巨乳アイドルの先駆け的存在として伝説的に語り継がれている堀江しのぶさんが話題です。
この記事では堀江しのぶさんの生い立ちや両親、「男女7人秋物語」などの代表的出演ドラマ、当初はダイエットで痩せたのが原因と言われた胃がんでの闘病や最期、墓などについてまとめました。
この記事の目次
堀江しのぶのプロフィール
堀江しのぶのプロフィール
本名 :堀部しのぶ
生年月日:1965年8月18日
没年月日:1988年9月13日(享年23歳)
出身地 :愛知県西春日井郡西枇杷島町(現在の清須市)
身長 :162cm
血液型 :A型
サイズ :B89 – W59 – H90(cm)
堀江しのぶさんは巨乳アイドルブームの先駆けとして知られる伝説的グラビアアイドルです。
堀江しのぶさんは1983年にデビューし、そのわずか5年後の1988年に23歳という若さで病気によりこの世を去っています。
当時の芸能界では胸の大きいアイドルは売れないという常識があり、あえて胸の大きさを売りにするアイドルはおらず、むしろ清純さをアピールするためにそれを隠すという風潮がありました。しかし、堀江しのぶさんはそのセオリーを打ち破って胸の大きさを前面に押し出す戦略で絶大な人気を獲得し、その短い活動期間の中で、現在も伝説的に語り継がれる鮮烈な印象を残しています。
この記事ではそんな堀江しのぶさんについてみていきます。
堀江しのぶの生い立ちや経歴
堀江しのぶさんの生い立ちや経歴についてみていきます。
堀江しのぶさんは愛知県西春日井郡西枇杷島町(現在の愛知県清須市)の出身です。
堀江しのぶさんは名古屋市の市邨学園高蔵高等学校(現在の名古屋経済大学高蔵高等学校)の3年生だった1983年、当時人気芸能人への登竜門として知られていた「クラリオンガール・コンテスト」に出場し、平凡パンチ・アイドル賞を獲得。それをきっかけに、芸能プロダクション「イエローキャブ(当時は黒澤プロモーション)」の野田義治さんにスカウトされて芸能界入りしました。
堀江しのぶさんは高校卒業後に本格的に芸能活動をスタートさせ、1984年2月にはアイドルグラビア雑誌「DELUXEマガジン」の表紙と巻頭グラビアを飾っています。この時の堀江しのぶさんのグラビアは巻頭30ページの新人としては異例の大ボリュームで掲載され大きな話題を呼びました。
グラビアアイドルとして鮮烈なデビューを飾った堀江しのぶさんは瞬く間にブレイクし、タレントや女優としても活動の幅を広げ、司会の横山やすしさんとコンビを組んだバラエティ「ザ・テレビ演芸」や、1985年からスタートして大ヒットしたテレビドラマ「毎度おさわがせします」、1987年のドラマ「男女7人秋物語」へのレギュラー出演など、テレビで見ない日はないほどの人気となりました。
しかし、そんな人気絶頂の1988年4月に「スキルス性胃がん」が発覚し、それからわずか5ヶ月後の1988年9月に堀江しのぶさんは23歳という若さであまりにも突然にこの世を去りました。
堀江しのぶの出演ドラマ① 毎度おさわがせします
出典:http://bbs83.meiwasuisan.com/
堀江しのぶさんの代表的なドラマ出演作としては、1985年から放送され大ヒットした「毎度おさわがせします」があります。
堀江しのぶさんはこのドラマに木村一八さん演じる主人公の大沢徹の姉の大沢理恵役を演じました。
大沢理恵は自身の巨乳にコンプレックスを持っている女子高校生の役で、堀江しのぶさんの大きな胸を活かしたキャスティングでした。
堀江しのぶの出演ドラマ② 男女7人秋物語
堀江しのぶさんは、明石家さんまさん主演で話題になった1987年放送のドラマ「男女7人秋物語」にもレギュラー出演されています。
堀江しのぶさんが「男女7人秋物語」で演じたのは、岩崎宏美さん演じる沖中美樹の妹の沖中品子の役でした。「男女7人秋物語」では、この沖中美樹が、主人公の良介との恋に揺れるというストーリー展開になるのですが、堀江しのぶさんが演じた沖中品子はそんな姉の幸せを願い応援する妹というドラマ内でも印象的なキャラクターでした。
