菊地陽子さんはアイドルや役者として若い頃に活躍しましたが、現在はすでに白血病で亡くなっています。
今回は菊地陽子さんの経歴や家族、結婚歴、死因やお墓の場所、番外編として堀越高校の同級生に関する事件も紹介します。
この記事の目次
菊地陽子のプロフィール:アイドル歌手で役者としても活動していた
生年月日:1967年10月28日
出身地:青森県
所属事務所:竹内事務所
菊地陽子さんはアイドル歌手で、代表曲には「風色タッチ」、「ねがわくば…Kiス」などがあります。
その後、事務所移籍に伴い本格的に役者として活動するように。そのため、役者としての印象の方が強いという方も多いのではないでしょうか。
なお、「菊地陽子」は本名です。
菊地陽子の家族:情報はほとんどなし・一人っ子との噂も
菊地陽子さんの家族に関する情報はほとんどありません。
ネットでは、兄弟はおらず、一人っ子だったのではないかと言われています。
また、家族が不仲だったというような話もなく、ごく一般的な家庭だったのではないでしょうか。
ちなみに、菊地陽子さんは10代で芸能界入りを果たしており、高校は芸能コースのある堀越高等学校を卒業しています。
そういった背景から、芸能活動にある程度理解のあるご両親だったのではないでしょうか。
菊地陽子の経歴① ミス・セブンティーンコンテストで芸能界入り
菊地陽子さんは、1982年に開催された「ミス・セブンティーンコンテスト」でTBS賞を受賞したことを機に、芸能界入りを果たしました。
その翌年の1983年には、アイドル歌手としてデビュー。1983年に「風色タッチ」、「ねがわくば…Kiス」を発売しています。
菊地陽子の経歴② 役者として人気作品に出演
菊地陽子さんは、歌手活動と並行して役者としても活動。1983年放送のNHKのドラマ「だから青春 泣き虫甲子園」ではヒロイン・園田夏子役を演じました。
弱体チーム青葉高校野球部の監督、園田竜之介はチームを立て直すために、高校時代バッテリーを組んでいた大友の長男・旭を預かることに。しかし、それを知らない夏子とチカラは旭の下宿に猛反対。翌日、旭は野球部を尋ねるが、あまりの出来の悪さに愕然とする。そこで、チーム補強のために部員を集めることに。目をつけたのは剣道部の本郷健太郎だったが・・・。
ちなみに、そのほかにも日本テレビ系列の「太陽にほえろ!」、フジテレビ系列の「スケバン刑事」などの人気作品にも出演しています。
菊地陽子の経歴③ 所属事務所が倒産&移籍を機に役者業に注力
順調に芸能活動を続けていた菊地陽子さんですが、1986年に所属していた「ニューバンブー音楽事務所」が倒産したため、「竹内事務所」へと移籍します。
同事務所は、ベテランの役者が数多く在籍しており、菊地陽子さんも自然な流れで役者業に注力することに。
1988年にTBSで放送された時代劇「水戸黄門 第18部」第9話や、1990年にTBSで放送された時代劇「大岡越前 第11部」第21話など、数多くのドラマに出演。
以降も「銭形平治シリーズ」や2時間ドラマなどに出演しています。
菊地陽子の経歴④ バンドを結成するも解散
菊地陽子さんは事務所移籍後、歌手活動を完全にやめたというわけではなく、1993年にはバンド「BUTTER FIELD」をシンガーソングライターの関美彦さんらと結成します。
ミニアルバムも発売しましたが、その後目立った活動もなく解散となってしまいました。
ちなみに関美彦さんは、同バンド結成の経緯について以下のように振り返っています。
たまたま僕の働いていたレコード屋に遊びに来ていた女の子とよく話するようになって、で何かバンドをやろうっていう話になって。で色々と聞いてみたらその子が元アイドルだっていうことが分かって、菊地陽子っていう名前をたまたま知っていたんで、で一緒にやろうっていうことになったんです。
引用:関 美彦
菊地陽子は結婚している?
