葛西敬之の家系図&経歴と若い頃!嫁と息子・大学教授婦人とのスキャンダル・中国嫌いの逸話や死因まとめ【最後のフィクサー】

国鉄民営化を推進し長年JR東海のトップだった葛西敬之さんが、安倍晋三政権の黒幕だったと明かされ話題になっています。

 

この記事では葛西敬之さんの家系図や嫁との結婚、息子や娘など子供、若い頃の経歴、大学教授婦人とのスキャンダル、中国嫌いの逸話や死因についてまとめました。

葛西敬之のプロフィール

 

葛西敬之のプロフィール

 

生年月日:1940年10月20日

没年月日:2022年5月25日(没年81歳)

出生地 :兵庫県明石市

出身地 :東京都

 

葛西敬之(かさい・よしゆき)さんは、JR東海の代表取締役社長・同会長、同名誉会長、同取締役名誉会長を歴任した鉄道界の超大物実業家です。

 

若い頃には、井手正敬さん(後にJR西日本の会長)、松田昌士さん(後にJR東日本会長)と国鉄の分割民営化(JR7社の発足)を推進し難しい状況の中で剛腕を振るって成功させた人物として知られ、「国鉄改革3人組」、「国鉄改革3人衆」などと称されました。

 

2011年の東日本大震災の後には、東京電力に関する経営・財務調査委員会委員、原子力損害賠償支援機構運営委員会委員を務められています。

 

晩年は、内閣府の審議会「宇宙政策委員会」の委員長(2012年〜2022年)や、愛知県の全寮制の私立校「海陽中等教育学校」などを運営する学校法人海陽学園の理事長(2016年〜2022年)を務めました。

 

 

葛西敬之の家系図

 

 

上画像は葛西敬之さんの家系図です。家系図を見ながら家族についても見ていきます。

 

葛西敬之の父親は国語・漢文の教師だった葛西順男さんで東京の都立高校で教えていました。葛西家は代々新潟県佐渡を在所とする医者・漢学者の家系で私塾を開き子供達を教えていたそうです。葛西敬之さんの祖父の葛西千秋さんは、10歳の時に学問を学ぶために1人で東京へと出され、10歳そこそこの時には学校の先生に逆に漢文を教えていたそうです。

 

葛西敬之さんの母親は益世さんという方で、聡明で覇気のある女性だったそうです。母方の祖父は本荘堅宏という方で明治から昭和にかけて浄土真宗の教師で大陸に渡って布教を行いながら、当時の日本と敵対していたロシアの動向を探り陸軍に情報を伝えていたのだそうです。

 

この本荘堅宏さんの武勇伝がとんでもなく、日露戦争が勃発すると陸軍から武器を借り、仲間と共に樺太のモネロン島に上陸しロシア人を追い払って漁場を開いたのだとか。

 

葛西敬之さんの結婚した嫁は芥川省子さんという方で、嫁の省子さんの父親は国鉄の前身である鉄道省で四国鉄道局長や鉄道公安局長を務めた芥川治さんです。この芥川治さんは鉄道省辞職後、参議院事務総長や会計検査院長、交通協会会長などを歴任されました。

 

また、嫁の芥川省子さんの祖父の芥川辰次郎さんは群馬県議会議長を務められた方でした。

 

葛西敬之さんの結婚や嫁の芥川省子さんについては次の見出しで紹介します。

 

 

 

葛西敬之の結婚した嫁は鉄道省の大物・芥川治の次女の芥川省子

 

アメリカ留学中の若い頃の葛西敬之さんと嫁の省子さん。省子さんが抱いているのが葛西敬之さんの最初の子供である長女の敬子さん。

 

葛西敬之さんは1967年5月に嫁の芥川省子さんと結婚されています。

 

葛西敬之さんが芥川省子さんと出会ったのは1966年の秋で、省子さんの兄の芥川鉄男さんが葛西敬之さんの国鉄の先輩だった縁で、自宅に食事に招かれた際に初めて顔を合わされています。

 

当時、芥川鉄男さんは外務省に出向しており、語学が得意な葛西敬之さんが外務省資料の和訳をしたお礼として食事に招かれたそうです。その時に実家から手伝いに来ていたのが妹の芥川省子さんで、葛西敬之さんはこの時に一目惚れしたのだそうです。

