銀行強盗はドラマや映画でよく描かれますが、三菱銀行人質事件は死亡者が多数出るなど残忍で恐ろしい事件です。
今回は事件の詳細、被害者数や人質女性、犯人・梅川昭美の写真や生い立ち、魔性の女の存在、映画化などその後と現在をまとめました。
この記事の目次
三菱銀行人質事件とは
出典:twitter.com
三菱銀行人質事件
発生日時:1979年1月26日
発生場所:大阪府大阪市住吉区の三菱銀行北畠支店
犯人:梅川昭美
凶器:猟銃
死者:4名(人質2名・警察官2名)
事件の結末:犯人の射殺
三菱銀行人質事件とは、1979年1月26日午後2時半ごろに発生した銀行強盗事件です。
大阪市住吉区にある三菱銀行北畠支店に、犯人の梅川昭美が猟銃を持って押し入り、客と銀行行員30名以上を人質に取って立てこもりました。
この事件で、人質の行員2名と警察官2名が犯人によって射殺されています。
事件発生から42時間後に警察が突入し、犯人の梅川昭美は3発の銃弾を受け、病院に救急搬送されましたが死亡しました。
日本における人質立てこもり事件の中で、犯人射殺で解決したのはこの三菱銀行人質事件以降はありません。(その前には瀬戸内シージャック事件と長崎バスジャック事件がある)
つまり、この三菱銀行人質事件が人質事件の中で、最後の犯人射殺事件となっています。
三菱銀行人質事件の詳細:1月26日(1日目)
三菱銀行人質事件の発生から解決までの詳細について、1日目から3日目まで日付ごとに見ていきましょう。
事件発生と行員の死亡
事件が発生したのは、1979年1月26日の午後2時30分ごろです。もうすぐ閉店を控えた三菱銀行北畠支店に、猟銃を持った梅川昭美が押し入りました。
この時の犯人の服装は、テラピンチ(帽子)、黒スーツに黒のサングラス、白マスクでした。
銀行内に入った犯人は、銃を天井に向けて2発発射し、「10を数える間に5000万円を出せ!」と言って、ナップザックを銀行のカウンター内に投げ込みました。
「早く出せ。出さんと殺すぞ」と言って、銀行行員を脅しています。
この時、とっさに2階に電話しようとした窓口係の男性行員(20歳)を発見した犯人は、猟銃を2発撃ちます。
そのうちの1発はその男性行員に命中し、もう1発は違う行員の後頭部に当たりました。
この男性行員は撃たれた時は意識はありましたが、救助されることなく放置されたため、死亡しています。
犯人が北畠支店を選んだ理由
犯人の梅川昭美が銀行強盗をするのに、北畠支店を選んだのは、「最寄りの警察署から車で3分以上かかる」という理由からでした。
犯人は猟銃で脅して、警察が来る前に5000万円を奪って逃走する予定だったのです。
5分後に警官が駆け付けるも射殺
しかし、早くも犯人の梅川昭美の計画に誤算が生じます。どさくさに紛れて、客1人と行員2人が北畠支店から脱出したのです。
そして、午後2時33分、脱出した客はたまたま近くを自転車で警ら中だった警ら係長・楠本正己警部補に事件を伝えます。
事件を知った楠本警部補は、すぐに三菱銀行北畠支店に急行しました。
午後2時35分、楠本警部補は犯人に向かって「銃を捨てろ」と言い、威嚇発砲をします。
しかし、犯人は楠本警部補に向かって、猟銃を発砲しました。銃弾が楠本警部補の胸に命中し、警部補は「110番、110番」と言いながら、死亡しました。
脱出した行員2人は、それぞれ電話ボックスから、近くの喫茶店から110番し、支店内の行員も非常ボタンを押したため、警察が事件発生を知ることになりました。
警部補が射殺された直後、パトカーで巡査長と巡査が現場に駆け付けます。その2人の警察官に対しても、犯人は猟銃を発砲し、巡査が死亡しています。
この時点で、早くも行員1人+警察官2人が犯人によって射殺されたのです。
人質を取って立てこもり
事件発生から約10分で、大阪府警は銀行付近の500mの道路を封鎖し、捜査員や機動隊320名で銀行を包囲しました。
犯人の梅川は銀行のシャッターを下ろさせましたが、警察官が機転を利かせて、自転車などを投げ込んだため、シャッターは完全には閉まらず、下40cmは開いた状態になっています。
犯人は責任者を呼びつけ、支店長が進み出ると「金を出さないお前が悪い」と発砲して、支店長は死亡しました。
これで、行員2名+警察官2名が射殺されたことになります。
この時点での人質は行員31名+客8名でした。この人質以外に、隠し金庫内に隠れるなど犯人からは見つかっていない客が5人いました。
