金川真大の生い立ちと死刑や最期の言葉!父親と母親など家族・中学と高校時代・土浦連続殺傷事件の詳細も総まとめ

「土浦連続殺傷事件」の犯人・金川真大が注目されています。

 

この記事では、金川真大の起こした土浦連続殺傷事件の概要、金川真大の中学時代や高校時代などの生い立ち、父親や母親、妹などの家族、韓国人説、自宅の画像や被害者、死刑執行時の最期の言葉などについてまとめました。

 

金川真大は「土浦連続殺傷事件」の犯人

 

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金川真大(かながわ・まさひろ)は、2008年3月19日と同年3月23日に、茨城県土浦市で発生した無差別連続殺傷事件「土浦連続殺傷事件」の犯人です。

 

金川真大は当時24歳の無職の男で、自宅に引きこもりテレビゲームに明け暮れる生活を送っていました。(コンビニのアルバイトなどは不定期にしていたが、全てゲームソフトなどを購入するためだった。)

 

そんな生活を続ける中で、金川真大はテレビゲームのファンタジーRPGのように魔法もなく、未知の世界の冒険もできない現実世界での人生は退屈で生きていても意味がないという考えに至り死にたいと思うようになりました。

 

そして、金川真大は自殺は失敗するリスクがあり、何よりも自分で自分を傷つけるのは痛いから怖くてできないので、確実に死ぬために死刑になろうと考えるに至り、その目的のためだけに無差別に2名を殺害し、7人に重軽傷を負わせたのでした。

 

こうして金川真大が起こした「土浦連続殺傷事件」は、死刑になるためだけに無差別に人を殺すという、これまでに前例のない新しいタイプの凶悪犯罪者が現れたとして、当時の社会を震撼させました。

 

この金川真大の起こした「土浦連続殺傷事件」が社会に与えた影響は大きく、これを境にして、同じように死刑になりたいがために凶悪犯罪を起こす者が現れるようになりました。現在でも、こうした「死刑になるための犯罪」がネット上で話題になるたびに、この金川真大にも注目が集まっています。

 

今回はこの金川真大についてまとめていきます。

 

 

 

金川真大の起こした「土浦連続殺傷事件」の概要

 

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最初に、金川真大の起こした「土浦連続殺傷事件」を時系列順に追っていきます。

 

 

 

2008年1月から3月にかけて犯行の準備を入念に行っている

 

2008年1月、死ぬために死刑になろうと考えた金川真大は、犯行の準備として、自宅近くのホームセンターで文化包丁を、インターネットのオークションサイトでサバイバルナイフを購入、また、自分が所持している赤と黒のリュックサックは家族に知られているため、犯行後に家族に自分が犯人だとすぐにバレないようにデパートでグレーのリュックを購入しています。

 

金川真大は文化包丁とサバイバルナイフを手に入れた後、自宅自室のカーテンを斬って切れ味を確かめるなどもしています。

 

2008年3月、金川真大は自分の銀行口座から逃走資金や犯行の準備資金として現金40万円を引き出し、変装用にデパートでスーツやネクタイを購入しています。

 

金川真大は当初、「態度が気に食わなかった」上の妹(長女)を自宅で殺害し、その後、自宅近くの小学校、中学校、高校で生徒や教諭を殺害し、さらにそれから、ネットオークションで落札したゲームソフトを送ってこなかった京都に住む「T」 という人物を殺害しようと計画していました。

 

 

3月17日〜18日、妹を殺害しようとするも不在だっため未遂

 

3月17日、金川真大は翌日に犯行を決行しようと定め、自分自身に決意を促すために携帯電話のメール機能で以下の文面を作成しています。

 

全ては運命だ。運命は変えられない。未来は既に決められている。私は、自分の決められた運命を歩み、実行する。この宇宙が誕生した瞬間から、私の運命はこうなると決まっていたのだ。全ては運命だ!!私はこの宇宙で最も正しい答えを知っている。私が正義だ!私が法律だ!私の言葉が正しい!私の行動が正しい!私以外の人間は皆、間違っている

