人肉を食べるカニバリズムは禁忌ですが、佐川一政はパリでカニバリズム実行し、しかも無罪となっています。
今回は佐川一政の生い立ちや家族(父親・母親・弟)、パリ人肉事件の詳細、日本で逮捕されない理由、映画化と死去した現在を紹介します。
この記事の目次
佐川一政はパリ人肉事件の犯人
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佐川一政
生年月日:1949年4月26日
出身:兵庫県神戸市
身長:152cm
活動:小説家など
佐川一政は、1981年のパリ人肉事件の犯人です。留学先のパリで、オランダ人女性を殺害し、その女性の肉を食べるという犯罪を犯しました。
佐川一政は逮捕されたものの、刑務所に入ることなく日本に帰国し、日本では小説家やタレント活動などを行っていました。
佐川一政の身長
佐川一政は身長152cmですので、非常に小柄な体型をしています。
・体重:35kg
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大柄なフランス人刑事に連行される身長152cmの佐川一政は、佐川一政の異常性・不気味性を際立たせたと言えるかもしれません。
佐川一政の家族(父親・母親・兄弟)
佐川一政の家族情報を見ていきましょう。
カニバリズムを犯した犯罪者は、不幸で恵まれない家族構成なのかと思いきや、佐川一政はその真逆の家族・家庭環境でした。
佐川一政は裕福な家庭で、いわゆる「上流階級出身」の家庭出身だったのです。
父親は佐川明
佐川一政の父親は佐川明です。
佐川明の父(佐川一政の祖父)は朝日新聞の論説委員で、佐川明は一橋大学卒業後に超一流商社である伊藤忠商事に入社します。
太平洋戦争中は徴兵されて満州に渡り、シベリア抑留も経験しましたが、日本に帰国後は伊藤忠商事から水処理専業の栗田工業の立て直しを行ったことで有名になりました。
また、佐川一政がパリ人肉事件を起こした後は、パリにすぐに飛んで、有力な弁護士を用意して、息子の釈放に尽力します。
1ヶ月ほどでパリから帰国しましたが、帰国した父親はかなりやせ細っていたそうです。
そして、その後は世間を騒がせたとして、1981年8月末に栗田工業の社長を辞任しています。
社長を辞任した後も、脳梗塞を起こしながらも息子である佐川一政を支え続けましたが、3度目の脳梗塞を起こして、2005年1月5日に亡くなりました。
母親は裕福な家の出身
佐川一政の母親は裕福な家庭の娘でした。兵庫県神戸市で貿易商を営んでいた家で、佐川一政の父親は佐川家に婿入りしています。
母親の家庭は裕福でしたが、父親・母親(佐川一政の祖父母)は共に不倫相手がいて、母親には婚外子もいるような複雑な家庭でした。
母親の弟(佐川一政の叔父)には、歌手の佐川満男がいます。
母親は父親が亡くなった翌日に亡くなりました。自殺だったという情報もありますが、佐川一政の弟はそれを否定しています。
弟は電通社員だった
佐川一政には1歳年下の弟がいます。弟は佐川純さんです。
弟の佐川純さんは、慶應義塾志木高校から慶應義塾大学に進学し、大学卒業後は東京デザイナー学院でデザインを学んだあと、大手広告代理店に入社します。
兄の佐川一政がパリ人肉事件を起こした時には2ヶ月間の休職を余儀なくされましたが、その後は復職しています。
50歳で退職し、その後は兄の世話をしながら、油彩画家として活動を続けています。
佐川一政の生い立ち
佐川一政の生い立ちを見ていきましょう。
未熟児として出生
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佐川一政は未熟児として生まれました。父親の手のひらサイズで、本当に小さかったそうです。
1歳のころに腸炎を患い、医者からも「助からない」と言われていましたが、虚弱体質ながらも無事に成長していきました。
そして、1歳年下の弟とは、双子のように育てられています。
弟は虚弱体質ではなかったようで、佐川一政の方が年上であるものの、子どものころから体格的には弟のほうが大きかったことが写真からわかります。
内向的な性格
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佐川一政は、内向的な性格をしていました。芸術分野に興味を示し、次のようなものに興味を示しています。
・「戦争と平和」
・シェイクスピア
・ベートーヴェン
・ヘンデル
・「暗夜行路」