男女7人秋物語で、姉役沖中美樹(岩崎宏美)さんの幸せを一途に願う妹役沖中品子を熱演。
— 🌟希有日和「けうびより」🌟 (@jupiter1118) March 28, 2018
眼力が強く、グラビア以外にお芝居に意欲を示していた頃の印象が強いですね。#堀江しのぶ#男女7人秋物語#1987年 pic.twitter.com/H6OgumUVp1
このドラマ「男女7人秋物語」は、近年もCS放送などでよく再放送されており、堀江しのぶさんにも注目が集まっています。
男女7人(秋)見ていたら 急に 素直になれなくて が 見たくなった どこで繋がったのかな #素直になれなくて #上野樹里 それにしても この秋物語 の堀江しのぶ さん 可愛いな
— フェレット (@FERRET0525) September 5, 2020
「男女7人秋物語」での演技も高く評価され、今後の女優としての活躍にも期待され、その後立て続けにドラマ出演されていましたが、そんな矢先の1988年に急逝されました。
堀江しのぶさんの早すぎる死が惜しまれます。
堀江しのぶは死の直前に急激に痩せた事が話題になっていた
人気絶頂の1988年に死去した堀江しのぶさんですが、その死の直前の22歳の頃にダイエットをして「痩せた」と話題になっていました。
しかし、その痩せた頃に堀江しのぶさんは原因不明の腹痛と食欲不振を訴えるようになり、その後、病気による休業が発表された時には、堀江しのぶさん本人は「痩せたいと思ってダイエットをし過ぎた結果、こんな事になってしまって」と説明されていました。
22歳を迎えた頃、堀江は「もう少し細くなりたい」とダイエットを試みる。間もなく原因不明の腹痛、食欲不振が続く。ダイエットの影響だろうか? 体調不良が収まらない。
当時のメディアでは堀江しのぶさんがダイエットのしすぎで痩せた事で体調を崩した事が盛んに取り上げられ「急激なダイエットの恐怖」といった内容が報じられていました。
堀江しのぶが「胃がん」である事は伏せられ本人にも隠されていた
出典:https://img.topics.smt.news.goo.ne.jp/
当初、堀江しのぶさんはダイエットによって痩せた事で体調を崩したと発表されていましたが、実際には痩せたのはダイエットが原因ではなく「胃がん」を患っていたためでした。
堀江しのぶさんが胃がんである事は最初の精密検査でわかっていたのですが、両親や事務所社長の野田義治さんの意向でその事実は堀江しのぶさん本人にも伏せられていました。
そのため、堀江しのぶさんの主治医は「ダイエットでの無理がたたって、ホルモンのバランスが崩れたのではないか」との見解をあえて発表し、診断も「卵巣のう腫」というものでした。マスコミもその内容を信じて報道したのでした。
20年以上も昔、女優の堀江しのぶさんは急激に体重が減り、ダイエットで痩せたと思ってたら実は末期の胃ガンである事がわかり、半年後に他界した事がありました。短期間で急激に体重が減るのは重大な病気が隠れてる可能性もあります。
— 吠えろ!スカーred (@guaranared) July 1, 2012
一部のメディアは、ダイエットで過剰に痩せた事で月経異常が起こることはあっても「卵巣のう腫」になる事はあり得ないとして、堀江しのぶさんの重病説を報じていました。
堀江しのぶの闘病生活や最期
堀江しのぶさんの「胃がん」の発覚から闘病生活、最期などについても見ていきます。
堀江しのぶさんは人気絶頂だった1988年3月、シンガポールでの撮影の仕事中に堀江しのぶさんは「お腹が痛くて食欲がない」と体調の異変を訴えました。帰国後の同年4月上旬になると腹部が膨らみ出し、大きな病院で精密検査を受ける事になりました。
病院で出された診断は「スキルス性胃がん」で、それが卵巣にも転移している状態でした。いわゆる末期癌で、医者の見立てでは余命2ヶ月という非情な診断が下されたのでした。また、お腹が膨れていたのは「がん性腹膜炎」を併発してお腹に6リットルもの腹水が溜まっていたためだったという事です。