犯人の梅川は人質たちを「肉の盾」として配置することで、自分が警察から銃撃されないようにしました。また、人質たちがトイレに行くことも許しませんでした。
さらに、冷静に対処していた年配の行員を「生意気だ」という理由で銃撃します。急所は外れたものの、この行員は重傷を負いました。
犯人は違う行員にとどめを刺すように命じますが、その行員は、銃撃された行員を助けるために、「すでに死亡している」と嘘をつきます。
すると、犯人は「それなら耳をそぎ落としてこい」と命じ、行員は泣きながら銃撃された行員の耳を泣きながら切り取りました。
切り取った耳を犯人に差し出すと、なんと犯人はその耳を口に入れ、「まずい」と言ってペッと吐き出しています。
銃撃されて耳を切りとられたこの行員は、銀行行内で自分の血液で奥様と子供たちへ「ツヨクイキロ」と遺書を書きましたが、流れ出る自分の血液で消えてしまったそうです。
そして出血が多量で意識を失うものの、犯人射殺後に病院に搬送されて、一命を取り留めました。
警察は様々な方法で1階への侵入を模索しますが、1日目は断念しています。
しかし、支店内の1階の様子を探れるように覗き穴を7個開けて、内部の様子を監視し続けました。
そんな中、犯人はサーロインステーキなどを要求しています。
三菱銀行人質事件の詳細:1月27日(2日目)
犯人の身元が判明
事件2日目の1月27日、銀行に立てこもっている犯人が梅川昭美であることが判明します。
1月27日午前0時45分の時点で判明していますので、かなり早い段階でわかっていたことになります。
岐阜県多治見市で偶然職質をかけた相手が、「銀行強盗で使われた車は自分が盗んだもの。犯人は自分の小学校の同級生」と自供したことで、犯人が梅川昭美だとわかりました。
犯人の身元が事件早々にわかったのは、多治見署員の職務質問のおかげであり、偶然の産物と言えるでしょう。
ラジオや差し入れを要求
犯人は事件1日目の夜にもステーキやワインを差し入れるように命じましたが、翌日2日目にも様々な差し入れを要求します。
・アリナミンや胃腸薬
・ビール
・ラジオ
・カップラーメン(人質用)
・コーヒー(人質用)
・お弁当(人質用)
特にラジオとビールについてはかなりこだわりが強く、警察側がなかなか差し入れないことから、怒り狂います。
さらに、ビールが来ないことに腹を立て、猟銃を発砲し、ロッカーに当たった銃弾が跳ね返って行員の顔に当たったこともありました。
差し入れのラジオで自分の名前・身元がバレたことを知りますが、報道で名前を「アキヨシ」ではなく、「テルミ」と呼んだことで「今度間違えたら人質を殺す」と電話をしてきたそうです。
なお、犯人の梅川は差し入れを貰うたびに、見返りとして人質を1人ずつ解放しています。
母親が説得
警察は、犯人の母親が香川県にいることを突き止め、母親を香川県からヘリコプターで事件現場まで移送し、犯人の梅川を説得させようとしました。
警察は犯人に電話をして、母親に電話を代わります。しかし、この時は梅川は何も言わずに電話をすぐに切ってしまいました。
その後、母親は犯人に手紙を書きます。犯人はその手紙を女性行員に代読させました。
代読を聞いた梅川は、「俺にはおふくろしかおらんのや。俺は子供の頃からおふくろと一緒に苦労したんや。おふくろは大好きや。一緒に暮らしたいんや」と話していたそうです。
しかし、母親の懸命の説得に応じることはなく、立てこもりは続きました。
三菱銀行人質事件の詳細:1月28日(3日目)
遺体を搬送させる
犯人の梅川昭美は、事件1日目に行員2名と警察官2名を射殺しています。
それから1日半が経過したことで、冬とはいえども暖房がきいているため、遺体の腐敗が進みました。
腐敗臭が支店内に漂い始めたことで、人質となっている行員の1人が遺体の搬送を提案し、犯人は了承しました。
そして、午前2時30分ごろから4人の遺体を搬出しています。
警察は突入の機会をうかがう
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警察は事件発生からずっと、突入の機会をうかがっていました。覗き穴から犯人の行動・習慣などを逐一チェックし、わずかなスキを見つけようとします。
・梅川は差し入れの味噌汁を飲む時は、まず左手で椀を取り、口に近付けてから右手で箸を取る。この間、1.5秒
・ラーメンやメロンは、一口入れては左右を眺める。隙なし
・新聞は人質に読ませる。自分が読む時も銃を手放さず、ひっきりなしに顔を上げる。まったく隙なし