 

家系図のところでも触れましたが、嫁の省子さんの父親は鉄道省に勤めていた芥川治さんで、省子さんは3人兄妹の末っ子でした。3人兄妹は「鉄道省」から1字ずつ取って、長男が「鉄男」、長女が「道子」、そして末っ子であった葛西敬之さんの嫁は「省子」と名付けた事で芥川治さんは国鉄内でもよく知られた人物だったそうです。

 

出会いから程なくして、葛西敬之さんは上司からこの芥川省子さんとのお見合いを勧められ、国家公務員の留学制度でアメリカに旅立つ直前の1967年5月に結婚する運びとなりました。結婚当時は葛西敬之さんが26歳、嫁の省子さんが22歳でした。

 

結婚から2ヶ月後、1967年7月に葛西敬之さんは嫁の省子さんも連れて日本を立ち、留学先のアメリカのウィスコンシン州の州都マディソン市で新婚生活を送られています。

 

このアメリカ留学中の結婚生活の中で葛西敬之さんの最初の子供となる長女の葛西敬子さんが誕生しています。

 

葛西敬之さんと嫁の省子さんの子供については次の見出しで紹介します。

 

 

 

葛西敬之の子供は息子2人と娘1人

 

後列正面から見て左が次男の葛西直彦さん、その隣が長男の葛西克彦さん、前列に並んでいるのが孫達

 

葛西敬之さんは嫁の省子さんとの間に3人の子供に恵まれています。

 

最初の子供は1968年、留学していたアメリカ・ウィスコンシン州で生まれた長女の葛西敬子さん。2人目の子供は帰国後すぐ1969年に誕生した長男の葛西克彦さん。3人目の子供が1972年に誕生した次男の葛西直彦さんです。

 

3人の子供達は全員が結婚されており、葛西敬之さんの孫が5人生まれています。葛西敬之さんは孫たちの勉強を見る事もあったのだそうです。

 

子供達のうち、長男の葛西克彦さんは慶應義塾大学法学部を卒業後、三菱地所株式会社に入社し、空港事業部長などを務められています。次男の葛西直彦さんは都立国立高校を経て成蹊大学経済学部経済学科を卒業後、東京海上日動に就職し名古屋自動車営業第三部長を務められているようです。

 

長女の葛西敬子さんについては情報がありません。

 

 

 

葛西敬之の若い頃① 子供時代から学業優秀で東京都立西高校を卒業

 

出典:https://blog-imgs-134.fc2.com/

 

葛西敬之さんは太平洋戦争開戦のちょうど1年前、1940年10月20日に兵庫県明石市で生まれ、程なくして東京都杉並区へと家族で移りそこで育っています。

 

4歳の時に1945年3月10日の東京大空襲を経験し、本土空襲の激化から逃れるため、葛西家の代々の在所であった新潟県佐渡島の羽茂(現在の新潟県佐渡市羽茂)という村落に家族で疎開されています。

 

戦争が終わった後は再び東京へと戻り、1946年に杉並区立桃井第二小学校に入学しています。小学生時代の葛西敬之さんは虫捕りや読書が好きな子供だったそうです。

 

小学校5年の時に自宅近くに荻窪小学校が新設されて学区が変わり葛西敬之さんはそちらに転校しています。その時に担任になったのが、太平洋戦争で南方で戦い帰還した元士官候補軍人の渡邊義男先生という方で、日本の歴史に誇り持ち愛国心にあふれた方だったそうで、子供ながらにその想いがひしひしと伝わってきたそうです。

 

その後、地元の中学を経て、全国屈指の進学校である東京都立西高校(現在の偏差値は73)へと進学。

 

この小学校時代から高校時代にかけて、漢文の先生だった父親の葛西順男さんから教えを受け論語や徒然草、枕草子、更級日記、大鏡などを学ばれています。そのため国語の成績はずば抜けて優秀だったようです。

 

葛西敬之さんは高校からさらに本格的に学業に打ち込み、大学受験では東京大学の文化一類に現役で合格し1959年4月に入学されています。

 

 

 

葛西敬之の若い頃② 東京大学法学部卒業後に国鉄に入社

 

大学時代に佐渡島に帰郷した際の葛西敬之さん(後列の左端)

 

