「日本赤軍」は“日本赤軍事件”と呼ばれる様々な武装闘争事件を起こした日本の新左翼系の国際極左テロ組織です。
今回は「日本赤軍」の主要メンバー25人をリストアップし、関与した事件やその後・現在をまとめました。
この記事の目次
- 日本赤軍とは
- 日本赤軍のメンバーの現在① 重信房子
- 日本赤軍のメンバーの現在② 奥平剛士
- 日本赤軍のメンバーの現在③ 丸岡修
- 日本赤軍のメンバーの現在④ 和光晴生
- 日本赤軍のメンバーの現在⑤ 奥平純三
- 日本赤軍のメンバーの現在⑥ 岡本公三
- 日本赤軍のメンバーの現在⑦ 西川純
- 日本赤軍のメンバーの現在⑧ 日高敏彦
- 日本赤軍のメンバーの現在⑨ 坂東國男
- 日本赤軍のメンバーの現在⑩ 安田安之
- 日本赤軍のメンバーの現在⑪ 佐々木規夫
- 日本赤軍のメンバーの現在⑫ 大道寺あや子
- 日本赤軍のメンバーの現在⑬ 浴田由紀子
- 日本赤軍のメンバーの現在⑭ 泉水博
- 日本赤軍のメンバーの現在⑮ 松田久
- 日本赤軍のメンバーの現在⑯ 檜森孝雄
- 日本赤軍のメンバーの現在⑰ 城崎勉
- 日本赤軍のメンバーの現在⑱ 足立正生
- 日本赤軍のメンバーの現在⑲ 仁平映
- 日本赤軍のメンバーの現在⑳ 戸平和夫
- 日本赤軍のメンバーの現在㉑ 山田義昭
- 日本赤軍のメンバーの現在㉒ 山本万里子
- 日本赤軍のメンバーの現在㉓ 吉村和江
- 日本赤軍のメンバーの現在㉔ 山田修
- 日本赤軍のメンバーの現在㉕ 菊村憂
- まとめ
日本赤軍とは
プロフィール
名称: 日本赤軍
略称: JRA(Japanese Red Army)
設立: 1971年2月(アラブ赤軍)
設立者: 重信房子、奥平剛士
解散: 2001年4月
種類: 共産主義武装組織
目的: 「世界革命」の実現
本部: パレスチナ、ベッカー高原
会長: 重信房子(最高指導者)
関連組織:
・パレスチナ解放人民戦線
・ドイツ赤軍
・共産主義者同盟赤軍派
「日本赤軍」は、日本革命を世界革命の一環と位置付け、1970年代から1980年代にかけ、日本赤軍事件と呼ばれる様々な武装闘争事件を起こした、日本の新左翼系の国際極左テロ組織です。
1971年、共産主義者同盟赤軍派の重信房子と奥平剛士らによって結成され、組織としては2001年に重信自身が獄中から解散を宣言をするまで存在したとされています。
今回は、そんな日本赤軍の主要メンバー25人をリストアップし、日本赤軍への参加から現在の状況までをまとめてみました。
日本赤軍のメンバーの現在① 重信房子
プロフィール
・名前: 重信 房子(しげのぶ ふさこ)
・通称: フーちゃん、フーさん
・生年月日: 1945年9月28日
・出生地: 東京都世田谷区
・活動: ハーグ事件
・所属:
・第二次共産主義者同盟(1966-1969)
・関西派
・共産主義者同盟赤軍派 (1969-1971)
・赤軍派アラブ委員会(1971-改称)
・日本赤軍(1974-2001)
・立場: 最高幹部、政治委員
・投獄: 東日本成人矯正医療センター
・裁判: 懲役20年(服役中)
・刑期満了予定:2027年
重信房子は、奥平剛士らとパレスチナで日本赤軍を結成しました。創設当初はその名称すら定まっていませんでしたが、1974年以降は「日本赤軍」を正式名称としました。
1974年9月13日、日本赤軍がフランス当局に逮捕された山田義昭を奪還するために、後に「ハーグ事件」と呼ばれる、フランス大使館占拠事件を起こしました。
重信房子はこの事件に関与したとして、逮捕監禁罪・殺人未遂罪などでの共謀共同正犯で国際手配を受けるも逃亡を続けます。
そして、ハーグ事件から26年後、潜伏していた大阪府高槻市で旅券法違反容疑で逮捕されました。
