞いた北村實雄は、心臓を撃てと指示。北村孝紘は2人の胸に残っていた銃弾をそれぞれ2発ずつ撃ち込んでいます。
さらにその後、原純一さんにまだ息があったため、北村孝紘はアイスピックで心臓を突き刺して完全に殺害しています。
北村一家はその後、高見小夜子さんの遺体を軽自動車の方に移すと、3人の遺体を乗せたまま北村實雄の運転で、高見穣吏さんの遺体を捨てた諏訪川馬沖橋付近の堤防へと移動し、同日2時40分から50分頃に、軽自動車ごと3人の遺体を川の中に遺棄しました。
北村一家はその後、高見小夜子さんの家に侵入して現金を探しましたが、目当ての大金を手に入れる事はできませんでした。この時、高見小夜子さんの家で飼われていた犬が北村一家によって蹴り殺されています。
大牟田4人殺害事件の詳細な経緯⑤ 事件発覚から逮捕・裁判まで
一連の殺人事件から数日後の2004年9月21日午前10時頃、死体遺棄現場から下流10mほどの諏訪川に浮いている高見穣吏さんの遺体が発見されました。
翌22日午前1時、福岡県警捜査一課は、高見穣吏さん死体遺棄の容疑で北村真美を逮捕しています。北村真美はこの取り調べで4人の殺害を供述。同日午前9時頃、大牟田署に北村實雄が「妻が逮捕された理由を知りたい」と言って訪れています。
北村實雄は、捜査員から事情を聞いている最中だった午前10時16分に突然拳銃を取り出すと、銃口を自身のこめかみに当てて発砲して自殺を図っています。北村實雄は病院に運ばれて一命を取り留めました。
同年9月23日の夜には、高見小夜子さん、龍幸さん、原純一さんの遺体も車ごと引き上げられて発見され、同日深夜には北村孝紘も逮捕されています。
さらに、同年10月2日には、北村孝も逮捕され、拳銃自殺未遂によって病院に入院していた北村實雄も同年10月7日に逮捕されています。
その後、北村一家は死体遺棄容疑と強盗殺人容疑で起訴され、裁判で一家4人全員に死刑の実刑判決が確定しています。
大牟田4人殺害事件の被害者4人について
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大牟田4人殺害事件で北村一家に殺害された被害者4人は、闇金業を営んでいた高見小夜子さん(事件当時58歳)、その長男の高見龍幸さん(当時18歳)、次男の高見穣吏さん(事件当時15歳)、龍幸さんの友人の原純一さん(当時17歳)です。
被害者のうち、高見小夜子さんは、暴力団である北村一家を自身の貸金業に利用していたところがあり、いわゆる暴力団の共生者でした。犯人の北村孝と北村孝紘の兄弟は、高見小夜子さんを「パトラ」という蔑称で呼んでいました。(クレオパトラのような化粧をしていた事から)
被害者のうち、高見龍幸さんは高校1年生の頃に一時不登校になり、その頃に北村家に預けられた事があったようで、その頃に年齢の近かった北村孝紘と仲良くなったと言われています。
ただ、関係者の証言によれば、2人は友人関係というよりは、高見龍幸さんが北村孝紘の下っ端使いっ走りのような扱いを受けていたという事です。
大牟田4人殺害事件の犯人の北村一家① 実行犯の次男・北村孝紘
大牟田4人殺害事件の犯人のうち、被害者4人全員を実際に殺害したのは北村一家の次男の北村孝紘でした。
北村孝紘は、1984年6月9日生まれで、男3人、女2人の5人兄妹の4番目として生まれています。中学時代から手のつけられないような不良で、学力は小学1、2年レベルだったという事です。
中学卒業後に大相撲・松ヶ根部屋に入門し、「三池山」という四股名で2000年5月場所から2001年11月場所まで土俵を踏んでいます。しかし、2001年11月の九州場所を最後に引退して大牟田の実家に戻り、その後素行がさらに悪くなり被害者の1人高見龍幸さんらと「族・神鬼狼」という暴走族を結成し、暴走行為のほか、窃盗、薬物乱用、輪姦などの犯罪行為を繰り返すようになります。
北村孝紘はその後、父が組長の北村組の組員になり、覚醒剤を含む違法薬物の密売や賭博、中古車販売・違法売買などで金を得ていたようです。
2003年頃、組の関係者のところから覚醒剤と大麻が見つかったためその身代わりで出頭する事になり、その出頭前に仲間らと49カ所の交番を襲撃、通行人を轢き逃げするなどして同年春に逮捕され、少年鑑別所などを経て大分少年院に送致されて2004年5月6日に出所しています。
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北村孝紘は大牟田4人殺害事件で逮捕され収監された後、犯行の内容を綴った手記を綴り、それが「我が一家全員死刑」というタイトルでコアマガジン社から出版されています。
大牟田4人殺害事件の犯人の北村一家② 父親・北村實雄
大牟田4人殺害事件の犯人の北村一家の父親・北村實雄は、地元大牟田市の暴力団「北村組」の組長でした。北村組は当時、指定暴力団道仁会系村上一家傘下の三次団体で組員は数名ほどの小規模組織でした。
北村實雄は身長160cmほどの小柄な体格で、大人しい性格だったとされ、高校卒業後に和菓子職人を経てタクシー運転手になり、その後に暴力団の運転手を務めるようになって覚醒剤を乱用し始めたという事です。
大牟田4人殺害事件の直前には金に困っており、車上荒らしをして逮捕されています。
大牟田4人殺害事件の犯人の北村一家③ 母親・北村真美
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犯人・北村一家の母親の北村真美は、1956年4月26日生まれで、北村孝と北村孝紘の実母で、北村實雄の妻です。
