2011年に起きた「岡山元同僚女性バラバラ殺人事件」の犯人・住田紘一は、殺害人数1人かつ前科なしの初の死刑囚です。
今回は住田紘一と加藤みささんの関係、結婚失敗など動機、生い立ちや実家家族、死刑判決など現在を紹介します。
この記事の目次
住田紘一が起こした「岡山元同僚女性バラバラ殺人事件」とは
「岡山元同僚女性バラバラ殺人事件」は、2011年(平成23年)9月30日の昼頃に、岡山県岡山市北区にある株式会社シンフォームの敷地内にある倉庫で発生しました。
犯人である住田紘一(当時29歳)は、加藤みささん(当時27歳)を強盗強姦および強盗殺人した罪で逮捕されています。
住田紘一は、前科もなく殺害した人数が1人にも関わらず死刑判決を受けました。
これは、最高裁判所が1983年(昭和58年)に死刑適用基準である「永山基準」を示して以降、初めてのケースとなりました。
この永山基準によると、殺害された被害者が1人の場合はおおむね死刑が回避される傾向にありますが、住田紘一の犯行の残虐性と身勝手さから異例の死刑判決となりました。
住田紘一の生い立ちと実家の家族
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住田紘一は両親の過度の愛情で育てられた?
「岡山元同僚女性バラバラ殺人事件」の犯人である住田紘一は、1982年(昭和57年)9月29日に生まれました。
大阪市住吉区の実家で両親と妹の4人暮らしで、勉強が非常にできたため、過去に1度司法試験を受けたものの、不合格となっていたようです。
裁判の場で、住田紘一の両親が重大な犯罪を犯した息子について「根は優しい」と擁護していました。
しかし、被害者の父親・裕司さんが「誰にも間違いを正してもらえずに成長してしまった」と指摘するなど、両親の甘やかしが遠因で住田紘一のゆがんだ精神が形成されたとみられています。
住田紘一はベネッセの子会社に就職した
勉強面ではとても優秀で、大学名は不明なものの、大阪市内の法学部がある大学出身だと言われています。
司法試験を不合格になり、司法の道を諦めた住田紘一は大学卒業後、岡山県に本社を構える情報処理系のベネッセの子会社である、株式会社シンフォームに就職しました。
住田紘一の起こした事件とは無関係ですが、この会社は2014年に東京支店でベネッセの顧客の個人情報を流出させる事件を起こし、その責任を取る形で2015年に倒産・解体されています。
住田紘一と被害者・加藤みさの関係
「岡山元同僚女性バラバラ殺人事件」の加害者である住田紘一と、被害者である加藤みささんは当時元同僚という関係でした。
しかし、住田紘一は正社員としてシステム管理業務に就いており、派遣社員だった加藤みささんとは働いているフロアが違い、社内ですれ違う顔見知り程度だったようです。
住田紘一が起こした「岡山元同僚女性バラバラ殺人事件」詳細① 犯行動機は結婚の失敗
住田紘一の犯行動機は元婚約者に対する腹いせだった
当時29歳だった住田紘一は、婚約していた女性がいたものの、その女性が他の男性と結婚してしまったため、腸が煮えくり返っていました。
その怒りを解消するために、住田紘一は当時住んでいたマンションの隣人女性を強姦する計画を立てましたが、未遂に終わっていたようです。
住田紘一は当時、ベネッセの子会社である株式会社シンフォームに勤めていました。
そして、社内の同僚から好みのタイプの女性を3人選び、その中の1人を強姦することを決めます。
2011年9月20日付けで同社を退職し、9月30日夜に社員証を返却するために会社を訪れた住田紘一は、今日こそが決行日だと考え、選んだ3人のうち誰かが出てくるの待ち構えていました。
そして、住田紘一が選んだ女性3人の中で一番最初に出てきたのが、当時派遣社員だった加藤みささんだったのです。
住田紘一が起こした「岡山元同僚女性バラバラ殺人事件」詳細② 加藤みさを強姦し殺害
住田紘一は加藤みささんに「頼みたいことがある」と声をかけ、社内の敷地内にある倉庫まで連れて行きました。
加藤みささんが倉庫に入ったのを確認した住田紘一は、鍵をかけ、加藤みささんを殴り倒した上で持ってきていた手錠で拘束し、そのまま強姦しました。
ことを終えた住田紘一は、「誰にも言わないから助けて」と命乞いをする加藤みささんを無視して、バタフライナイフで胸を10回以上刺します。
しかし、加藤みささんがなかなか絶命しなかったため、最後は頸動脈を掻き切って殺害しました。