 

引用:読売新聞水戸支局取材班「死刑のための殺人」より

 

翌3月18日、金川真大は犯行を決行しようとしていましたが、起床した時にはすでにターゲットと定めていた妹は自宅から外出しており、計画を断念しています。

 

 

3月19日、近所の小学校を襲撃しようとするが断念

 

翌3月19日、金川真大は午前8時に起床。リビングルームに向かい、上の妹を探しましたが不在でした。金川真大は、新聞を読みながら「小学校を襲おう」と考え、決意を促すために2台持っていた携帯電話の片方に、3月17日に作成した文章をメールで送信しています。

 

金川真大はそれから、サバイバルナイフを肩にかけ、リュックに文化包丁、電気髭剃り、歯ブラシ、折りたたみ傘、懐中電灯、歯磨きガムなどを入れ、マウンテンバイクに乗って近所の小学校を目指しています。

 

ところが、自宅近くの小学校はちょうど終業式の日で、校門前には多くの大人がいました。金川真大は、これではすぐに取り押さえられてたくさんの人を殺害する事ができないと考え、小学校や中学校、高校を襲撃する計画を断念しています。

 

 

近所に住む当時72歳の三浦芳一さんを殺害

 

それから、金川真大は近所の住宅街をマウンテンバイクで走りながら、誰にも目撃されずに人を殺害できそうな家を物色しています。

 

金川真大は何件かの家を回った後、当時72歳だった三浦芳一さんの自宅のインターホンを押しました。ドアを開けた三浦芳一さんに、金川真大は「自転車のタイヤがパンクしたので手を貸して欲しい」と丁寧にお願いしてみせました。

 

三浦芳一さんは、金川真大に自転車の空気入れを貸して空気を入れる作業も手伝ったのち、空気入れを物置に戻そうと背を向けました。金川真大はその瞬間、隠し持っていた包丁を三浦芳一さんの首に突き立てました。

 

金川真大は包丁を引き抜くと、マウンテンバイクをその場に残したまま走って逃走しています。服に返り血を浴びていたため、計画を変更して1度自宅へと戻っています。

 

 

 

自宅自室の壁に不気味なマークを描いた後、秋葉原のビジネスホテルに移動

 

自宅へと戻った金川真大は、返り血を浴びた服装を着替えると、自室の壁に赤いペンで「OZ」、「死」という文字を描いています。金川真大は当初、犯行現場にこのマークを残す事を計画していましたが、動転して忘れていたため、仕方なく自室の壁に描いたという事です。

 

それから、金川真大は自宅を出て、JR荒川沖駅から常磐線で東京方面へ向かい、秋葉原の1000円カットの理髪店に入って変装のために丸坊主にしています。その後、金川真大は秋葉原のビジネスホテルにチェックインしています。

 

この時、警察は既に、現場に残されたマウンテンバイクの防犯登録などから金川真大を特定し、自宅の部屋に残された赤いマークや携帯電話に送られていた声明文などから犯人だと断定しています。

 

 

3月19日〜22日、秋葉原のホテルに潜伏しゲームなどをして過ごす

 

金川真大は、秋葉原滞在中、3月20日に電気街に行き、その日発売したニンテンドーDSソフト「ニンジャガイデンドラゴンソード」を購入し、ホテルの部屋で1日中ゲームをして過ごしています。

 

翌3月21日の午前中、母親から携帯電話に「心配しています 帰っておいで お父さんお母さんは真大の力になるから 苦しいときは頼ってきて」という文面のメールが届いています。

 

金川真大はこの母親のメールに「犯人はオレだよ 早く捕まえてごらん 警察は何しているの また犠牲者が数人増える予定だよ」と返信しています。

 

その後、金川真大は秋葉原のメイド喫茶で昼食を取ったのちホテルに戻り、その夜にテレビニュースで自分が指名手配された事を知っています。

 

 

3月23日朝まで神田のホテルに潜伏

 

金川真大は、3月22日に秋葉原のホテルをチェックアウトし、1度横浜に移動していますが、横浜のホテルが満室だったため、再び東京へと戻り、神田のホテルにチェックインしています。

