1997年に起こった神戸連続児童殺傷事件を覚えていますか?
神戸連続殺傷事件の被害者と言うと、頭部を切断された土師淳さんを真っ先に思い浮かべる人が多いと思いますが、この事件で少年A(酒鬼薔薇聖斗)の犠牲になった被害者には山下彩花さんもいます。
神戸連続児童殺傷事件の概要と山下彩花さんの死因とハンマー、家族(父親・母親・兄弟)と犯人の関係や現在をまとめました。
この記事の目次
山下彩花は神戸連続児童殺傷事件の被害者
出典:oricon.co.jp
山下彩花さんは1997年に発生した神戸連続児童殺傷事件で最初に殺害された被害者です。事件当時10歳でした。
神戸市須磨区の竜が台小学校4年生だった山下彩花さんは、犯人の少年A(酒鬼薔薇聖斗)にハンマーで後頭部を殴打されて亡くなりました。
山下彩花さんはわずか10歳で理不尽な死を迎えることになり、家族は事件発生から現在までずっと彩花さんに思いを寄せ、さらに犯人の少年Aの対応に振り回されながらも償いと謝罪を求めています。
神戸連続児童殺傷事件とは?
神戸連続児童殺傷事件とは1997年2月から5月にかけて兵庫県神戸市須磨区で発生した連続殺傷事件です。
1997年2月10日に第一の事件、3月16日に第二の事件、5月24日に第三の事件が発生し、5名の小学生が襲われ、2名が死亡・2名が負傷しました。
この事件では、第三の事件の被害者は頭部が切断されていたこと。さらに被害者の口に「酒鬼薔薇聖斗」という名前で犯行声明文が挟まれていて、地元新聞社にも犯行声明文が郵送されたことなどなどから、残虐でセンセーショナルな事件として、連日過熱気味にメディアが報道していました。
第三の事件から約1ヶ月後の1997年6月28日、犯人が逮捕されました。犯人は当時中学3年生の未成年であることがわかり、世間にさらに大きな衝撃を与えた事件となりました。
第一の事件
出典:president.jp
1997年2月10日16時35分ごろ、兵庫県須磨区中落合一丁目の団地内の路上で、神戸市立南落合小学校6年生の少女2人(当時12歳)がゴムのショックレス・ハンマーで後頭部を殴られました。
「ゴムのショックレス・ハンマー」というと、おもちゃの「ピコピコハンマー」のようなものを思い浮かべるかもしれませんが、ショックレスハンマーはれっきとした工具であり、打撃力が非常に強いハンマーです。
殴られた2人の少女のうち1人は無事でしたが、1人は重傷を負いました。
この事件では被害者少女の証言で「犯人はブレザーを着て、学生カバンを持っていた」ことがわかったたため、被害者女児の父親はが近隣の中学校に「犯人がわかるかもしれないから、生徒の写真を見せてほしい」と要望しましたが、中学校は「警察を通してほしい」として、この要望を拒否しています。
父親は兵庫県警に被害届を出して生徒写真の閲覧を要求しましたが、結局は生徒写真閲覧はできませんでした。
被害届を出す前に中学校が生徒写真の開示を拒否するのはわかります。しかし、警察に被害届を提出した後も開示されなかったのはなぜなのでしょうか。
もし、この時に被害者少女2人が写真を閲覧していたら、この時点で犯人の少年Aを特定でき、この後の第二、第三の事件を未然に防ぐことができたかもしれません。
第二の事件(山下彩花さんの事件)
第一の事件から約1ヶ月後の3月16日午後0時25分ごろ、神戸市須磨区竜が台の公園で、近くにいた当時小学4年生(10歳)の山下彩花さんに「手を洗える場所はないか」と犯人が声をかけました。
犯人は学校に案内させた後に「お礼を言いたいのでこっちを向いてください」と言い、その声に振り返った彩花さんをハンマー(八角玄翁)で殴りつけ、そのまま逃走しています。
そして、その10分後の午後0時35分ごろ、竜が丘公園近くの路上で小学3年生の少女の腹部を刃渡り13センチの小刀で刺しました。ナイフの刃先は胃を貫通しているほど傷は深かったとのことです。
山下彩花さんは意識不明の状態で病院に運ばれましたが、事件から1週間後の3月23日に死亡。
