ロス疑惑の真相と現在!真犯人の三浦和義と家族・三浦良枝や矢沢美智子との関係などわかりやすく解説

米国ロサンゼルスで起きたロス疑惑の真犯人と言われる三浦和義ですが、女性関係や家族も話題です。

 

今回は三浦和義の元女優の伯母など家族、三浦良枝や矢沢美智子との関係、事件の経緯や真相、その後や現在をわかりやすく解説します。 

 

ロス疑惑の容疑者・三浦和義のプロフィール

 

本名: 三浦和義(みうら かずよし)

生年月日:1947年7月27日

没年月日:2008年10月11日

出身:山梨県

身長:181cm

体重:78kg

職業:実業家、俳優、タレント

 

三浦和義は「ロス疑惑」の容疑者として日米で逮捕された人物です。

 

”キングカズ”こと日本サッカー界のレジェンドである三浦知良選手と同姓同名(漢字は異なる)だったため、事件から時が経っても注目を集めました。

 

 

ロス疑惑とは

出典:youtube.com

 

ロス疑惑とは、1981年から82年にアメリカ・ロサンゼルスで、三浦和義とその妻・三浦一美さんが襲撃されますが、保険金目当てで三浦和義が自作自演した疑惑が浮上した一連の事件です。

 

日本に帰国した三浦和義は、妻の三浦一美さんが殴打されて負傷した事件を自作自演したとして罪に問われましたが、銃撃事件については証拠が上がらずに嫌疑不十分で無罪となりました。 

 

この事件が特別注目を集めた理由として、三浦和義の親族が有名人だったこと、そして容疑者であるにもかかわらず、三浦和義が積極的にメディアに出演して持論を展開していたためです。

 

1985年に三浦和義は逮捕されて拘置所に入りましたが、1998年に銃撃事件の無罪が確定するまでおよそ13年間獄中生活を送りました。 

 

三浦和義は出獄して約10年後、再婚した妻とともにサイパンに旅行に行きます。

 

そこで待ち構えていたアメリカの捜査当局により再び逮捕され、ロサンゼルスに移送されました。

 

そして、拘置所に入れられた翌日、自殺したのです。

 

 

 

 

ロス疑惑の容疑者・三浦和義は家族や親族が話題に 【叔母は女優】

 

三浦和義はとても特殊な家庭で育ちました。また、親戚にも有名人がいたことで注目を集めたのです。

 

ここからは、三浦和義の家族や親族を紹介していきます。

 

 

三浦和義の父親はエリート土木技師

 

 

三浦和義の父親は土木技師だったとされていますが、現場作業員ではなく、準大手ゼネコン会社の取締役を務めていたエリートだったと言われています。 

 

そのため、三浦和義は比較的裕福な家庭で育ったとみられています。

 

ただ、父親は仕事で多忙であり、家を不在にしがちだったことや、三浦和義が小学校時代に3度も引っ越しをしていることから、転勤族だったという情報もあります。 

 

 

三浦和義の母親は料亭の娘

 

三浦和義の母親は料亭の娘だったと言われており、エリートの父親に似つかわしい、ある程度裕福な家庭の出身のようです。

 

この料亭は、旦那の義妹である水の江瀧子さんのパトロンと報道されたこともあるようで、このことから三浦和義の実家は相当なお金持ちだったとみていいでしょう。

 

三浦和義の母親は第二次世界大戦中に山梨県の山奥に疎開し、そこで三浦和義を出産しました。 

 

 

三浦和義の叔母は元女優&映画プロデューサーの水の江瀧子

 

 

三浦和義の父親の妹にあたる水の江瀧子さんは、 東京松竹楽劇部に所属した元女優であり、敏腕の女性映画プロデューサーでもあります。

 

1928年に東京松竹楽劇部(後の松竹少女歌劇部、松竹歌劇団)に第1期生として入団。日本の女性歌劇史上初めて男性様に断髪した男役で「男装の麗人」の異名を取り、「ターキー」の愛称と共に1930年代から1940年代にかけて国民的人気を博した。

1942年の松竹退団後は劇団主宰、映画女優などを経て1955年に日活とプロデューサー契約。日本初の女性映画プロデューサーとなり、石原裕次郎を筆頭に、浅丘ルリ子、長門裕之、岡田真澄、和泉雅子、赤木圭一郎ら数々の俳優や、中平康、蔵原惟繕といった監督を発掘・育成し、『太陽の季節』、『狂った果実』など70本以上の映画を企画[注 1]、日活の黄金時代を支えた。また、『NHK紅白歌合戦』の司会を2度務めたほか、『ジェスチャー』、『独占!女の60分』といった番組に携わった。

