近鉄やソフトバンク、オリックスで活躍した元プロ野球選手の大村直之さんの引退理由が闇深いとの噂があります。
この記事では大村直之さんの年齢や現役時代の成績、なぜ引退したのかの理由や小瀬浩之さんと関連づけられるなど闇深いとの噂、結婚や子供、現在についてまとめました。
この記事の目次
大村直之のプロフィール
大村直之のプロフィール
生年月日:1976年2月13日
出身地 :兵庫県西宮市
身長 :173cm
血液型 :O型
大村直之さんは、近鉄バッファローズ、福岡ソフトバンクホークス、オリックスバッファローズでプレーした元プロ野球選手です。俊足巧打の外野手で、球界を代表するリードオフマンとして長年活躍しました。
大村直之さんは育英高校3年生時に夏の甲子園で優勝し、その年にドラフト3位で近鉄バッファローズに入団。2年目のシーズンから1番打者としてレギュラーに定着し、5年目の1998年シーズンには133試合出場で打率3割1分の好成績を残しベストナインとゴールデングラブ賞を受賞しました。
2001年シーズンには、“いてまえ打線”の切込隊長として2割7分1厘、本塁打16本の成績を残しその年の近鉄のリーグ優勝に大きく貢献しました。
大村直之さんはその後も好成績を残しますが、2004年シーズンオフに近鉄バッファローズがオリックスに吸収合併され消滅し、オフにソフトバンクホークスへFA移籍しています。
ソフトバンクでも活躍し、2007年には2度目のベストナインに選出されましたが、若手の台頭や故障の影響もあって次第に出場機会を減らし2008年10月に村松有人との交換トレードでオリックスバッファローズに移籍しています。
オリックス移籍1年目こそ119試合に出場し打率2割9分1厘の好成績を残すも、2年目の2010年シーズンは代打で2試合に出場したのみで安打を打てないまま2軍に降格し、再昇格する事なくその年のオフに戦力外通告を受け、そのまま現役を引退しています。
大村直之の年齢
大村直之さんは、1976年2月13日生まれなので、2024年2月13日の誕生日で年齢は「48歳」です。
大村直之の成績と年俸推移
出典:https://cdn.findfriends.jp/
大村直之さんの現役時代の成績と年俸の推移です。
年度 | 球団 | 試合 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 | OPS | 推定年俸 |
1994 | 近鉄 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | – | – | 500万 |
1995 | 近鉄 | 110 | 76 | 3 | 19 | 15 | .270 | .670 | 500万 |
1996 | 近鉄 | 78 | 45 | 3 | 13 | 5 | .232 | .608 | 1700万 |
1997 | 近鉄 | 97 | 92 | 1 | 30 | 15 | .281 | .708 | 1550万 |
1998 | 近鉄 | 133 | 162 | 4 | 40 | 23 | .310 | .755 | 2900万 |
1999 | 近鉄 | 132 | 128 | 2 | 36 | 7 | .259 | .608 | 5900万 |
2000 | 近鉄 | 124 | 93 | 3 | 44 | 7 | .254 | .651 | 5500万 |
2001 | 近鉄 | 136 | 160 | 16 | 53 | 5 | .271 | .735 | 5200万 |
2002 | 近鉄 | 135 | 144 | 11 | 47 | 1 | .271 | .713 | 8400万 |
2003 | 近鉄 | 136 | 165 | 16 | 61 | 27 | .300 | .828 | 7600万 |
2004 | 近鉄 | 120 | 151 | 2 | 34 | 22 | .303 | .729 | 1億1600万 |
2005 | ソフトバンク | 133 | 143 | 8 | 48 | 31 | .270 | .679 | 1億1600万 |
2006 | ソフトバンク | 136 | 165 | 6 | 60 | 22 | .294 | .715 | 1億7000万 |
2007 | ソフトバンク | 113 | 145 | 1 | 31 | 11 | .319 | .713 | 1億7000万 |
2008 | ソフトバンク | 79 | 74 | 2 | 22 | 7 | .302 | .700 | 1億9000万 |
