仁科亜季子さんは若い頃は清楚な魅力で人気を誇った女優ですが、松方弘樹さんとの泥沼離婚や恐喝騒動が話題です。
今回は仁科亜季子さんの若い頃、元旦那との馴れ初め~離婚や恐喝事件、息子や娘、子宮頸がんなど現在をまとめました。
この記事の目次
仁科亜季子のプロフィール
プロフィール
・名前: 仁科 亜季子(にしな あきこ)
・本名: 仁科 章子(読み同じ)
・旧芸名: 仁科 明子
・生年月日: 1953年4月3日
・出身: 東京都
・血液型: AB型
・職業: 女優
・活動期間: 1972 – 1979年、1999年 –
・所属: CINEMACT
仁科亜季子の若い頃の経歴 【画像多数】
仁科亜季子さんは、学習院女子高等科を卒業後、1972年にNHKプロデューサーに勧められるまま、ドラマ「白鳥の歌なんか聞えない」に出演したことがきっかけで芸能界デビューしました。
当時の仁科亜季子さんは、お嬢様女優として様々なドラマや映画に出演し、その清楚な魅力で多くの男性ファンを虜にしました。
出典:https://www.tbs.co.jp/
こちらは1972年のドラマ「田楽交響楽」の1枚。
仁科亜季子さんは野暮で不器用なアニキ(渡哲也さん)を支える妹・“黒岩恵子”役を好演しました。
以下、ドラマ「大都会 闘いの日々」より、印象的な画像をいくつかピックアップしてみましょう。
出典:https://twitter.com/
出典:https://twitter.com/
出典:https://blogimg.goo.ne.jp/
出典:https://www.pinterest.jp/
出典:https://twitter.com/
仁科亜季子の元旦那は俳優・松方弘樹 【不倫の果ての略奪婚だった…】
仁科亜季子と松方弘樹の不倫は大河ドラマ「勝海舟」での共演がきっかけ
ここまであえて触れなかったのですが、仁科亜季子さんは1974年のNHK大河ドラマ「勝海舟」への出演で、主演の松方弘樹さんと共演しました。
ちなみにこの「勝海舟」は当初、「大都会 闘いの日々」で共演した“アニキ”渡哲也さんが主演するはずだったのですが、病気降板により急遽、松方弘樹さんが代役を引き継いだんですよね。
何と言うか運命的なものを感じますな。
仁科亜季子(当時は「明子」)さんは、“糸”役を好演しました。
この大河ドラマでの共演により、仁科亜季子さんは松方弘樹さんに気に入られ、翌年のドラマ「けんか安兵衛」にヒロイン役に抜擢され、再び共演しています。
やがて2人は親密な関係となり、1977年頃から同棲を始めるのですが…実は、当時の松方弘樹さんは既に結婚しており、3人の子供もいたのです。
そのため、仁科亜季子さんとの関係は不倫愛として世間を大いに騒がせることになります。
出典:https://www.sankei.com/
その後、松方弘樹さんは元嫁に対して、3億円もの慰謝料を支払って離婚が成立しています。
仁科亜季子、松方弘樹の離婚を待つように芸能活動を休止して結婚へ
その当時、仁科亜季子さんは人気ドラマ「大都会 PARTII」にヒロインとして出演中でした。
ですが、松方弘樹さんの離婚を待っていたかのように、自ら途中降板を申し出ると、そのまま芸能活動を休止し、住み慣れた東京から、松方弘樹さんが暮らす京都へ…。
出典:https://www.nikkansports.com/
仁科亜季子と元旦那・松方弘樹の泥沼離婚と恐喝事件
松方弘樹と千葉マリアとの浮気が発覚した仁科亜季子は…
松方弘樹さんと結婚した仁科亜季子さんは、まもなく男の子と女の子を1人ずつ出産し、愛する人と幸せな日々を送るのですが…幸せは長くは続きませんでした。
と言うのも、1984年には松方弘樹さんに、当時、アイドル歌手として活躍していた千葉マリアさんとの間に隠し子がいたことが発覚するんですよね。
激怒した仁科亜季子さんは、松方弘樹さんの女遊びをやめさせるためにパイプカットを命じた…なんて話まであるようです。
松方弘樹の山本万里子との不倫発覚で離婚を決意した仁科亜季子は…
さらに1995年、京都祇園の高級クラブのホステスだった山本万里子さんを見初めた松方弘樹さんが、90年代の人気ドラマ「HOTEL」で女優デビューさせていたことが発覚しました。
出典:https://twitter.com/
山本万里子さんとの関係を怪しんだ仁科亜季子さんは、興信所を使って調べたところ、またしても松方弘樹さんの不倫を確信!