 

引用:Wikipedia –  水の江瀧子

 

「ロス疑惑」がとりわけ注目を集めた理由の1つには、水の江瀧子さんのような有名人が親戚にいたことも手伝っていました。

 

水の江瀧子さんは、石原裕次郎さん、浅丘ルリ子さん、長門裕之さん、岡田真澄さん、和泉雅子さん、赤木圭一郎さんなどの俳優を発掘したことで知られています。

 

また、「太陽の季節」「狂った果実」「赤い波止場 」「憎いあンちくしょう」「上を向いて歩こう」 など、昭和の名作映画を企画した敏腕プロデューサー。

 

このようなそうそうたる名俳優や作品名を見るだけで、水の江瀧子さんのすごさがわかるとともに、その親族である三浦和義が事件を起こしたことで、日本の全国民が注目したのは納得です。

 

そして、このロス疑惑がきっかけで、水の江瀧子さんは芸能界引退に追い込まれてしまいました。

 

 

ロス疑惑の容疑者・三浦和義の生い立ち 

 

出典:access-journal.jp

 

三浦和義は幼少期から全国を転々とした

 

前述の通り、三浦和義は母親の疎開先だった山梨県で生まれました。

 

父親の仕事の都合で全国を転々と引っ越しすることが続き、幼少期を北海道で過ごした後は千葉県市川市に移り住みました。

 

小学校の6年間で実に3度も引っ越しをしており、小学6年生の2学期に引っ越した神奈川県大和市で小学校卒業。

 

その後、中学校に上がってからも何度か転校していたようです。

 

 

 

三浦和義は石原裕次郎と交流した

 

 

 

引っ越しが多かったとはいえ、基本的に関東周辺に住んでいたことから、三浦和義は小学校の頃から叔母で映画プロデューサーの水の江瀧子さんと交流することもよくあったようです。

 

特に芸能界らしいエピソードとして、正月に水の江瀧子さんの自宅に遊びに行くと、有名俳優たちの面々が揃っており、三浦和義はお年玉を30~40万円程度もらっていたと明かしています。 

 

しかし、こうした金銭に関して甘やかされた環境により、三浦和義は金銭感覚が狂い、人間関係を「ちょろい」と感じるようになり、精神が歪んでいったと言われています。 

 

そんな三浦和義は、叔母の縁で伝説の昭和のスター俳優である石原裕次郎さんとも交流があり、その流れで石原裕次郎さんの子供時代を日活の映画で演じたこともありました。

 

しかし、三浦和義はすでに小学校の頃には自分は芸能界は向いていないと感じたようで、その後引退しています。 

 

 

三浦和義は中学で不良に

 

お金に困ることもなく、華やかな芸能界にも足を突っ込んだ三浦和義は、中学生になってから不良となっていきました。 

 

三浦和義は自宅から大金を盗み出して何度も家出をしていたようです。

 

その後、中学を卒業すると真面目になろうと自衛隊の少年工科学校を受験しましたが、落ちてしまったため、整備工として就職しました。 

 

しかし、三浦和義は今後を考えた時に学歴が大切だと思い、戸塚高校に進学。

 

高校時代は生徒会長を務めるなど真面目な一面があった一方、女子生徒とお泊まりデートをするなど、風紀に乱れた行動もあったようです。

 

さらに不良時代の悪い癖が出たのか、強盗傷害やバイク泥棒、放火などを経て検挙され、 水戸少年刑務所に7年間服役もしています。 

 

 

ロス疑惑の容疑者・三浦和義は結婚歴5回・嫁は4人もいる

 

 

三浦和義は華やかな家庭の出身であり、さらに高身長で男前だったことから、女性にとてもモテたようで、生涯で結婚5回、4人の嫁がいました。

 

1979年の32歳の時点で3回目の結婚していたことから、三浦和義は女癖が悪かったことがうかがえます。

 

1人目、2人目の嫁とは結婚後すぐに離婚し、3人目の嫁・三浦一美さんは「ロス疑惑」で死亡、4人目の嫁は「ロス疑惑」後に結婚した三浦良枝さんです。 

 