出典:http://www.aflo.com/
裁判で検察は無期懲役を求刑するのですが、懲役20年の判決が言い渡されています。なお、判決理由は次の通り。
「自らの主義や主張を絶対視し、多数の生命、身体への危険を意に介さない身勝手な犯行であり、真摯な反省がみられない」としたが、一方で「犯行の重要事項については実行犯の和光晴生が決定しており、被告は中核的立場を担ったものの犯行を主導したと断言できない」
引用:重信房子 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/
そんな重信房子は2001年には獄中から、組織として事実上崩壊していた日本赤軍の解散を発表しています。
なお、重信房子は現在も、東日本成人矯正医療センターにて服役中のようです。
日本赤軍のメンバーの現在② 奥平剛士
プロフィール
・名前: 奥平 剛士(おくだいら つよし)
・生年月日: 1945年7月21日
・没年月日: 1972年5月30日
・出生地: 山口県下関市
・出身: 京大パルチザン
・活動:
・テルアビブ空港乱射事件
・所属: 日本赤軍創設メンバー
・立場: 最高幹部、軍事委員
・弟: 奥平純三
奥平剛士は、1964年に京都大学工学部に入学すると、同大助手だった滝田修氏のパルチザン構想に影響を受けています。
1971年には赤軍派の重信房子と偽装結婚し、レバノンのベイルートへ出国すると、パレスチナで日本赤軍を結成しました。
1972年5月には岡本公三や安田安之らとともに、テルアビブ空港乱射事件を起こします。
26人を殺害し、73人に重軽傷を負わせ、空港警備隊員との銃撃戦の末に射殺されたとも、安田安之とともに自殺したとも言われていますが、詳細は不明です。
没後の1978年、遺文集「天よ、我に仕事を与えよ」が出版されています。
日本赤軍のメンバーの現在③ 丸岡修
プロフィール
・名前: 丸岡 修(まるおか おさむ)
・生年月日: 1950年10月20日
・没年月日: 2011年5月29日
・出生地: 徳島県
・出身: 浪共闘及びベ平連
・活動:
・ドバイ日航機ハイジャック事件
・クアラルンプール事件
・ダッカ日航機ハイジャック事件
・日本赤軍参加: 1972年
・立場: 軍事委員
・現在: 無期懲役で投獄中に獄中死
丸岡修は、大阪府立清水谷高校入学後、ベトナム戦争に疑問を持ち、日本民主青年同盟や「ベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)」で市民活動家として活動していました。
高校卒業後の1972年、檜森孝雄らの勧誘で同年4月に日本を出国、テルアビブ空港乱射事件の犯人らとアラブ・ゲリラの訓練所で軍事訓練を受けた後に所在が分からなくなっていました。
その後は、日本赤軍メンバーとして、1973年のドバイ日航機ハイジャック事件や1977年のダッカ日航機ハイジャック事件などに関与したとして国際手配を受けた丸岡修。
1987年11月21日、東京で他人名義の偽造旅券を所持していたことで逮捕されました。
裁判では、ドバイ・ダッカでのハイジャック事件に対するハイジャック防止法違反と、偽造旅券で帰国したことによる旅券法違反の罪に問われ、1993年12月、無期懲役の判決を受けました。
宮城刑務所で服役中だった2004年、拡張型心筋症と診断されて車椅子生活を余儀なくされた丸岡修。
投薬治療は受けられたものの、十分な治療が受けられず、2011年5月29日、収監先の八王子医療刑務所にて心臓病により死去しています。享年60歳でした。
日本赤軍のメンバーの現在④ 和光晴生
プロフィール
・名前: 和光 晴生(わこう はるお)
・生年月日: 1948年6月12日
・出生地: 宮城県仙台市
・活動:
・シンガポールシェル石油精油所爆破事件
・ハーグ事件
・クアラルンプール事件
・所属:
・パレスチナ解放人民戦線
・日本赤軍(1973年 – )
・立場: 軍事委員
・投獄: 徳島刑務所
・裁判: 無期懲役(上告棄却)
和光晴生は1973年9月、日本赤軍に参加すると、1974年のシンガポール事件、ハーグ事件、1975年のクアラルンプール事件に参加しています。
その後、日本赤軍幹部が取り入れた「自己批判・相互批判による思想闘争」や、パレスチナにありながら世界を相手にしたテロ行為を繰り返していた日本赤軍に不満を持つようになり、脱退。
その後、パレスチナ人民解放軍に加わりました。
1997年、レバノンで偽造旅券・不法入国などの罪で起訴された和光晴生は、禁固刑の執行後に国外追放され、日本に移送されました。
日本では、ハーグ事件、クアラルンプール事件について、逮捕監禁罪・殺人未遂罪で起訴されると第一審で無期懲役が下されました。
その後、控訴や上告も棄却され、2009年10月無期懲役が確定しています。
日本赤軍のメンバーの現在⑤ 奥平純三
プロフィール
・名前: 奥平 純三(おくだいら じゅんぞう)
・生年月日: 1949年2月9日
・出生地: 山口県下関市
・出身: 京大パルチザン
・活動:
・ハーグ事件
・クアラルンプール事件
・ローマ事件
・日本赤軍参加: 1974年
・立場: 軍事委員
・現在: 国外逃亡(国際手配)中
・兄: 奥平剛士
1969年に京都大学工学部に入学後、パルチザングループに所属した奥平純三は、1973年大学卒業後に建設会社に勤務するも、1974年5月に偽造旅券で出国して日本赤軍に参加しています。
1974年9月に和光晴生らとともにハーグ事件に参加すると、1975年にはクアラルンプール事件にも関わっています。
1976年、ヨルダン入国の際の偽造旅券容疑で日高敏彦とともに逮捕、日本に移送されますが、1977年のダッカ日航機ハイジャック事件により、超法規的措置で釈放され再び出国しています。
その後の足取りは不明になっている奥平純三。
1987年6月9日、ベネチア・サミット開催中にローマのアメリカ大使館とイギリス大使館にロケット弾が発射され、カナダ大使館で車が爆破されたローマ事件が起こります。
その犯行に使用されたと見られるレンタカーから、奥平純三の指紋が検出され、後にイタリア公安当局から奥平純三の犯行と断定されています。
そんな奥平純三は、現在も国際手配されていますが、その生死すら不明のようです。
日本赤軍のメンバーの現在⑥ 岡本公三
プロフィール
・名前: 岡本 公三(おかもと こうぞう)
・生年月日: 1947年12月7日
・出生地: 熊本県葦北郡芦北町
・出身: 赤バス隊
・活動:
・テルアビブ空港乱射事件
・日本赤軍参加: 1972年
・現在: 国外逃亡(国際手配)中
・兄: 岡本武(よど号グループ)
岡本公三は、1968年に鹿児島大学農学部に入学しますが、1971年に鹿児島大学で上映された若松孝二・足立正生監督の映画「赤軍-PFLP・世界戦争宣言」に共鳴。
上映運動を展開する「赤バス隊」に参加すると、1972年3月には日本赤軍に参加しています。
1972年5月30日に奥平剛士と安田安之と共に、テルアビブ空港乱射事件を起こし、26人を殺害して逮捕され、同年7月にはイスラエルで裁判にかけられました。
一度は終身刑が確定して服役していたのですが、イスラエルとパレスチナ解放人民戦線との間で行われた捕虜交換により釈放され、その後、再び日本赤軍に合流しています。
そんな岡本公三は現在、パレスチナ解放人民戦線、ヒズボラなどイスラエルと敵対する勢力の庇護を受けて、レバノンのベイルート近郊のアパートで暮らしているようです。
日本赤軍のメンバーの現在⑦ 西川純