腹部を刺された小学3年生の少女は病院に搬送され、1.8リットルの輸血を要する手術を行い、2週間の重傷を負いました。
腹部を刺された少女は、「20歳くらいの知らないお兄ちゃんにいきなり刺された」と話していました。
第三の事件
<5月24日>
山下彩花さんの事件から2ヶ月以上経った5月24日、犯人は「人を殺したい」という欲望を覚え、ターゲットを探していました。その時、顔見知りの土師淳くん(当時小学6年生・11歳)に出会います。
犯人は「この少年なら僕より小さいから殺せる」と思い、土師淳くんをタンク山と呼ばれる高台に誘い出して絞殺しました。犯人は「首を手で絞めて殺してみたい」という願望があったとのことです。
犯人はできるだけ遺体の発見を遅らせたいと思い、土師淳君の遺体を現場のケーブルテレビアンテナ施設に隠しました。
夕方になってっも帰らない土師淳くんを心配した家族が、この日の午後8時50分に警察に捜索願を出しています。
<5月25日>
翌5月25日、犯人は遺体の首を切断するために、金ノコギリやビニール袋、学校の補助カバンなどを持って自宅を出発し、事件現場に向かいます。
そして、遺体の首を切断して、さらに小刀で両目を突き刺し、瞼を切り裂き、口から両耳に向けて切り裂きました。その後、頭部のみを家に持ち帰っています。
<5月26日>
5月26日には、警察は行方不明事件として本格的に捜索を開始します。犯人は「酒鬼薔薇聖斗」の犯行声明文を用意しました。
<5月27日>
そして、5月27日未明(午前1時~午前3時)に犯人は頭部を自分が通っていた小学校の校門前に遺棄しました。さらに、その遺体の口には「酒鬼薔薇聖斗」の犯行声明文を咥えさせたのです。
土師淳くんの頭部は同日午前6時40分ごろに登校してきた学校関係者が発見し、110番通報して、事件が発覚しました。
被害者の口にくわえさせていた犯行声明文には赤文字で次のように書かれていました。
さあゲームの始まりです
愚鈍な警察諸君
ボクを止めてみたまえ
ボクは殺しが愉快でたまらない
人の死が見たくて見たくてしょうがない
汚い野菜共には死の制裁を
積年の大怨に流血の裁きをSHOOLL KILL
学校殺死の酒鬼薔薇
被害者少年の頭部だけが学校の校門前に置かれ、さらに「酒鬼薔薇聖斗」の不気味な犯行声明文が出されたことから、このニュースはテレビや新聞、雑誌などのメディアで連日大きく報じられました。
酒鬼薔薇聖斗の逮捕
出典:mainichi.jp
6月4日、地元の新聞社である神戸新聞社に手書きの犯行声明文が届きました。この犯行声明文では「酒鬼薔薇聖斗」を名乗り、警察を挑発するとともに、新たな犯行を予告するような内容でした。
警察は土師淳くんの事件直前に現場周辺で猫やハトなどの虐待事件があったことを突き止め、聞き込みをした結果、当時中学3年生の少年Aが犯人候補として浮上しました。
6月28日、警察は現場近くに住む少年A(中学3年生・14歳)に任意同行を求めました。少年Aは当初は犯行を否認していましたが、やがて罪を認めて自供し、夜になって殺人及び死体遺棄の疑いで逮捕され、同時に山下彩花さんらの犯行も認めています。
あの残虐な事件の犯人が中学3年生の未成年の少年だったことに、世間は驚き震撼しています。
酒鬼薔薇聖斗(元少年A)のその後
出典:sankei.com
少年Aは逮捕後に神戸家裁に一括送致され、精神鑑定が行われました。精神鑑定の結果、少年Aには完全な責任能力はあるが、反社会性パーソナリティ障害に相当する行為障害があると判定されました。
家庭裁判所の審判で、逮捕から約3ヶ月半後の1997年10月13日には関東医療少年院に送致され、2001年には治療が順調であるとして、東北少年院(中等少年院)に移送されています。
2004年3月には少年院を仮退院し、2005年1月に本退院となりました。この時、少年Aは22歳でした。
あれだけ残虐な事件を起こし、山下彩花さんと土師淳くんを殺害しておきながら、たった7年程度で社会復帰できてしまう。しかも、顔写真も名前も伏せられているので、その後の生活にはそれほど支障ありません。