 

ロス疑惑の容疑者・三浦和義には愛人も2人いた

 

出典:twitter.com

 

三浦和義は派手に結婚と離婚を繰り返す中で、さらに2人の愛人の存在も明らかになっています。

 

1人目は、「ロス疑惑」に巻き込まれ、後にミイラ化した死体で発見された白石千鶴子さんです。

 

白石千鶴子さんは元々資産家の男性と結婚していましたが、旦那との関係は冷めきっており、出会った三浦和義と不倫関係になりました。

 

三浦和義は白石千鶴子さんが旦那と離婚するようにバックアップし、三浦和義が経営していた輸入雑貨会社「フルハムロード」の取締役に就任させました。

 

その後、1979年3月に「北海道に行く」と言い残したまま失踪し、1979年5月4日にロサンゼルス郊外の砂漠地帯でミイラ化した死体として発見されました。 

 

そして2人目の愛人は、元ポルノ女優でモデルの矢沢美智子さんです。

 

「ロス疑惑」では、三浦和義に言われるまま、当時の嫁だった三浦一美さんを襲撃して怪我を負わせました。 

 

1985年に、矢沢美智子さんは当時の襲撃事件を自首したため、殺人未遂容疑で逮捕され、刑務所に入りました。

 

出所後は、ぺンションや六本木にあるスナックでママとして働いていたようです。また、結婚して子供が生まれたようですが、離婚していると言われています。

 

 

ロス疑惑の容疑者・三浦和義と嫁や愛人の時系列まとめ 

 

出典:ameblo.jp

 

呆れるほど女癖が悪かった三浦和義の女性遍歴について、それぞれの嫁と愛人を時系列で並べてみました。 

 

1人目の妻と結婚

1人目の妻と離婚

2人目の妻と結婚

1977年頃に白石千鶴子さんと不倫関係になり同棲
同年3月末に白石千鶴子さん死亡

1979年に一美さんと知り合いプロポーズ

1979年2人目の妻と離婚して、一美さんと結婚する
矢沢美智子さんと不倫関係に落ちる

1981年に一美さんは「ロス疑惑」で銃撃され死亡

三浦良枝さんと4度目の結婚

三浦良枝さんと獄中離婚

釈放後に三浦良枝さんと再婚

 

この女性遍歴を見ると、いかに三浦和義が女性をとっかえひっかえしていたかが分かります。

 

また、既婚者なのに他の女性にプロポーズしたり、交際期間も重複していたりと、貞操観念が欠落し、1人の女性で満足できない性格だったのかもしれません。

 

そしてこの女性たちを巻き込んで、ロス疑惑はすすんでいくことになります。

 

 

ロス疑惑をわかりやすく解説① 三浦和義と妻・一美がロサンゼルスで襲撃される

 

三浦和義

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ここまでで「ロス疑惑」の登場人物が出揃ったので、事件の全貌についてわかりやすく解説していきます。 

 

1981年8月31日、アメリカ・ロサンゼルスを旅行中だった三浦和義と妻の一美さんは、滞在先のホテルの部屋で襲撃されます。

 

三浦和義が退室して一美さんが部屋に1人になった時に、チャイナドレスの採寸をしたいと東洋系の女性が訪れました。

 

部屋に女性を招き入れると、一美さんは突然ハンマーで頭を殴られて軽傷を負います。 

 

しかしこの時、一美さんは三浦和義の指示により、襲われたことを通報しませんでした

 

それから約3ヶ月後の11月18日、ロサンゼルスのとある駐車場にて、三浦和義と妻の一美さんは2人組の男に襲撃され、三浦和義は足を撃たれ、一美さんは頭を打たれて重傷を負っています。 

 

なお、この襲撃を受けた駐車場は、ロサンゼルスの中でも人気のない場所にあり、観光客はとても行く機会がないような寂れた場所でした。  

 

夫の三浦和義社長(当時34歳)は左の太ももに1発、妻の一美さん(当時28歳)は頭に1発を撃ち込まれた。一美さんは救急病院に運ばれたが、意識不明の重体が続いた。夫は米国政府に直訴し、2カ月後に米軍の医療用輸送機で一美さんを日本へ運び、大学病院に入院させた。当時の「FOCUS」誌は「ロスの強盗に妻を植物人間にされた夫の闘い」と報じ、女性誌は「限りなき愛に生きる 眠り続ける妻よ!」という夫の手記を載せた。手記によると、夫は米大統領、カリフォルニア州知事などに対して、日本人旅行者の安全対策などを求める声明文を送ったという。

