国民的アイドル「ピンクレディー」のケイちゃんこと増田恵子さんですが、激やせで病気説も浮上しています。
今回は増田恵子さんの身長や若い頃、野口五郎さんとの関係、結婚した旦那や子供、体重激減の真相など現在をまとめました。
この記事の目次
増田恵子のプロフィール
出典:https://t.pia.jp/
プロフィール
名前:増田恵子(ますだけいこ)
本名:桑木啓子(くわきけいこ)
生年月日:1957年9月2日
出身地:静岡県静岡市葵区
血液型:O型
身長:163cm
所属事務所:ケイ・オフィス
静岡県静岡市で生まれた増田恵子さんは、1961年に父親が亡くなったことで増田家の養子となり、焼津市で育ちました。
1972年の中学3年生の時、のちにピンクレディーでコンビを組むミーさんと出会った増田恵子さんは、翌1973年の高校1年生の時、ミーさんとヤマハのオーディションに参加し、優勝します。
そして1974年、ミーさんと浜松のヤマハボーカルスクールへ通い始めた増田恵子さんは、『クッキー』というデュオを組み、ヤマハポピュラーソングコンテストに出場しました。
ピンクレディーとしてデビュー
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デビューシングル『ペッパー警部』
そして1976年、増田恵子さんはミーさんと共にピンクレディーの「ケイちゃん」として、シングル『ペッパー警部』でデビューします。
このデビューシングル『ペッパー警部』は、出荷ベースではミリオンセラーの大ヒット。その後も次々とヒットを記録したのです。
そんなピンクレディーのヒット曲には、『S・O・S』や『渚のシンドバッド』『UFO』『サウスポー』『モンスター』など、今でも歌い継がれている名曲がたくさんあります。
こうして次々にヒット曲を量産したピンクレディーは、オリコンで連続9曲1位、10曲連続ミリオンセラーとなり、当時の新記録となっています。
その後、全米デビューも果たしたピンクレディーは、ビルボード総合37位を獲得しています。
ソロとして活躍
しかし1981年、ピンクレディーが解散。その後はソロ活動を行います。
デビュー曲の『すずめ』がが26.7万枚のヒットとなり、その後も『女優』などをリリースしています。
【増田恵子シングル売上トップ5】
— J(ジェームズ) (@tomu_reo) January 2, 2019
第1位✨『すずめ』✨
26.7万枚
第2位『ためらい』
5.0万枚
第3位『女優』
3.1万枚
第4位『FU・RI・NE』
1.9万枚
第5位『らせん階段』
0.8万枚 pic.twitter.com/kzbAA9mKTh
また、増田恵子さんは女優としても活躍しており、数々のテレビドラマや映画に出演しています。
増田恵子の若い頃① かわいい画像まとめ
増田恵子の若い頃が可愛いかった
現在60歳を過ぎている増田恵子さんですが、若い頃が健康的で可愛いと話題です。
そこで若い頃の増田恵子さんの画像を見ていきましょう。
出典:https://qulioplus.jp/
健康的で可愛いと話題の若い頃の増田恵子①
出典:https://plaza.rakuten.co.jp/
健康的で可愛いと話題の若い頃の増田恵子②
出典:https://waynews.info/
健康的で可愛いと話題の若い頃の増田恵子③
増田恵子の若い頃② 野口五郎との交際~破局
増田恵子さんで検索すると、必ず“野口五郎さん”がキーワードで出てきます。
そこで調べてみたところ、増田恵子さんはピンクレディーのケイちゃんとして大活躍していた頃、「新御三家」と呼ばれ活躍していた歌手の野口五郎さんと熱愛報道があったのです。
破局?😱💔🌀
— ナッツ7つ (@ntsu579) November 3, 2018
噂になってたことすら気がつきませんでした😅#野口五郎 #増田恵子 pic.twitter.com/EMJCXt3WHd