身長170cm、体重100kg近い大柄な女性で、背中に観音菩薩の刺青を彫り、「北村組」の実権を握っていたと言われています。当時の報道では「女帝」とも書かれていました。
北村真美は19歳の頃に暴力団組員だった17歳年上の男性と1度目の結婚をし長女を出産しますがその後すぐに離婚し、22歳で16歳年上の男性と再婚して長男の北村孝と年子の妹を出産。この結婚も2年で離婚となり、その後さらに2度の結婚と離婚をした後に北村實雄と5度目の結婚をして、次男・北村孝紘と年子の三男を出産しています。(三男は大牟田4人殺害事件後に自殺)
北村真美は、2002年に大牟田市内でスナックバーを開店するも経営難で数ヶ月で廃業し、その後は長男の北村孝の暴走族グループの構成員を建設現場などに派遣して仲介料をもらうなどして稼いでいたようです。
この北村真美はかなり凶暴かつ不安定な人間だったようで、暴走族の少女を捕まえて殴ったり、すぐに激怒して、突然「死んでやる」などと叫びながら車でガードレールに突っ込んだりなどの粗暴な行動が目立ち、周囲からは「覚醒剤中毒ではないか」などと噂されていたようです。
大牟田4人殺害事件の犯人の北村一家④ 長男・北村孝
大牟田4人殺害事件犯人の北村一家の長男・北村孝は、1980年12月20日生まれで、北村真美の連れ子で北村實雄の実子ではなく、北村孝紘にとっては異父兄にあたります。
北村孝は、中学卒業後に大島部屋に入門して大相撲に挑戦し、「旭竜神」の四股名で土俵を踏みますがすぐに挫折しています。関係者の証言によると、稽古場のカーテンに火をつけて逃げるようにして地元へ戻ったようです。
地元の大牟田に戻った後は、暴走族に所属して悪行の限りをつくし、2000年には当時18歳の少年に暴行を加えて死亡させる、傷害致死事件を起こして逮捕され、懲役3年6ヶ月の実刑判決を受けています。
出所後は、父親の北村組にも出入りするようになり、大牟田4人殺害事件では弟の北村孝紘を口車に乗せるような形で、高見穣吏殺害を実行させています。
この男は逮捕後も、自分は一切手を出しておらず無実であると主張していますが、殺害計画や証拠隠滅計画を率先して提案している上、実行犯役を全て弟の北村孝紘にやらせるように仕向けるようにしていて、事件に対する責任は重大だとみなされています。
大牟田4人殺害事件の北村一家の死刑執行はいつ?
あまりにも極悪非道な犯罪を行った北村一家4人には、死刑判決が確定していますが、2021年7月の現在においてはまだその死刑執行はされていません。
北村一家の死刑執行はいつかという点にも注目が集まっていますが、4人が収監されていから既に10年近くが経過しており、死刑執行は近いとの見方が強いようです。
ただ、北村孝が再審請求をしており、そのために死刑執行がされない原因と見られていて、いつ頃死刑執行がなされるのかについては今後も不透明な状況で、先にこの再審請求が棄却されてからになると見る向きもあるようです。
大牟田4人殺害事件の獄中手記を原作とした映画「全員死刑」も話題に
出典:https://movies-pctr.c.yimg.jp/
大牟田4人殺害事件の犯人の北村孝紘の獄中手記「我が一家全員死刑」を原作としてバイオレンス映画「全員死刑」が2017年11月18日に公開され話題になりました。
この映画「全員死刑」は現在は人気俳優となっている間宮祥太朗さんの初主演作となっています。間宮祥太朗さんは、北村孝紘をモデルにしたと思われるタカノリ役を演じています。
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=FO_bPqrtchQ]
この映画は実際の大牟田4人殺害事件の内容よりは、かなりエンタメ寄りに脚色されている部分もありますが、この事件での犯人家族の異常性がうまく描かれているといえます。
ただ、被害者側の家族もかなり異常な人間のように描かれている部分があり、その点では賛否両論分かれているようです。
大牟田4人殺害事件の犯人・北村一家の現在
既に触れていますが、大牟田4人殺害事件の犯人である北村一家の4人は全員が死刑判決を受け確定しているものの、事件から15年が経過した現在も死刑執行はされていません。
北村孝紘と北村真美の2人は、2019年10月1日の時点で福岡拘置所に収監されている事がわかっています。
北村實雄は広島拘置所に、北村孝は大阪拘置所にそれぞれ収監されているようです。
また、北村孝紘は2013年に支援者女性と獄中結婚して井上孝紘に名前が変わっているようです。
まとめ
今回は、2004年に発生した「大牟田4人殺害事件」についてまとめてみました。
大牟田4人殺人事件の犯人は、暴力団組長の北村實雄、妻の北村真美、長男の北村孝、次男の北村孝紘の北村一家による共犯事件で、その全員に死刑判決が下った事件として注目されました。
被害者は、この北村實雄夫妻に金を貸していた闇金業者の高見小夜子さん、その長男の北村龍幸さん、次男の高見穣吏さん、龍幸さん友人の原純一さんの4人で、金を盗むという身勝手な理由で殺害されています。
北村一家は現在も死刑囚として収監されていますが、死刑執行はされておらず、死刑執行がいつになるかにも注目が集まっています。
なお、2017年に公開された間宮祥太郎さん主演映画「全員死刑」は、この事件の犯人の北村孝紘の獄中手記「我が一家全員死刑」を原作とした作品です。