坂本堤弁護士一家殺害事件を覚えていますか?幸せそうで善良な弁護士一家がオウム真理教によって殺害された事件です。
この事件を風化させないためにも、坂本堤弁護士一家殺害事件の概要や犯人、事件の流れ、犯行現場の自宅の様子、事件発覚から遺体発見まで、さらに事件の発端になったと言われるTBSビデオ問題についてまとめました。
この記事の目次
坂本堤弁護士一家殺害事件とは
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坂本堤弁護士一家殺害事件とは、1989年11月4日に起こった一家殺害事件です。弁護士の坂本堤さんと奥様の都子さん、1歳の龍彦ちゃんが、オウム真理教の6人によって殺害されました。
犯人:オウム真理教(実行犯6人)
被害者:坂本堤弁護士一家(3人)
遺体発見:1995年9月6日、9月10日
事件現場:坂本堤弁護士の自宅
犯人の処罰:全員死刑(1人は逮捕前に刺殺)
この坂本堤弁護士は「オウム真理教被害者の会」を組織していて、そのことをオウム真理教から逆恨みされて殺害されてしまったという悲しい事件です。
この坂本堤弁護士一家は自宅で殺害されて、山の中に埋められてしまい、遺体は発見されませんでした。
そのため、失踪事件として扱われ、事件発生から6年間は殺害事件として捜査されることはなく、地下鉄サリン事件をきっかけにオウム真理教に捜査のメスが入ってから、ようやく捜査されて、遺体が発見され、殺人事件であることが明らかになったんです。
坂本堤弁護士一家殺害事件の犯人はオウム真理教
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坂本堤弁護士一家殺害事件の犯人は、オウム真理教です。先ほども説明しましたが、坂本堤弁護士は、「オウム真理教被害者の会」を組織していました。そして、教団との交渉やマスコミ対応などは坂本堤弁護士が一手に引き受けていました。
坂本堤弁護士の活動によって、世間的に「オウム真理教はヤバイ教団である」、「オウム真理教は危険」という認識が広がり始めます。
そのことを疎ましく思ったオウム真理教は坂本堤弁護士一家を殺害することにしました。坂本堤弁護士一家の殺害を指示したのは、オウム真理教の教祖である麻原彰晃(松本智津夫)であり、実際に実行したのはオウム真理教幹部の次の6人でした。
・早川紀代秀
・岡崎一明
・新実智光
・中川智正
・端本悟
麻原彰晃と村井秀夫を除く実行犯は全員死刑となっていますが、村井秀夫は1995年4月24日に刺殺されていて、裁判は受けていません。
坂本堤弁護士一家殺害事件の流れと真相
坂本堤弁護士一家殺害事件の流れを見ていきましょう。あまりにもオウム真理教の残虐さと計画のずさんさが目立つ殺人事件であることがわかると思います。
犯行のきっかけ
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オウム真理教が坂本堤弁護士を殺害しようと思い立ったのは、坂本堤弁護士が「オウム真理教被害者の会」を組織し、オウム真理教に対して批判を繰り返し、その反社会性を追求していたためです。
坂本堤弁護士はジャーナリストの江川紹子さんの紹介で、出家信者の母親から息子の脱会について相談を受けました。それをきっかけとして、「オウム真理教被害者の会」が組織されるようになります。
オウム真理教被害者の会には、他にも弁護士がいましたが、オウム真理教と交渉したり、メディアに出るのは坂本堤弁護士だけだったので、オウム真理教にとっては、「オウム真理教被害者の会=坂本堤弁護士」というイメージになっていたんです。
そして、オウム真理教の反社会性がクローズアップされるようになってからは、坂本堤弁護士は「サンデー毎日」に取材されるようになります。
さらに、後述するTBS番組では、坂本堤弁護士は、次のように述べています。
・「宗教を利用したインチキ商法になっているのであれば断罪されるべき」
・「尊師に超能力で跳んだり透視するのを実演してほしいと頼んだが、それはできないとのことだった」
・「血のイニシエーションは詐欺」