 

翌3月23日の朝、午前8時頃に目を覚ました金川真大は、アニメ「プリキュア」を観た後、午前9時過ぎに神田のホテルを出て、第2の犯行場所と定めた自宅近くの荒川沖駅方面へと移動を開始しました。

 

 

3月23日、JR荒川沖駅で8人を襲撃し1人を殺害し7人に重軽傷を負わせる

 

午前11時すぎ、荒川沖駅に降りた金川真大は、まず、改札付近にいた男子高校生の首のあたりをナイフで刺しました。さらに、金川真大は続け様に、別の男子高校生、張り込み中の男性警察官、当時27歳の会社員・山上高広さん、50代男性、50代女性、60代男性、60代女性の順に手当たり次第にナイフで刺したり斬りつけたりした後、現場から逃走しています。

 

この第2の犯行の被害者うち山上高広さんが首を包丁に刺されて失血で亡くなっています。

 

 

 

交番の電話から自ら通報し現行犯逮捕

 

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現場から逃亡した金川真大は、荒川沖駅から約200メートル離れた交番に行き、警察官が不在であったため備え付けの電話で「俺が犯人です。早く来てください。犠牲者が増えますよ」と伝えています。

 

その後、駆けつけた警察官によってその場で現行犯逮捕されています。この時、金川真大は抵抗せずに大人しく取り押さえられています。

 

 

 

金川真大の生い立ち① 幼少期は海外、小学5年までは横浜で過ごす

 

出典:https://stat.ameba.jp/

 

続けて、金川真大の生い立ちについても見ていきます。

 

金川真大は1983年10月13日に生まれ、外務官僚だった父親の仕事の都合で幼少期は1歳から4代まで中国・上海で過ごし、すぐにアメリカ・ニューオーリンズへと家族で移住し、そこで6歳まで育っています。

 

帰国後は、横浜市内の公立小学校へと進学しています。小学校時代の金川真大の成績は特に良いというわけではなく平均的な学力評価だったようです。

 

 

 

金川真大の生い立ち② 家族で土浦市に移住し土浦市内の公立中学校へ進学

 

金川真大は、小学6年生の時に父親が茨城県土浦市にマイホームを購入した事から、家族で土浦市に移住し同市内の小学校へと転校しています。小学校卒業後は同市内の公立中学校に進学しています。金川真大の出身中学は「土浦第三中学校」ではないかと言われています。

 

中学時代の金川真大は、おとなしい性格ではあったものの、特に問題を起こすこともない真面目な生徒であったようです。中学2年生時の消防署の職場体験では「人を守る事の大切さを知った」、「みんなが安心して暮らせるように、いつも頑張っている人たちがたくさんいる事を知りました」など、模範的な感想文を書いています。

 

 

 

金川真大の生い立ち③ 出身高校は「霞ヶ浦高等学校」で弓道部で活動

 

中学を卒業後、金川真大は自分で進学先を選び、自宅近所の私立校「霞ヶ浦高等学校」の普通科へと進学しています。

 

高校時代の金川真大は、成績は中の中でしたが、弓道部に所属し、高校2年の時には全国大会にも出場しています。弓道部時代の評判はとても良く、当時の部活仲間からは「優等生で人の悪口を言わず、先輩から可愛がられていた」、「肘を壊してランニングをしている部員の練習に付き合うなど、面倒見の良いところがあった」などの証言が出ています。

 

ただ、付き合いは悪かったそうで、部活仲間が食事に誘っても絶対に参加しなかったのだそうです。

 

一方で、高校2年生の時には、オカルト系雑誌「ムー」を読んで、部活仲間に超常現象や超能力について熱く語ったり、「宇宙と一体になる」などと言って、瞑想や座禅に耽る姿も目撃されています。

 

また、高校2年生の11月に、父親から「子どものための哲学対話」を与えられ、後に、金川真大は、その本の内容が「土浦連続殺傷事件」を起こすに至った思想に影響を与えたと供述しています。