プロフィール
・名前: 西川 純(にしかわ じゅん)
・生年月日: 1950年8月8日
・活動:
・ハーグ事件
・ダッカ日航機ハイジャック事件
・日本赤軍参加: 1973年
・立場: 軍事委員
・投獄: 熊本刑務所
・裁判: 無期懲役
西川純は1974年9月13日、奥平純三とともにハーグ事件に参加し、1975年に逮捕されますが、同年に起こったクアラルンプール事件で超法規的措置で釈放され出国しています。
その後、1977年9月28日のダッカ日航機ハイジャック事件にも関与し、国際手配されますが、1997年11月にボリビアで退国処分を受け、日本に帰国。新東京国際空港で逮捕されています。
その後、ハーグ事件、ダッカ日航機ハイジャック事件で起訴された西川純は、2007年3月、無期懲役が言い渡され、2011年9月には確定。
現在、熊本刑務所に収監されているようです。
日本赤軍のメンバーの現在⑧ 日高敏彦
プロフィール
・名前: 日高敏彦(ひだか としひこ)
・生年: 1944年
・没年月日: 1976年10月2日
・出生地: 韓国釜山
・活動: クアラルンプール事件
・日本赤軍参加: 1971年
・現在: ヨルダンで逮捕後に自殺
釜山出身の日高敏彦は、幼少期、共産党員だった父と叔父に入ったガサ入れを目の当たりにし、強烈な印象を受けたと言います。
大阪市立大学理学部を卒業後、日本高周波K.Kでエンジニアとして働きながら、左翼活動をしていましたが、1970年春闘後、会合の席で社長を殴打し、日本高周波K.Kを退職しました。
その後、1971年5月にソ連戦で出国した日高敏彦は、日本赤軍に参加すると、1975年8月のクアラルンプール事件に関与しました。
1976年9月、偽造旅券でヨルダンに入国しようとして、奥平純三とともに逮捕され、1976年10月2日、取調べを受けていた署内のトイレで首吊り自殺をしています。享年31歳でした。
なお、日高敏彦の死に関しては、遺族や日本赤軍関係者の中には、ヨルダン当局による拷問によって死亡したと主張する者もいたようです。
しかし、日本の警察はそんな遺族の訴えを退けて、司法解剖を拒否し、そのまま火葬されたと言います。
日本赤軍のメンバーの現在⑨ 坂東國男
プロフィール
・名前: 坂東國男(ばんどう くにお)
・生年月日: 1947年1月10日
・出生地: 滋賀県大津市
・出身:
・共産主義者同盟赤軍派
・連合赤軍
・赤軍派プロ革派
・活動:
・山岳ベース
・あさま山荘事件
・ダッカ日航機ハイジャック事件
・日本赤軍参加: 1975年
・立場: 幹部
・現在: 国外逃亡(国際手配)中
坂東國男は、1971年代に赤軍派の坂東隊として、植垣康博、山崎順らを率いて“M作戦”と名付けられた銀行強盗を敢行しました。
その後、連合赤軍幹部として山岳ベース事件に関与した坂東國男は、1972年2月19日に仲間4人とともに「あさま山荘事件」を起こし、2月28日に逮捕されています。
ちなみに、あさま山荘事件を起こした5人の犯人の中で、坂東國男が唯一の赤軍派出身者でした。
その後の取り調べでは、40日間黙秘を貫いていましたが、事件中に自殺した父親の位牌を見せられると陥落。事件に関する供述を始めたと言います。
しかし、1975年に起きた日本赤軍によるクアラルンプール事件で超法規的措置により釈放・国外脱出した坂東國男は、その後日本赤軍に参加しています。
日本赤軍参加後は、最高幹部である重信房子の側近として活動していた時期もあったようです。
ですが、その重信房子が2001年に獄中より、日本赤軍の解散を宣言した際には、その直後に大道寺あや子とともに「日本赤軍解散宣言無効宣言」を表明しています。