いくら犯行当時は未成年だったとしても、山下彩花さんや土師淳くんの遺族としてはやり切れないものを感じるのではないでしょうか。
山下彩花の死因はハンマーによる脳挫傷
山下彩花さんの死因は、後頭部殴打による脳挫傷です。
山下彩花さんはハンマーで後頭部を殴打されて、頭がい骨を骨折し、事件直後から意識不明の重体になっていました。病院に救急搬送されたものの、意識が回復することはなく、1週間後に亡くなっています。死因は脳挫傷でした。
山下彩花さんが死亡したことを知った犯人の少年Aは次のように考えたそうです。
朝、母が「かわいそうに。通り魔に襲われた女の子が亡くなったみたいよ」と言いました。新聞を読むと、死因は頭部の強打による頭蓋骨の陥没だったそうです。金づちで殴った方は死に、おなかを刺した方は回復しているそうです。人間は壊れやすいのか壊れにくいのか分からなくなりました。
引用:少年A「ショックレスハンマーと狂気の部屋」 文春が追いかけた酒鬼薔薇聖斗 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
山下彩花さんが殴られたハンマーは金づちの八角玄翁で、重さは1.5kgありました。1.5kgの金づちを後頭部に振り下ろされたら・・・と考えると恐ろしいですよね。しかも、犯人は山下彩花さんを何度も殴ったという情報があります。
事件が起きたのは1997年3月16日。「酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)」を名乗った少年Aにハンマーで何度も殴りつけられた彩花ちゃんは1週間後、意識が戻らないまま亡くなった。
10歳の女の子の頭部をハンマーで何度も殴るなんて、想像しただけでゾッとします。
山下彩花の家族①:父親は手紙を寄せる
山下彩花さんの父親の山下賢治さんです。山下賢治さんは事件当時48歳、2023年で74歳になっていて、事件が起こってからずっと、加害者に謝罪を求め続けています。
父親の賢治さんは母親の京子さんと支え合ってきましたが、京子さんを亡くした後は「生きる力」を失いかけたそうです。
しかし、彩花さんと母親の京子さんの意志を継ぐべく、少年Aに「償いと謝罪」を求め続けることを決意しました。
賢治さんは、妻亡き後、1つの決意をした。加害者に「償いと謝罪」を求め続けることだ。
毎年、山下彩花さんの命日に届いていた少年Aからの手紙は、2018年以降届いたままで、少年Aの消息は分からなくなっています。
また、地域の子供たちのために、事件後もずっと少年野球のチームのコーチを続けていたとのことです。
事件から25年経った2022年には、次の手記を発表しています。
最愛の娘・彩花が10歳でこの世を去って25年、彩花が生きた時間の倍の歳月が流れようとも彩花の存在が薄れることはなく、私たちの心にしっかりと根を下ろしています。
前を向いていても、彩花さんのことだけはずっと忘れることなく、むしろ時間が止まったままなのかもしれません。
山下彩花の家族②:母親は乳がんで死亡
出典:asahi.com
山下彩花さんの母親は山下京子さんです。
山下京子さん事件直後、「なぜ一緒にいてやらなかったのか」と自分を責め続けました。しかし、次の友人の一言で前を向けるようになったとのことです。
「彩花ちゃんをかわいそうな犠牲者として終わらせるのか、その人生を価値あるものにするのか、それは山下さんの生き方でしか証明できないのよ」
「彩花へ―「生きる力」をありがとう」などの著書を執筆したり、命の大切さを訴える講演会を行ったり、朗読ボランティアなどを行ったりと精力的に活動していましたが、2017年に乳がんで亡くなっています。
山下彩花の家族③:兄は父親と共に活動
山下彩花さんには3つ年上の兄がいます。事件当時、中学1年生でした。事件当時は妹の山下彩花さんの死を受け入れることができず、彩花さんのことを記憶に残さないようにしていたと振り返っています。