高校生のころは志賀直哉の「暗夜行路」の影響を受けて、自分で短篇小説を書いたこともありますし、突然、武者小路実篤に会いに行ったこともありました。
また、佐川一政の両親は厳格だったようで、思春期でも性に関する知識を得るようなことは一切禁止されていたと言います。
弟の佐川純さんは次のように語っていました。
「私たちの両親は非常に厳格で、親にとって都合の悪いものは子供たちに一切見せないという世界で育てられました。思春期になると性的なものに興味を持ちますが、そういった類もすべて禁止されていた。その抑圧が“ひずみ”として、結果的に兄や私に出てしまったのだと思う」
思春期に性的なものを禁止されていたことで、佐川一政は性的志向にひずみが生じてしまい、カニバリズムへの欲求が出てきてしまったのかもしれません。
佐川一政の学歴まとめ
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佐川一政は兵庫県神戸市出身です。しかし、小学校のころに関東に引っ越してきたようです。
・神奈川県立鎌倉高校
・和光大学人文学部文学科
・関西学院大学大学院文学研究科英文学専攻修士課程
・パリ第3大学大学院比較文学専攻修士課程
・パリ第3大学大学院博士課程在籍
かなりの学問好きということがわかりますね。
日本で大学院修士課程を修了した後、パリに留学し、修士課程を修了しました。
そして、そのまま博士課程に進学しており、博士課程在籍中に、あのパリ人肉事件を起こしてしまったのです。
佐川一政はパリ人肉事件の前にもカニバリズム未遂があった…
佐川一政はパリ留学中にパリ人肉事件を起こしましたが、実はこれが初犯ではありません。
日本にいた時も、カニバリズム未遂を起こしていたのです。
小学生のころからカニバリズムに興味を示していた
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佐川一政は、なんと小学生のころからカニバリズムに興味を持っていた、つまり、人肉を食べたいと思っていたようです。
幼少期に、叔父から(佐川満男?)「幼い子供を誘拐して鍋で煮込んで食べる魔法使いの話」を何度も聞かされていたことで、小学生のころにはカニバリズムに興味を持つようになりました。
小学1年生の時にハンサムな男の子の太ももに憧れを抱き、小学校4年生の時にはカニバリズムの妄想を感じたと告白しています。
本人も自分が異常だと感じていたようで、高校時代に精神科医にカニバリズムへの興味を告白していました。
しかし、精神科医にまともに取り合ってもらえなかったそうです。
白人への憧れ・興味はあった
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佐川一政は白人女性への強い憧れ・興味を持っていました。3歳のころから、白人女性の肌に強迫観念に近い憧れを持っていたようです。
佐川一政は自分自身で、自分は虚弱体質で小さかったから、背が高く美しいものに強い憧れを抱いていたと話しています。
未遂事件を起こしたが示談金で放免
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佐川一政は和光大学時代に、カニバリズム未遂事件を起こしました。
ドイツ人女性が住むアパートの部屋に忍びこみ、寝ている女性を殴って気絶させ、襲い掛かりました。
しかし、女性が大きな声を上げたため、佐川一政は警察に捕まります。
強姦未遂として処理されましたが、この時は父親の佐川明が被害者女性に示談金を払ったため、告訴されることなく終わりました。
この時、告訴されていたら?起訴されてきちんと精神鑑定などを受けていたら?パリ人肉事件は起こらなかったかもしれません。
佐川一政が起こしたパリ人肉事件とは
佐川一政が起こしたパリ人肉事件を詳しく見ていきましょう。
パリに留学してオランダ人留学生を自宅に誘いこむ
佐川一政はパリ第3大学大学院に留学するために、1977年4月26日、佐川一政の28歳の誕生日にパリに出発しました。そして、1980年に修士課程を修了し、博士課程に在籍します。
そして、ルネ・ハルテヴェルトという25歳のオランダ人女性を見かけ、彼女のことを「何ときれいな肌をしている女性だろう」と思い、心を奪われたといいます。
佐川一政は「日本人の先生がドイツ語で詩を吹き込んでほしいと言っている」と嘘をついて、ルネを自宅に誘い込みました。
背後から銃殺して屍姦
佐川一政の部屋にやってきたルネは、なにも疑わずドイツ語で詩を朗読し始めます。