菊地陽子さんが結婚していたかどうかはわかっていません。しかし、結婚が報じられたような形跡もなく、おそらく未婚だったと思われます。
また、恋愛も報じられたことがほとんどなく、1983年放送のNHKのドラマ「だから青春 泣き虫甲子園」で共演した役者の新田純一さんと一時噂になった程度なのだとか。
しかし、ドラマや映画で共演したことを理由に熱愛を噂されるパターンはガセネタのことが多く、こちらも信憑性に欠けています。
菊地陽子の現在:享年32歳で逝去・死因は白血病だった
菊地陽子さんは1999年12月23日に逝去。死因は白血病で、享年32歳でした。
そのほかの詳細については明かされておらず、お墓の場所も不明です。
白血病は、血液のがんです。血液の中には、赤血球、白血球、血小板という3つの血球があります。これらの血球が作られる過程で何らかの異常が発生し、白血病細胞と呼ばれるがん細胞が作られ、血液や骨髄の中に増えてしまった病気が白血病です。白血病は、急激に進行する急性白血病と、ゆっくりと進行する慢性白血病に分けられます。
引用:白血病
なお、白血病というと若い人も罹患するイメージですが、実際には60歳以上の患者さんが多いのだとか。
芸能界においては、近年で言うと役者の渡辺謙さん、歌手の本田美奈子さん、アナウンサーの大塚範一さんなどが白血病を公表しています。
菊地陽子の「事件」の真相…在籍していた堀越高校3年D組は事件が多い?
残念ながら32歳という若さで亡くなってしまった菊地陽子さん。
菊地陽子さんの名前で検索すると「事件」というワードがヒットしますが、それは以下の2つのことが原因のようです。
まず1つ目ですが、女優の菊容子さんと菊地陽子さんが混同して検索されているようです。
菊容子さんは交際相手に殺害されていますが、名前が似ている菊地陽子さんが殺害されたと勘違いしている人がいるようです。
2つ目として、菊地陽子さんが堀越高校時代に在籍していたのは”3年D組”。その”3年D組”には「事件が多すぎるのではないか」とネットで噂になっています。
本田美奈子:白血病で2005年に逝去、享年38歳
生年月日:1967年7月31日
出身地:東京都
所属事務所:BMI
本田美奈子さんは歌手で、役者・声楽家としても活躍していました。
1983年にスカウトを受け、アイドル歌手として1985年に「殺意のバカンス」でデビュー。以降も、「Temptation」「1986年のマリリン」といった曲がヒットしました。
また、1990年にオーディションを経てミュージカル「ミス・サイゴン」のヒロイン役に合格。同オーディションには1万5000名ほどの応募があったといいます。
本田美奈子さんは同作以降、ミュージカルにも注力。1992年には、「ゴールデン・アロー賞」の演劇新人賞を受賞しました。
また、2003年頃からはクラシックにも挑戦。クラシックの曲に歌詞をつけて歌うスタイルで新たな道を見出しています。
しかし、翌年から風邪のような症状が続くようになり、2005年に「急性骨髄性白血病」と診断。化学療法や臍帯血移植、抗癌剤治療などにも取り組みましたが、同年11月6日逝去。
享年38歳で、肺への合併症が容体の急変を引き起こしたとのことです。
「1986年のマリリン」などのヒット曲で知られ、ミュージカル女優としても活躍した歌手の本田美奈子(ほんだ・みなこ、本名工藤美奈子=くどう・みなこ)さんが6日午前4時38分、急性骨髄性白血病のため東京都内の病院で死去した。38歳。東京都出身。葬儀・告別式は9日午前10時から埼玉県朝霞市溝沼1259ノ1、朝霞市斎場で。
岡田有希子:飛び降り自殺で1986年に逝去、享年18歳
生年月日:1967年8月22日
出身地:愛知県
所属事務所:サンミュージック
岡田有希子さんはアイドル歌手で、本名は「佐藤佳代」といいます。