堀江しのぶさんはすぐに入院する事になり闘病生活が始まりました。
1988年5月には堀江しのぶさんの病状は一旦回復し、この時に両親への配慮もあって実家のある名古屋市南区の中京病院へと転院しています。一時は外出の許可が下りるほど回復し、母親と2人で買い物に出かけたりもされていたそうです。
しかし、間も無くして再び病状が悪化し、1988年8月18日に23歳の誕生日は病室で迎える事になります。この時にはすでにベットから自力で起き上がるのも難しく、見舞客も面会を差し控えるような状態になっていたそうです。
そして、誕生日から26日後の1988年9月13日午前4時28分、堀江しのぶさんは闘病の甲斐なく入院先の病院で最期を迎えました。
事務所社長の野田義治さんによれば堀江しのぶさんの最期の言葉は「わたし…仕事が…したい」だったそうです。野田社長はこの言葉に「しのぶ、仕事はたくさんあるからな。仕事、しような…」と答えられたそうですが、それへの答えはなかったという事でした。
堀江しのぶの死因はスキルス性胃がん
堀江しのぶさんの死因は「スキルス性胃がんの卵巣転移」と発表されています。
堀江しのぶの死去と両親
出典:https://auctions.c.yimg.jp/
堀江しのぶさんは両親に先立って亡くなりました。
堀江しのぶさんをスカウトして両親の元から離し、結果としてそのまま亡くならせる事になってしまった事務所社長の野田義治さんは、両親から責められるだろうと思っていたそうなのですが、両親からは「野田さん。長い間、ありがとうございました」という思いがけない言葉をかけられたのだそうです。
また、堀江しのぶさんを娘のように可愛がっていたという横山やすしさんは、堀江しのぶさんの訃報を知ると真っ先に堀江しのぶさんの両親に電話をかけ「どうか気を落とさんようにしてください」と優しい言葉をかけられたという事でした。
堀江しのぶさんの両親は、娘の死後にメディアの取材を何度か受けており、今でも堀江しのぶさんがいつ帰ってきてもいいようにしている事などを明かし、「ファンの皆さんに心からお礼がしたい」とも話されていました。
堀江しのぶの墓は地元の西枇杷島からは離れた所
堀江しのぶさんのお墓の場所は非公開ですが、ファンの方の書き込みによれば、地元の「西枇杷島からは離れた所」にあるようです。
このファンの方の書き込みによると、堀江しのぶさんの葬儀が行われた西枇杷島町(現在の清須市)のお寺に問い合わせるとお墓の場所を教えてくれるという事です。
今年は没後25年。これを機にお墓参りに行くことにしたが、
葬儀が行われた西枇杷島町(現・清須市)内のお寺に
問い合わせたところ、西枇杷島からは離れた所にあるとのこと。
それで今日、佐屋町(現・愛西市)内にある岡田有希子のお墓参りに
行ったついでに、堀江しのぶのお墓参りに行こうとしたが、突然の大雨で断念した。
まとめ
今回は巨乳アイドルの先駆けとして現在も伝説的に語られる堀江しのぶさんについてまとめてみました。
堀江しのぶさんは「胸の大きいアイドルは売れない」という当時の常識を覆して瞬く間にブレイクを果たし、「毎度おさわがせします」、「男女7人秋物語」などの話題のドラマにも出演しました。
しかし、堀江しのぶさんは人気絶頂だった1988年に病気を発表します。病気が発表された当初はダイエットで痩せたの原因だと言われていましたが実際には「胃がん」でした。堀江しのぶさんは入院して闘病生活を送りますが、胃がん判明からわずか5か月後の1988年9月13日に23歳という若さでこの世を去っています。
死因は「スキルス性胃がんの卵巣転移」と発表されています。最期の言葉は「わたし…仕事が…したい」だったそうです。
堀江しのぶさんのお墓は地元の「西枇杷島からは離れた所」にあり、現在も墓参りに訪れるファンもいるという事でした。
堀江しのぶさんのご冥福をお祈りします。