 

また、高校3年生の時の沖縄の修学旅行の感想文では、自分以外の人類全てに敵意をむき出しにしたような罵詈雑言を散りばめた過激な文章を書き、これが当時の担任教師に注意され書き直しさせられています。書き直し後の文章でも罵詈雑言は半分ほどにしか減りませんでしたが、金川真大は「心のままに書いただけ」と主張して、考え方を改めようとはしなかったようです。

 

 

 

金川真大の生い立ち④ 大学進学も就職活動も拒否

 

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金川真大は、帝京大学や流通経済大学に進学できる程度の学力がありましたが、進路を決める段になって「大学進学に興味がなくなった」と唐突に言い始めたようです。

 

高校の担任教師が「就職する気か?」と尋ねたところうなづいたため、教師が土浦市内の和菓子会社の就職先を探しています。

 

金川真大も当初は乗り気になり高校の同級生に「和菓子会社に就職して技術を身につけたい」と嬉しそうに話していたようです。

 

ところが、実際にこの和菓子会社に面接に行ってみると、何があったのか工場見学をさせられただけで面接は受けられずに帰されてしまったようです。何らかの理由で、和菓子屋の判断で採用が見送られ面接を行わなかったようです。しかし、金川真大は自分の意思で面接を断ったと言い張っていたと言うことです。

 

いずれにしても、金川真大はこの和菓子会社の一件によって、就職することも拒否し、挙句、高校も卒業せずに中退すると言い始めたようです。

 

この時は、同級生らの説得によって思い直し、レポートを提出して単位を取得してどうにか高校だけは卒業しています。

 

 

 

金川真大の生い立ち⑤ アルバイトをしながら自宅でゲーム三昧の生活

 

高校卒業後、金川真大は自宅に引きこもり、昼前に起床し、1日中自室でゲームをして食事を取り、0時頃に寝るという生活を送りました。

 

高校卒業後はお小遣いをもらえなくなったため、ゲームソフトを購入するために近所のハム工場や自宅近くのコンビニエンスストアでアルバイトもしています。

 

コンビニでの仕事ぶりはとても真面目だっため、店長に「右腕になってくれないか」と声をかけられた事もあったそうです。

 

ところが、金川真大は「右腕になってくれないか」と声をかけられた2日後に突然無断欠勤し、そのままコンビニのアルバイトを辞めてしまったそうです。

 

このコンビニを辞めたのが、死刑になるための殺人を具体的に計画し始めた2008年の1月16日の事だったようです。

 

そしてそのちょうど2ヶ月後に、金川真大は「土浦連続殺傷事件」を起こす事になりました。

 

 

 

金川真大の家族① 父親はノンキャリアの外務官僚

 

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金川真大が死刑になりたいからという身勝手な理由で「土浦連続殺傷事件」を起こしたのには、育った家族環境も影響しているとの見方もあります。

 

土浦連続殺傷事件について書かれた、読売新聞水戸支局取材班による書籍「死刑のための殺人」では、金川真大の家族を「砂漠のような家族」と表現しています。

 

そんな金川真大の家族についても見ていきます。

 

金川真大の父親は土浦連続殺傷事件当時59歳で、外務省に勤務し、歴史的な外交文書を取り扱う「外交資料館」で課長補佐を務めていたようです。

 

金川真大の父親は、東京都八丈島の生まれで、地元の高校を卒業した後の1970年にノンキャリアで外務省に入省しています。

 

1983年に11歳年下の金川真大の母親と結婚し、その年の10月に初めての子供である金川真大が誕生すると、父親は幼少時代から金川真大に過剰な期待をかけて育てていますが、小学3年生の頃に成績が至って平凡である事がわかると途端に息子への興味を失い、後母親に子育てを任せきりにしていたようです。

 

この父親は、息子である金川真大が無差別殺人事件を起こした後にメディアの取材を受けた際に「まだ事件を整理できていない。グローバルな視点で第三者的に分析できていない」、「(息子の金川真大が起こした事件を)自分の中でこう言う原因、結果があってこうなったと確定できていないので、過去の膨大な分析作業をし、反省して、こう言うことが起きないように、人間社会の対策になりうることを自分で分析し発表したい」などと答えています。