そんな増田恵子さんと野口五郎さんの熱愛が報じられたのは1979年2月のことで、当時増田恵子さんは21歳でした。
そしてホテルでの密会写真も撮られた増田恵子さんと野口五郎さんは、当時婚約間近ではないかとも言われていました。
その後『ザ・ベストテン』のスタジオ前に100人ほどの報道陣が詰めかけますが、2人は裏口から脱出したことで騒動が拡大。
最終的に増田恵子さんも野口五郎さんも釈明会見を行う事態にまで発展し、会見ではお互い“友達”だと語っています。
しかし、増田恵子さんは後に、野口五郎さんとの当時のことについて、日刊ゲンダイの連載の中で『事務所の圧力により、仕事を選ぶか、結婚を選ぶか』と迫られていたことを明かしました。
野口との当時のことについてケイは、日刊ゲンダイ本紙連載「35年目の真実」の中で名前は出さずにこう語った。「相手が同じお仕事をしている人だったこともあって、事務所から驚くほどの圧力がかかってきました。それは初めて週刊誌に掲載されてからずっと。仕事を選ぶか、結婚を選ぶか、二者択一を迫られても仕事は辞めません、でも、彼とも別れませんと断言し続けていました」
引用:仕事優先した野口五郎 2度の煮え切らない恋愛スキャンダル https://www.nikkan-gendai.com/
出典:https://www.amazon.co.jp/
2004年に出版した増田恵子の著書『あこがれ』
こうして野口五郎さんとの熱愛が報じられた増田恵子さんは、のちに著書『あこがれ』で、アメリカ進出を躊躇したのも、野口五郎さんと熱愛中だったことが大きな理由だと明かしています。
後にケイが著書(「あこがれ」)で述べているが、当時、野口五郎と熱愛中であったこともアメリカ行きをためらわせた大きな理由だ。本格的なエンタテインメントを目指すミーとの確執は明らかなものとなり、またNBCでの番組でも英語のコントを消化しきれないことから不評の嵐となった。
引用:ピンク・レディー 「モンスター神話」の真実(3)アメリカ進出はしたくなかった… https://www.asagei.com/e
結局、その後もピンクレディーとして活躍し続けた増田恵子さん。野口五郎さんとは事務所の意向により、別れさせれられたようですね。
増田恵子と旦那・桑木知二の馴れ初めや結婚
増田恵子さんは2002年6月23日に結婚しています。
増田恵子の結婚した旦那は“桑木知二”
ソロで歌手や女優として活躍していた増田恵子さんですが、2002年6月23日、当時音響会社『
ギルド・ジャパン』の社長だった桑木知二さんと結婚しています。
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増田恵子さんの旦那・桑木知二
出合いはテレビ番組だった
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2002年、44歳で結婚した増田恵子さんですが、桑木知二さんとの出会いはテレビ番組の共演で、それがきっかけで親しくなり交際に至ったそうです。
そんな増田恵子さんと旦那の桑木知二さんは、実は交際後一度別れており、復縁からの結婚だったようです。
旦那・桑木知二の会社が倒産
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結婚当時、音響会社『ギルド・ジャパン』の社長だった桑木知二さんですが、現在はこの音響会社は存在していません。
実は、結婚から2年後の2004年1月に自己破産を申請し、倒産しています。
そんな増田恵子さんと旦那の桑木知二さんは、会社が倒産したことで離婚危機も囁かれましたが、20年来の知人で信頼関係も厚く、離婚には至らなかったようです。
旦那の桑木知二さんは会社倒産後、ミキサー技師として多くの映画やテレビドラマの音響を手掛けているそうです。
増田恵子と旦那・桑木知二の子供とは?
2002年に44歳という晩婚だった増田恵子さんには、子供はいるのでしょうか?