2009 | オリックス | 119 | 122 | 0 | 30 | 5 | .291 | .667 | 1億2000万 |
2010 | オリックス | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | 7000万 |
通算 | – | 1789 | 1865 | 78 | 568 | 203 | .284 | .707 | 13億4950万 |
大村直之が2000本安打直前になぜ引退したかの理由も話題
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大村直之さんの通算安打数は1865本で、名球界入りの条件となる2000本安打まであと135安打に迫っていました。
大村直之さんは現役引退の前年の2009年シーズンには122安打を放っており、その年のオフにはあと2年もフルシーズン1軍でプレーすれば2000本安打達成は確実だと言われていました。
にもかかわらず、大村直之さんは2010年シーズンは開幕こそ1軍で迎えたものの、スタメンで起用されることはなく、出場は代打での2試合のみで、開幕5試合目終了のタイミングで2軍に降格となり、そのまま1度も1軍に再昇格する事なく2打数無安打の成績でシーズンを終えました。
そしてその年の10月に大村直之さんは球団から戦力外通告を受けます。
大村直之さんはその当時まだ年齢は34歳で、ベテランではあったものの2009年シーズンには119試合に出場して3割近い成績を残しており、1年ダメだったからといってすぐに引退となるような年齢ではありませんでした。
大村直之さんは現役続行を希望し、オファーを待ちながら自主トレを続けている事が報じられています。
オリックスを戦力外になった大村直之外野手(34)が29日、1年間の浪人覚悟で現役続行を宣言した。10月2日の戦力外通告後も西宮市内で自主トレを継続している。
しかし、どの球団からもオファーはなく、そのまま大村直之さんに関する報道は途絶えて消息不明の状態になり、大村直之さんはどうしたのかと一部のプロ野球ファンがネットで話題にしていました。
そして、2012年9月10日に日刊ゲンダイのウェブメディアが大村直之さんが既に現役を引退しており、現在はオーストラリアに家族で移住して不動産事業をしながら悠々自適の生活をしているとの内容を報じました。
その後、ネット上では、大村直之さんが一流のプロ野球選手の証ともいえる2000本安打を目前にして、なぜ現役を引退したのかが度々話題にされています。
大村直之さんがなぜ現役を引退したのか、なぜ現役引退に追い込まれたのかについてははっきりとした事は明らかになっていませんが、よく噂されているのが当時のオリックスの監督だった岡田彰布さん(2024年現在は阪神タイガース監督)と対立して干されて、現役引退を余儀なくされたという内容です。
2000本安打まであと135安打であった大村直之さんは、送りバントや進塁打のサインを無視して打ちたがり、それが岡田彰布さんの逆鱗に触れて2軍降格を言い渡され、そのまま1年飼い殺しにされて戦力外となり、その経緯を知る他球団もオファーを出さなかったために現役を引退するしかなかったのが引退の理由ではないかと噂されています。
ただ、実際のところは大村直之さんは当時は怪我などの影響もあって若い頃のような守備力を発揮できず、武器であった走力も衰えていました。当時のオリックスは若手への世代交代が進められており、チームとしては全盛期を過ぎたベテランよりもこれから伸びていく若手を起用する方針でした。
そのため、大村直之さんの戦力外通告を受けた理由は岡田彰布さんとの確執ではなく、ただ単にチームの構想から外れたためだった可能性の方が高いようです。
とはいえ、大村直之さんは現役を続けていれば2000本安打は確実だったとも言われており、本人も2000本安打達成のために年俸が低くてもプレーを希望する可能性が高く、その話題性による集客力とのコスパを考えれば他球団がどこもオファーしなかったのは不可解だとして、大村直之さんの現役引退は闇が深いといった声が多く出ています。
大村直之の引退理由と小瀬浩之の急死を関連づけて闇が深いと訝しむ声も
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闇が深いとも噂されている大村直之さんの現役引退ですが、その引退理由に小瀬浩之さんを関連づけるような向きも見られます。