葛西敬之さんは東京大学では法学部へと進みますが、法律の勉強にはあまり興味を持てなかったそうで、政治学者の岡義武教授のゼミに所属して日本政治外交史の研究に力を入れらています。

 

その後、1963年3月に東京大学法学部を現役で卒業した葛西敬之さんは、4月に幹部候補生として国鉄(日本国有鉄道)に入社しています。

 

 

「見習い運転士」として乗務する国鉄に入社したばかりの若い頃の葛西敬之さん。

 

葛西敬之さんは当時、鉄道には特に興味を持っていなかったそうなのですが、大学4年の頃に学生証と定期券を駅で落としてしまい、東京杉並の荻窪駅に受け取りに行った際に駅にいた助役(駅長を補佐する公務員)に、「あなたは東大の法学部なら是非国鉄にいらっしゃい。(幹部候補生として入社できるので)出世が凄く早いので、10年そこそこで部長になれる」と勧められたのがきっかけになったそうです。

 

 

 

葛西敬之の若い頃③ ウィスコンシン大学留学から帰国後に国鉄の経営再建に携わる

 

国鉄に入社した葛西敬之さんは新人研修期間を終えた後、本社の経理局で2年、旅客営業局で1年間の計3年間「見習い学士」として各局の課長を補佐し事務的な仕事を任されています。

 

そして入社5年目の1967年7月に、葛西敬之さんは国の作った国家公務員の留学制度でアメリカのウィスコンシン大学マディソン校の経済学部へ留学しています。

 

1969年に経済学のの修士号を取得して帰国した後は、名古屋鉄道管理局の貨物部課長を務めた後、1971年2月に新設された経営計画室の主任部員として本社に戻っています。葛西敬之さんはここで、経営が著しく悪化していた国鉄の経営再建計画に関わっています。

 

葛西敬之さんははじめの3年間は長期収支の試算を担当し、続く3年間は経理局で予算の要求と執行に携わっています。この6年間の実務経験により葛西敬之さんはこのままでは早晩、国鉄の経営が立ち行かなる事を実感されたそうです。

 

 

 

葛西敬之の若い頃④ 鉄道管理局総務部長として労働争議に対応

 

写真正面から見て右端が仙台鉄道管理局総務部長時代の葛西敬之さん。

 

葛西敬之さんは1977年2月、36歳の時に静岡鉄道管理局の総務部長に任命されています。人事や労務の責任者の立場で、葛西敬之さんは労組からの筋の通らない要求に対しては一切の妥協をせずに対応されました。

 

静岡鉄道管理局総務部長としての働きは高く評価され、1979年3月には労働争議の激戦地となっていた仙台鉄道管理局に総務部長として送り込まれています。

 

仙台局では武闘派の労働組合が会社側を脅して理不尽な要求を通す事が横行していましたが、葛西敬之さんはそうした不法な行為を多少強引な手段を使ってでも1つ1つ鎮圧して周りました。

 

労働組合との摩擦を恐れる本社からの圧力もありましたが、一切の妥協を許さず正当性を貫く葛西敬之さんの姿勢に賛同を示す現場社員は多くおり、その期待に応える形で葛西敬之さんは本社を敵に回してまでも悪慣行の是正を推進されました。

 

 

 

葛西敬之の若い頃⑤ 国鉄分割民営化を成功させJR東海の経営の中心に

 

出典:https://www.sankei.com/

 

葛西敬之さんは1981年4月に本社に呼び戻されて経営計画室主幹に任命され、兼務として第二次臨時行政調査会担当総務室調査役にも任じられています。

 

葛西敬之さんはこの頃には、10年以上にわたる累積赤字を抱える国鉄の経営を健全化する方法は分割民営化しかないと考えておりそれに力を注がれています。

 

葛西敬之さんは、国鉄再建実施推進本部事務局長だった松田昌士さんと井手正敬さんと共に政権与党に働きかけて反対派を抑え込みに成功し、国鉄分割民営化の流れを確定させました。

 

国鉄内で実権を握った葛西敬之さんら分割民営化推進派は、高すぎる人件費率を是正のために必要な約10万人の余剰人員の整理と、分割民営化に強硬に反対する国鉄労働組合(解体)を順次推し進めて成功させ、1987年4月1日に国鉄は解体されJR7社が誕生する事になりました。

 