このようにオウム真理教を正々堂々と批判する坂本堤弁護士は、オウム真理教にとっては目障りな存在であり、今後の教団運営に支障が出る存在に映ります。
坂本堤弁護士との交渉決裂
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TBSで自分たちを坂本弁護士が批判しているVTRを見たオウム真理教幹部は、事件発生の4日前に坂本堤弁護士の所属事務所である横浜法律事務所を訪れます。
そして、オウム真理教に対する訴訟準備を進めていた坂本堤弁護士に、訴訟回避の交渉をしますが、坂本堤弁護士は「DNAイニシエーションは詐欺である」、宗教の自由を主張する上祐に対し「人を不幸にする自由はない」と主張して、交渉は決裂します。
そして、坂本堤弁護士はオウム真理教を相手にした訴訟準備をさらに進めることにしました。
オウム真理教の浅原からの指示
坂本堤弁護士との交渉が失敗したことを知ったオウム真理教の教祖である麻原彰晃は、第1サティアンの自分の部屋に患部の村井秀夫・早川紀代秀・岡﨑一明・新実智光・中川智正を集めます。
そして、麻原彰晃は次のように述べます。
「坂本弁護士の件だけれども、もうティローパ大師〔早川〕と決めたんだけれども、ポアするんだよと言いました」
引用:坂本弁護士一家殺害事件から30年 ~事実や教訓を正しく後世に伝えたい(江川紹子) – 個人 – Yahoo!ニュース
ポアとは、教団内で使われていた「殺害」を意味するスラング(隠語)です。この時、麻原彰晃はポアのサイン(右手の親指と人差し指で輪を作ってはじく)をしたという証言があります。
麻原彰晃が指示した殺害方法は、塩化カリウムを用いたものです。塩化カリウムを注射することで、不整脈を引き起こして殺害しようとしたんです。
待ち伏せ失敗
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当初の予定では、オウム真理教は坂本堤弁護士が通勤で使う横浜の洋光台駅で待ち伏せし、車の中に拉致して、塩化カリウムを注射して殺害するという計画を立てていました。
しかし、洋光台駅で待っていても、坂本堤弁護士は現れませんでした。それもそのはず。待ち伏せしていた日は11月3日で文化の日・祝日だったので、坂本堤弁護士は事務所に出勤していなかったんです。
実行犯は中川智正以外、当日が祝日であったことを忘れていて、中川に指摘されて「祝日だ」ということに気づきます。
自宅へ急襲
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祝日であり、当初の計画で殺害できなくなった実行犯6人は、坂本堤弁護士の自宅へ向かいます。そして、そっとドアノブをチェックすると、鍵が閉まっていなかったことがわかりました。
自宅で坂本堤弁護士を殺害できる状況でしたが、妻の都子さんと息子の龍彦ちゃんも一緒に殺害しなければいけないため、実行犯の早川は麻原彰晃に電話で相談します。
麻原彰晃は「(家族を巻き添えにすることは)しょうがないんじゃないか。一緒にやるしかないだろう。」として、一家全員殺害することを指示します。
坂本一家3人を殺害
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祝日でももしかしたら出勤していたかもしれないと思い、念のため、早川と新実は洋光台駅に戻り、坂本堤弁護士が帰宅しないかどうかを確認します。しかし、最終電車まで待っても、坂本堤弁護士は現れなかったため、自宅前に戻り、自宅で一家3人を殺害することにしました。
決行は11月4日の午前3時ごろ。自宅を急襲した実行犯は、塩化カリウムを注射して3人を殺害しようとしますが、激しい抵抗があり、血管ではなくお尻に注射したため、注射の効果はなく、最終的には窒息死させることになりました。
坂本弁護士は顎を6~7回殴られ、都子さんは「子どもだけは」と命乞いをして、村井の指を噛むなどの抵抗をしましたが、6人の実行犯の前に力尽きています。
遺体の隠ぺい
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3人を殺害した後、オウム真理教の実行犯6人は、3人の遺体を車に乗せて、教団本部がある上九一色村に運びます。