現在も連合赤軍事件だけでなく、日本赤軍としてダッカ日航機ハイジャック事件に関与した罪も加わり、警察庁から指名手配中であると同時に、国際指名手配されています。
ただ、現在の消息はもちろん、その生死すら不明のようです。
日本赤軍のメンバーの現在⑩ 安田安之
プロフィール
・名前: 安田 安之(やすだ やすゆき)
・生年月日: 不明
・出生地: 三重県北勢町
・出身: 京大パルチザン
・活動: テルアビブ空港乱射事件
・日本赤軍参加: 1971年
・現在: テルアビブ空港乱射事件で死亡(享年26歳)
京大工学部に入学後、建築学を学んでいた安田安之は、「武装したパルチザン(遊撃隊)の組織をつくれ!」と主張していた京大経済学部助手・竹本信弘(滝田修)に心酔。
そして、そのパルチザンの行動隊長が奥平剛士で、安田安之は仲間内では「根性ある実力者」として奥平とともに評価されていたそうです。
1971年9月、実家に戻った安田は、両親に「建築の勉強のためにヨーロッパをまわりたい」と相談、25万円を無心した。海外生活を心配した母親はさらに内緒で15万円を持たせると、「ありがとう。大切に使うからね」と言った。
両親が息子のゲリラとしての顔を知るのは1972年5月、テルアビブ事件後のことだった。
引用:日本赤軍事件 http://yabusaka.moo.jp/
日本赤軍のメンバーの現在⑪ 佐々木規夫
プロフィール
・名前: 佐々木規夫(ささき のりお)
・生年月日: 1948年8月27日
・出生地: 北海道小樽市
・出身: 東アジア反日武装戦線
・活動:
・ダッカ日航機ハイジャック事件
・三井物産マニラ支店長誘拐事件
・日本赤軍参加: 1975年
・現在: 国外逃亡(国際手配)中
1974年、大道寺将司から「狼」に勧誘されて非合法活動に参加すると、部隊の一員として三菱重工爆破事件などの連続企業爆破事件に関与しました。
1975年5月に逮捕されるのですが、同年8月に起きた日本赤軍によるクアラルンプール事件で、超法規的措置で釈放・出国し、その後日本赤軍に合流しました。
その後は、ダッカ日航機ハイジャック事件、三井物産マニラ支店長誘拐事件にも関与したとされており、現在も国際手配中です。
日本赤軍のメンバーの現在⑫ 大道寺あや子
プロフィール
・名前: 大道寺 あや子(だいどうじ あやこ)
・旧姓: 駒沢
・生年月日: 1948年10月20日
・出身: 東アジア反日武装戦線
・活動:
・連続企業爆破事件
・日本赤軍参加: 1977年
・現在: 国外逃亡(国際手配)中
東アジア反日武装戦線に参加していた大道寺あや子は、「狼」班に所属し、三菱重工爆破事件などの連続企業爆破事件を起こしています。
1975年5月19日、大道寺あや子は爆発物取締罰則違反で逮捕されるも、1977年、日本赤軍によるダッカ日航機ハイジャック事件で、超法規的措置で釈放・出国し、現在も国際手配中です。
なお、2001年に獄中から日本赤軍の解散を宣言した重信房子に対し、南米から坂東國男とともに「日本赤軍解散宣言無効宣言」を発表しています。
日本赤軍のメンバーの現在⑬ 浴田由紀子
プロフィール
・名前: 浴田 由紀子(えきだ ゆきこ)
・生年月日: 1950年12月19日
・出生地: 山口県長門市
・出身: 東アジア反日武装戦線
・活動: 連続企業爆破事件
・日本赤軍参加: 1977年
・投獄: 栃木刑務所→東京拘置所
・裁判: 懲役20年
・現在: 刑期満了により釈放(2017年3月23日)
東アジア反日武装戦線の「大地の牙」に所属していた浴田由紀子。
1974年10月14日の三井物産爆破事件で爆弾を設置するなど、「大地の牙」部隊が起こした連続企業爆破事件の犯行に関わったとされ、1975年5月19日に逮捕されました。
