若い頃はアイドル歌手だった勇直子さんはジュンスカの宮田和弥さんと結婚しています。
今回は勇直子さんのプロフィールや若い頃の活動、ダウンタウンとの関係、旦那との馴れ初めや結婚がきっかけでできた名曲・子供、現在をまとめました。
勇直子のプロフィールや経歴
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勇直子(いさむ なおこ)
生年月日:1968年12月7日
出身:神奈川県逗子市
所属:orega
活動:女優
勇直子さんは神奈川県逗子市出身の女優です。若い頃は歌手や女優として活動していました。
芸能界引退後に主婦業・育児に専念していましたが、2002年からまた芸能活動を再開しています。
生い立ちから芸能界デビューまで
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勇直子さんは1968年に埼玉県浦和市に生まれました。父親が転勤族だったようで、幼少期は短期間のうちに引っ越しを何度も繰り返しています。
・幼稚園に入る前:宮城県仙台市
・幼稚園に入る直前:大阪府吹田市(青山幼稚園)
・小学校1年の2学期:広島県広島市(広島市立古田小学校)
・小学校6年:神奈川県逗子市
勇直子さんは小学生のほとんどの時期を広島市で過ごし、古田小学校に通っていました。
実は、この時期にデーモン閣下も同じ古田小学校に通っていたようで、2人は同じ時期に古田小学校に在学していた可能性があります。
小学6年生の時の神奈川県逗子市への引っ越しで、引っ越し生活はいったん落ち着きました。
1985年の17歳の時に、バレエのレッスンの帰りに原宿駅で、芸能プロダクション「K-HOUSE」のスタッフにスカウトされて、芸能界入りすることになりました。
勇直子は若い頃はアイドル歌手だった
勇直子さんは若い頃はアイドル歌手として活動していました。
勇直子さんがデビューしたのは1986年の18歳の時でした。勇直子さんを一躍有名にしたのは、「センターラインが終わるとき」というシングル曲です。
「センターラインが終わるとき」は1986年7月17日に発売されたシングル曲で、勇直子さんのデビュー曲です。
この「センターラインが終わるとき」は実はあの秋元康さんが作詞をしている曲なんです。
秋元康さんは勇直子さんの才能に惚れこんで、「本田美奈子を超える、新時代アイドル歌手になれる」と語っていました。
秋元康さんは当時すでに「おニャン子クラブ」を手掛けていた人気プロデューサー、人気作詞家。そんな人に惚れこまれるなんて、勇直子さんがいかに期待されていたかが分かりますね。
秋元康さん作詞という話題性もあったと思いますが、この曲で勇直子さんはタイアップがついていないのに、「歌のトップテン」にも呼ばれましたし、新人賞にもノミネートされました。
やはり、実力と才能を秘めたアイドル歌手だったと言えるでしょう。
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勇直子さんは、アイドル歌手として「センターラインが終わるとき」の後にも、曲を発売しています。
・さよならは落ち込まないで
・BOOM BOOM BOOM(ポール・レカキスの「BOOM BOOM」のカバー)
・ラスト・パラシュート
・ポラロイドのふたり
また、勇直子さんは映画やドラマにも出演しています。
・19
・ロスト・イン・トランスレーション
<ドラマ>
・夏体験物語2
・高原へいらっしゃい
・月曜ドラマランド・ぺぱ〜みんと・エイジ
アイドル歌手としては、「トップアイドル」というわけではありませんでしたが、ミュージカルにも出演するなど、実力は認められている存在だった言えるでしょう。
1990年ごろに引退
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1985年に原宿でスカウトされ、1986年にデビューした勇直子さんでしたが、1990年ごろには芸能界を引退しています。
1990年は勇直子さんは22歳ですから、若い頃に引退しているんですね。
デビュー当時は、勇直子さんは「アイドルでもアーティストでもないニュータイプになりたい」と話していたのに、芸能活動4年で引退するなんて何があったのでしょうか?