そして佐川一政は、ルネがドイツ語で詩を朗読している時に、背後から消音器をつけたカービン(騎兵銃)でルネを銃殺したのです。
ルネを銃殺した佐川一政は、その場でルネの服を脱がせて自分も裸になり、屍姦しました。
これだけでも残忍な犯行なのに、佐川一政の凶行はこれだけでは終わらなかったのです。
遺体を食べた
そして、佐川一政は自分のカニバリズムの欲求を満たすための行動を起こします。
まずは、彼女の右のお尻に噛みつきました。しかし、肉は噛み切れなかったようで、果物ナイフで肉を切ろうとしましたが、できませんでした。
そして、店で先が曲がった肉切り包丁を買い、遺体から肉を切り取って生のまま食べています。
その後、遺体をバスルームに運び、肉切り包丁と電動のこぎりを使って、写真を撮りながら遺体を解体しました。
その日の夕食はルネのお尻と太もも、乳房の肉をフライパンでソテーしたものだったそうです。
遺体を捨てるところを目撃される
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6月はパリが一番暑い時期で、腐乱による臭いが出るのを恐れた佐川一政は、食べきれずに残った遺体をバラバラに解体して、2つのスーツケースに詰めました。
そして、タクシーに乗り、パリ西部のブローニュの森に行って、2つのスーツケースを池に捨てています。
ところが、この時の佐川一政の行動を見ていたフランス人の夫婦が怪しいと感じ、警察に通報。
警察がスーツケースを回収して中を調べると、1つのスーツケースからは胴体部分が、そしてもう1つのスーツケースからは頭部と手足が発見されたのです。
パリ警察に逮捕
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スーツケースから発見された遺体を調べたところ、遺体はオランダ人女性のルネ・ハルテヴェルトであることがわかりました。
そして、目撃情報から遺体のスーツケースを投棄していたのは、身長150mくらいの東洋人だと判明します。
当時のパリで身長150cmの東洋人男性なんて、そうそういませんので、すぐに容疑者として佐川一政が浮上しました。
また、遺体を投棄した時に佐川一政を乗せたタクシー運転手も名乗り出たため、1981年6月15日にパリ警視庁は佐川一政を逮捕しました。
この時、佐川一政は32歳でした。
佐川一政が日本で逮捕・有罪にならない理由
佐川一政はパリ人肉事件を起こしています。つまり、女性を1人殺害し、屍姦して、さらに遺体をバラバラにして食べるという犯罪を犯しました。
しかし、佐川一政は一度逮捕されたものの、刑務所に入っていません。日本では逮捕もされていないのです。
なぜ、佐川一政は逮捕・有罪にならなかったのでしょうか?
精神鑑定で不起訴で強制送還
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佐川一政は1981年6月15日に、フランスの警察に逮捕されています。そして逮捕後は、自供しています。
しかし、取り調べ中に「昔に腹膜炎をやった」というところを、通訳が「脳膜炎」と間違えて訳したため、精神鑑定にかけられることになりました。
そして精神鑑定の結果、心神喪失と判断されて不起訴になっています。その後は、アンリ・コラン精神病院に措置入院となりました。
ただ、通訳が「腹膜炎」を「脳膜炎」と誤訳するものでしょうか?たとえ、誤訳したとしても不起訴処分になるのでしょうか?ここは疑問が残ります。
この不起訴処分になった理由は、以下の2ちゃんねるの投稿が意外と的を射ているのではないかと思います。
31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/14(火) 09:30:09.39 ID:???
肺炎を脳炎と通訳し間違えるとか有り得ないよな。
面倒臭い気持ち悪い黄人を一刻も早く国外に出したかったんだろ。
被害者、フランス人じゃないし。
きちんと起訴して有罪として刑務所に収監したら、フランス人の税金を使って、佐川一政の衣食住の面倒を見ることになります。
それなら、さっさと措置入院させて、できるだけ短期間のうちに佐川一政を日本に強制送還した方がフランスとして得策だった…という考えですね。
また、佐川一政の父親がお金を積んで良い弁護士を雇い、かなりのお金を積んだために、不起訴処分になったという噂もあります。
佐川一政は金持ちのボンボン息子だったから富豪だった親が当時のフランスの検察や
公安に莫大な大金詰んだのではないか?