しかし、1977年のダッカ日航機ハイジャック事件で、日本赤軍の要求に基づき超法規的措置で釈放された浴田由紀子は、その後逃亡し、日本赤軍に加入しています。
1995年、ルーマニアに日系ペルー人を装って入国し、潜伏活動していたところ身柄を拘束され、偽造有印私文書行使の容疑で国外退去となり、日本へ向かう飛行機内で逮捕されました。
2002年7月4日、東京地方裁判所にて懲役20年の判決が下されて服役し、2017年3月23日に刑期満了で釈放されています。
日本赤軍のメンバーの現在⑭ 泉水博
プロフィール
・名前: 泉水博(せんすい ひろし)
・生年: 1930年代
・没年月日: 2020年3月27日
・出生地: 千葉県木更津市
・出身: 統一獄中者組合
・日本赤軍参加: 1977年(服役中)
・投獄: 岐阜刑務所
・裁判: 無期懲役
・現在: 獄中死(83歳)
泉水博は、1960年、仲間と2人で会社重役夫人を刺殺して逮捕され、無期懲役が確定し千葉刑務所で服役していました。
模範囚で仮釈放目前でしたが、同じ刑務所の囚人が病気で吐血して苦しんでいるのを見て、看守を人質にとって、医者に見せろと要求。
この行動が口コミで広がり、後の獄中者組合の結成に繋がることになります。
そして、1977年9月28日に起きたダッカ日航機ハイジャック事件で、獄中者組合の結成が反体制行動としてハイジャック犯側に評価され、釈放要求リストに指名されることに。
その後、超法規的措置によって釈放された泉水博は、日本赤軍に参加。その後、国際手配されました。
釈放から9年後の1986年6月7日、フィリピンで旅券法違反で逮捕され、日本へ送還・拘留された泉水博は、2020年3月22日、服役していた岐阜刑務所内で心肺停止の状態で見つかります。
病院に搬送されるも、27日に死亡が確認されました。
日本赤軍のメンバーの現在⑮ 松田久
プロフィール
・名前: 松田久(まつだ ひさし)
・生年月日: 1948年8月30日
・出身: 赤軍派
・日本赤軍参加: 1975年
・現在: 国外逃亡(国際手配)中
松田久は、赤軍派のメンバーとして1971年3月の“M作戦”と名付けられた横浜銀行への銀行強盗の実行犯として逮捕され、懲役8年10ヶ月が確定し、宮城刑務所に収監されていました。
しかし、1975年8月に日本赤軍が起こしたクアラルンプール事件で釈放要求リストの1人に選ばれ、超法規的措置で釈放され国外へ逃亡しました。
その後、国際手配されていますが、現在も消息はおろか生死すら不明のようです。
日本赤軍のメンバーの現在⑯ 檜森孝雄
プロフィール
・名前: 檜森 孝雄(ひもり たかお)
・生年: 1947年
・没年月日: 2002年3月30日
・出身: 京大パルチザン
・日本赤軍参加: 1971年
・立場: 国内での後方支援活動
・現在: 2002年に焼身自殺(享年54歳)
檜森孝雄は1971年にレバノンに渡り、日本赤軍に参加しました。
テルアビブ事件に向けて厳しい訓練を積んでいたところ、メンバーの山田修が訓練中の事故により溺死したことで、遺体を日本へ帰すべく一緒に帰国しています。
1972年に京都で逮捕され、その後は国内で支援活動を行っていました。
2002年3月30日、イスラエル軍によるパレスチナ民衆虐殺に抗議し、日比谷公園の「かもめの広場」にて、自らガソリンをかぶり焼身自殺を遂げています。
日本赤軍のメンバーの現在⑰ 城崎勉
プロフィール
・名前: 城崎 勉(しろさき つとむ)
・生年月日: 1947年12月5日
・出生地: 富山県下新川郡入善町
・出身: 赤軍派
・活動:ジャカルタ事件
・日本赤軍参加: 1977年
・裁判: 懲役12年(控訴中)
城崎勉は、徳島大学中退後、共産同赤軍派に参加し、「M作戦」に関与したとして、1971年に逮捕され、懲役10年が確定していました。