度重なる松方弘樹さんの不貞行為に、いよいよ離婚を決意した仁科亜季子さんは、あるとんでもない行動に出ることに…。
仁科亜季子、後に恐喝事件に発展する暴力団組長に後ろ盾を頼んだ…なんて話も
仁科亜季子さんは、松方弘樹さんとの離婚の話し合いを有利に進めるために、なんと暴力団組長を味方につけようとしたという噂まであるんですよね。
後にこの暴力団組長は、仁科亜季子さんを恐喝したとして、2017年9月23日に逮捕された笠岡和雄氏です。
出典:https://twitter.com/
そもそもこの人物と仁科亜季子さんは、長男・克基さんを芸能界デビューさせるために、売り込みを頼んだのが関係の始まりだったとも言われています。
そして、この笠岡和雄氏は、後に「狼侠」という著書を出版しており、その中でかなりのページを使って、仁科亜季子さんとの関係を赤裸々に暴露しています。
わたしに急接近してきたのが、離婚問題が表に出る前だった。かなり深刻な顔をしていたものだ。「離婚を決心しましたので、どうか後ろ盾になってください」と言う。
わたしが京都の全日空ホテルで病院のために宿泊していたときに、突然仁科が一人で部屋に入ってきたことがある。
引用:[記事全文]「仁科亜季子」恐喝未遂で逮捕 絶縁できなかった“元組長”との関係は https://www.dailyshincho.jp/
なんて、意味深な記述まで…。
1998年、慰謝料ゼロ離婚を発表した仁科亜季子に同情の声が集まるも…
そんな仁科亜季子さんは、1998年に女性週刊誌上で夫・松方弘樹さんの不倫をぶちまけた末に離婚を発表しています。
出典:http://news.line.me/
離婚慰謝料がゼロだったことから、当時は仁科亜季子さんに同情の声も上がったようですが…
とある映画関係者の証言によると、松方弘樹さんは離婚後、次のようにボヤいていたそうです。
仁科亜季子の娘は仁科仁美・息子は仁科克基
仁科亜季子さんと松方弘樹さんの間には、1982年に息子・仁科克基さんが、2年後の1984年には娘・仁科仁美が誕生しています。
出典:https://www.hokende.com/
両親の離婚後、親権は仁科亜季子さんに渡っていますが、現在、その2人の子供はそれぞれ芸能界入りし、タレントなどとして活動しています。
仁科亜季子の息子・仁科克基のプロフィール
プロフィール
・名前: 仁科 克基(にしな まさき)
・本名: 仁科 正樹(にしな まさき)
・別名義: 目黒 正樹(旧芸名)・仁科 克己(旧芸名)・岩井久次郎
・生年月日: 1982年9月2日
・出生地: 京都府京都市西京区
・身長: 175 cm
・血液型: B型
・職業: 俳優・タレント
・ジャンル: テレビドラマ・映画
・活動期間: 1989年 –
・事務所: 松竹エンタテインメント
仁科克基さんは、2011年1月に、女優・多岐川裕美さんの一人娘である多岐川華子さんと結婚。
しかし、結婚当初から性格の不一致を感じており、別居を経て2012年10月22日にスピード離婚しています。
離婚の主な原因は仁科克基のキャバクラ通いだとされており、離婚後の仁科克基さんは、女性問題をネタにバラエティ番組などに出演することで、細々と芸能活動を続けている状況です。
仁科亜季子の娘・仁科仁美のプロフィール
プロフィール
・名前: 仁科 仁美(にしな ひとみ)
・愛称: 仁仁(ジンジン)
・生年月日: 1984年11月1日
・出身: 京都府京都市西京区
・血液型: A型
・身長: 164cm
・学歴: 芦屋大学付属高等学校卒業
・デビュー: 2002年
・職業: タレント、モデル
デビュー以前から「松方弘樹の娘は相当な美人」と噂され、鳴り物入りで芸能界入りした仁科仁美さん。
JOMOやトリンプなどのキャンペーンガールや情報番組のレポーター、タレントとして活躍していました。
私生活では、2015年1月1日に実業家の一般男性と結婚秒読みと報じられ、同年6月には第1子となる男児を出産。
しかし、父親の男性とは結婚しておらず、現在は仁科亜希子さんと同居しながら協力して子育てに当たっているそうです。
仁科亜季子の現在 【子宮頸がんと後遺症で闘病中】
仁科亜季子、子宮頸がんの手術後は排尿障害の後遺症に悩まされる
息子・克基さんが8歳、娘・仁美さんが6歳と、まさに子育ての真っ最中だった1991年、体に異変を感じた仁科亜季子さん。
