フィリピン人女性2人を殺害して死刑囚になった野崎浩ですが、殺害動機や死刑執行前に死亡した経緯が話題です。
今回は野崎浩の経歴、顔写真や生い立ち、お台場バラバラ殺人事件と過去の事件の概要、判決や死亡した経緯をまとめました。
この記事の目次
野崎浩とはお台場バラバラ殺人事件の犯人
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野崎浩は、1999年と2008年にそれぞれ交際中だったフィリピン人女性を殺害し、さらに遺体をバラバラに切断して、遺棄した殺人犯です。
2012年12月に死刑が確定し、東京拘置所に拘留されていましたが、2020年12月13日に慢性腎不全のために死亡し、死刑が執行されることはありませんでした。
野崎浩の顔写真の猫耳が話題に
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野崎浩の顔写真はこちらです。ニュース等で報じられている野崎浩の顔写真は、なぜか猫耳がついているものです。
野崎浩は小太りで、髪型は天然パーマの長髪を後ろで1つに束ねているものがいつものスタイルでした。一部報道では、「長州小力」似とされています。
上記の顔写真ではアプリを使っていますので、目がパッチリとした修正写真です。本物はもう少し目が小さく、人相が悪いと思われます。
小太りのロン毛の48歳の中年おじさんがなぜ、22歳の美人なフィリピン人女性と交際できていたのか?不思議で仕方ありません。
超金持ちだったら納得できますが、野崎浩は金持ちでもなく、金払いが良いわけでもなく、しかも犯行当時はヒモ状態だったとのこと。いったい何があったのでしょうか?
野崎浩の生い立ちや性格とは
野崎浩の生い立ちはあまり詳しくはわかっていません。報道されて明らかになっていることは、次のような情報です。
・父親の職業:百貨店店員
・生年月日:1959年(昭和34年)8月29日
・「君は僕のプリンセスだ」と口説く
犯罪歴あり
野崎浩には2008年に逮捕される以前にも、刑務所に入っていた過去がありました。
この後詳しく説明しますが、1999年に遺体損壊・遺体遺棄の罪で3年6ヶ月の実刑判決を言い渡されているんです。
そのため、2003年7月5日に満期出所するまで刑務所に入っていました。しかも、この遺体損壊・遺体遺棄の罪が発覚したのは、横領容疑で逮捕されたからです。
この経歴を見ると、野崎浩は根っからの犯罪者であり、犯罪を犯すことへのハードルが低かったことがうかがえます。
独占欲が強く嫉妬深い性格
野崎浩は独占欲が強く、嫉妬深い性格だったと思われます。
2008年に殺害したカミオオサワ・ハニーフィット・ラティリアさんが、他の客や友達、家族の話をすると、嫉妬して暴力をふるっていたとの情報があります。
また、殺害した動機は「交際中のフィリピン人女性に冷たくされたから」とのこと。しかも、2人ともです。
さらに、ただ単に殺害するだけでなく、遺体をバラバラにして運河や海に遺棄するあたりに、サイコパス臭を感じずにはいられません。
すぐにヒモになった?
40代男性が20代のフィリピン人女性と交際するとなると、普通に考えたら、男性はお金持ちなんだろうと思いますよね。
でも、そうではなかったようです。むしろ、野崎浩はフィリピン人女性のヒモでした。
フィリピン人ホステスに恋愛感情を抱いた野崎が、仕事への送迎や家事、そして彼女たちの子供の面倒を見ていたが、冷たくされたと感じたことから犯行に及んだのだという。
「仕事の送迎や家事、子供の面倒を見る」というのは、専業主婦のようです。というか、仕事をする気がないヒモですよね。
さらに、野崎浩は2008年には家賃が25万円以上するお台場のマンションに住んでいました。
しかし、このマンションには野崎浩だけでなく、殺されたラティリアさん、さらに20歳と19歳のラティリアさんの従妹2人と一緒に住んでいて、家賃は4人で折半だったとのこと。
しかも、野崎浩は徐々に家賃を払わなくなっています。つまり、完全なヒモになったということですね。
最初は羽振りよく見せていたこともあったようですが、ホステスを引っかけたら、すぐにヒモになったということでしょう。
野崎浩のお台場バラバラ殺人事件の概要
野崎浩が起こした2008年のお台場バラバラ殺人事件の概要を見ていきましょう。
被害者は22歳のフィリピン人ホステス
この事件の被害者はフィリピン人ホステスで当時22歳だったカミオオサワ・ハニーフィット・ラティリアさんです。
ラティリアさんはフィリピン生まれですが、母親が日本に出稼ぎに来ていたため、子供の頃に日本に呼ばれて日本の学校に通っていたので、日本語はペラペラでした。
2007年8月ごろから上野のフィリピンパブで働いていたところで野崎浩と出会い、野崎から猛烈アプローチを受けて交際に発展します。
また、2007年12月からはもっと給料が良いところで働きたいと、六本木のフィリピンパブで働いていました。
野崎浩が絞殺して洗濯機で遺体を処理…
野崎浩とラティリアさんは、野崎が滞納する家賃などをめぐり、口論が絶えなくなっていました。
そして2008年4月3日、出勤時間になってもお店にラティリアさんが姿を現さなかったため、同じ店で働いていて、同居していた従妹がお台場のマンションに様子を見に行きました。