理不尽な妹の死を受け入れきれず「『元から一人っ子だった』と考えるようになっていた」と振り返る。
事件後は音楽会の指揮者に立候補するなど活発に活動していましたが、高校生になると、その反動からか生活が乱れるようになり、母親の京子さんとの間に溝が生まれたこともありました。
ただこれは、ある意味仕方がないことかもしれません。妹を失い、親は悲しみに暮れ妹の方を向いているという状況ですから・・・。
社会人になってからは、母親の京子さんとの関係を修復し、両親の想いを引き継いでいきたいと考えているようです。
社会人になり母との関係を取り戻してからは、命の大切さを伝える講演などボランティア活動を続ける両親に共感する。「『人のために』という2人の思いを引き継いでいきたい。子どもを亡くした両親にできる親孝行は、自分が幸せに生きること」。そう考えている。
現在は、彩花さんと母親の京子さんの遺志を継いで、父親の賢治さんと一緒に命の尊さを訴え続けています。
山下彩花の家族は「絶歌」の出版で大激怒
山下彩花さんの家族は、彩花さんを殺害した少年Aと向き合おうとしていました。しかし、その心を少年Aは踏みにじりました。少年Aは山下彩花さんを殺害しただけでなく、向き合おうとしてくれた家族の気持ちを考えず、山下彩花さんの家族の心を何度も傷つけました。
山下彩花の家族は酒鬼薔薇聖斗とその家族と向き合おうとしていた
出典:ktv.jp
山下彩花さんの家族は、少年A(酒鬼薔薇聖斗)とその家族としっかり向き合おうとしていました。
普通、大切な娘を殺害されたら、顔も見たくないどころか、憎み続けるし、何度も脳内で犯人の少年Aを殺害しようとするはずです。憎しみがなくなることはありません。
しかし、山下彩花さんの家族は誠実に少年Aとその家族に向き合おうとしました。
少年Aは少年院を出てから2年後の2007年から、毎年山下彩花さんの家族に反省の気持ちを記した手紙を送り続けてきました。その反省の手紙は、少しずつ内容が良くなってきたようで、母親の山下京子さんはその手紙と少年Aの気持ちを評価していました。
とくに彩花さんの母親の山下京子さんに、『今までの手紙は無機質な感じがしたが、今回は生身の人間が書いたように感じた』『罪に向き合い償おうとする気持ちが年々強くなっていると感じた』と評価していただいた。それは嬉しかったですよ」
引用:「少年A」の家族を22年間、支え続けた男がいた 「2億円の賠償金」をどう支払うか (4ページ目) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
こんな風に評価しているなんて、山下彩花さんのご家族は本当に誠実で、「菩薩のような人」と言えるのではないでしょうか。
また、山下彩花さんの家族は少年Aの家族に面会することもありました。
山下さんとA君の両親は年に一度、彩花さんの命日のころに、この弁護士事務所で面会する関係になっていたんです。
引用:「少年A」の家族を22年間、支え続けた男がいた 「2億円の賠償金」をどう支払うか (4ページ目) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
しかも、母親の京子さんは少年Aに会っても良いとまで思うようになっていました。
山下京子さんは生前、A君に『一度会ってもいい』とまでおっしゃっていたんです。もちろん簡単ではないでしょうが、そこまでの気持ちになっていただいていた。
引用:「少年A」の家族を22年間、支え続けた男がいた 「2億円の賠償金」をどう支払うか (5ページ目) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
山下彩花さんの家族は苦しい中できちんと少年Aとその家族と向き合おうとしていたことがわかります。
元少年A(酒鬼薔薇聖斗)は2015年に絶歌を出版
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山下彩花さんの家族の気持ちを踏みにじったのが、少年Aの「絶歌」の出版です。