しかし、引退理由は明らかになっていません。
勇直子とダウンタウンの関係
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勇直子さんはダウンタウンと関係がある芸能人です。「関係がある」と言っても、怪しい関係ではありません。
「MBSヤングタウン」というラジオ番組で勇直子さんとダウンタウンは共演していました。
「MBSヤングタウン」は長寿ラジオ番組で、「ヤンタン」の愛称で知られています。関東地方の人はあまりなじみがないかもしれませんが、関西の人にとってはおなじみですよね。
ヤンタンは笑福亭鶴瓶さんや明石家さんまさんが、40年以上もずっと出演し続けています。
そんなヤンタンに1987年8月から1989年1月まで毎週木曜日に、勇直子さんはダウンタウンと今田耕司さんと一緒に出演していました。
ダウンタウンと今田耕司と共演なんて、すごいメンバーに囲まれていますよね。
また、1988年4月5日から始まったバラエティ番組「ダウンタウンのゆーたもん勝ち」では、第1回のゲストに勇直子さんがゲストに呼ばれて、ダウンタウンと一緒にコントをしています。
ラジオで共演していて、ダウンタウンの冠番組の第1回ゲストで呼ばれるなんて、ダウンタウンに気に入られていた可能性が高いですね。
もし、勇直子さんが1990年に芸能界を引退しなかったら、「夢で逢えたら」とか「ダウンタウンのごっつええ感じ」のレギュラーになっていたかもしれませんね。
勇直子の旦那は宮田和弥~馴れ初めと結婚とは
勇直子さんは引退後に宮田和弥さんと結婚しています。
宮田和弥さんはJUN SKY WALKER(S)のボーカルです。
宮田和弥はジュンスカのメンバー
出典:realsound.jp
宮田和弥
生年月日:1966年2月1日
出身:東京都世田谷区
所属:トイズファクトリー
血液型:B型
活動:ミュージシャン
宮田和弥さんは伝説のバンドJUN SKY WALKER(S)のボーカルです。
中学2年生の時、バンド活動をしていた先輩に憧れて歌を歌いたいと思ったことがきっかけで、バンド活動を始めます。
高校卒業後は大学と音楽活動を両立させるつもりでしたが、大学教授の父親にどちらか1つを選ぶように言われて、音楽活動を選択し、そこからは音楽1本で活動してきました。
そして、22歳の1998年にJUN SKY WALKER(S)でデビューし、翌年には日本武道館でライブを行います。
JUN SKY WALKER(S)は1997年に解散しますが、2007年に復活し、そこからはソロ活動とJUN SKY WALKER(S)としての活動を並行して行っています。
勇直子と宮田和弥の結婚で「抱きしめたい」が生まれる
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勇直子さん芸能界を引退してから数年後に宮田和弥さんと結婚しています。
残念ながら馴れ初めの詳細は不明ですが、結婚時期はおそらく1992年ですから、勇直子さんは芸能界を引退する前に、宮田和弥さんと知り合った可能性が高いです。
そして、勇直子さんと宮田和弥さんの結婚は、あの名曲を生み出すきっかけになりました。
その名曲とはMr. Childrenの「抱きしめたい」です。
ミスチルの抱きしめたいは、勇直子さんと宮田和弥さんの結婚式のためにミスチルの桜井和寿さんが作った曲なんです。
「抱きしめたい」は1992年に発表された曲です。そして、発表から約30年経った今でも愛されています。
そんな名曲のきっかけになったのが勇直子さんと宮田和弥さんの結婚だったなんて、なんだかすごいですね。
勇直子の子供は息子が1人
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勇直子さんには、1995年に生まれた息子が1人います。
旦那の宮田和弥さんのラジオによると、息子さんは2015年時点でイギリスにデザインの勉強のために留学していることが分かっています。
2018年(息子さんが23歳)の時も、イギリスに住んでいるとラジオで話していましたので、留学が終わった後も、イギリスで仕事をしているのかもしれません。
旦那の宮田和弥さんはもちろん、勇直子さんも芸能・芸術的な才能がある方ですので、その息子さんもクリエイティブな才能に溢れているのかもしれません。
勇直子の現在
勇直子さんは1990年ごろに芸能界を引退して、その後はジュンスカの宮田和弥さんと結婚し、その後はしばらく主婦業・育児に専念していました。
しかし、2002年に現在の所属事務所であるoregaと契約して、芸能界に復帰しています。
芸能界に復帰した後は、現在までCMを中心に活動をしていました。
勇直子さんの現在の活動として有名なものは再春館製薬の「ドモホルンリンクル」のCMです。2011年に作られた「肌年齢って?」篇に勇直子さんは出演していました。
出典:v.qq.com
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この時の勇直子さんは40代になっていますが、本当に肌がきれいですし、美貌が衰えていないことが分かります。
ナチュラルメイクなのにこんなにきれいなんて、やっぱり元々が美人なんですね。
また、勇直子さんはJA共済「三谷家のこんにちは!」「三谷家の保障のはなし」のCMにも出演していました。
出典:navicon.jp
勇直子さんは三谷家の母親役(上白石萌歌の母親)で、シリーズ6本のCMに出演しています。
勇直子のまとめ
勇直子さんのプロフィールや経歴、若い頃の活動と芸能界引退、ダウンタウンとの関係、宮田和弥さんと結婚と旦那との馴れ初め、子供の情報、現在の活動などをまとめました。
勇直子さんは現在CMを中心に活動をしていますが、また素敵な歌声も聞かせてほしいですよね。
現在の勇直子さんが歌う「センターラインが終わるとき」を聞いてみたいです。
旦那さんの宮田和弥さんとのコラボなんてあったら、ステキですよね。