JR7社とは、JR東日本、JR東海、JR西日本、JR九州、JR四国、JR北海道、JR貨物の7社で、この発足と同時に葛西敬之さんはJR東海の取締役総合企画本部長に就任しています。葛西敬之さんが46歳の時でした。

 

その後、葛西敬之さんは実質的にJR東海の経営の中心人物となり、1995年までに、常務取締役総合企画本部長、 代表取締役副社長、代表取締役社長を歴任されました。

 

 

 

葛西敬之と大学教授夫人の不倫スキャンダルについて

 

出典:https://image.news.livedoor.com/

 

国鉄分割民営化を成功させ、JR東海の実質的な最高権力者となった葛西敬之さんでしたが、JR東海からの革マル派の追い出しに着手した事で、分割民営化時に国労解体のために手を組んだ革マル派の労働組合である国鉄動力車労働組合(通称・動労)のトップであった松崎明さん(東日本旅客鉄道労働組合委員長)と敵対するようになりました。

 

松崎明さんは葛西敬之さんに対する攻撃を開始し、葛西敬之さんのスキャンダルを暴露するキャンペーンを展開。その結果、葛西敬之さんと某大学教授夫人との不倫スキャンダルが表に出る事になりました。

 

 

葛西敬之と大学教授夫人の不倫疑惑スキャンダルの内容

 

1991年9月6日に発売された写真週刊誌「FOCUS」(1991年9月13日号)、が「『狙い撃たれた』JR東海副社長-個人的『スキャンダル』をバラ撒かれた背景」というタイトルの記事を掲載しました。

 

記事の中身は葛西敬之さんが、某大学教授夫人と不倫関係にあり、ホテルで何度も密会しているとする内容の怪文書が証拠の写真やビデオと共に「FOCUS」に送り付けられたとの内容でした。

 

この記事には、左手にカバンを持った葛西敬之さんがパレスホテルのフロントに立ってチェックインする写真が掲載され、「FOCUS」の編集部にはこの写真の他にも葛西敬之さんがホテルのロビーで大学教授夫人と一緒にいる写真やビデオも送り付けられている事も書かれています。

 

また、「FOCUS」の編集部に送り付けられた怪文書に、葛西敬之さんとこの大学教授夫人が6月から7月にかけてホテルで何度も会っているとする内容が記されていた事なども暴露されたのでした。

 

1992年6月には、写真週刊誌「FRIDAY」が、前年の葛西敬之さんと大学教授夫人の不倫疑惑の続報として、この大学教授夫人の自宅の警備費用をJR東海が負担しているとの内容が報じられました。

 

葛西敬之さんとの不倫疑惑が報じられた大学教授夫人については具体的に誰を指しているのかわかっていませんが、2022年に発売されたノンフィクション「国商 最後のフィクサー葛西敬之」で、慶應大学医学部に所属していた教授の夫人だと書かれています。

 

文書がばら撒かれる11日前の8月1日、葛西は東京・丸の内のパレスホテルにいた。午後6時過ぎ、慶応大学医学部の教授夫人を連れてホテルのフロントでチェックインし、そのまま部屋に向かった。事前にその情報をキャッチした「小沢」は、ホテルに張り込んで二人が入室した部屋番号を確認した。

 

引用:バラまかれた「不倫写真」、社内には盗聴器…‟革マル“のあまりに陰湿な攻撃に「俺、もう辞めるわ」と、JR東海・葛西敬之が涙を流した日

 

また、「国商 最後のフィクサー葛西敬之」には、葛西敬之さんが名古屋の医師の婦人とホテルで待ち合わせをし仲睦まじくゴルフをしている様子を組合側に盗撮された写真が送られてきたとする、当時国鉄再建監理委員会の事務局に派遣されていた元運輸事務次官の黒野匡彦さんの証言が書かれています。

 

組合が撮った写真は僕のところにも送られてきましたから、今も持っています。ゴルフ場で二人が睦まじくゴルフをやっている写真。名古屋のお医者さんの奥さんとゴルフをやったとか、ホテルで待ち合わせしたとか、あくまでも組合の言い分ですが、そういうキャンペーンをやられたんです。

 

引用:バラまかれた「不倫写真」、社内には盗聴器…‟革マル“のあまりに陰湿な攻撃に「俺、もう辞めるわ」と、JR東海・葛西敬之が涙を流した日

 