マンションに入った従妹が見たものは、遺体と思われる肉片を抱えている野崎浩の姿でした。
従妹は自分も殺されると思い、部屋から逃げて警察に通報します。そして、警察と一緒に部屋に戻ったものの、野崎浩の姿は消えていました。
部屋に残されていたのは紙袋に入った女性の腕と腰の部位のみ。野崎浩はスーツケース2つにラティリアさんの残りの遺体を詰めて逃亡したんです。
逮捕後の供述で、野崎浩はラティリアさんに無視されたことに激高し、首を絞めて殺害後、包丁で遺体をバラバラにしています。
そして、その遺体を扱いやすくするために、洗濯機の脱水機能を使ったとのことです。恐ろしいほど、遺体の処理に手慣れていますよね。
普通、遺体の中の血を抜くために、脱水機能を使おうとは思いつきませんから。
遺体の一部は浜松町駅のコインロッカーから発見され、頭部は東京湾から発見されました。
野崎浩が起こした過去の殺人事件の概要
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野崎浩は1999年にもバラバラ殺人事件を起こしています。被害者はヨネダ・ロンガキット・エルダ(当時27歳)さんです。
エルダさんもフィリピンパブで働いていたフィリピン人で、野崎浩と交際していました。
野崎浩は1999年4月22日、横浜市内のマンションでエルダさんの首に掛け、布団を強く押し当てて窒息死させています。
そして、4月下旬から5月上旬にかけてエルダさんの遺体を解体し、横浜市内の運河など数か所に遺棄しました。
その後、1999年9月に野崎浩は横領の罪で逮捕されます。
この時の取り調べで、野崎は当時行方不明扱いになっていたエルダさんと交際していたことが判明しました。
さらに野崎が料金を踏み倒して乗っていたレンタカーから人骨が見つかったことなどから、エルダさん殺害の容疑が野崎浩にかかります。
野崎浩は「自宅に連れていったら翌朝死亡していた。弔いのために遺体をバラバラにした」と供述し、殺害は否認しています。
遺体が見つからず、犯行経緯も不明だったため、殺人での立件は見送られ、遺体損壊・遺体遺棄での立件になりました。
遺体損壊・遺体遺棄の罪で、野崎浩は懲役3年6ヶ月の実刑判決を言い渡され、2003年7月5日に満期出所しています。
野崎浩はお台場バラバラ殺人事件で死刑囚として服役
野崎浩はラティリアさんの遺体をスーツケースに詰めて逃亡した後、犯行から3日後の4月6日夜に埼玉県川口市の路上で手首を切って自殺を図ったものの、発見され、救急搬送されました。
この時、ラティリアさんの遺体が浜松町駅のコインロッカーにあるというメモを救急隊員に渡したために、遺体発見につながりました。
治療後にラティリアさん殺害容疑で逮捕された野崎浩は、その後1999年の殺人容疑でも逮捕されて起訴されました。
これにより、1999年の殺人事件での裁判では遺体損壊と遺体遺棄の罪を裁いただけだったので、殺人容疑での立件が可能になったのです。
つまり、ラティリアさん殺害容疑で逮捕後の裁判は、2人の殺人+1人の遺体遺棄・損壊で進められることになりました。
第一審では2008年の殺人・遺体損壊・遺体遺棄は無期懲役、1999年の殺人は懲役14年という判決となりました。その後、検察・弁護側共に控訴しています。
第二審では第一審の判決を破棄して、2008年の事件は死刑、1999年の事件は懲役14年という判決が言い渡され、2012年には弁護側の上告が棄却され、死刑+懲役14年が確定しています。
刑期は、重いものから執行される決まりですので、この判決での「懲役14年」はほぼ関係なく、野崎浩は「死刑」であり、死刑囚となりました。
野崎浩は死刑執行前に死亡していた…
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野崎浩は2012年12月14日に死刑囚となりましたが、死刑が執行されることはありませんでした。
2018年に腎機能が悪化し、人工透析を受け始めています。しかし、シャント(人工血管)の血流が2020年11月ごろから悪くなり、透析用のカテーテルを挿入して、治療を行っていました。
その後、2020年12月になると、抗生剤の治療や人工透析を拒否するようになり、2020年12月12日に意識が亡くなり、翌13日に死亡が確認されています。享年61歳でした。
死刑囚が病気で死刑前に死亡することは珍しくありませんが、人工透析を拒否すると死亡前は非常につらく苦しいと言われています。そのため、死ぬ前は相当な苦痛を味わったことでしょう。
ただ、野崎浩は治療を拒否することで、自分で自分の死を選ぶことができた、とも言えます。死刑の恐怖を味わわずに済んだと考えると、遺族としては納得できないでしょう。
野崎浩とお台場バラバラ殺人事件のまとめ
野崎浩の顔写真や生い立ち・性格、2008年のお台場バラバラ殺人事件と1999年のバラバラ殺人事件のそれぞれの概要、逮捕から判決までの経過、死亡した経緯などをまとめました。
フィリピン人女性のヒモになり、冷たくされたから殺害してバラバラにしてしまう中年男性。相当ヤバイことは間違いないでしょう。
死刑囚にも人権はあるし、病気なら治療を受ける権利はもちろんあります。でも、死刑囚なのに自分で死を選ぶことができたという結末は、被害者・遺族の気持ちを考えるとやり切れません。