なお、住田紘一は現金24000円が入った加藤みささんのバッグも奪っています。
住田紘一は加藤みささんの遺体をバラバラにして遺棄した
住田紘一は加藤みささんの遺体を車に積んで運び出します。
そして、「岡山から大阪に転勤になった」と嘘をついて、両親と妹が住んでいる大阪市住吉区にある実家に帰りました。
その後、実家近くの駐車場を借りて、そこで加藤みささんの遺体を解体し始め、肉片は細くして大和川へ投げ捨て、骨は手で折って細かくし廃棄したといいます。
住田紘一が起こした「岡山元同僚女性バラバラ殺人事件」詳細③ あっさりと認め逮捕
事件翌日である2011年10月1日に、被害者の家族が加藤みささんが帰宅しないことから、岡山県警に捜索願を提出しました。
同月6日、会社の防犯カメラに住田紘一と加藤みささんが一緒に倉庫に入るところが映っていたため、警察は住田紘一に任意同行を求めて取り調べをしています。
住田紘一はあっさりと加藤みささんを殺害したことを供述したため、同日中に逮捕。
翌日7日には、住田紘一が自宅付近に借りていたガレージの中から、犯行に使われたナイフや血痕のついた加藤みささんの衣類、遺体の一部などが大阪府警に押収されました。
住田紘一は2011年10月8日に岡山地検に送検されています。
住田紘一は再逮捕された
検察官の取り調べの最中、住田紘一は逃げ出そうとしたことがあったようですが、その場で取り押さえられるなど、逃走は失敗しています。
2011年10月10日にDNA鑑定により、押収された遺体の一部が加藤みささんのDNAと一致したため、岡山地検は、同月27日に住田紘一を殺人や死体遺棄及び損害などの罪で起訴しました。
なお、2012年4月17日の犯行前に、住田紘一が会社の備品を盗んでいた事も発覚したため、窃盗容疑で再逮捕されています。
住田紘一が起こした「岡山元同僚女性バラバラ殺人事件」の裁判と判決
住田紘一はまったく反省していなかった
2013年2月5日に、岡山地裁において住田紘一の裁判員裁判の初公判が行われました。
起訴内容が読み上げられると、住田紘一は否定することなく認めましたが、加藤みささんを殺害したことについては「可哀想とは思いません」と反省していない様子でした。
住田紘一は元婚約者が結婚した男性を恨んでおり、その男性を殺害することも計画していたことを告白。
検察から「今でもその男性を殺そうと思っているか」と聞かれると、「もちろんです」と肯定しました。
住田紘一は身勝手な発言を繰り返していた
2月6日の第2回公判では、検察官が住田紘一に対して殺人行為についてどう考えているかを問うと、「殺人行為は目的達成のためなら手段として認められる」と発言。
さらに、過去に司法試験を受験した経験を持ち出して「犯罪者は殺してしまえばいい」と持論を展開しました。
検察官から「今はあなたが犯罪者だ」とツッコミを入れられると、住田紘一は得意げに「自分だけは特別視しています」と豪語しました。
裁判が進むにつれ、住田紘一は命乞いをし始めた
2月7日に行われた第3回公判では、住田紘一は前回までの開き直った態度を一変させます。
「両親を残して命を絶てない」「ほんとはずっと謝罪したかった」「死刑になりたくて悪いことばかり言った」などと、泣きながら遺族に謝罪しました。
しかし、加藤みささんの父親である裕司さんからは「謝る相手が違う」と切って捨てられています。
動機が自己中心的で身勝手極まりない犯行であり、これまでの全く反省していない言動から、更生も極めて困難と判断され、死刑が求刑されました。
住田紘一は死刑判決を受けた
2013年2月14日、岡山地裁において住田紘一の死刑判決が言い渡されました。加藤みささんを強姦した上で殺害した残忍性が大きな理由でした。
当時、裁判員裁判においての死刑判決は住田紘一で16人目、殺害人数が1人で死刑判決を受けたケースは3人目でした。
また、前科がない上での死刑判決は住田紘一が初めてでした。
住田紘一は控訴せず、死刑を受け入れています。
加藤みささんの父親が事件の無念を語る
ある日突然、住田紘一によって最も凄惨な形で最愛の娘を失った加藤みささんの父親である裕司さんは、その後の事件の記録で以下のようにコメントしていました。
平成23年9月30日(金)
こんなことが起きるなんて‥‥まったく予感も予想も働かなかった。娘はいつも私と相前後して帰ってくるため、毎日習慣のように妻に、「みさくんは?」と尋ねることにしていた。「まだよ。今日はヨガ教室があるから遅いよ。」の返事に少しがっかりしながら着替えに寝室のある2階に上がったことを覚えている。