そして、その後3人の遺体は別々の車に乗せられ、坂本堤弁護士は新潟県上越市の山中に、都子さんの遺体は富山県魚津市の林道に、龍彦ちゃんの遺体は長野県大町市の山中に埋められました。もし、遺体が発見された時に歯型から身元がバレないように、ツルハシなどで顔や歯を潰してから埋められたとのことです。
坂本堤弁護士一家殺害事件の現場の自宅の様子
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坂本堤弁護士一家は事件発生時は、横浜市内のアパートの2階に住んでいました。事件後のアパートの室内は次のようになっていました。
・居間のテーブルには急須と夫婦の湯飲み茶碗が2つ出ていた
・流しの洗い桶には食器が洗わずに積んであった
・3人の寝具がそっくりなくなっていた
・テレビがずれていて、その後ろに堤さんの洋服や腕時計が落ちていた
・オウム真理教のバッジ「プルシャ」が落ちていた
・いつのものかわからないが血痕が少し残っていた
遺体がなく、大きな血痕が残っていたわけではないので、明らかな事件性があるとは言えない自宅現場でしたが、それでも「おかしい」と感じる自宅現場だったようです。
坂本堤弁護士一家殺害事件の遺体発見まで
坂本堤弁護士一家殺害事件は11月4日の未明に発生します。事件が発覚してから、遺体が発見されるまでの流れを見ていきましょう。
事件の発覚
坂本堤弁護士一家は11月4日の午前3時ごろに自宅で殺害されました。その後、遺体は車で運ばれ、3人別々に山中に埋められてしまいます、
一家3人がいなくなったのに気付いたのは、横浜法律事務所の同僚の弁護士です。坂本弁護士が出勤してこないことを不審に思い、坂本堤弁護士の家族に連絡して、家族が警察に届けます。
この時点で、オウム真理教の実行犯は3人を山中に埋めて上九一色村に戻ってくる前だったとのことですので、かなり早い段階で「坂本堤弁護士一家がいなくなった」ということを警察は把握できていたということになります。
オウム真理教が疑われる
坂本堤弁護士一家が忽然と姿を消したことで、オウム真理教の関与が疑われました。坂本堤弁護士は「オウム真理教被害者の会」でオウム真理教と対立していて、宗教法人の取り消しを求める民事訴訟の準備を始めていたからです。
しかも、坂本堤弁護士の自宅には、犯行時に新実が落としたオウム真理教のバッジ「プルシャ」が落ちていました。また、同僚の弁護士もオウム真理教の犯行ではないかと思い、実行犯の早川の名前を警察に告げていました。
しかし、教団は「(現場に落ちていたプルシャについて)坂本弁護士が被害者の会の親から預かったものか、第三者が故意に置いたと考えるのが自然」と会見で述べていて、自分たちの関与は否定しています。
警察は積極的に捜査せず
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神奈川県警は、前述のオウム真理教の会見を見て、11月19日にオウム真理教の麻原彰晃への事情聴取を申し込みます。
でも、修行を理由にオウム真理教はこれを拒否。さらに11月21日にはオランダに向けて出国してしまいますので、警察はオウム真理教の事情聴取ができないまま出国(海外逃亡)されたことになります。
そもそも、神奈川県警はこの坂本弁護士一家殺害事件を積極的に捜査していませんでした。一家が自発的に失踪した可能性があると見ていたんです。
神奈川県警は、「横浜法律事務所の言うように拉致だ、拉致だ言ってると今に恥をかくぞ」、「横浜法律事務所の弁護士さんたちが、マスコミにベラベラ喋るので困る」と言っていたようですし、「坂本弁護士は借金を抱えて失踪した」、「(仕事で得た)大金を持ったまま逃げた」という事実無根の噂をマスコミに流したこともありました。
この時に、警察が本腰を入れて捜査をし、オウム真理教にメスを入れて実行犯と麻原彰晃を逮捕できていれば、地下鉄サリン事件や松本サリン事件などは起こらなかったと言われています。
神川県警がきちんと捜査しなかったため、オウム真理教は「3人を殺害しても、捜査されない!やり放題」と思い込み、その犯罪が徐々にエスカレートしていった可能性は高いです。
事件が風化