しかし、1977年にダッカ日航機ハイジャック事件で超法規的措置で釈放。
その後、日本赤軍に参加したとされていますが、本人は否定しており、日本赤軍からの生活費の支援は受けつつも加入はしておらず、パレスチナ解放人民戦線に加入したと主張していました。
さらにその後、成田空港内で、ジャカルタ事件に関与したとして、殺人未遂などの容疑で逮捕され、2016年に東京地裁で懲役12年の判決が言い渡されましたが、現在控訴中のようです。
日本赤軍のメンバーの現在⑱ 足立正生
プロフィール
・名前: 足立 正生(あだち まさお)
・生年月日: 1939年5月13日
・出生地: 福岡県北九州市
・日本赤軍参加: 1974年
・立場: 政治委員
・職業: 映画監督、脚本家、俳優
・所属: 若松プロダクション
足立正生は、1969年に若松プロダクション製作の「女学生ゲリラ」を監督すると、1971年、若松孝二とともにパレスチナへ渡り、1974年、日本赤軍に合流して国際手配となりました。
1997年、レバノンで逮捕された足立正生は、3年間の禁錮刑を経て日本へ強制送還され、その後は日本で映画監督や脚本家、俳優として活動しています。
日本赤軍のメンバーの現在⑲ 仁平映
プロフィール
・名前: 仁平 映(にへい あきら)
・生年月日: 1946年3月1日
・出生地: 東京都立川市
・出身: 統一獄中者組合
・日本赤軍参加: 1977年
・現在: 国外逃亡(国際手配)中
仁平映は1976年、台東区清川の路上で見知らぬ44歳男性と口論となり殺害。その後、懲役10年の判決を受けていました。
しかし控訴中、ダッカ日航機ハイジャック事件が起こり、日本赤軍とは関係なかったものの、かつて刑務所内での獄中者組合の行動が反体制行動と評価され、釈放要求リストに入りました。
その後、超法規的措置によって釈放・出国し、日本赤軍に参加。
現在も国外逃亡中であり、国際手配されていますが、消息は不明です。
日本赤軍のメンバーの現在⑳ 戸平和夫
プロフィール
・名前: 戸平 和夫(とひら かずお)
・出生地: 兵庫県神戸市
・出身: 赤軍派
・日本赤軍参加: 1975年
・立場: 軍事委員
・裁判: 懲役2年6ヶ月
・現在: 2003年5月満期出所
高校時代に共産主義者同盟赤軍派に参加した戸平和夫は、1975年3月に西川純とともに旅券法違反でスウェーデンで逮捕され、日本に強制送還されました。
しかし、1975年7月のクアラルンプール事件で超法規的措置で釈放・出国していました。
1997年2月15日、レバノン当局に身柄を拘束された戸平和夫は、その後、旅券偽造と不法入国で禁固3年の判決を受けて服役。
2000年の刑期満了後に国外退去処分を受け、強制送還された日本で逮捕され、2002年9月に懲役2年6ヶ月の実刑判決が確定するも、2003年5月には満期出所しているようです。
日本赤軍のメンバーの現在㉑ 山田義昭
プロフィール
・名前: 山田 義昭(やまだ よしあき)
・生年月日: 1949年1月1日
・出生地: 富山県東礪波郡平村
・活動:
・シンガポール事件(疑い)
・クアラルンプール事件(疑い)
・日本赤軍参加: 1973年
・立場: 軍事委員
・裁判: 懲役1年4ヶ月
・現在: 刑期満了により出所
山田義昭は、1973年6月、パリに行った際に日本赤軍に参加しています。
1974年にはシンガポール事件に参加、同年7月26日、パリ・オルリー空港で、偽造旅券4通と偽ドル所持のためにフランスの警察に逮捕されました。
なお、その際の供述から、西ドイツ・デュッセルドルフの日本総合商社支店長を身代金目的で誘拐する計画が発覚。
このままだと山田義昭に組織全容を自白されると考えた日本赤軍は、ハーグ事件を起こし、山田は超法規的措置で釈放され、そのまま逃亡していました。