佐川一政の父親は佐川一政の逮捕後、1ヶ月程度はパリに滞在して奔走していたようですから、この噂はあながち嘘とは言い切れないかもしれません。
1984年に帰国して入院
フランスの精神病院に入院していた佐川一政は、1984年に日本に帰国しました。帰国後は、都立松沢病院(精神病院)に入院しています。
松沢病院で診察を受けた結果、佐川一政は「精神病ではなく人格障害」と結論づけられました。
この診断結果で、佐川一政は日本で裁判にかけられる可能性が出てきましたが、フランス警察は「一度不起訴になっている」という理由で、捜査資料を日本警察に公開しませんでした。
フランスで起こった事件であり、フランス警察の協力がなければ、捜査を進めることはできません。そのため、日本で罪に問うことはできなかったのです。
フランス警察が捜査資料を提供しなかった理由は、自分たちが不起訴にした事件なのに、日本で起訴されたら、自分たちのプライドがズタボロになるからだと思われます。
また、もしかしたら、佐川一政の父親がお金を積んでいた可能性もゼロではないでしょう。
日本でも裁かれなかった
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佐川一政はフランスで不起訴になり、日本でも裁判にかけられることはありませんでした。つまり、殺人・遺体損壊をしておきながら、有罪にならず、刑務所にも入らずに済んだのです。
帰国後は精神病院の都立松沢病院で入院することになりましたが、松沢病院自体で「精神障害ではなく人格障害」という診断を下しているので、それほど長期入院をさせることもできません。
そのような理由もあって、入院から15ヶ月で退院することになりました。
1984年に帰国してから、15ヶ月で退院したということですから、1985年ごろには自由の身になっているということです。
佐川一政は殺人・遺体損壊(カニバリズム)の罪を犯しておきながら、裁判で裁かれることもなく、刑務所に入ることもなく、事件から4~5年程度で自由の身になったのです。
佐川一政のその後の波乱の人生
佐川一政のその後の人生を見ていきましょう。実は波乱の人生を歩んでいたのです。
日本で有名人になる
松沢病院を退院した佐川一政は、様々な活動をして有名人になります。
・AV男優
・タレント
小説家として、いくつかの本を出版しました。また、AVにも出演しています。
さらに、テリー伊藤が演出して、爆笑問題が司会をした『佐川君の一週間』というビデオなどにも出演しました。
さらに、1989年に起こった宮崎勤事件では「猟奇的な事件の理解者・カニバリズム経験者」として、マスコミに注目され、事件についてコメントしたりしています。
また、1995年に起こった神戸連続児童殺傷事件の犯人である少年にも大きな影響を与えたと言われていて、佐川一政は「少年A」という本を1997年に出版しました。
少年Aは佐川一政に対して、次のようにコメントしています。
『佐川一政』という稀代の殺人作家の存在は、いつも僕の心の片隅にあった。正直に言えば、彼に“嫉妬”や“羨望”を抱いていた時期もあった
佐川一政は自由の身になった後はいろいろな活動をしていましたが、すべて「パリ人肉事件」を利用して、お金を稼いでいたと言って良いでしょう。
仕事が減り、金に困るようになる
佐川一政は一時は月収100万円ほど稼いでいたようですが、2000年ごろからは仕事が減り、お金に困るようになっていました。
それでも、佐川一政の父親は、佐川一政に仕送りを送って援助していたとのことです。
それでも父からは、仕送りがあったようです。ですから収入面で厳しくなったのは、父が亡くなってからです。
それでもお金は足りず、闇金からお金を借りて、借金が膨らんでいったようです。
両親の死後に借金返済するも生活保護に
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2005年になると、自分を守ってくれていた両親が相次いで亡くなりました。
この時、佐川一政は借金取りから逃げるために千葉にいて、両親の葬式への出席は「社葬」という理由から断られています。
自分の両親のお葬式に出席を拒否されるというのは、親戚の中でいかに佐川一政が厄介者扱いされていたかがわかるエピソードでしょう。
パリ人肉事件を起こし、その後はその知名度を利用してAV男優だのなんだのをやり、借金を作っているのですから、当然と言えば当然ですが。
ご両親の遺産が3000万円あり、弟と1500万円ずつ分けて、それで借金を返済していますが、その後は生活保護を受けるようになっています。
また、弟に金の無心をするようになったのも、両親が亡くなった後のことでした。