2015年6月10日、少年Aが「絶歌 神戸連続児童殺傷事件」という本を出版しました。
この本は「元少年A」の名義で事件にいたる経緯、犯行後の社会復帰にいたる過程を綴った手記で、被害者の山下彩花さんと土師淳くんの遺族には出版の事前報告なく出版されました。
最初に企画が持ち込まれた幻冬舎の見城社長は幻冬舎からは出版できないと判断したほど、贖罪意識が乏しい内容でした。実名での本ではなく、「元少年A」という名義だったことからも、贖罪意識は薄いことがわかります。
この絶歌は、出版自体が社会問題となり、この本を置かない方針を取る書店や公共図書館もありました。
しかし、この「絶歌」は初版10万部、さらに増刷がかかるという異例のヒットになっています。
山下彩花の家族は激怒&拒否
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この絶歌の出版は、山下彩花さんの家族の心を踏みにじるものでした。山下彩花さんの家族も、土師淳さんの家族も大激怒しています。
絶歌の出版から1週間たった6月16日に、少年Aの弁護士から山下彩花さんの家族にこの「絶歌」と手紙を渡したいという連絡がありました。山下彩花さんの家族は弁護士と面会しましたが、受け取りを拒否しています。
いや、もう、凄まじい怒りようでした。事前に何の連絡もなく、突然あの本が出てしまったわけですから、遺族を傷つける卑劣な行為に失望したとか、裏切りだとか、これまでの反省の手紙は何だったのかと……。
引用:「少年A」の家族を22年間、支え続けた男がいた 「2億円の賠償金」をどう支払うか (5ページ目) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
手紙は家族の了承を得ずに出版したことを謝罪する内容でしたが、「本の送付書のよう」というほど事務的なものだったようです。
また、この絶歌の出版にあたり、少年Aは印税で被害者と家族に賠償したいという意向を示していましたが、山下彩花さんの家族は印税の受け取りを拒否しています。
少年Aの家族が書いた本(「少年A」この子を生んで—父と母悔恨の手記—)の印税は受け取っているそうですから、賠償金として印税を受け取りたくないということではなく、少年Aの行動への怒りがすさまじいものなのでしょう。
土師淳くんの家族も受け取りを拒否しています。ということは、4000万円とも言われる絶歌の印税は丸々少年Aの懐に入るということでしょうか・・・。
まさか、遺族が受け取りを拒否することを計算しての少年Aの金もうけのための行動だった?と考えると、本当に恐ろしいです。
特に、母親の京子さんは少年Aの手紙をすべて破棄し、2016年・2017年に届いた手紙は受け取りを拒否するようになりました。そして、2018年以降、手紙は届かなくなっています。
山下彩花と家族の現在
出典:mainichi.jp
山下彩花さんの家族は、現在も少年Aに対して謝罪と贖罪を求めています。母親の京子さんは亡くなりましたが、その意思を父親の賢治さんが継いで静かに訴え続けています。
「私も若くないし、息子の代にも引き継ぎたくない。加害男性には償いの気持ちを手紙で形にして、未来ある子を手にかけた罪の重さをかみしめてほしい」
せめて、山下彩花さんの家族の気持ちが休まるように、謝罪・贖罪の遺志を少年Aは表せると良いと思うのですが・・・。
山下彩花のまとめ
神戸連続児童殺傷事件の概要や被害者の山下彩花さんの死因とハンマー、家族(父親・母親・兄弟)と現在をまとめました。
山下彩花さんの家族の苦しみは、いつまでも続いていくのでしょう。それが、家族を殺害されるということであり、それだけのことを少年Aは行ったということです。
せめて、少年Aが心から贖罪・謝罪を行えば、家族の心も少しは休まるのかもしれませんが・・・、2015年以降の彼が取った行動を見ると、家族の心が休まる日は来ないかもしれません。