この名古屋の医師の婦人と慶應大学医学部所属の大学教授婦人が同一人物かどうかは不明です。

 

 

 

葛西敬之は「国商 最後のフィクサー」で話題に

 

出典:https://m.media-amazon.com/

 

人気ノンフィクション作家の森功さんが2022年12月に発表した「国商 最後のフィクサー葛西敬之」という本が大きな話題を呼んでおり、国鉄分割民営化以来、葛西敬之さんが再び注目されるきっかけとなりました。

 

この「国商 最後のフィクサー葛西敬之」では、約10年の長きにわたって政権を維持した安倍晋三元首相のフィクサー(黒幕)こそが葛西敬之さんであったとする衝撃的な内容が明かされています。

 

なぜ、安倍はこれほど長く強大な権力を維持できたのか。しかし実のところ、本当の理由は解明されていない。

その答えが、東海旅客鉄道(JR東海)元名誉会長の葛西敬之(よしゆき)の存在である。安倍晋三の財界応援団「四季の会」を主宰し、政権の後ろ盾になってきた。永田町や霞が関では知らない者がないほどの大物経営者である。

 

引用:葛西敬之 国鉄を改革した男はいかにして「国商」になったか

 

「国商 最後のフィクサー葛西敬之」では、葛西敬之さんが東大の学友であった自民党の大物政治家・与謝野馨さんを総理大臣にするために2000年に「四季の会」という国内の名だたる経営者を集めた極秘の親睦会が結成されていた事が明らかにされました。

 

この「四季の会」の参加メンバーは非公表であるものの「国商 最後のフィクサー葛西敬之」では、富士フィルムHD元CEOの古森重隆をはじめ、福地茂雄(アサヒビール会長)、松本正之(JR東海元代表取締役、元NHK会長)、齋藤宏(みずほフィナンシャルグループ元頭取)、勝俣恒久(東京電力元代表取締役)、三村明夫(新日本製鐵元会長)、西岡喬(三菱重工業元会長)といった、錚々たるメンバーが名を連ねていたと書かれています。

 

そして、葛西敬之さんは与謝野馨さんから「私ではなく彼(安倍晋三)を首相にして欲しい」と安倍晋三さんを紹介され、それ以来「四季の会」は安倍晋三元首相を強力に支援した経緯などが書かれています。

 

葛西敬之さんは自らのブレーンである高級官僚を官邸に送り込み、第1次安倍政権を成立させ、それが安倍晋三元首相の体調不良により短命に終わった後も「四季の会」は安倍晋三元首相の復活を支援して第2次安倍政権の成立に大きく貢献した経緯が描かれています。

 

また、「国商 最後のフィクサー葛西敬之」では、葛西敬之さんが「四季の会」の仲間らをNHK会長として送り込みマスコミを支配しようとした動きにも言及しています。

 

長期にわたって日本の政治を動かした安倍晋三政権でしたが、その裏にあって大きな影響力を与え、実質的に日本を支配していたといっても過言ではないのが、黒幕であり「最後のフィクサー」たる葛西敬之さんだったとする内容が炙り出される内容となっています。

 

 

 

葛西敬之が中国が大嫌いだった事も「最後のフィクサー」で明らかにされ話題に

 

出典:https://pbs.twimg.com/

 

葛西敬之さんが安倍晋三政権を裏で牛耳った黒幕「最後のフィクサー」である事をあぶり出した森功さんの著作「国商 最後のフィクサー葛西敬之」ですが、同書で明かされた葛西敬之さんの徹底した中国嫌いのエピソードの数々も話題になっています。

 

野村証券元社長の氏家純一さんは、2004年5月に葛西敬之さんと仲良くなり、リニアモーターカーを見学させてもらった際に、葛西敬之さんが中国のリニアモーターカーについて「あんなものは類人猿が作っているようなもの」と衝撃的な発言をされたのを聞いたそうです。

 

葛西さんがリニアのことを一生懸命説明してくれましてね。中国の上海にもリニアがあるでしょ。それについて、『こっちは人類がつくっているけど、あんなものは類人猿がつくっているようなもんだ』と散々でしたね

 

引用:「中国のリニアは類人猿がつくっている」…JR東海・葛西敬之が、シャレにならない暴言を吐いた日

 