ぼくが大事にしていたチェロと、部屋に飾っていたリトグラフを売り飛ばしましたからね。チェロが100万円、1枚50万円のリトグラフを2枚。ある豪雨の夜、兄から電話があって、「近くの飲食店で話が聞きたいという人がいるから来てくれないか」と言われ店に行くと、待てど暮らせど誰も来ない。仕方なく家に帰ると、チェロもリトグラフもなくなっていました。
それでも、弟さんは肉親だからという理由で怒ることはありませんでした。
また、弟の純さんも自分の腕を痛めつけることで快感を得るという不思議な性癖を持っているので、その「変な性癖」という部分でつながりを感じていたのかもしれません。
佐川一政とパリ人肉事件は映画化されている
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佐川一政とパリ人肉事件を世間に思い出させたのは、2017年に制作された「カニバ パリ人肉事件38年目の真実」という映画です。
この映画は、佐川一政とパリ人肉事件を題材にしたドキュメンタリー映画で、佐川一政本人と弟の佐川純さんが出演しています。
第74回ヴェネツィア国際映画祭オリゾンティ部門審査員特別賞を受賞していますが、プレミア上映された時は観客の半分が途中退出してしまったという問題作です。
書籍化などもされていた
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パリ人肉事件と佐川一政を題材にしたものは、映画「カニバ パリ人肉事件38年目の真実」だけではありません。
小説家や劇作家として活動する唐十郎さんは、佐川一政との手紙のやり取りを「佐川君からの手紙」という小説にして出版し、芥川賞を受賞しています。
佐川一政は当初、映画化を希望していて、唐十郎さんに脚本を書いてもらいたかったようですが、途中で映画化の話はとん挫し、小説という形での出版になったようです。
それが、文学賞の最高峰の1つである芥川賞を受賞しているのですからすごいですよね。
また、世界的なロックバンドのローリングストーンズは、1983年の「アンダーカヴァー」というアルバムの中に「トゥー・マッチ・ブラッド」(Too Much Blood)という曲を収録。
この曲の中で、パリ人肉事件について直接言及しています。
あのローリングストーンズが題材にするほど、パリ人肉事件と佐川一政は世間に衝撃を与えるものだったと言えるでしょう。
佐川一政の現在~2022年に死去
寝たきり生活になる
佐川一政は、2013年に脳梗塞を起こして救急搬送されて以後、左足が不自由になり、さらに2018年には食べていたお弁当をのどに詰まらせて、誤嚥性肺炎を起こしています。
そして、そのあとは寝たきりの状態が続き、胃ろうを作ってそこから栄養を入れていたため、口からものを食べることはできなくなりました。
弟が介護
病院に入院する佐川一政の介護をしていたのは、弟の佐川純さんでした。2日に1度は、佐川一政の面会に病院に通っていたとのことです。
「今は会話も難しくなっていますが、病室に行くと私の手をずっと握ってくるんですよ」
純さんは当サイトに「最初の頃は自宅で僕が介護して、オムツを替えたりとか全部やっていました。その後、喉を詰まらせて病院に入って、それからはずっと、いくつか病院を変わりながら生活していました。要介護度も5までいってしまった」と振り返る。
佐川一政は生活保護を受け、佐川純さんは年金と少額の生活保護で生活しているとのことでした。
肺炎のため死去
入院し、寝たきり生活を送っていた佐川一政ですが、2022年11月24日、73歳の時に肺炎のため都内の病院で死去しました。
葬儀は身内のみで執り行われ、喪主は弟の佐川純さんが務めたとのことです。
本日、兄の葬儀が執り行われました。ご時世柄、身内だけの葬儀でした。お世話になった方々へは申し訳ありませんが、今後もお別れ会等の予定はございません。生前のご厚誼に深く感謝し、厚く御礼申し上げます。
2022年12月1日 親族代表「カニバの弟」佐川純
病院から連絡があり駆けつけるも、佐川一政の死に目には間に合わなかったという佐川純さん。
「子どもの頃と変わりなく、兄貴は兄貴として仲良く過ごしていました」と、世界中を震撼させる事件を起こした兄であっても、最期まで良い兄弟関係を築いていたことを、佐川一政の死後に語っています。
佐川一政のまとめ
パリ人肉事件の犯人の佐川一政の身長や生い立ち、家族(父親・母親・弟)の情報、パリ人肉事件の詳細、日本で逮捕・起訴されない理由、映画化と死去した現在までをまとめました。
佐川一政の人生の詳細を知っても、底知れない不気味さを感じずにはいられません。