警察が積極的に捜査をしない中、11月21日に弁護士有志の団体として「坂本弁護士と家族を救う全国弁護士の会」が結成され、全国でビラ配りなどを行います。しかし、有力な情報は得られませんでした。
オウム真理教はその後、積極的にメディア出演を繰り返し、有名人と共演して身の潔白を主張していたため、「オウム真理教が怪しい」という風潮は徐々に薄れていきます。
また、1990年に教団を脱走した実行犯の1人の岡崎から、遺体を埋めた場所等のタレコミがありますが、遺体は発見されず、その後も実行犯が別件で逮捕されたこともありますが、坂本堤弁護士一家殺害事件とのつながりは捜査されず、事件は風化していきました。
遺体発見
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坂本堤弁護士一家の遺体が発見されたのは、事件から6年経った1995年のことです。地下鉄サリン事件をきっかけにオウム真理教に捜査のメスが入ります。
そんな中、オウム真理教を脱走した実行犯の岡崎が、坂本堤弁護士一家の真相をようやく供述しました。そして、1995年9月6日に、供述場所の大掛かりな捜索を行ったところ、坂本堤弁護士と都子さんの遺体が発見されました。9月10日に龍彦ちゃんの遺体が発見され、ようやく坂本堤弁護士一家はオウム真理教に殺害されていたことが判明するのです。
坂本堤弁護士一家殺害事件とTBSビデオ問題
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坂本堤弁護士一家殺害事件のきっかけとなったのは、TBSのビデオ問題ではないかと言われています。
TBSの『3時にあいましょう』でオウム真理教の特集を放送する予定で、坂本堤弁護士のインタビューを撮影していました。
このことを知ったオウム真理教の幹部の早川紀代秀、上祐史浩、青山吉伸はTBSを訪れて、坂本堤弁護士のインタビューを見せるように執拗に要求します。TBSはオウム真理教幹部に放送前の坂本堤弁護士のインタビューを見せ、しかも放送自粛を求めるオウム真理教の要求を承諾してしまったんです。
この坂本堤弁護士のインタビューをオウム幹部が見た数日後に、坂本堤弁護士一家は殺害されています。
このTBSビデオ問題が、どのくらい坂本堤弁護士一家殺害のきっかけになったかは不明です。しかし、坂本堤弁護士一家の殺害をへの道を加速させたことは間違いないでしょう。
TBSは取材源の秘匿というジャーナリズム精神の原則に外れたことをしただけでなく、坂本堤弁護士一家失踪後も、オウム真理教幹部にビデオを見せたことを警察に伝えず隠していたことなどから、批判を集めることになりました。
坂本堤弁護士一家殺害事件の現在
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坂本堤弁護士一家の遺体が発見され、実行犯6人が明らかになり、麻原彰晃の指示で行われた犯罪であることがわかりました。
実行犯の1人である村井秀夫は、遺体発見前の1995年4月23日に暴力団関係者にテレビの生中継中に刺され、翌日未明に亡くなっています。それ以外の実行犯5人と麻原彰晃は全員死刑判決になっています。
2018年7月に全員の死刑が執行されていますので、現在は刑は執行済みということになります。
坂本堤弁護士一家殺害事件のまとめ
坂本堤弁護士一家殺害事件の犯人や流れ、犯行現場の自宅の様子、事件発覚から遺体発見まで、TBSビデオ問題などをまとめましたが、いかがでしたか?
・坂本堤弁護士は「オウム真理教被害者の会」を組織していた
・遺体が見つかったのは事件から6年後のこと
・警察の初動捜査の不手際が問題視されている
・TBSビデオ問題が事件の引き金になった可能性もある
・麻原彰晃と実行犯はみんな死刑が執行された
あの時、TBSがオウム真理教幹部にビデオを見せていなければ、坂本堤弁護士一家殺害事件は起こらなかったかもしれない。あの時、警察がきちんと捜査していれば、松本サリン事件や地下鉄サリン事件は起こらなかったかもしれない。
「タラレバ」の論争は意味がありませんが、この坂本堤弁護士一家殺害事件を見ると、「タラレバ」と考えずにはいられません。