 

この他人事のような答えからは、とても自分の息子が何の罪もない2人の人間を殺害し、7人の人間に重軽傷を与えたという事を理解しているように思えません。

 

この父親は金川真大の裁判でも、「被告人(金川真大)にはどのような刑が相応しいと思うか」と裁判長に何度も尋ねられて、「死刑が相応しい」と即答しています。裁判長は重ねて「今回息子はたまたま間違えた、だから生きてほしいと語りかけられないのですか?本音を聞かせて欲しい」と父親に問うていますが、この父親は一貫して「死刑にすべきと思う」と答え続けました。

 

この金川真大の父親の異常性については、この事件について書かれた「死刑のための殺人」や裁判記録などを参照するとよくわかるかと思います。

 

 

 

金川真大の家族② 母親

 

金川真大の母親は「土浦連続殺傷事件」の当時48歳でした。

 

裁判で読み上げられた調書によると、金川真大の母親は、学力重視の父親とは逆に人間性や「人間としての生きる力」を伸ばす強力に力を入れていたと話しています。

 

母親によれば、金川真大が高校に上がる頃には父親には期待しなくなり、自分が金川真大を含む4人の子供たちの面倒は全て見ていたと自負しているようでした。

 

裁判の供述調書や親族の証言などから、金川真大の母親は温和で優しい人物だったようですが、その反面優しすぎたのか、学生時代の金川真大が何か問題行動を起こした時にも「聞くのは悪い」などと考えて、そっと見守る事しかしていなかったようです。

 

 

 

金川真大の家族③ 妹(長女)

 

金川真大には妹が2人います。

 

金川真大は、最初、このうちの上の妹を殺害しようと計画していました。

 

金川真大の上の姉は土浦連続殺傷事件当時22歳で、派遣会社で働きながら声優を夢見て養成所に通っていました。

 

この上の姉は他の家族との関係が非常に悪く、他の家族とは筆談で会話をしていました。特に母親のことを嫌っており、供述調書でも「母親としての義務を怠った」、「母親のことが大嫌い、一生自分の声を聞かせたくないので筆談で会話している」と供述しています。

 

ただ、意外なことに、兄の金川真大とは筆談ではなく、年に数回とはいえ実際に会話していたそうで、母親に対するような特別悪い感情は持っていなかったようです。

 

この上の妹は、金川真大が自分を殺害しようとしていた事については「憤りを感じる」とのみ答えています。

 

 

 

金川真大の家族④ 妹(次女)

 

金川真大のもう1人の妹は土浦連続殺傷事件当時20歳で、事件の2年前から東京都内で1人暮らしをしながら大学に通っていました。

 

この下の妹は、他のきょうだいを非常に嫌っており、1人暮らしを始めてからは1度も実家に帰っていませんでした。大学では翻訳家を目指して英語を専門に勉強していたようです。

 

兄の金川真大については、「辛いことがあっても乗り越えられないのは弱い人」、「甘えた人は好きになれない」としつつ、「兄は他人だから何とも思わない」と供述しています。一方で、他のきょうだいである上の妹(彼女にとっては姉)と弟については「大嫌い」と供述しています。

 

 

 

金川真大の家族⑤ 弟(次男)

 

金川真大の弟は土浦殺傷事件発生当時17歳でしたが、不登校になって高校を中退し無職でした。

 

弟はエレキギターが好きで、音楽関係の仕事に就きたいと考えていたようです。兄の金川真大とは一緒にゲームをしたりと接点があったものの、弟によると「特に仲が悪くもないし、よくもない」関係だったようです。

 

また、この弟は、家族全体についても「家族は一緒に暮らしているだけで関心はない」、「家族の誰かが死んでも寂しいとは思わない」、「今付き合っている彼女が死んだら悲しいかもしれない、家族は彼女ほど大事ではない」と供述しています。

 

