往年のアイドル「キャンディーズ」のメンバーで女優の田中好子さんは乳がんで死去されましたが、最後のメッセージが話題です。
今回は田中好子さんの若い頃、旦那と子供、乳がんのステージと闘病生活、最後のメッセージを紹介します。
この記事の目次
田中好子のプロフィール
田中好子
生年月日:1956年4月8日
出身:東京都足立区
身長:155cm
血液型:A型
活動:元アイドル、女優
田中好子さんは、元キャンディーズのメンバーで、女優としても活動していました。
田中好子の若い頃の経歴① 生い立ちからデビューまで
出典:twitter.com
田中好子さんは1956年に東京都で生まれます。
中学生の頃に、奥多摩のキャンプ場で伊藤蘭さんと藤村美樹さんと出会い、そこから交流を続けました。
そして、1969年に芸能プロダクションの渡辺プロダクションが運営する東京音楽学院に入学し、スクールメイツに選ばれます。
そして、1972年に伊藤蘭さんと藤村美樹さんの3人でキャンディーズを結成しました。
田中好子の若い頃の経歴② キャンディーズ時代
1973年にキャンディーズがデビュー、田中好子さんのニックネームは「スーちゃん」でした。
デビュー当時、キャンディーズのセンターを務めていましたが、田中好子さんがセンターの頃は、正直言ってあまり売れませんでした。
伊藤蘭さんをセンターにした「年下の男の子」から、爆発的な人気となり、田中好子さんは向かって右のポジションに落ち着いています。
その後のキャンディーズの活躍は、詳しく説明するまでもなく、まさに国民的なアイドルグループでしたよね。
田中好子さんはただの「アイドル」と思われがちですが、1977年からは作詞作曲も行うようになり、ミュージシャンとしても活動するようになっていました。
惜しまれながらも、キャンディーズは1978年に解散しています。
田中好子の若い頃の経歴③ 女優として活動
出典:thetv.jp
田中好子さんは、キャンディーズ解散後一度は芸能活動を休止していましたが、1980年に芸能活動を再開しています。
芸能活動再開後は基本的に女優業をメインにしていました。1989年に「黒い雨」に主演し、各主演女優賞を受賞し、カンヌ国際映画祭にも出品されています。
また、主役やヒロインの母親役を演じることが多い女優さんでした。
田中好子の若い頃の画像まとめ
田中好子さんは、先ほども説明した通り、若い頃はキャンディーズとして活動していました。
キャンディーズでは主に伊藤蘭さんの左側(向かって右)に立っていましたが、キャンディーズ3人の中では、一番ふっくらとしていて、健康的な印象でしたよね。
出典:ameblo.jp
出典:ameblo.jp
出典:sumally.com
これだけかわいかったのに、田中好子さんがセンターの頃はキャンディーズは売れず、伊藤蘭さんがセンターになった途端に爆発的に売れたというのは不思議なことですよね。
田中好子さんはその明るいキャラクターから、若い頃はバラエティ番組にも積極的に出演していました。
キャンディーズのデビュー前には、伝説的な番組『8時だョ!全員集合』にもレギュラー出演していました。
また、芸能活動を再開する際は萩原欽一さんに相談し、復帰番組は「欽ちゃんのどこまでやるの!?」でした。
出典:news.line.me
キャンディーズ時代よりも、少しやせた女優時代の方が、一気にあか抜けて、美人に見えますよね。
田中好子の旦那は小達一雄
旦那は小達一雄
田中好子さんが結婚した旦那さんは、小達一雄さんです。
小達一雄さんは、夏目雅子さんの兄で実業家です。2人は1991年に結婚しますが、田中好子さんは初婚だったのに対し、小達さんは3回目の結婚でした。
そして、小達さんの離婚が成立する前から、田中好子さんとの交際が始まっていたため、略奪婚とも言われています。
ちなみに、田中好子さんが亡くなるまで添い遂げていますが、一部報道によると、小達氏は田中好子さんと結婚している時に不倫し、隠し子を作っていたとのこと。
2000年頃から女性と不倫し、その女性と子供を作り、ハワイ旅行にも出かけていたようです。
表面上は仲が良い夫婦を演じていても、裏ではどうなっているのか分からないという典型的なパターンかもしれません。
そんな小達一雄さんは田中好子さんの葬儀では憔悴した姿を見せ、49日の法要で泣き崩れる様子を見せていました。
しかし、田中好子さんの死から2年後の3回忌のタイミングで、小達さんは高級マンションを購入し、そこで以前から不倫していた女性と子供と一緒に生活を始めたという報道もありました。
一般的に、外野からは分からない事情が夫婦にはたくさんあると思います。
でもこういう話を聞いてしまうと、田中好子さんの旦那さんは「なんだかなぁ」と怪しく感じてしまいますね。
田中好子の子供(継子)は楯真由子
出典:livenan.com
田中好子さんと旦那の小達一雄さんとの間に子供はできませんでした。ですので、実の子供はいません。
後述しますが、長い間、がんの闘病生活を送っていましたから、作ろうと思ってもできなかったのかもしれません。
しかし、旦那・小達一雄さんの連れ子はいました。歌手や女優として活動している楯真由子さんです。
一緒に生活していたわけではなく、初めて会ったのは2008年のことでした。
「自分なりの覚悟をして会ったのを覚えています。父を奪ったことは事実ですが大人の事情があり、ひとりの女性として誰かを愛する権利はある。それを非難してはいけないと思うようになっていました」
田中好子さんは、楯真由子さんに対して「私が芸能界のお母さんになってあげるね」と言ったそうで、初めて会った時からメール交換を続けていたとのこと。