小瀬浩之さんは、2007年のドラフトでオリックスに入団した選手で、1年目の2008年シーズン後半から1軍に定着し外野のレギュラー候補として常に名前が上がる存在となりました。2年目の2009年シーズンは前半こそ打撃不振に陥ったものの、後半に一気に調子を上げて安打を量産し、打率3割3厘の好成績を上げます。
2010年からオリックスの監督に就任した岡田彰布さんは、大村直之さんよりも若手の小瀬浩之さんを優先して起用すると明言していたとも言われており、オリックスの世代交代の筆頭格と見られていました。
しかし、2010年シーズン前の春季キャンプ中、小瀬浩之さんは滞在していた沖縄県宮古島のホテルの10階自室から突如飛び降り24歳という若さで亡くなりました。小瀬浩之さんが自殺を仄めかしていたとの報道もあり、何か悩みがあったのではないかと噂されましたがその本当の理由は現在も謎のままです。
そして、この年、小瀬浩之さんの突然の死去でオリックスの外野の枠は1つ空きました。普通であれば実績抜群で、前年にも好成績を残している大村直之さんが起用されるかと思われましたが、岡田彰布監督は頑なに大村直之さんを起用せずに、そのオフに戦力外通告となりました。
この経緯から、一部のプロ野球ファンの間で、大村直之さんが小瀬浩之さんの死去に関係しているのではないかとする噂が囁かれるようになり、闇深いなどと言われるようになりました。
とんでもない事に、大村直之さんが小瀬浩之さんに圧力をかけていたのではないかとか、突き落としたのではないかといった根も葉もない噂まで拡散されるようになり、大村直之さんは闇が深いというイメージが定着します。
その後、大村直之さんが現役を引退してオーストラリアに移住している事が明らかになると、小瀬浩之さんの件で海外逃亡しただの、やましい事があるから日本にいられないなどの誹謗中傷が一部の人々から出ていました。
当然ですが、大村直之さんと小瀬浩之さんの死には何の関係もなく闇などは存在しません。
大村直之の結婚と子供
大村直之さんは1998年に一般の女性と結婚されています。
大村直之さんの嫁の年齢は同い年で、西宮市立深津中学校時代の同級生だった幸実さんという方でした。
中学卒業後すぐに親しく交際していたわけではなく、大村直之さんがプロ入り4年目だった1997年のオフに偶然再開したそうです。当時、嫁の幸実さんは看護師をしていたそうで、プロ野球には興味がなく大村直之さんがプロ野球選手になっている事を知らなかったそうです。
その後、約1年の交際を経て1998年に結婚されています。大村直之さんと嫁の幸実さんの間には2人の子供がおり、長女は1999年に生まれた美優さんである事がわかっています。2人目の子供は男の子のようですが、長男の名前は明かされていません。
大村直之さんの家族仲はとてもよく、2007年12月の週刊ベースボールで家族4人で紹介されています。
大村直之の現在
大村直之さんは現役を引退後はオーストラリアに移住して不動産事業で成功していましたが、2018年に日本に帰国していた事がわかっています。
ただ、その後の動向は情報がなく、現在大村直之さんがどこで何をされているのかは不明です。
大村直之さんほどの実績があれば、プロ野球解説者やコーチのオファーがあってもおかしくはありませんが、少なくとも現在の時点では1度も野球に関わる仕事はされていないようです。
大村直之さんは不動産事業で成功されているとの情報も出ていたため、現在も実業家として悠々自適の生活を送っている可能性が高いようです。
まとめ
今回は、近鉄バッファローズやソフトバンク、オリックスで活躍した元プロ野球選手の大村直之さんについてまとめてみました。
大村直之さんは俊足巧打の名選手で、近鉄時代は不動のリードオフマンとしていてまえ打線を牽引しました。その後も安定した成績を残し続け、2000本安打まであと135安打まで迫り、名球界入りが確実視された名選手でしたが、2010年に戦力外通告を受け、現役続行を希望するもオファーがなくそのまま現役を引退しました。
大村直之さんは2000本安打直前で引退したため、なぜ引退したのかが話題になり、小瀬浩之さんの急死が関連づけられるなど、闇が深い理由があるなどと噂されるようになりました。
しかし、大村直之さんの引退の理由はただ単に、武器であった俊足が衰え、守備力も低下したためだったようです。
大村直之さんは1998年に結婚して2人の子供がおり、2010年の現役引退後は家族でオーストラリアに移住して不動産業で成功されています。2018年に日本に帰国していますが、その後は不明で現在何をされているのかは情報がありません。