こうした金川真大の母親や妹、弟たちの供述から、この家族の関係が冷え切っていた事がよく伝わってきます。父親は仕事が忙しいあまり、完全に壊れた家族の状態に気がついていなかった節があり、裁判では「ごく普通の家族だと思っていた」などと供述していました。

 

 

 

金川真大には在日韓国人という噂も

 

金川真大には在日韓国人ではないかという噂もあるようです。

 

金川真大韓国人説の根拠としては、「金」のつく苗字である事や、沖縄での修学旅行の感想文で「ただ、一つ言えるのはオレは日本人が嫌いちうことだ。黄色い猿どもがキライということなんだよ」などと書いていた事などが挙げられています。

 

金川真大韓国人説を唱える人によると、金川真大の本名は「キム・ジンデ」なのだとか。

 

ただ、金川真大の父親は外務省勤務の国家公務員であり、韓国籍であることはあり得ないので、在日韓国人ではなく帰化人ではという噂もあるようです。

 

 

金川真大の自宅の画像

 

出典:http://www.tanteifile.com/

 

金川真大の自宅は事件当時、茨城県土浦市にありました。一部のウェブメディアでは金川真大の自宅の画像がモザイクを入れられた状態で掲載されています。

 

現在も金川真大の家族がこの自宅に住んでいるのかどうかは不明です。

 

 

 

金川真大の起こした「土浦連続殺傷事件」の被害者

 

出典:https://pbs.twimg.com/

 

金川真大が「土浦連続殺傷事件」で殺害したのは、当時72歳だった三浦芳一さんと、当時27歳だった会社員の山上高広さんでした。

 

金川真大と被害者2人との間に面識はなく、金川真大による完全な無差別殺人でした。

 

亡くなった2人の他にも、重軽傷を負わされた7人の被害者が出ていますが、こちらの被害者の方々の実名は公開されていません。

 

 

 

金川真大の死刑執行時の最期の言葉や最期の様子

 

金川真大の死刑執行時の最後の言葉は公開されていませんが、死刑判決を受けた後、読売新聞水戸支局の取材を受けた際に放った最後の言葉は「完全勝利って感じですね」だったそうです。

 

金川真大は、逮捕後、拘置所で何度もメディアの取材を受けていますが、その時から一貫して「早く死刑にしろ」と言い続けており、裁判での死刑判決は金川にとって望みが叶った瞬間だったという事だったようです。

 

金川真大は2013年2月21日に東京拘置所で死刑執行されていますが、死刑執行までの最期の時間、金川真大は独房の中で、ゲーム雑誌やエロ漫画雑誌を読んだり、エヴァンゲリヲンやジブリ作品などのアニメ作品のビデオを見たりして過ごしていたという事です。

 

 

 

まとめ

 

今回は、2008年3月に発生した「土浦連続殺傷事件」の犯人の金川真大についてまとめてみました。

 

金川真大は、外務省勤務の父親と、専業主婦の母親、妹2人と弟の6人家族で育った生い立ちを持ちます。

 

金川真大は、小学校と中学校、高校の途中まではおとなしいながらも特に問題を起こす事はありませんでしたが、高校3年生の時に修学旅行の感想文で、人類全体に対する罵詈雑言を書き連ねた文章を書くなど様子がおかしくなり、大学進学も就職もしないと言い始めて、高校卒業後に自宅に引きこもって毎日ゲームをして過ごすようになりました。

 

そして、引きこもり6年目の24歳の時に死にたいので死刑になろうと考えるに至り、「土浦連続殺傷事件」を起こして無差別に2人を殺害し、7人に重軽傷を負わせました。

 

金川真大は逮捕後や裁判でも一貫して死刑になりたいと主張し続け、死刑判決を言い渡されたときの最期の言葉は「完全勝利」だったそうです。死刑執行時の最期の言葉や様子などは伝わっていませんが、死刑執行を待つ間の金川真大は独房でゲーム雑誌やエロ漫画雑誌を読み耽ったり、アニメのビデオを見たりして平然と過ごしていたようです。

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