・飲み物を飲む時はコップに口をつけながら目は左右に配っている。隙なし
・電話は支店長席の下に置いてある。かける時は電話係にダイヤルを回させておいてから受話器を受け取る。せいぜい0.2秒の隙しかない。自分でかける時は机の陰に隠れてしまう
・小便は銃を人質に突き付けながら床に敷いた新聞紙の上にやる。まったく隙なし
このような調査を行っていましたが、新聞は代読させていたり、人質を「肉の盾」にしていたので、なかなか突入の機会を得ることはできませんでした。
犯人が人質に紛れる工作
犯人は警察に銀行を包囲された後も、逃げ切る作戦を立てていました。どんな作戦かというと、人質の中に紛れ込む作戦です。
事件3日目の1月28日、午前8時頃には自分が着ていた服を男性行員に着せて、弾を抜いた猟銃を持たせています。
そして、自分はその行員の服を着て、射殺した楠本警部補の拳銃を持ちました。このことに気付いた行員は、「突入してくるな!」と警察にこっそり合図を送っています。
その後、また犯人は自分の服に着替えて猟銃を持ちました。
警察が突入
1月28日午前8時30分、これまでは代読させていた新聞を犯人は自分で読み始め、さらにウトウトし始めます。
ここで、行員は警察に「チャンス!」と合図を送り、警察は匍匐前進で銀行内に侵入しました。
さらに午前8時40分、犯人は自分の盾にしていた女子行員にお茶を入れてくるように命じます。このことで、犯人の周りには人質が一時的にいなくなりました。
ここで警察は一気に突入します。突入したのは、現在のSATの前身部隊である府警本部警備部第2機動隊・零中隊です。
犯人は射殺されて死亡
突入後、府警本部警備部第2機動隊・零中隊の5人がカウンター越しに犯人の梅川に8発発砲し、8発中3発が頭や首に命中し、犯人は倒れました。
この時、犯人は「殺すぞ」と呻いていたそうです。
そして、捜査員たちが一気に支店内に突入し、人質たちの安全を確保しています。人質は毛布にくるまれ、捜査員に付き添われながら、病院を受診しました。
犯人の梅川昭美はすぐに大阪警察病院に搬送され、緊急手術を受けますが、銃撃されてから9時間後の午後5時43分に死亡が確認されています。
三菱銀行人質事件でスクープされた犯人の写真に衝撃が走る
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三菱銀行人質事件では、毎日新聞が犯人の梅川昭美の写真をスクープしました。
立てこもり中は、大阪府警が覗き穴から犯人や支店内部の様子をカメラで撮影していましたが、事件解決後、そのうちの1枚を警察関係者から毎日新聞が入手して発表しました。
犯人の帽子+スーツ+サングラス+緩めたネクタイの姿は、銀行強盗犯としては異彩を放っていて、世間に衝撃を与えました。まるで映画やドラマの登場人物のようですよね。
三菱銀行人質事件の被害者の詳細
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三菱銀行人質事件では無傷とはいえ、人質になった人も含めればたくさんの人が被害者になっています。
・負傷者3名(行員3名)
・死亡4名(行員2名+警察官2名)
人質はすぐに解放された妊婦と親子連れを含めると、43名にも上ります。また、負傷者数は3名になります。
・負傷者②:「生意気」と言われて、銃で撃たれ耳を切り取られた年長の行員
・負傷者③:腹を立てた時に撃った銃弾がロッカーに当たって跳ね返り、顔に当たった行員
そして、犯人に銃殺された被害者は4人です。
・被害者②:一番最初に臨場した楠警部補
・被害者③:二番目に臨場した巡査
・被害者④:支店長
被害者の数を見ると、この三菱銀行人質事件がいかに残忍で恐ろしい事件だったかがわかりますね。
三菱銀行人質事件で人質の女性は裸にされていた
三菱銀行人質事件では、人質の女性が裸にされていたことがわかっています。
支店長を射殺した後、犯人の梅川昭美は電話係を除く女性行員に全裸になるように命じています。
しかも、ただ単に服を脱ぐように命じただけではなく、服を脱ぐ順番まで指示し、じっくり眺めていたそうです。まるで羞恥心をあおるかのような行動です。
梅川昭美はわいせつ目的で女性を全裸にしたのではなく、自分が命じて従わせることで主従関係をはっきりさせ、「逃げられないように・抵抗しないように」との目的があったと思われます。
三菱銀行人質事件の人質はストックホルム症候群になっていた?