 一美さんは事件の1年後、死去した。夫の三浦社長は、妻を凶弾で奪われ、1歳の愛娘と残された悲劇の人として報道された

 

引用:空前の劇場型事件「ロス疑惑」から40年  ロス郡検がひそかに準備した終章〈dot.〉

 

 

ロス疑惑をわかりやすく解説② 三浦和義が保険金を手に入れる

 

出典:https://pixabay.com/

 

三浦一美さんは事件当時まだ20代でしたが、 三浦和義により生命保険会社3社に合わせて1億5千万円の保険金がかけられていました。

 

まだ罪が暴かれる前だったため、三浦和義はこれらの保険金を全て受け取っています。

 

しかし多額の保険金を受け取ったことについて、三浦和義は一美さんの親族には一切黙っていました。 

 

 

ロス疑惑をわかりやすく解説③ 真犯人と真相を週刊文春が報じる 

 

出典:https://www.amazon.co.jp/

 

事件が報道された初期の頃は、三浦和義は「悲劇の夫」として同情を集めていました。

 

しかし1984年1月、週刊誌「週刊文春(文藝春秋)」の報道で、その地位は一変します。

 

「疑惑の銃弾」というタイトルの記事が掲載され、 三浦和義が事件の首謀者であるとする「ロス疑惑」が持ち上がったのです。 

 

1984年1月、週刊文春が「疑惑の銃弾」の連載を始めるや、三浦社長は一転して保険金殺人という重大な疑惑の主人公になる。

 この連載によると、三浦社長は一美さんに8000万円の死亡保険金をかけ、その数か月後にロスのホテルで一美さんが女性に鈍器で殴られる事件が起きた。三浦社長は保険金をさらに7500万円上乗せし、直後に銃撃事件が起きた。つまり、ロスで「強盗」に撃たれたとき、夫は自分の妻に計1億5500万円の保険金をかけていたことになる。

 

引用:空前の劇場型事件「ロス疑惑」から40年  ロス郡検がひそかに準備した終章〈dot.〉

 

この週刊文春の記事をきっかけに、他のマスコミ各社も三浦和義犯人説をこぞって報じるようになっていきました。

 

 

ロス疑惑をわかりやすく解説④ 白石千鶴子失踪事件が発覚

 

 

週刊文春の報道から2ヶ月後、白石千鶴子さんの失踪事件が発覚しました。

 

白石千鶴子さんのミイラ化した遺体は1979年に発見されていましたが、長らく身元不明で、1984年3月に歯型が照合され、白石千鶴子さんだと特定されました。 

 

前述の通り、白石千鶴子さんは1977年から三浦和義と不倫関係でした。

 

そして、 1979年3月に白石千鶴子さんは旦那と離婚が成立し、その3月下旬には行方不明になります。

 

白石千鶴子さんの身元が判明した後にアメリカの出入国履歴を照会したところ、1979年3月29日にアメリカに入国していたことが判明。

 

三浦和義はその2日前の3月27日に、アメリカのロサンゼルスに入国しており、4月6日に帰国していました。 

 

三浦社長の交際相手であり、雑貨輸入会社の役員でもあった白石千鶴子さん(当時34歳)が銃撃事件の2年前にロスへ行き、まもなく行方不明になっていた。三浦社長は千鶴子さんがロス入りする2日前にロスに着き、10日間滞在していた。その後、彼は千鶴子さんのキャッシュカードで426万円を引き出した。千鶴子さん失踪の2カ月後、ロス郊外で女性の身元不明遺体88号が発見されている。

 時系列で言うと、2年半余の間に、千鶴子さんに対する殺人、一美さんに対する保険金殺人未遂、一美さんに対する保険金殺人の3件が起きたという疑惑だ。

 

引用:空前の劇場型事件「ロス疑惑」から40年  ロス郡検がひそかに準備した終章〈dot.〉

 

三浦和義は、白石千鶴子さんが日本を出国する際、羽田空港で見送ったと語っていましたが、この時は既にロサンゼルス入りしており、偽証したことになります。

 