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子供はいない増田恵子
結論から言うと、増田恵子さんと旦那の桑木知二さんの間には子供はいません。
結婚当時、増田恵子さんが44歳という年齢だったことからも子供がいなくても不思議ではありません。
しかし、増田恵子さんと旦那の桑木知二さんの自宅には2匹の猫がおり、増田恵子さんのブログにもたびたび登場しています。
増田恵子の現在① 体重激減で病気?噂と真相
すでに還暦を迎えている増田恵子さんは現在、病気を患っているという噂があります。
そんな増田恵子さんは若い頃と比べ、激やせしたことからも「病気では?」という声が多数上がったのです。
平野コオロギより増田恵子が激ヤバ…痩せすぎ🥺✊。 https://t.co/JIqwBp2aBh
— kaya156 (@kaya156) March 15, 2020
ケイちゃん病気なんかな?痩せすぎ
— (かしゆた・ω・こしいて) (@JK_ksyt) December 30, 2017
こうして激やせが心配されている増田恵子さんの体重は、現在40kgないのではないかとも言われているようです。
“バセドウ病”を患っている増田恵子
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激やせが心配されていた増田恵子さんは、実は1990年頃からバセドウ病を患っており、2005年に自身がバセドウ病だと告白しています。
そんな増田恵子さんは、手の震えなどで仕事にも支障が出始めていたそうですが、ピンクレディーで多忙を極めており、5年以上も病院へ行かなかったそうです。
しかし、1998年には歌うことも苦しくなっていたという増田恵子さんは、3歳上の姉から『私、バセドー病になっちゃったのよ』と電話があったそうです。
体の震えや息切れ、疲れやすさなどの自分の症状が、姉の話とすべて一致した増田恵子さんは、4月に病院へ行き、姉同様、バセドウ病だと診断されたといいます。
薬を服用してすぐに症状が良くなった増田恵子さんは、薬を1年ほど服用した後、自己判断で薬を止めてしまったところ、数か月もしないうちに再発し、甲状腺が大きく腫れたそうです。
その後の治療で回復した増田恵子さんですが、バセドウ病は代謝が異常に高くなる病気で、食べても食べても痩せてしまうようで、それが現在の激やせに繋がっているようです。
2010年にはメニエール病も患った増田恵子
2005年にバセドウ病を患い、現在は病気とうまく付き合っている増田恵子さんですが、2010年にはメニエール病も患っています。
出典:http://matomental.ldblog.jp/a
増田恵子さんはピンクレディーとして活躍していた20代前半に、突発性難聴を発症しています。
その後、症状は落ち着いたとようですが、2010年に同様の症状に見舞われ、検査の結果、メニエール病だと判明したそうです。
女性デュオ、ピンク・レディーの増田惠子(56)が激しいめまいと難聴、耳鳴りなどを併発する難病「メニエール病」を患っていたことが6日、分かった。関係者によると、増田は20代後半に「突発性難聴」を経験。2010年に同様の症状に見舞われ、約2週間放置した結果、メニエール病を発症したという。同年はピンク・レディーの解散宣言から30年が経過し、本格的に活動を再開させていた時期だった。
引用:ピンク・レディー増田恵子、メニエール病を患っていた https://www.sankei.com/
しかし、2013年12月には完治していることをテレビで明かしています。
増田恵子の現在② 現役歌手として活躍中
2005年と2010年と病気に見舞われた増田恵子さんですが、現在もバセドウ病とうまく付き合いながら歌手活動を続けています。
今日は、#富士山の日
— まてぃさん (@chibanomt3) February 22, 2019
富士山だ/増田恵子https://t.co/rC0M4xxqj0
そんな増田恵子さんは2018年2月、13年ぶりに『最後の恋/富士山だ』をリリースし、話題となりました。
出典:https://www.toho.co.jp/
映画『妖怪ウォッチ』で声優を務めた増田恵子
そして2019年には、映画『妖怪学園Y 猫はHEROになれるか』のマタロウの母として声優を務め、同映画のテーマ曲『メテオ』をピンクレディーで務めています。
またAmebaでオフィシャルブログも開設している増田恵子さんは、月に数回は必ず更新しており、ブログを除くと増田恵子さんの近況がうかがえます。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
ピンクレディーのケイちゃんこと増田恵子さんについて、若い頃から現在をまとめました。
2005年と2010年に病気に見舞われた増田恵子さんですが、現在はメニエール病は完治し、バセドウ病とはうまく付き合っているようです。
そして2002年に結婚した増田恵子さんは、現在でも旦那の桑木知二さんと仲睦まじく暮らしていらっしゃいます。
そんな増田恵子さんの今後の更なる活躍を応援しています。