三菱銀行人質事件では、人質がストックホルム症候群になっていたと言われています。
ストックホルム症候群とは?
ストックホルム症候群とは、誘拐・監禁時に人質と犯人に心理的なつながりが生まれ、人質が犯人に対して好感を持つ状態を指します。
誘拐や監禁などにより拘束下にある被害者が、加害者と時間や場所を共有することによって、加害者に好意や共感、さらには信頼や結束の感情まで抱くようになる現象。
人質が犯人に恋愛感情を抱いたり、犯人が逮捕された後もに犯人をかばうような証言をすることもあります。
犯人に協力する人質も
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三菱銀行人質事件では、人質が警察に「入ってくるな」と合図したり、犯人に警察の存在を知らせたりするなど犯人に協力していて、ストックホルム症候群に近い状態が見られたといいます。
ただ、これはストックホルム症候群ではなく、ただ単に犯人に殺害されるのが怖くて、自分の身の安全を確保するための行動だったのではないか?という意見もあります。
三菱銀行人質事件は魔性の女が関係していた?
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三菱銀行人質事件には、魔性の女と言われる女性が関係していたのでは?という説があります。
この魔性の女とは、2人の凶悪犯の愛人だった女性です。
・梅川昭美:三菱銀行人質事件(銀行強盗・4人射殺)
鳴海清とは、山口組組長を銃撃した人物です。1979年当時は27歳でした。三菱銀行人質事件の梅川昭美は事件当時30歳です。
そんな2人の凶悪犯と同時期に付き合っていたのが15歳の少女で、この15歳の少女が魔性の女と言われています。
最初は鳴海清の愛人をしていましたが、鳴海清が殺された後は、梅川昭美と知り合って同棲するようになりました。
この魔性の女については、2018年にTBSの「爆報THEフライデー」で取り上げられていました。大阪市西成区で生まれ、事件後は大阪で長くスナックを経営しているとのことです。
ただ、ちょっとこれについてはヤラセ疑惑があります。
大阪の西成で育ち、その後も大阪で暮らしているのに関西弁の欠片も出ないって、ありえますか?
それに女性の話し方が棒読みで、変な感じでした。
あの放送って、ヤラセじゃないの?
って、思います。
真偽はどうなのかは不明です。それでも、「10歳以上年上の凶悪犯2人と付き合っていた15歳の少女」というだけで、何か不穏な雰囲気を感じてしまいますね。
三菱銀行人質事件の犯人・梅川昭美の生い立ち
ここからは、三菱銀行人質事件の犯人の梅川昭美の生い立ちを見ていきましょう。
子供の頃に両親が離婚
梅川昭美は昭和23年に広島県大竹市で生まれます。
両親は再婚同士で、父親が46歳・母親が42歳の時にできた子供です。両親は昭和19年に職場結婚をして、4年後に出産していますので、本当に待ち望んだ子供だったようです。
そのため、かなり可愛がられて育ったようです。
ただ、父親は昭和31年に椎間板ヘルニアが原因で退職し、それからは生活態度が悪くなったようです。
もともと女癖が悪く、さらに闇金融にまで手を出すようになったため、梅川昭美が10歳のころ(昭和33年)に両親は離婚しました。
母子家庭で育つ
離婚当初は父親に引き取られましたが、父親との生活を嫌った梅川昭美はすぐに母親のところに行き、母親と2人での生活を始めました。
母親の仕事は寮での炊事婦であり、貧しい暮らしでしたが、母親は梅川昭美が欲しがった物は何でも買い与えたとのことです。
しかし、成長するにつれて、梅川昭美は気に入らないことがあると母親に暴力をふるうような粗暴な少年になっていきました。
高校を中退
中学卒業後は、第一志望だった広島県立宮島工業高校を不合格になり、広島工業大学附属工業高校に進学します。
しかし、高校に在籍したのは1学期までで、すぐに中退してしまいました。
高校在籍中には、オートバイを盗んだ容疑で補導されたこともあったようです。