そして、白石千鶴子さんの遺体が発見された後となる1979年5月8日頃から、三浦和義は複数回にわたって元旦那から振り込まれていた慰謝料426万円を引き出していました。 

 

 

 

ロス疑惑をわかりやすく解説⑤ 三浦和義の愛人・矢沢美智子が告発

 

出典:https://pixabay.com/

 

「ロス疑惑」 が大きく動き始めたのは、1985年5月に三浦和義の愛人だった矢沢美智子さんが事件を告発してからです。

 

矢沢美智子さんは、産経新聞に、一美さん殴打事件は自分が実行犯だと名乗り出たのです。当初は匿名でしたが、その後は実名で報道されています。

 

矢沢美智子さんが語ったところによると、三浦和義からハンマーを渡され、一美さんを「何度も何度も殴れと命じられた」とのことです。

 

この決定的な矢沢美智子さんの告発により、「ロス疑惑」の報道はエスカレートしていき、三浦和義も追い詰められていきました。

 

そして1985年9月11日、テレビ朝日が三浦和義に密着取材をしていた最中に、三浦和義と矢沢美智子さんは殺人未遂容疑で逮捕されました。 

 

 

 

ロス疑惑の容疑者・三浦和義が銃撃事件では無罪判決だった理由

 

出典:https://pixabay.com/

 

三浦和義は、元妻である一美さんを愛人の矢沢美智子さんに襲撃させた殺人未遂の罪で、懲役6年の有罪判決を受け、実行犯である矢沢美智子さんは懲役2年6カ月の実刑判決を受けました。

 

そして、一美さんを襲撃して銃殺した殺人事件については、第一審では無期懲役の有罪判決が下ったものの、第2審において証拠不十分として無罪に。

 

さらに最高裁で上告が棄却されたため、2003年に三浦和義の無罪が確定しました。

 

「ロス疑惑」の一連の三浦和義の行動からすれば、一美さんを殺害した可能性は極めて高い状況と言えますが、決定的な証拠がないばかりに無罪となってしまったのです。

 

日本では起訴された刑事事件のうち99.9%が有罪判決になる。無罪判決は千分の一しかない。ロス疑惑は、どちらも最高裁まで争われたが、殴打事件は有罪が確定したものの、銃撃事件は東京地裁で有罪判決、東京高裁では一転して無罪となり、最高裁は検察側の控訴を棄却して無罪が確定した。三浦被告は殴打事件の刑期を終えて、2001年に出所した。拘置所と刑務所にいたのは合わせて15年に及んだ。

 

引用:空前の劇場型事件「ロス疑惑」から40年  ロス郡検がひそかに準備した終章〈dot.〉

 

 

 

ロス疑惑の容疑者・三浦和義は嫁・三浦良枝とのサイパン旅行中に逮捕される

 

 

社会を揺るがせたロス疑惑を起こした三浦和義でしたが、無罪を勝ち取ったことにより再び豪遊生活に戻ったようです。

 

しかし、事件から約10年後となる2008年2月22日、アメリカ領のサイパンで三浦和義は現地のアメリカ当局に逮捕されています。

 

この逮捕の約半年前である2007年5月にも三浦和義はサイパンを訪れていて、2008年2月19日に妻の三浦良枝さんと共に再びサイパンに入国。

 

逮捕当日に帰国予定でしたが、出国直前で逮捕されています。 

 

報道によれば、アメリカの捜査当局は2005年から約3年間にわたって三浦和義のネットのブログを監視しており、サイパン旅行の情報を事前につかみ、現地で張り込んでいました。 

 

ロス市警「未解決殺人事件捜査班」に所属するジャクソン捜査官は、同班が扱っている数千件の未解決事件の中から81年11月の一美さん銃撃事件に着目した理由について、

「2005年に日本からの情報で、三浦元社長がホームページを開設しているのを知り、頻繁にサイパンに渡航していることを知った」と説明。そのうえで「88年の逮捕状は現在も有効で、

この事件が解決できなかったのは三浦元社長が日本にいたから。身柄を確保できる機会を探していた」「有罪に持ち込む十分な証拠がある」と強調した。

 

引用:【27年前のロス疑惑】三浦和義容疑者逮捕

 

アメリカ捜査当局が監視していたという、当時の三浦和義のブログは現在は存在しませんが、5ちゃんねるにその時の内容が掲載されていましたので、以下に抜粋します。  

 

 三浦和義の独り言(ブログ)

2007/05/28(月)

このところ・・・

サイパンに5泊6日で、ゆったり~と遊んできました。

一日中、クルーザーを借り切ったり、カジノで遊んだりの、親しい友人ら15人くらいの滞在でした。

 

南の群青色の海に浮かんでいると、この地で戦死した先人らの思いに引かれ、物悲しい切ない気持ちにも始終でした。

合掌。

 

ゴーカート、ジェットスキーではトップ!(エッヘン!!)