自分の父親と不倫して、略奪婚をしたという女性がいくら良い人だったとはいえ、「私が芸能界のお母さんになってあげるね」と言われるのは、複雑な気持ちになりそうですよね。
田中好子は乳がんで死去している…【闘病生活とステージも紹介】
田中好子さんは2011年4月に乳がんで死亡しています。55歳の若さでした。
20年間も乳がんと闘っていた
出典:news24.jp
田中好子さんは1992年に乳がんであることが発覚します。
1992年と言えば、結婚した翌年ですので、幸せいっぱいの時期だったと思います。そこから、長年に渡り、治療を続けてきました。
田中好子さんは乳房温存療法の手術を受けたとされており、この時の乳がんのステージ0~Ⅱ程度だったと考えらえます。
手術後は年に3回の検診を受けていたとのことですが、その後に最初とは違う方の胸にもがんが見つかって、また手術したこともありました。
田中好子さんがすごいのは、1992年時点でがんが見つかっていたにも関わらず、ごく親しい人にしかそれを知らせず、がんを公表せずに女優の仕事を続けていたことです。
抗がん剤などを使いながら仕事をしていたそうで、いつも明るい笑顔を振りまいていた田中好子さんのがん闘病を誰も気づくことはなかったとのこと。
しかし一度、抗がん剤の副作用でウィッグをつけて撮影に臨まなければならなかったそう。
そのため、個室でのメイクを希望した時に「田中好子ガン説」が噂されましたが、田中好子さんの明るい笑顔とステキな演技で、その噂もいつの間にか消えていました。
2011年4月に死去
2006年、他の臓器への転移が見つかり、この時点でおそらくステージ4だったと思われます。
そして、2010年には十二指腸潰瘍を患い、一時的に絶食しなければなりませんでした。そのため、免疫力が落ちてしまった田中好子さんは、がんが一気に進行して体調が悪化していきます。
2011年3月には旦那の小達一雄さんから、「ゴールデンウィークは越せないかもしれない」と告知されます。
この時に、田中好子さんは取り乱す様子もなく「こんな事をあなたに言わせてしまってごめんね」と、旦那さんを気遣う様子を見せました。
このような極限状態の時に、相手のことを気遣えるというのは、本当に田中好子さんは優しい方だったのだと思います。そして、旦那さんの小達さんを愛していたんですね。
そして、2011年4月21日に田中好子さんは亡くなりました。最期は、親族とキャンディーズのメンバーの伊藤蘭さんと藤村美樹さんに看取られたとのことです。
田中好子の最後のメッセージとは?【動画あり】
もうこの先長くないことを悟っていた田中好子さんは、亡くなる前に最後のメッセージを2011年3月29日に録音していました。
「私は大勢の人に支えられて生きてきたので、みなさんにお礼が言いたい」との田中好子さんの希望で、旦那の小達一雄さんとマネージャーが立ち会い、最後のメッセージを録音しています。
葬儀で最後のメッセージが流される
出典:oricon.co.jp
田中好子さんの最後のメッセージは、葬儀で流されました。
田中好子さんの最後のメッセージを文字に起こしました。
こんにちは。田中好子です。今日は3月29日。東日本大震災から2週間たちました。被災された皆さまのことを思うと、心が破裂するように痛み、ただただ亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです。
私も一生懸命、病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。でもその時は必ず天国で、被災された方のお役に立ちたいと思います。それが私の務めと思っています。
今日お集まりいただいている皆さまにお礼を伝えたくて、このテープを託します。キャンディーズでデビューして以来、本当に長い間お世話になりました。幸せな、幸せな人生でした。心の底から感謝しています。
特にランさん、ミキさん、ありがとう。2人が大好きでした。
映画にもっと出たかった。テレビでもっと演じたかった。もっともっと女優を続けたかった。
お礼の言葉をいつまでもいつまでも皆さまに伝えたいのですが、息苦しくなってきました。
いつの日か、妹の夏目雅子のように、支えてくださった皆さまに、社会に、少しでも恩返しができるように復活したいと思っています。かずさん、よろしくね。その日までさようなら。
肉声の最後のメッセージを聞くと、本当に最後に力を振り絞って、このメッセージを伝えているのがよく分かりますね。
キャンディーズが弔辞を読んだ
出典:asahi.com
葬儀では、共にキャンディーズのメンバーだった伊藤蘭さんと藤村美樹さんが弔辞を読んでいます。
伊藤蘭さんの弔辞の一部を抜粋して紹介します。
美樹さんと私にとって、いつまでも特別な存在のスーさん。心から感謝しています。ありがとう、スーさん。ずっとずっと愛しています。
藤村美樹さんの弔辞の一部はこちらです。
また3人で歌いましょう。本当にキャンディーズは楽しかった。本当に私たちはスーさんと出会えて幸せでした。私たちは永遠にキャンディーズだからね。おそろいのものも大切にするよ。ありがとう、スーさん。愛しているよ。
引用:藤村美樹さん弔辞全文「3人がそろってからのあの数時間は奇跡でした」― スポニチ Sponichi Annex 芸能
この弔辞で、キャンディーズの3人の絆がいかに強かったかがよく分かります。
まとめ
田中好子さんのプロフィールや若い頃の経歴、旦那・子供、乳がんのステージや闘病生活、最後のメッセージなどをまとめました。
・田中好子さんの旦那は夏目雅子さんの兄の小達一雄さん
・実の子供はいないが、継子が楯真由子さん
・20年近くも乳がんと闘っていた
・乳がんで2011年に亡くなっている
・最後のメッセージを肉声で残していた