松方弘樹さんが海外ロケで不在の時を見計らって、婦人科で精密検査を受けたところ…
“子宮頸がん”
との診断を受けました。仁科亜季子さんが38歳の時のことです。
その後、子宮頸がんの手術と治療のため、4ヶ月以上の入院生活を終え、1991年10月に無事退院しました。
出典:https://cdn-ak.f.st-hatena.com/
しかしこの笑顔の裏には、子宮頸がんの代表的な後遺症である排尿障害との壮絶な闘いがあったそうです。
この後遺症を最初に自覚したのは、術後5日目のことだったそうです。
医師から「今、ぼうこうは一杯の状況です」とトイレに行くことを指示された。医師は「でも、びっくりしないで」とも付け加えた。仁科は尿意はなかったために不思議に思ったが、医師の指示に従ってトイレに行った。しかし、尿は出ず、仁科は「まったく気配がないのですから出なくて当たり前です」とし、医師にも伝えた。
医師は「やっぱりダメか。麻痺してるな」と答えたという。もう一度トイレに行き、「下腹部に力を入れ、出産のときのようにいきんで排尿するように」と指示した。すると、大量に尿が出たという。仁科は「自分の体の中で一体何が起こっているのか訳が分からなくなりました」と記した。
引用:仁科亜季子 子宮頸がんの後遺症で排尿障害 「一番ショックだった」/芸能/デイリースポーツ online https://www.daily.co.jp/
その後も1999年に胃がん、2014年に大腸がんの手術を受けている仁科亜季子
1991年、38歳の時に発症した子宮頸がんのために、子宮と卵巣、リンパ節を切除した仁科亜季子さんでしたが、その後も、次々とがんに襲われることになります。
1999年、46歳の時には、胃がんのために胃の3分の1に当たる上部と食道の一部の他、脾臓を切除した仁科亜季子さん。
出典:https://page.auctions.yahoo.co.jp/
その経験から、半年に1度のがんの定期健診を欠かさず、それとは別に毎年、大腸検診を受けていたのですが、2014年には今度は大腸にがんが発見されることに…。
そして、2014年10月、東京都内の病院で大腸がんを摘出する腹腔鏡手術を受け、患部を含め、約20cm切除していたことを約1年後の2015年9月に公表しました。
仁科亜季子の現在はがんの定期健診の大切さを訴える啓蒙活動を展開
2014年10月の大腸がん手術の後、仁科亜季子さんは抗がん剤治療を受けてきましたが、2015年3月には医師の判断で治療を終えています。
出典:http://pathology.or.jp/
そんな仁科亜季子さんは現在、芸能活動のかたわら、自身のがんとの闘いの経験をもとに、がんの定期健診がいかに大切であるかを訴える講演活動も積極的に行われているようです。
そして現在は、娘・仁科仁美さんと一緒に暮らしているという仁科亜季子さん。
結婚こそしていないものの、実業家をしているという仁実さんの事実上の旦那さんと、可愛いお孫さんに囲まれて、幸せな余生を送られているそうです。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
かつて「お嫁さんにしたい女性No.1」にも選ばれた仁科亜季子さん。
若い頃の女優としての活躍と、共演がきっかけの不倫騒動の末に結婚した旦那・松方弘樹さんとの波乱に満ちた結婚生活を中心にまとめてみました。
2017年1月、松方弘樹さんの訃報を受けて、仁科亜季子さんは次のような追悼コメントを発表しています。
出典:https://www.cinematoday.jp/
「本気で愛し、2人の子供を授かり20年以上も共に歩んで参りました方です。今は、安らかにおやすみくださいますよう、心よりお祈り申し上げます」
引用:故・松方弘樹と“慰謝料ゼロ”で離婚した仁科亜季子、実は「10億円近い金」手にしていた https://www.excite.co.jp/
確かに本気で愛し合ったことは間違いないでしょう。そして泥沼離婚の原因は、松方弘樹さんの女遊びにあったことも事実のようです。
しかし、離婚に当たっては暴力団の力まで利用して、松方弘樹さんから根こそぎ奪い取った挙げ句に、自身は終始悲劇のヒロインを演じ切った…なんて話が囁かれています。
これがもしも事実だったとすると、なんだかとっても空々しく感じるのは私だけでしょうか?