強盗殺人事件を起こす
高校中退後は、ブラブラしたりアルバイトしたりしていましたが、遊ぶお金欲しさに強盗を思いつきました。
そして、高校を中退した年の12月に、以前にアルバイトをしていた建設業の社長の家に切り出しナイフを持って押し入ります。
社長はいませんでしたが、親戚の人が1人いて、その人を殺害し、現金や預金通帳などを奪いました。
被害者は胸をナイフで刺され、さらに何回も殴られたような跡が残っていたそうです。
この事件の翌日、梅川昭美は逮捕されていますが、15歳の少年だったということもあり、中等少年院に送致され、1年半後には出所しています。
バーテンなどをしていた
少年院から出所した後は、バーテンやツケの取立人などをしていましたが、まともな生活はしていませんでした。
女性と付き合ってもDVを繰り返し、気に入らなければ外に放り出していましたし、金融会社からも借金をしていました。
事件を起こす前は借金が500万円にもなっていたようです。
そして借金が膨れ上がり、どうしようもなくなった梅川昭美は銀行強盗を思いつくのです。
本が好き
高校を中退し、借金をしながら生活していた梅川昭美ですが、実は本が好きな読書家という一面を持っています。
・ハードボイルド小説
・六法全書
・経営学
・医学
梅川昭美の自宅からはこれらの本が600冊も出てきて、月に1万円は本代に使っていたそうです。
伝記はいわゆる「独裁者」のものが多いのが気になりますね。
三菱銀行人質事件は映画化されている
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三菱銀行人質事件は映画化されており、1982年に公開された「TATTOO<刺青>あり」です。
・公開:1982年
・監督:高橋伴明
・制作:井筒和幸
・主演:宇崎竜童
三菱銀行人質事件のその後と現在
三菱銀行人質事件のその後と現在を見ていきましょう。
田宮二郎の自殺と関連が?
1978年12月28日、人気俳優の田宮二郎が猟銃で自殺し、センセーショナルな事件として大きく報じられました。
三菱銀行人質事件は、田宮二郎の猟銃自殺の1ヶ月後である1979年1月に発生しており、犯人の梅川昭美はこの田宮二郎の自殺に感化されたのでは?と噂されることになりました。
真偽のほどはわかりませんが、可能性としてはゼロではありません。
少年法改正の声が挙がる
三菱銀行人質事件はその後の少年法改正に大きな影響を与えたと言われています。
犯人の梅川昭美は15歳の時に強盗殺人を犯していますが、少年法に守られたことで1年半で出所しています。
しかし更生することなく、4人を射殺した三菱銀行人質事件を起こすのです。この事実に、世間では少年法を見直すべきという声が挙がりました。
また、15歳の時に殺人を犯した梅川昭美が猟銃所持免許を持っていたことも世間を驚かせています。
梅川昭美は事件を起こす2年前に猟銃の所持を許可されています。通常は前科がある人は許可が出ないのですが、梅川昭美の前科は少年時代だったこともあり、許可が出てしまったようです。
そのため、猟銃所持許可についても厳格化を求める声が大きくなりました。
この三菱銀行人質事件が少年法改正に直接かかわったわけではありませんが、「少年法を厳格にするかどうか」という議論を巻き起こしたことは間違いありません。
事件が発生した北畠支店は今でも営業している
出典:ameblo.jp
三菱銀行人質事件の現場となった三菱銀行北畠支店は、現在も営業を続けています。現在は「三菱UFJ銀行 北畠支店」です。
改装されていますので、内部は変わっていますが、建物は事件当時のままになっています。
三菱銀行人質事件のまとめ
三菱銀行人質事件の概要と詳細、現場の写真、被害者や人質になった女性、魔性の女の存在、犯人の生い立ちや映画化、その後と現在をまとめました。
三菱銀行人質事件は戦後の日本犯罪史に残る惨酷な事件です。今後、このような事件が起こらないことを祈るのみです。