また、元運輸省事務次官の黒野匡彦さんの証言として、川崎重工が中心となって中国に新幹線が輸出された事に「中国に新幹線技術が盗まれる事につながった」と激怒した葛西敬之さんは、JR東海と川崎重工との契約を切ってしまったとのエピソードが明かされています。

 

中国へも新幹線を輸出していますが、それは川崎重工が中心にやったんです。川崎重工が新幹線技術をブラックボックスにしないまま中国に提供してしまったと葛西さんは考えています。葛西流に言わせれば、『その結果、中国が新幹線技術を盗んだ』となるんでしょうね。葛西さんは、『JR東海はもはや川崎重工とは契約しない』と切っちゃった。

 

引用:中国国家主席「日本のリニアに乗りたい」JR東海・葛西敬之「技術が盗まれるからダメです」…‟国士“と評された「安倍政権のフィクサー」の対中国‟秘話”

 

さらに、黒野匡彦さんは、中国の江沢民国家主席(当時)が日本に来た時に、山梨県の実験線のリニアモーターカーに乗りたいと希望した時にも葛西敬之さんが「中国に技術を盗まれるからダメだ」と断ったというエピソードを明かされています。

 

経営者じゃなく、一種の思想家のように思えます。経営判断よりも先に、自分の思想信条で判断しちゃうところがある。だからこそ、中国嫌いだとあまりにもストレートに口に出してしまう。江沢民国家主席が日本に来たとき、山梨県のリニアの実験線に乗りたいと言われたのですが、葛西さんが『技術を盗まれるからダメだ』と断ってしまいました

 

引用:中国国家主席「日本のリニアに乗りたい」JR東海・葛西敬之「技術が盗まれるからダメです」…‟国士“と評された「安倍政権のフィクサー」の対中国‟秘話”

 

事実、川崎重工から新幹線を導入してライセンス生産を始めた中国は、日本企業の協力なしで独自の高速鉄道を生産するようになり、川崎重工との協力関係を終了させて現在では他国に技術を輸出するまでになっています。

 

こうした事実から、葛西敬之さんが技術を盗まれると中国を強く警戒した判断は正しかったとして評価する声も多く見られます。

 

 

 

 

葛西敬之の死因は間質性肺炎

 

出典:https://news.ntv.co.jp/

 

葛西敬之さんは2022年5月25日に81歳で亡くなっています。

 

死因は「間質性肺炎」と発表されています。

 

旧国鉄の民営化を推進したJR東海名誉会長の葛西敬之(かさいよしゆき)さんが25日、間質性肺炎で死去した。81歳だった。

 

引用:葛西敬之・JR東海名誉会長が死去、81歳 国鉄民営化、改革3人組

 

 

 

まとめ

 

今回は、若い頃は国鉄の分割民営化を推進し、長きにわたってJR東海の最高権力者として君臨した葛西敬之さんについてまとめてみました。

 

葛西敬之さんの家系図を見ると、父方は新潟県佐渡島に在所を持つ医師、漢文学者の家系、母方は祖父に浄土真宗の布教のために大陸にわたり、ロシア軍の動向を帝国陸軍い伝えるなど活躍した本荘堅宏さんを持つ家系です。

 

葛西敬之さんは東京大学法学部を卒業後、国鉄に幹部候補生として入社し、経営再建に注力し、不可能と思われた分割民営化も成し遂げ、その後はJR東海の最高権力者として長年活躍しました。

 

結婚は1967年で、嫁の省子さんは鉄道省鉄道公安局長や参議院事務省庁を歴任した芥川治さんの次女で、葛西敬之さんとの間に息子2人、娘1人の計3人の子供を産んでいます。

 

2022年12月に、葛西敬之さんが安倍晋三政権の黒幕「フィクサー」だった事を暴露したノンフィクション「国商 最後のフィクサー葛西敬之」が発表され、葛西敬之さんに再び注目が集まっています。

 

この本では、葛西敬之さんが安倍晋三政権に影響を与えた黒幕とする内容をはじめ、大学教授婦人との不倫スキャンダルや中国に強い警戒心持っていたエピソードなども明かされて話題になっています。

 

葛西敬之さんは2022年5月25日に81歳で亡くなっており、死因は「間質性肺炎」と発表されています。

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