しかし1986年2月、「体力的にやっていけなくなった」と警視庁に出頭し逮捕され、その後、懲役1年4ヶ月が確定し、現在は刑期満了により出所しています。
日本赤軍のメンバーの現在㉒ 山本万里子
プロフィール
・名前: 山本万里子(やまもと まりこ)
・生年: 1940年
・日本赤軍参加: 1974年
・立場: 兵站委員
・裁判: 懲役2年6ヶ月・執行猶予5年
日本赤軍のメンバー山本万里子は、日系百貨店のパリ支店に勤務しながら、高橋武智らとともにヨーロッパでの協力者として日系商社社員誘拐計画に関与し、主に連絡役を担っていました。
その後、旅券法違反などの容疑で逮捕・起訴され、東京地裁により懲役2年6ヶ月、執行猶予5年の有罪判決を受けていました。
そして、まだ執行猶予中の身だった2005年1月25日、東京都板橋区の大型スーパーで約1,200円相当の「さきイカ」を万引きして逮捕され、話題になりました。
なお、山本万里子は板橋区内のアパートで独り暮らしをしていたようですが、あろうことか生活保護を受けていたことまで明らかになっています。
日本赤軍のメンバーの現在㉓ 吉村和江
プロフィール
・名前: 吉村 和江(よしむら かずえ)
・出生地: 東京都
・出身: 労働者共産主義委員会(怒涛派)
・活動: クアラルンプール事件
・日本赤軍参加: 1971年
・立場: 政治委員
青山学院大時代は共産同怒涛派に参加していたという吉村和江は、1971年にレバノンへ出国し、日本赤軍に参加しています。
日本赤軍加入後は、政治委員として活動し、軍事委員へ指令を伝える役割を担っていたようですが、1996年にペルーで逮捕されています。
日本赤軍のメンバーの現在㉔ 山田修
山田修は、奥平純三に誘われて日本赤軍に参加した京大生でした。
日本赤軍の軍事訓練は、主にパレスチナ解放人民戦線の下で行っており、実物の武器や弾薬を使用した本格的なもので、過酷を極めたと言います。
山田修は1972年、水泳訓練中に溺死しています。
なお、プロフィールに掲載した画像は、そんな山田修の遺体を日本に連れて帰ってきた檜森孝雄です。
日本赤軍のメンバーの現在㉕ 菊村憂
プロフィール
・名前: 菊村 憂(きくむら ゆう)
・生年: 1947年
・出生地: 宮崎県
・日本赤軍参加: 不明
・立場: 爆弾製造技術を教えていた
・裁判: 懲役2年・執行猶予4年
・備考: 日本赤軍の正式メンバーか不明
菊村憂は、1980年代に日本赤軍の拠点、レバノン・ベカー高原で軍事訓練を受けたことが分かっていますが、一説では爆弾製造技術があり、その技術を教える立場だったと言われています。
1988年4月12日、米ニュージャージー・ターンパイク有料高速道路のサービスエリアで、火薬を詰めた18インチのパイプ爆弾3本を隠し持っていたところを逮捕されました。
1988年11月に有罪宣告が下り、懲役262ヶ月(21年10ヶ月)の判決を受けた菊村憂。
2007年4月18日まで、コロラド州フローレンスにある最厳重警備の連邦刑務所、ADXフローレンスで服役しました。
2007年、刑期を終え出所した菊村憂は、米国の国内法に基づき日本に強制送還されると、日本の警察は帰国直後の菊村憂を、偽造有印公文書行使の容疑で逮捕。
その後、懲役2年執行猶予4年の有罪判決を受けています。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
1970年代から1980年代にかけて、世界を舞台に様々な武装闘争事件を起こした日本の新左翼系の国際極左テロ組織「日本赤軍」。
主要メンバー25人の中には既に死亡している人物も多いですが、生死すら不明な人物もいます。
今後、新たな事件が起きないことを祈るばかりです。