 

今度は9月に3・4日、再び友人らと行こうと思っています。

 

引用:【27年前のロス疑惑】三浦和義容疑者逮捕

 

保険金を全額受け取り、無罪確定後は何事もなかったかのように豪遊していた三浦和義ですが、アメリカの警察は三浦和義がアメリカ領に滞在中という好機を逃さず、執念で逮捕しました。

 

 

 

ロス疑惑の容疑者・ 三浦和義はロサンゼルスの留置所で自殺した

 

 

楽しい旅行のはずだったサイパンで逮捕された三浦和義は、サイパンの拘置所に入れられます。

 

そして、日本ではすでに無罪が確定していたとして釈放を訴えました。

 

アメリカの捜査当局は、殺人共謀罪は日本ではまだ裁かれておらず、アメリカで初めて裁判を行うことができるとして、2008年9月26日にロサンゼルスに三浦和義を移送することが決定

 

同年10月10日に、サイパンからロサンゼルスに移送された三浦和義は、ロサンゼルス市警の拘置所に入れられますが、その日のうちにTシャツで首をつって自殺しています。

 

なお、ロサンゼルス市警での留置所の見回りは30分ごとに行われていましたが、その隙をついての自殺だったようです。 

 

最後の見回りから10分後の午後9時45分頃、看守が三浦和義はの異変に気づき、救急搬送されましたが死亡が確認されました。 

 

 

自殺ではなく、他殺説も浮上

 

一般的には自殺で死亡したとされていますが、一説では他殺説もあるようです。

 

その理由の1つとして、三浦和義には自殺するような様子は見られなかった、動機がなかったとする意見があります。

 

ロサンゼルス市警の留置所にて面会した日本領事館の領事は、「自殺するそぶりは全く見せておらず、非常に驚いている」と語りました。

 

また、三浦和義の最後の妻・三浦良枝さんも「自殺するような人間ではない」と語っていたようです。

 

いくら突然逮捕されたと言っても、移送された当日に自殺するのも不自然という意見もあります。

 

ただ、三浦和義が自殺して誰かが得をするということも考えられないため、この他殺説は信憑性が高いわけではないようです。

 

アメリカの法律では保険金殺人は第1級殺人、共謀罪でも死刑になる可能性が高いため、自殺せずに裁判を受けていたら、三浦和義は高い確率で死刑判決が下っていたと言われています。

 

このことを三浦和義が事前に知っていたのであれば、助かる見込みはないと感じて自殺したとしても不思議ではありません。 

 

 

ロス疑惑は現在も語り継がれている

 

 

「ロス疑惑」は2021年11月18日で、ちょうど40年経ちました。

 

そのため、ネットメディアの「AERA.dot」が『空前の劇場型事件「ロス疑惑」から40年 ロス郡検がひそかに準備した終章〈dot.〉』という記事で事件を解説しています。

 

非常に分かりやすかったため、当記事でもいくつか抜粋させて頂いています。

 

「ロス疑惑」は、最近の人間性を感じない無機質な事件よりは、人間臭さが強い、まさに昭和ならではのぶっ飛んだ事件という印象を持つ方も多いのではないでしょうか

 

サイパンでアメリカ当局が語った「有罪に持ち込める証拠」が何だったのか気になりますが、三浦和義がもうこの世にいない以上、裁判は開かれることはありません

 

 

まとめ

 

昭和時代に世間の注目を大きく集めた事件の1つである「ロス疑惑」について、人間関係や事件の経緯、その後や現在をわかりやすくまとめてきました。

 

三浦和義の生い立ちから女性遍歴、そして事件のあらましなど追っていく中で、呆れてしまった人も多いかもしれませんね。 

 

三浦和義はアメリカでの裁判前に死亡してしまったため、現在でも「ロス疑惑」が全て解明されたわけではなく、真相は闇の中です。

 

殺害された三浦一美さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

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