幼い頃から芸能界に憧れを抱いていた岡田有希子さんは、中学生になるとさまざまなオーディションに参加。
1982年に日本テレビ系列で放送されていた「スター誕生!」に出演したことを機に、芸能界入りを果たしました。
その後、1984年に「ファースト・デイト」でデビュー。同じ事務所の先輩・松田聖子と比較されることが多く、「第2の松田聖子」として世間から注目されていたそうです。
また、同年は「日本レコード大賞」の最優秀新人賞をはじめ、各新人賞を総なめ。
以降は、アイドル歌手としてだけでなく、ドラマ・ラジオとあらゆるメディアで引っ張りだこに。1985年にTBS系列で放送されたドラマ「禁じられたマリコ」では、主演も務めました。
歌手デビュー以来、「くちびるNetwork」などのヒット曲に恵まれていましたが、1986年にリストカットによる自殺未遂が発覚。
病院で治療を受けていましたが、サンミュージック本社に戻ると屋上から飛び降り、自殺。享年18歳でした。
岡田さんは4月8日午前10時頃、自宅マンションでガス自殺を図った。近隣住人の通報で救急搬送された岡田さんの手首には刃物による切り傷があったという。治療後に病院を後にした岡田さんは福田元専務とともに事務所に戻り、12時15分頃、福田元専務が当時の事務所社長に報告するために席を離れた間にビル屋上から身を投げた。
松本友里:首つり自殺で2010年に逝去、享年42歳
生年月日:1968年3月18日
出身地:東京都
所属事務所:村上事務所
松本友里さんは役者で、本名は「鈴木友里子」です。また、役者の松平健さんの嫁としても知られています。
松本友里さんは役者の天野新士さんと、元宝塚歌劇団の和歌鈴子さん夫妻のもとに誕生。
父親と出演したフジテレビ系列のバラエティ番組「オールスター家族対抗歌合戦」に出演したことを機にスカウトされました。
その後、1984年にアイドル歌手としてデビューするも、堀越高校卒業後は役者業へシフト。
プライベートでは2004年に、「暴れん坊将軍シリーズ」で共演した松平健さんの舞台を鑑賞したことを機に、松平健さんとの交際を開始。翌年の2005年に結婚しています。
2人は当時51歳と37歳で、その歳の差も大きな話題となりました。
結婚を機に芸能活動を休止した松本友里さんは、2006年に男児を出産。しかし、母親の介護などがはじまり、2010年にその母親が亡くなるとうつ状態となってしまいます。
そして同年、自宅のドアノブで首を吊って自殺。享年42歳でした。
俳優、松平健(56)の妻で15日に自殺した元女優、松本友里(本名・鈴木友里子)さん(享年42)。パニック障害とうつ病、不眠という3重苦に悩まされていたことを松平が明かしたが、もしあなたの妻が心を病んだら、どう対処すればいいのか。悲劇を防ぐ方法はあるのか-。
まとめ
菊地陽子さんは歌手で、役者としても活動していました。
1982年に「ミス・セブンティーンコンテスト」で賞を受賞したことを機に芸能界入りを果たし、歌手としてデビュー。
その後、事務所移籍を機に役者業へと注力するようになります。
大きな役こそありませんでしたが、「水戸黄門シリーズ」「銭形平次シリーズ」といった人気時代劇にも出演していました。
プライベートはあまり明かしていなかったのか、家族や恋人についてはほとんど情報がありません。
そのため、結婚もしていたかどうか不明ですが、未婚であった可能性が高いと思われます。
そんな菊地陽子さんですが、1999年に白血病のため死去。享年32歳と若すぎる死を迎えています。
また、堀越高校を卒業しており、そのクラスメイトが若くして複数名亡くなっていることも話題となりました。
これから先、菊地陽子さんの元気な姿を見ることは叶いませんが、今後もドラマ・CDなど菊地陽子さんが出演した作品は愛され続けていくことでしょう。