その日は、仕事の関係で帰りが遅くなっていたのでとっくに娘は帰っているものと思っていた。まさか、この時すでに娘が住田紘一に殺されているなんて想像もできなかった。
10月1日(土)
娘が何らかの事故か事件に巻き込まれたのじゃないかと思ったのは、土曜日の夕刻になっても帰ってこなかったからだ。どんなに帰りが遅くなっても、必ずメールか電話で返事をしてくる娘だったし、黙ったままで何の連絡もしないなんて考えられなかった。
土曜日の夜7時過ぎに仕事から帰った私は妻と一緒に赤磐警察署に駆け込んだ。大の大人が行方不明だなんて後でバツの悪い話になるかも知れないという思いは少しあったが、それよりも異常事態の感覚の方が強かった。
加藤みささんが惨たらしく殺害されてしまった事件の経緯を知った時の裕司さんの絶望は、筆舌に尽くし難いものがあるでしょう。
それは、住田紘一にどんな罰が下ったとしても償えるものではないのかもしれません。
住田紘一の現在:2017年7月に死刑執行されている
死刑確定から約4年4ヶ月後となる2017年7月13日、当時の法務大臣・金田勝年さんの死刑執行命令を受けて、住田紘一の死刑が広島拘置所で執行されました。享年34歳でした。
なお、住田紘一と同日に「スナックママ連続殺人事件」の死刑囚・西川正勝(当時61歳)の死刑執行も行われました。
住田紘一の死刑執行について、被害者・加藤みささんの遺族は、以下のようにコメントしました。
加害者の死刑は確定したが、私たちは決してこの事実を手放しで喜んでいるわけではない。住田がいつ処刑されようとも、私たち被害者家族の悲しみが帳消しされるわけではない。娘が生き返ってくるはずもない。私たちは生ある限り悲しみの十字架を背負って生きていかなければならない。いくら望んでももう二度と会うことができないという悲しみと、親として娘を幸せにすることができなかったという辛さからどうやっても逃げることができない。
また手放しで喜べないもう一つの理由として、裁判員裁判以前の判決で悔しい思いをされた被害者家族のみなさんが、法改正に向け血のにじむような地道な努力、運動を続け闘っていただいた結果、私たち被害者家族が救われたのだ。諸先輩の努力の恩恵を最大限に享受したのが私たち家族だったと思っている。私たちが勝ち取った結果を単なる事実として終わらせてはならない。
これで終わりだとは決して思っていない。やるべきことはまだまだ残されている。私の本当の闘いはこれから始まる。多くの被害者家族の方達が築いてくれた道をさらに広げていくことが私に課せられた使命だと感じている。私たち家族と同じような思いをする人たちが一人でも少なくなることを願って、自分にできる最大限の努力を続けていきたいと思う。
遺族の無念がとてもよく伝わってくるコメントです。
住田紘一が少しでも反省の色を見せていれば、わずかながらも報われたかもしれませんが、命乞いにしか思えないような謝罪では、決して遺族の心は軽くはならなかったでしょう。
住田紘一が起こした「岡山元同僚女性バラバラ殺人事件」の現在
加藤みささんの遺族は犯罪被害者の支援活動をしている
裕司さんが明かしたところによれば、加藤みささんは当時、交際相手からプロポーズを受けており、家族も公認の仲で、娘には幸せな未来がすぐそこにあると信じていたそうです。
裕司さんは住田紘一の死刑が執行される前日、娘の墓前で報告するとともに、その後の自分の人生を娘に恥じないように生きることを誓ったと言います。
そしてその形として、裕司さんは犯罪被害者の支援活動を行っている「あすの会」に所属し、2017年にはニコニコ動画生放送で小説家の平野啓一さんや法学者らとともに対談を行いました。
また「公益社団法人被害者サポートセンターおかやま」のホームページでは、裕司さんは事件発覚時からの心情を赤裸々に公開し、誰でも犯罪に巻き込まれる危険性を伝え続けています。
まとめ
2011年9月30日に発生した「岡山元同僚女性バラバラ殺人事件」は、被害者の加藤みささんが元同僚の住田紘一に強姦・殺害された後、バラバラにされて遺棄された凄惨な事件です。
犯人の住田紘一は、前科がないにも関わらず死刑が執行された初の死刑囚となりました。
住田紘一が何度死刑執行されようと、被害者の加藤みささんは決して戻ってきませんし、遺族の悲しみが癒えることもありません。
こうした被害者が二度と生まれないことを祈るばかりです。